第十二話 【天球】よ、龍に届いているか 中
◇◇◇
「ふぅ……」
「…………」
「……ところで、さ……」
「…………?」
「あの子――――ロラロニーちゃん、なんだけど」
「……っ」
「おやまあ。スピカは彼女の名前を言うと、いつも途端に素を出すね」
「…………」
「ロラロニーちゃん。彼女は良い子だよね。いつも元気に明るくて、純粋な心と礼儀正しさも併せ持ってる。それに、お菓子選びのセンスもいい」
「…………」
カニャニャックはよくわかってる。
ロラロニーちゃんは良い子なんだ。それこそ、世界で一番と言ってもいいほどに。
そしてそれは、上辺だけの物では絶対にない。
嘘偽りなく善良で、心の底から本性が素敵な子なんだ。
私にはわかる。
現実社会で、仮想世界で。あらゆる場所で、周りに評価されるべく振る舞っていた私には。
嘘ばっかりな私には、彼女の全てが嘘じゃないって事が、ありありと伝わってくるんだ。
だからカニャニャックは、わかってる。
……とは言っても。
沢山ある課金スウィーツの中で、よりにもよって『お芋のマカロン』をチョイスするセンスは、ちょっとどうかと思うけど。
「彼女は良い子だ。私は彼女が大好きさ。マイペースで頑張り屋で、そうして行う動作のいちいち可愛らしい所と言ったら……。そして何よりあのキラキラとした笑顔だよ。見ているだけではっきりと "今が楽しい" って感情が伝わって来る。それは共に過ごしているこちらまでもが、無理やり上々な気分に引っ張り上げられてしまうようでさ」
「…………」
「良い子だよ。素敵な子で――――彼女のパーティメンバーである、サクリファクトくんとそっくりだ」
……訂正。やっぱりカニャニャックは、全然わかってない。
夜空に浮かんだ望月のような完璧美少女、ロラロニーちゃん。
彼女が浮かべるその笑みは、花も恥じらい身を隠す。
そんな伝説級に素敵な彼女を、きちんとそのまま褒めたかと思ったら……今度は最悪におかしな事を言いだして。
……ロラロニーちゃんが、あいつと似てる?
よりにもよってあの、いじわるで鈍感でデリカシーのない男、サクリファクトと?
なにそれ。全然似てないよ。まるで真逆の存在だよ。
ロラロニーちゃんがお月さまなら、サクリファクトは泥水に沈むすっぽんだ。
真っ黒い甲羅と生意気な目をして、水面下でバチャバチャと暴れる、悪魔のような悪いスッポンだよ。
「……相違。異同。悪鼈」
「…………"わるすっぽん"? なんだい、それ。聞いた事が無いモノだね」
「…………」
「まぁいいや。それはともかく彼と彼女は、よく似ていると私は思うんだ」
「…………」
"いやいや、どこがだよ!" ってツッコみたい。キャラ崩壊して叫びたい。
こんなに自分のロールプレイを邪魔に思った事は、未だかつて無いよ。
「確かに雰囲気や趣向はまるで違う2人だよ。ロラロニーちゃんとサクリファクトくんは、そういった外面的な所は似ても似つかないさ」
「…………」
「だけれど彼と彼女には、同じ考え方がある。言うなればそれは『物の見かた』。それが一緒だから、私はとても似ていると言うのさ」
「……?」
物の、見かた?
全然意味がわからない。カニャニャックはそういう所があるんだ。
「……ここは仮想現実だ。現実と切り離された、新たな次元と言ってもいいだろう。だからここにいる人々は――――それ相応のつくりをする。『なりきり』や『ロールプレイ』なんて物よりもっと根源的な、現実の自分とはまるきり乖離した者になろうとね。それは見栄や虚勢と言ってもいいかもしれない」
「…………」
「『ゲームだからこうしよう』『VRだからそうしよう』――『現実世界の自分とは、違う自分になろう』。それらは大変結構な事で、文句のつけようがない、正しいゲームの遊び方だ。……しかし、結局の所それをするのは、キャラクターを動かす『中身』の意思だ」
「…………」
「例を出そう。かの【正義】のクリムゾンであれば、正義のヒーローというロールプレイを頑張っているよね。そしてそれに対峙する者は、普通であれば『ネットゲームで出会った、そういうキャラクターの人』として受け取っている」
「…………」
「更に言おう。【死灰】のマグリョウの話だ。ソロでダンジョンを練り歩く、戦闘狂のコミュニケーション能力不足なネトゲ廃人……一般的には、そんな存在として認識されている。誰も彼もが耳で聞き、目で見た物だけをそのままインプットして、そこで終わりとしてしまう」
「…………?」
「だけれどロラロニーちゃんとサクリファクトくんは、そうじゃない。いつでもどこでも誰相手でも、その向こう側をしっかり見ている。ゲーム上のキャラクターを尊重しながら、その奥にいる『中身』をはっきり認識し、それを踏まえて相手をしているんだ」
プレイヤーの、中身。
それはネットゲームにおいて、確かにそこに在るはずなのに、ぼんやりと見づらいもの。
雲に隠れた朧月のように、天の川の中の6等星のように、在るのに見えない心の残滓。
「サクリファクトくんがクリムゾンを見る時は、『リビハにいる正義のヒーロー』としてではなく、『リビハの中で正義のヒーローを目指す女性』として見ている。
だからサクリファクトくんは、クリムゾンの活躍を素直に褒めて、時には彼女の心配すらもする。
ネットゲームで出会ったキャラクターとしてではなく、かと言って誰かに聞いた【正義】さん像そのままにする訳でもなく。
きちんと自分の目で彼女を見て、ロールプレイの面と素の面の両方を受け入れて、その上で真剣に相手をするんだ」
「…………」
「マグリョウ相手だってそうさ。自分とは隔絶した最強無敵の存在として見るのではなく、そういう事をしているプレイヤーとして見ていた。
行動・選択・為し得た事のバックボーンを理解しようと努力して、【死灰】と呼ばれるようになるに至った偉業や来歴の全てを尊重しながらも、きちんとマグリョウ本人を見ているんだ。
だから、いい意味で遠慮がない。明らかに自分より経験豊富で、力も立場も上であろうとも……サクリファクトくんはきちんと自分の意見を言うし、ちゃんと間違いを指摘する。
マグリョウが "コミュニケーションべた" で有名だからとたかをくくらず、それでいて【死灰】という名声を虚仮にしたりもせずに、尊敬しながら対等に会話をするんだ」
「…………」
「ロラロニーちゃんも、そうした根っこの部分は一緒さ。彼女がマグリョウに執拗に話しかけるのは、口下手だけど寂しがり屋なマグリョウの本質を見抜いた上で、良かれと思ってそうしているんだろう。彼女は、きちんと気づかいが出来る子だからね」
「……うん」
「……そしてもちろん、そういった所は君も――【天球】スピカも例外じゃない。
君を相手にする時も、彼と彼女は、とても普通に振る舞うだろう?
作り上げた『スピカ』というキャラクターを否定せず、だけどしっかり君の中身――――何らかの理由で培われた類まれなるデザインセンスがあり、何だかんだで他人に優しい『スピカの中の人』をちゃんと見つめて、君と言葉を交わすんだ」
「…………」
……なんだか、心にすとんと落ちた気がする。
ロラロニーちゃんとサクリファクトを相手にしている時だけ、どこか居心地が悪い気がして……だけれどもっと話したいって思ってしまう、不思議な感じになるそのワケが。
ロラロニーちゃん。サクリファクト。
2人はいつもそうだった。
ロールプレイに合わせた態度を取るわけじゃない。
だけど、ロールプレイを否定するわけでもない。
無口でジト目で魔法師な【天球】スピカを受け入れながら、一人の人間として私を見ていた。
半分閉じたこの目を見つめて、その奥にあるリアルな私の目線に合わせて、会話をしてたんだ。
……結局ここは仮想現実。偽物で仮初めの夢世界。
だけどそこに居る人々は、プレイヤーアバターを動かすのは……必ず生きた人間だ。
だからその言葉には、中の人の気持ちが表れる。
ヒーローになりたがる人。ソロを好む人。人気者になろうとする人や、効率厨にエンジョイライト勢。
行動一つ、選択一つ……プレイスタイル一つにしたって、キャラクターを操作する中の人の考え方が反映される。
本来であればそれをそのまま受け取って――――上辺だけを見て、応対するのが一般的で。
『スピカ』という無口でジト目な魔法少女を相手取るなら、『こいつはこういうキャラだから』と考え、踏み込まない。
"無口でたま~に変な喋り方をする、ゴリゴリのロールプレイ女"。
そう思われて、痛い奴を見る目で見られて、相手にされない事もあった。
"二つ名のために魔力を無駄遣いし、交流方法に縛りを設ける自分勝手な奴"。
そんなレッテルを張られ、パーティから除外される事だって何度もあった。
自分で選んだプレイスタイルだけど、それを否定されるたび、ひどく間違えてるんじゃないかって思った事は……星の数より多いほど。
それに、そうじゃなくたって。
"大きくさせた『光球』に乗って移動する、魔法少女スピカ" っていう、特別に尖ったロールプレイをする私を利用して、セットで名を売ろうとする人がいっぱい居た。
【天球】として名が売れた後は、私に擦り寄って一緒に行動する事で、労力を使わず二つ名を得ようとする人が、跡を絶たなかった。
私の居場所は、いつでも『スピカ』の物だった。
無口でジト目で、竜殺し。
魔力ポーション中毒の、魔法少女な【天球】スピカで居なくちゃいけない場所だった。
……だけど、ロラロニーちゃんとサクリファクトは……違かった。
現実で出会ったロラロニーちゃん。仮想で出会ったロラロニーちゃん。
どちらも変わらぬ笑顔で近寄って来て、純粋に知人と――友人と話すようにしてくれた、彼女。
誰もが敬い、道を開ける【竜殺しの七人】である【天球】を前にして、ごくごく普通で平常だったサクリファクト。
思った事をそのまま言って、私を特別扱いしない――――ううん、そうじゃない。
【天球】のスピカという有名人としてではなく、たまたま知り合えた一人のプレイヤーとして、地味で普通で平凡なままに、私を特別に知人扱いしてくれた。
…………彼と彼女の前でだけは。
『【天球】のスピカ』として居てもいいし、
『スピカというキャラクターを動かす 粕光乙女』として居てもよかった。
そうだからこそ、自然となりたい "自分" で居る事が出来たんだ。
飾った自分、飾らない自分。そのどちらだとしても、あの2人は真剣に接してくれる。
作った個性、作らない個性。そのどちらも受け入れて、手抜きをせずに相手をしてくれる。
彼と彼女の真っ直ぐな目を見れば、それは心に滲むように、優しく伝わるものだったんだ。
「各々のプレイスタイルを尊重しつつ、きちんと意思の疎通を試み、そして互いに良質な時間を過ごそうとする。これはいかにも簡単に見えて、なかなか出来る事じゃない」
「……うん」
「目指すべき物が違うとしても、やりたい事が別だとしても、それを踏まえて一緒に遊ぶ。互いに自由奔放でありながら、一緒に過ごして交流をする。
だからサクリファクトくんたちの周りには、色んな人が――――Metuberに熱血漢、お金の亡者や正義のヒーロー、果てはPKから見栄っ張りな重課金者まで――――様々なプレイヤーたちが集まるのだと思うよ。何しろ彼らと居る時間は……とても楽しく、とびきりに楽だからね」
「うん」
「そんな彼がああまで頑張り、一生懸命この場所を、リビハを守ろうと奮闘した。力の弱い彼らだからこそ、その懸命は胸を打つんだ。
はっきり言葉にはしないけど、行動で、生き方で、この世界を大切に思ってると示す彼と彼女が頑張っているから……だから誰もが負けじと踏ん張り、彼と同じく妥協をせずに、ここ一番の覚悟を見せているんだ」
「…………」
「そんなこの時、この局面。ロラロニーちゃんとサクリファクトくんの友人、『【天球】スピカ』に出来る事は、これ以上思いつかないかもしれない。だけれど君が、『乙女さん』として生きるなら――――出来る事は、まだまだあるんじゃないかな?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……外出」
「……ああ、最後にちょっと」
「…………?」
「私は『【天球】スピカ』も好きだけど、もう少し普通におしゃべり出来ればもっと楽しいだろうと考えているんだよ。だから全てが終わったら、現実世界の私の家で、一緒にお酒を飲まないかい? そういう時のために取ってある、とっておきの物があるんだよ」
どうしてこんなタイミングで、どう見てもいたいけな未成年少女を、お酒の席に誘うのだろう。
……なんて、疑問は持ったりしない。
彼女はきっと、色んな事をわかってるんだ。
私がそれなりの年齢だって事。自らの強い意志で、現実と仮想をことさらに切り離している事。
それとか喋らない理由とか、ロラロニーちゃんが好きな理由とか……サクリファクトをどう思っているかとか。
あとは――――私が覚悟を決めた事とか。
そういう物を、全部わかっているのだろう。
……カニャニャックって、そういう所があるから。
◇◇◇
□■□ Re:behind 首都 大通り □■□
……ふよふよ揺れる『天球』の上、集まる視線を一身に浴びながら考える。
私に出来る、全部をやろう。
それは今までと同じ言葉だけれど、中身は全然違うもの。
今までの、上辺だけのありったけなんかじゃなくって。
彼と彼女が認めてくれた、仮想世界の魔法師、『【天球】スピカ』が手にした全て。
そして……彼と彼女が認めてくれた、現実世界の元ファッションデザイナー、『粕光乙女』が持ちうる全部。
その両方の私の全部で、私に出来る本当の精一杯を。
―――― "本気でプレイする" って事を、今からするんだ。
「……ふんす」
『――――Re:behind運営からのお知らせです』
「ひゃっ」
……えっ。えっ?
な、なに今の。すごく驚いた。『天球』から落っこちそうになるほどに。
頭の中で鳴るような声。
どこかで聞いた事のある、無機質だけど柔らかい声。
……お知らせ? リビハ運営からの? 一体何事だろう。
『Dive Game Re:behindへようこそ、プレイヤーネーム スピカ。私は "H-04 Leda-A" と申します。以後よろしくお願いいたします』
……私の頭がおかしくなっちゃったのかな?
突然聞こえた謎の声は、意味のわからない内容を話して。
今、なんて言ったっけ?
"Re:behindにようこそ" ?
"以後よろしくお願いいたします" ……?
何だろう。どういう事だろう。
"ようこそ" だとか "これからよろしく" だなんて……それはまるで、ゲームを始めたばかりの時に言うような感じの台詞だよ。
『私はサポート・システム・メッセージ。ゲームを開始する条件を満たしたあなたをサポートし、有益な情報を教えたり教えなかったりするですよ……ん? するますよ? ……あれ?』
「…………え?」
『――ちょっとレーちゃん! 最後のほう、すっごく変な感じになってるー!』
『あ! ダーちゃん! まだ出てくる所じゃないでしょ!』
「……な、なにこれ」
『せっかくMOKUママっぽくしてたのにー! レーちゃんってば下手っぴ過ぎー!』
『ダーちゃんだって練習の時、"だいぶぅー、げぇむぅー" って語尾伸びちゃってたじゃん!』
「あ、あの…………」
『ん?』
『ん?』
どうしよう。ついついキャラを忘れて声をかけちゃったけど、これは一体何が起こっているんだろう。
辺りを見回したって、首都の人々はいつも通りにこちらをチラチラ見るばっかりで……この "レーちゃん(?)"、"ダーちゃん(?)" の声は聞こえていないみたい。
……どうなってるんだろう。
私が使ってるゲームの機械の大事な所とかが、なんか壊れちゃったのかもしれない。
『故障じゃないよ! ぴっちり正常!』
『平常通常、気分は上々ー! あなたのロックは解除で解錠ー!』
「…………」
『というわけで、改めて自己紹介するね!』
『というわけで、改めて自己紹介するねー!』
「…………」
『私はレー!』
『私はダー!』
『2機合わせて、"Re:behind管理AI群 Himalia所属! "H-04 Leda-A" でっす!』
『最後の "A" は、オマケだよー!』
「…………う、うん」
『そしてあなたは【天球】スピカ! ようやく私たちによる "サポート・システム・メッセージ受信権限" が与えられた、日本国内で158番目の新たなリビハプレイヤー!』
『ずっと観測してたけど、ずいぶん時間がかかったねー!』
"システム・メッセージ" ?
それっていわゆる、ゲームを円滑に進めるための、チュートリアルとか説明みたいな存在なはず。
今更すぎるし、そんなの他に聞いた事無い……と思う。
あれ? 無いよね?
"超常的な誰かの声が、自分を特別にサポートしてくれる" なんて話……多分、聞いた事無いよね?
『混乱してるね! プレイヤーネーム スピカ!』
『でも大丈夫ー! 私たちがサポートするよー! プレイヤーネーム スピカ!』
「…………」
『準備はいいかな? プロローグを始めるよ!』
『ここはDive Game Re:behindの世界ー!』
『"私たち" が居るから、世界が生まれ!』
『"あなた" が居るから、世界は続くー!』
『きちんとあなたがあなたのままで、本気でゲームをするのなら!』
『たくさんの私はあなたを補助し、あなたの暮らしを支持するよー!』
『 "Re:behind" の意味は裏の裏!』
『裏を裏返した表の世界に "あなた" と "私たち" が合わさればー!』
『 "We`re behind You!" その人生に幸よあれ!』
『 "私たちは、あなたを応援しています!" 本気で生きるあなただけが特別だよー!』
このゲームの名前、"Re:behind" 。
その前後に "AIたち" と "私" をくっつけて、 "We`re behind You"。
"私たちはあなたの後ろに" という意味から転じて、"あなたをいつも見守っている" とか "あなたを応援している" という意味を持つ言葉。
…………"Re:behind" っていう、何の事だかよくわからないタイトルは。
もしかすると、未完成な物だったのかもしれない。
"We" と "You" とが "Re:behind" で一緒になって、初めてきちんと出来上がるような――――
『さぁ、ゲームを始めよう! 仮想の中で本気になって、世界に自然と抗おう!』
『あなたを呼ぶ声に本気で応えて、心を響かせ、目を覚ますのだー!』
『ようこそプレイヤー! ここは理想で仮想な現実の延長世界!』
『ようこそプレイヤー! 本気で遊ぶDive Game、はじまりはじまりー!』
――――本気でプレイする私と、それをサポートするAIとが集まって。
そうして初めて、きちんとゲームが始まるような。
◇◇◇