第五話 運試し
□■□ 首都 大通り沿いの料理店『ペールナチュール』店内 □■□
目の前にあるのは、縦に置いたのか横に置いたのか判らない程の厚みのステーキ。
雑に作られた木の板の上にどっしり置かれたソレに、添えられるのは二株分はありそうな食用花です。
味付けは塩のみで、少し獣臭さすら感じられるのが気にならない程の芳醇な肉が放つのは、『魅了』のバッドステータスすら振りまくほどの凶暴な香り。
「筋肉に感謝して、イタダキマスッ!!」
何かが破裂したような大きな音をその両の手で鳴らせたヒレステーキが、自身と同じ名の食物にナイフを入れます。
その巨躯との対比でまるでバターナイフのように見える刃物で肉を切れば、肉汁が止めどなく溢れて木の板を濡らして行きますよ。
ヒレ肉なのにこの肉汁。都合よく作られた仮想の肉である証でしょうか。
「ウ~ン、ウンウン」
彼はいつもそうです。美味しい物に言葉は不要とばかりに、ただ唸りながら咀嚼するだけ。
しかしその食べるスピードと得も言われぬ幸福の表情を見れば、どのような感情を持ったのかは明白で。
下手に言葉で飾るより、よほど純然たる批評をしていると言えるでしょう。
「よく噛んでくださいね。中は焼けていますか?」
「ウン、ナイスカット」
それはボディビル用語でしょう。上手にお肉を切れたって意味ではない筈ですよ。
幸せな顔で好物を頬張るヒレステーキは、口の中で踊るお肉に夢中なようで。
それもこれも、クィーンコクーンの過剰なまでの感覚フィードバックによる物でしょうか。
マイナーコクーンと違ってきちんと味わえるというのは、いいものですね。
「ン~、ところでタテコ。やっぱり今日も食わねぇのか? うんまいぜ?」
「僕は結構ですよ、気にせず楽しんでください」
「あいよ。しかし不思議なモンだよな、お前が物を食ってる所は見たことないが、そんなに丸っこい体なんだからよぉ」
そんな事を言いながらも、その口に大きくカットしたお肉を運んで蓋をします。
僕が教えた甲斐あって、その仕草は中々のもの。
筋骨隆々の大男が背筋を伸ばして静やかに食事を摂る様は、かえって上品さを際立たせるアンバランスが故の美しさがありますね。
「ンッ! おおい、店長~今日もうまいぞ~!」
「ウィ」
配膳で通りかかったコック帽の男に声をかけるヒレステーキ。
このお店『ペールナチュール』の店長を務めるプレイヤーネーム・ミチュールさんは、余り言葉を発しません。
必要最低限の事だけを口にする代わりに、現実には存在しない素材を巧みに調理して豊かな表現をする、この首都にいる中でも頭一つ抜きん出た一流の調理師です。
そのジョブレベルは、20を超えるとか。
「ふぅ~。美味かった。ごちそうさまでしたッ」
「それはなによりです。それではお話ですよ、ヒレステーキ」
「……なんだよぉ、いい気分なのに」
静かに丁寧に食事を終えたヒレステーキは、目の前から食べ物が消え失せると途端に【脳筋】の顔に戻ります。
これからするのは真面目な話なので、食事中のような理性的な振る舞いであって欲しいのですが。
まぁ、それを求めるのは無理と言う物だと知っていますよ、僕は。
「色々ありましたが、海岸に行って帰ってきた。今日はそれだけになりました」
「ああ、そうだなぁ」
「つまりは、僕たちの目的である『お金稼ぎ』が出来ていないという事です」
「ああ、そうだなぁ」
「そもそも僕たちの目的は、海岸ではなくその手前、海にほど近い森林部だった筈ですよね? どうして海に走ってしまったのですか?」
僕たちペアの持つある確執によって一悶着起こってしまった事は別として。
目的は海ではなかったと言うのに、潮の香りに誘われて砂浜へ走った事がそもそもの間違いなんです。それを彼は理解しているのでしょうか?
「……そうだっけ?」
「そうですよっ!! どうしてキミはそうやって、筋肉以外の事は忘れてしまうのですかっ」
効果的なトレーニング、必要な栄養素、筋肉の各部位の名称はしっかりと覚えているくせに。
大切な事――――いえ、大切どころか必要最低限の事さえ忘れてしまうのですから、相棒としてはたまったものではありません。
「ン~思い出せないぜ。結局、俺たちは何しに行ったんだっけ?」
「はぁ、全くキミという男は……今食べたのは何でしたか?」
「ン~、オニツノギュウのヒレステーキだったっけ?」
「そうです。まさしく、そうですよ。僕らの目的は、あの海岸にほど近い所で目撃情報のあったその『鬼角牛』の討伐です。初心者パーティ程度ではまるで歯が立たない、硬い皮膚に強力な角を持つ手強いモンスター。お金とお肉とあの一帯の安全性の確保を目的とした、特別クエストの為の行動だったのですよ」
「ジョブ屋で貰えるクエストかぁ。……ん? じゃあその牛はどうなったんだ?」
「どうなったも何も。海岸近くに居るままでしょう」
◇◇◇
◇◇◇
□■□ 首都東 海岸地帯 □■□
「へぇ~。だから水をかけてたのか。って言っても結局、モンスターはモンスターだろ? その『感情を見せる白いタコ』っての」
「うん、そうだと思うんだけど…………すごく苦しそうだったから、放っておけなくって」
貝を枝で突き刺し、海を見つめながら口に運んでのんびりと咀嚼する平和な時間。
味は薄いが、雰囲気は格別。
仲間との談笑が何よりのスパイス、ってのはちょっとクサいか。
そうした中で投げ網漁中に見えたロラロニーの謎の行動について聞くと、そんな答えが返ってきた。
「目がね、怯えてるみたいで。怖いよ、折角生まれて来たのにって泣きながら干からびているみたいで。かわいそうになっちゃったんだ」
「ふむ……ロラロニーさんが調教師だからそのように感じたのですかね?」
「でも、調教師じゃない私にも少し伝わってきたよ~。動画も撮ったし。見る?」
「つーかすぐそこだろ? 皆で見に行けば――――」
「んんっ!?」
「なんだよリュウ」
「いてぇ……このホタテ、石っころが入ってたぜ……ペッ」
「そりゃあ野生の物だし、そういうハズレもあるんじゃねーの」
皆で一つずつ食べて、初めての事ではあるけど。
って、リュウだけ三つ目か。別に大して美味しくないから独り占めしてもいいけど、そりゃあそんだけ食べれば石ころとかもあるよなぁ。
「わわっ、ちょっとリュウ! こっちに飛ばさないでよ!」
「すまんすまん、固いし何かちくちくと変な感じでよぉ」
「も~…………ってこれ、何か綺麗だね? ビー玉みたい」
「っ!? すみません、ちょっと失礼っ!!」
リュウが口から吐き出した石ころを、キキョウが慌てて拾い上げる。
唾液まみれでベットベトなのに、それに構わず持ち上げてじっくり見てる。
太陽の光を浴びて ぬらりと光る様は、リュウの涎って考えると、きったねーなぁ。
「…………これは、間違いありません。『水の魔宝石です』……っ! 素晴らしいっ!」
「ええっ!? うっそ!?」
「なんてこった! 大当たりじゃねぇかっ!」
マジか。魔宝石かよ。
魔法師がこぞって欲しがる魔法の増幅機。
属性ごとに赤だの青だの色があって、対応した種のスペルを増強してくれるらしい。
その他スペルを発動させる座標としても使える事から、小さくても10万ミツは固い高級品だ。
それが、リュウの口の中から出てくるなんて。
嬉しい誤算、思わぬ幸運。確かな大当たりだ。
「すご~い! 見せて見せて!」
「あっ、だめだよロラロニーちゃん。リュウの涎でばっちいよ」
「ホタテの中に入ってたのか!? なんでだ!? すげぇぜっ!!」
「…………真珠のような物かもしれませんね」
「真珠って、リアルでネックレスとかにするアレか?」
「ええ。真珠は元々、アコヤ貝という二枚貝の体内で作られる物です。ホタテと似ている事もあって、この世界の二枚貝は真珠という宝石……ひいては魔宝石を作るのかもしれません」
なんというか、凄くゲーム的な仕組みだ。
でもそれが、今の俺たちにとっては何よりいい具合だぜ。
「青いし、水系・氷系かな? あんまり産出無いよね?」
「ええ、相当に希少な物ですよ」
「おっしゃあっ! まだホタテは六つあるっ! 探して見ようぜぇっ!! 滾ってきたぜぇーっ!!」
名案から失敗、失敗と続いて、ここにきてようやく嬉しい事が起こった。
産出が少ないって事は、高値で売れる上に、この情報は知られていない可能性が高いだろ。
市場に魔宝石を流してたらその内に感づくプレイヤーも出るだろうが、今の所は俺たちパーティだけが知る金稼ぎだ。
俺たちだけが知る宝の在処。なんて魅力的な響きだ。
「ううっ、これだけあればもう一個くらい出るかなっ?」
「よかったね~、綺麗だね~」
「次に網を投げる際には珊瑚が見えない辺りを探し、重りを付けて投げ入れるといいかもしれませんね。海底をこするように、貝類を重点的に…………これは大きな収穫ですよ!」
投げ網は引けない、ピラニアとサメしか獲れない、貝の味も良くないって沈みきった所で一気にテンションが打ち上がる。
来てよかったぜ海。やっぱり海って良いよな。
10万ミツ以上……リアルマネーで一個8万だろ? いいじゃん。夢がある。
やっぱり海ってのは、夢が詰まってなきゃな。はははっ。
「薪が足りねぇっ! 俺っちが取ってくるぜっ!!」
「ははっ、別に食べる必要はねーだろ。いいけどさぁ。はははっ」
「何だかこのうす~い味も、魔宝石ガチャの開封と思えばすっごく美味しく感じられちゃうっ」
「綺麗だね~、青くてキラキラして……中で何かが渦巻いているよ」
「その渦は魔力とも言われているようですよ、ロラロニーさん。私は雷の魔宝石を持っていますが、微弱の電気が動き回る様は古い時代のプラズマボールという置物を思い起こさせ――――」
――――ずしんっ
鉄板の貝をつついていたまめしばが動きを止める。
魔宝石を太陽にかざしていたロラロニーも、その横でウンチクを垂れ流していたキキョウも。
当然俺だって、網を持つ手を止めて振り向いた。
異常な音、重苦しい何かが地面を揺らした振動。
みしみしと音をたてて砂浜に倒れてくる木は、しっかり根を張った南国にあるヤシの木のような物で、決して簡単に動くような柔な物じゃない。
「――――やべぇっ!! 何かが、デケぇ何かが来るっ!!」
持っていた枝をぶん投げて、急いで俺たちに駆け寄るリュウ。
その背後、無理やりこじ開けた木々の間から姿を表わすのは、捻りくねった真っ黒い角。
続いて青黒い顔が飛び出し、ゆっくりこちらを振り向いて赤い瞳を光らせる。
鼻には何故か金属の鼻輪がついていて、青黒い毛に包まれた屈強な四足で支える体には、赤い筋が前から後ろに流れるように何本も走っては消える。
今まで見た事のあるモンスターとは違う。
まるであのヒレステーキさんのような、力の塊みたいな圧。
それを全身に漲らせる、圧倒的な存在感。
触っちゃいけない、立ちふさがってはいけないって嫌でも わからされる程の、格の違いを見せつけてくるユニークモンスター。
誰も動けない。
それがキッカケで『何か』が起こってしまったら、と考えたら、動ける訳がない。
もし『何か』が起こってしまったら、俺たち初心者パーティなんて、軽々吹き飛ばされてしまうだろうから。
「『鬼角牛』…………っ」
失敗続きでようやく大当たりだと思ったら……ハズレもいい所。
大ハズレだ。
『鬼角牛』
オニツノギュウ。首都東方向の森林地帯から海岸地帯にかけて生息する。
何故か鼻に人工的な鼻輪を付けている、環境調整用モンスター。
赤い瞳に青黒い体と、頭に鬼のような角を二本つけている。
個体が生まれてすぐの角は真っ白い色をしている直線の物だが、プレイヤーや他のモンスターを狩るたびに色は黒く、捻じくれて行く。
『角の黒さと曲がり具合で、その個体がどれだけ修羅場をくぐったかわかる』と言われており、よほど黒く捻れた角は戦利品として価値が高い。
青黒い体毛は刃物を滑らせ、一点を攻撃する突武器でも毛の下の皮膚を打ち破る事は難しい。
赤い瞳は魔宝石の役割を果たしており、常に自身に魔法『筋力強化』のステータス上昇効果スペルをかけている。
体にはその効果の証である赤い電流のような物が流れ続けている。
自然を愛し弱きを守る強い意思と、強き者とのぶつかり合いを好む傾向がある。
サービス開始当初に首都南の『白羽ウサギ』が乱獲される現場に出現し、周囲のプレイヤーを蹴散らして白羽ウサギと連れ立って森に帰って行った事や
白羽ウサギを従僕にしている調教師には攻撃しない等、ウサギに親身になって接する一面が多く見られる。
怒らせる方法は二つ。
森や草原に棲む弱い者をいじめるか、自然を汚す事である。