閑話 Re:behind開発者はかく語りき 「VR聖女の作り方」 1
□■□『Re:behind』運営会社内 第三会議室 □■□
「――――『道徳』とは何か?」
「…………?」
「どうだ、言ってみろ」
「……えっ、あっ……」
「テストや面接じゃあないんだ。ぼんやり適当でいいぞ」
「はい……ええと、倫理や社会性……でしょうか?」
「うん、まぁそうだな。それが模範的な回答と言えるだろう」
教科書通りのお利口な表現。自分で導き出したモンではない回答。
"つまらなく正しい"、ってやつだな。
しかしまぁ、こいつらにとっちゃ俺は上司で大先輩だ。
だったらそんな当たり障りのない事を言うのも当然だろう。
「……そんじゃあそれを、ぼんやり適当に言いかえよう。『道徳』とは『良心』であり、ひいては『思いやり』。社会という集団生活において、他人の嫌がる事をせず、他人の気持ちを考える事――――そんな自分ルールを指す言葉だ」
「はい」
「端的に言えば、『ひとにやさしくするきもち』って所かね」
ややこしく言おうが、噛み砕いて言おうが、結局中身は同じこと。
それに『道徳』だなんていう、本来一桁年齢の教育過程でしか議題に上がらない物なんだから……子供が使うような表現で言ったほうが、それらしくて すとんと落ちる。
「……さて。『道徳』ってのはそのように、ずいぶんと抽象的でふんわりとした物だ。法や規則ではなく、守ったほうが良い概念って立ち位置だからな」
「はい」
「それは教育と経験とで徐々に積み上げられる、目では見えざる成長だ。もっとも身近な教育者である親の理念が子供にそのまま伝わるし、環境によってもまるきり変わる。そんな土台を備えた上で、様々な物を知り、多様な経験をした先でこそ『確固たる道徳観』が得られるってモンだろう」
「はぁ」
「必要なのは学ぶ事、身をもって知る事。そしてそれをきちんと飲み込み応用が出来る、他者の心を想像するちから。それらを人一倍持った者こそが、抜群に道徳心が優れる者――――というのが、我らが『なごみ』サマの考えだ」
なごみの奴らが唱える『日本国民総性善説』。
"日本国民は、生まれながらに一定以上道徳的な人間である" という考えは、頭のおかしい親馬鹿の戯言だ。
親馬鹿。しかし、それでいて……とても傲慢で居丈高。
何しろあそこの職員は、『なごみ』に所属する者とそうでない者の二種にだけ分けて言うからな。
それを踏まえて『日本国民総性善説』を説明するなら……
"日本国民は、生まれながらに一定以上道徳的な人間である。※ただし、なごみに所属する者よりは確実に劣等である"
って所だろうか。
「……さて、それでは本題だ。【聖女】について話そうじゃないか。
格別に異なるRe:behindプレイヤー、【竜殺しの七人】、【聖女】。上から下まで真っ白の容姿、僧侶という職業をビルドの中心に据えたメインヒーラーで……悪名高き無差別PK」
「……はい」
「プレイヤーネーム チイカさん。およそ女性。そこぬけに良い子で、だいたい人間」
「だ、だいたい……?」
「一応の本名は『天津ヶ原 エミ』。『なごみ』職員。年齢は16歳――――」
「……あれ? Re:behindの規約では、18歳以上でなければ駄目だと……」
「――――+、189歳」
「ひゃ、ひゃく……? プラス?」
「――――の、更に500倍くらいと言うのが一番正しいのかね」
「……えぇ……?」
◇◇◇
Dive Game Re:behind、あるいは『5th』がサービス開始される前の話だ。
一つの案内が、全国各地の "適当な1000人" に届いた
今どき紙の封筒に、インクを使って書かれたそれは――『なごみ職員募集のおしらせ』という物だった。
あの超有名施設に就く可能性を示唆する、未曾有の機会を知らせるハッピーなラブレターだ。
……知らんだろう?
それもそうだ。何せ極秘裏に届けられた物だからな。
誰かに漏らせば資格を失うってはっきり書かれた、道徳的な内緒話さ。
まぁ、内緒話って事に関しちゃ、俺らもヒトサマの事は言えんけどな。
それが送られたのは『年若きもの』、そして『男女比率1:1』というルール以外、全てがランダムだった。
つってもそれは当たり前だ。あの『なごみ』からすりゃあ、自分のとこの職員と、自身の施設で矯正中の人間以外は、全てが優劣のない同等なんだから……そうもなる。
そんなこんなでそこに書かれた日時、その場所。
東京にある『なごみ』の本部には、案内状を受け取った人間のほとんど全員が集まった。
何しろあの『なごみ』職員採用試験だ。
そこに入れば上級国民。明白な成り上がりで国民ランクの繰り上がり。
ついでに子々孫々に至るまで『なごみ』へのコネ入職が確約される――――それこそ代々継がれる、決して消えない財産を手にする事が出来るんだ。
だから必然、おおよそ誰もが素直に呼び寄せられていた。
それほど目に見える栄光であるのが、今の時代の『非道徳思想矯正隔離施設 なごみ』の職員だ。
……しかし、そもそも、だ。
それは一体なぜ送られたのか、という話だろう。
どうして『なごみ』が外部から募集を行ったのか。そこにどういう意図があるのか。
――――そう、『Re:behind』だ。『5th』だ。
それに関連する事だった。まぁ、俺が今語ってるんだから当然だけどな。
このDive Gameには、始めから『なごみ』の息がかかっている。
国をあげての大事業、歴史に残る大改変。
それを行う許可と、"カルマ値" を判断する基準の定め方、そして "精神加速" という超技術の運用データを我らに与えたもうたのが『なごみ』だ。
彼らの目的は、表と裏の二つある。
表向きでは『情報ネットワーク社会の影響を受けて孤立して行く人々を繋ぐため』。
それはまぁ……綺麗事だからどうでもいい。
真の目的、裏の理由は――立場の維持と発言力の強化。
そして、仮想世界という新たな世界への影響力だ。
またとないこの機に乗じて、全世界中へ自分たちの正しさと清らかさをアピールしようと考えた。
彼ら『なごみ』は、仮想世界という新たな創世の光の中に、自らを躍進させる希望を見たんだ。
◇◇◇
募集されたのは、『非道徳思想矯正隔離施設 なごみ 仮想現実支部』の新入職員だ。
彼らはゲームが始まるその前に――――『仮想現実での模範となる職員』を作り、それを送り込もうと考えた。
そのための外部募集。そのための無数の案内状。
現実で優れた物ではなく、仮想現実に最適化された道徳者が必要だったから、あえて外から呼び寄せた。
……そんな採用試験で行われたのは、道徳矯正のテンプレートと新境地。
仮想世界という『なごみ』の息がかからない地で、それでもブレない完璧な道徳心を発揮するための新提案。
剣と魔物のファンタジーに送る『強くて良い子』を、限界いっぱいの精神加速を使って産み出そうとしたんだ。
そんな人工勇者計画の名前は、『T2W計画』。
"道徳を形成するには、長い時間が必要だ" 。
"ならば必然、Time to Win" 。
"すなわち、精神を加速させた空間で、誰より長い時を過ごす事こそ勝者の条件なのだ" 。
『T2W』の代名詞、『MMORPG』としてのRe:behindにまつわる計画の名前には、最も相応しい皮肉な名称だよ。
◇◇◇
「何しろこのRe:behindと言えば――――国家間の比べっこだ。それは言わば、各分野の優劣を決めるもの。『なごみ』として、他国の道徳基準に負けない清らかさを持っていると証明出来なければ、世界的に見る権威失墜は免れないだろうという考えだ」
「……死活問題、ですね」
「ああ、全くもって残念ながらな」
「残念、ですか?」
「そりゃそうだろうよ。『なごみ』の威信を賭けた一大事業……そうであるなら、無茶もする。だから残念と言うのさ」
大した事のないイベントであったなら、きっと何も問題はなかった。
しかしこれは、『なごみ』の進退を決める重要な物となってしまった。
……"精神加速" という無茶を認められた彼らが、死に物狂いで成果を得ようとする。
それがもたらす物は、どうしたって悲惨でしかないのは明らかだ。
「『採用試験』という名の道徳矯正。その内容は、いくつかのフェーズに分けられた。
まずは第一、『集団生活』。精神加速を50倍にし、複数の参加者を同じ部屋に詰め込んで、リアル時間で1時間だけ色々させた」
「すみません、小立川管理局長。その色々とは、一体どのような物だったのでしょうか?」
「あ~……俺も聞いた話になるが、議論や対話が主だったらしいぜ? 答えの出ない道徳問題や、世界の在り方についてお喋りをする事が多かったようだな。後はまぁ……ボードゲームに興じたりだとか、そんな『なごやか交流会』っぽい普通の内容だ」
「……はぁ」
「『道徳』ってのは、ある意味で社会性とも言えるモンだ。何でもいいから他者と関わり、意見交換や同調を行い、相互理解を深める過程で湧き出るモンだろ」
「……なるほど」
「あくまで人の気持ちを推し量り、他人を尊ぶって気持ちだからな。育てる前に、隣人が居なきゃ産まれもしねえさ」
◇◇◇
「そしてフェーズは移行する。第二フェーズは『自己の確立』。意味のわからん物だけが置かれた空間で、ひたすら自問自答をさせる段階だ」
「何に使うか、わからない……?」
「火の無いろうそく、6つのボトル・キャップ、電源の入らない冷蔵庫。全く何もないと気が狂うから、そんな価値無き物を用意するんだ。そうしてそれらと見つめ合い、自身に自分を問いかける。果たして自分とは何なのかと考える時間を、加速100倍で2時間ばかりな」
「それは一体、どういう効果が……」
「俺も知らんよ。ほら、あの……ザゼンみたいなもんじゃないか? 精神統一だの、世界への問いかけだの、そんな魂のクリーン・アップだよ、多分な。ちなみにそんな理想的道徳思想形成のシステムは、未だに『なごみ』で採用されているらしいぞ」
「…………」
「つまりは、アレだ。意味はあったんだろ。"結果が出たから今なお続く"、ってな。トライ&エラーのお手本だ」
何らかの形で良しとされたから、その後も継続して行われている。
それは科学的にも機械工学的にも、そしてサイボーグ的にも正しいものだ。
ゴールを目指す迷路の踏破を幾度も繰り返したAIは、必ず最短距離を進むようになるもんだからな。
◇◇◇
「……さて。そんなこんなでいよいよフェーズも三段階目だ。今度は少し変わって、本題であるRe:behindを強く意識した、一種の訓練が行われた」
「はい」
新入り共の顔に、幾らかばかり疲労が見られる。
流石に新情報をインストールしすぎたか? 一日でやるべき事じゃなかったかもしれない。
つっても、ここまで来たら止める事は出来ないが。
疲れているのは俺も一緒だ。もうちょい付き合って貰うしかない。
「…………ところで諸君。ゲームは好きか?」
「へ……ゲ、ゲーム、ですか?」
「ああ、コンピュータ・ゲームだ」
「……それはVRの、という意味でしょうか?」
「いや、限らずだ。何でもいいぜ、パズルでもシミュレーターでも戦争ゲームでも」
「いえ、その……すみません。どちらにしても余りやるほうでは、ないです」
「私も……その……そこまでは……」
「おいおい、初めに言ったろう? これはテストじゃないってよ。そんなに気張るなって。肩こるぞ」
「あ……はは……」
「で、本題に戻ろうか。
――――『Wizardry』、というゲームがある。根っからのゲーマーならば必ず知っている、古い……とても古いロールプレイングゲームの話だ」
「……Wizardry、ですか」
「なんだ、知らないのか?」
「は、はい……すみません……」
「そうか――ああ、だったらこれは知ってるか? ゲーム内の治癒施設『カント寺院』で詠まれる、とても有名な詠唱なんだが」
「…………?」
「『MURMUR -ささやき- 』
『CHANT - えいしょう - 』
『PRAY - いのり - 』
『INVOKE - ねんじろ - 』
……どうだ諸君。どこかで聞いた覚えは無いか?」
◇◇◇