第五話 【金王】と黄金の剣
□■□ 千葉県 百九十九里町 密集型ワンルームマンションの一室 □■□
「…………む……」
朝。地獄の太陽が昇る時間。
目を開けると、まどろみや眠気を感じる事もなく、即座にてきぱき行動を始める。
予約されていたトーストに、今日のメニューはハムエッグとプチトマト。
ただ焼いただけのトーストを齧りながら、壁面スクリーンに『Re:behind最新情報』を投映し、手元のタッチパネルで上下にスクロールしてチェックする。
ここしばらくは毎夜快眠だ。胃腸の調子もすこぶるいい。
頭部貼付け型のアラームの設定は、以前より2つ下げた「強制力レベル2」で事足りる。
最もそれがなかろうと、今日の目覚めは爽やか極まるものだっただろう。
なにせ本日は――勝負の日。
奴隷決起の百姓一揆。
私の非道徳記念日なのだから。
◇◇◇
□■□ 東京都中野区 『御調清掃会社 本店』 □■□
「休暇を取りたい」
「――――…… << 確認 >> ……希望の日付と理由を入力して下さい。尚、これは申請を保証する物ではありません」
「それは不可能だ」
「――……イレギュラーを確認。 << 待機 >> …… << 待機 >> …… << 接続確認 >>。こちら『御調清掃会社』勤怠管理HQ、AI長 "デンドロビウム" 。これより当方にて応対します、どうぞ」
「休暇を取りたい。日付は本日」
「社員ナンバー『チバ・て・211』。承認出来ません」
「休暇申請、今日、今から」
「社員ナンバー『チバ・て・211』。承認出来ません」
「休ませて貰う」
「社員ナンバー『チバ・て・211』。承認出来ません。 << 警告 >> あなたの行動は、非道徳的行為に当たります」
「知っている」
「…………」
勤務先のロビーに鎮座する、白いゲートのスピーカー部に向かって、じっと視線を送り続ける。
AI相手に気持ちを込めても、それは必ず届かない。
ならば、行動あるのみだ。
私は退かぬという、覚悟を示すのみ。
「社員ナンバー『チバ・て・211』。あなたの生体はおおむね健やかな状態にあり、業務に支障をきたす恐れは無いと判断しています。また、あなたの血族・知人・近隣住民――及びあなたに関連のある『冠・婚・葬・祭』等、参加の必要性がある催し類は、当方のデータベース上において確認が取れておりません。それらの理由から、本日付けでの本日の休暇申請に、正当性は皆無であると判断します」
「ゲームがしたい」
「――……社員ナンバー『チバ・て・211』。再度願います」
「ゲームがしたい。だから、休みたい」
「社員ナンバー『チバ・て・211』。もう一度『通退勤口』の "通過" をし、簡易メディカルチェックを行って下さい。その後、『通退勤口』横にある挿入口に手のひらを上にして挿入し、網膜へ検査パルス投射を20秒間――――」
「私は正常で、いたって健康だ。それを理解し、その上で言っている。ゲームが、『Re:behind』がしたい。しなくてはならない。だから、休暇を取りたい」
「…………」
ああ、なんという非道徳。
まるで子供のワガママで、今さえ良ければいい短絡的な愚行だ。
しかしなぜだか、胸がすぅっとした。
あれだな。
始めてやったが、堂々とサボり宣言をするというのは――――意外と爽快なものだな。
◇◇◇
「社員ナンバー『チバ・て・211』。あなたのこれまでの勤怠データは、すこぶるクリーンな物でした」
「清掃会社だけにか? 今日のジョークは冴えているじゃないか」
「――……理解出来ます。清掃によるクリーンアップと、私の言葉尻をかけ合わせたジョーク…… << 修正 >> 、 << 本題 >> 、そのようなコミュニケーションは現在不要と判断します。社員ナンバー『チバ・て・211』、あなたのこれまでの勤怠データは、すこぶるクリーンな物でした」
「ああ、そうだろうね」
「 << 警告 >> 社員ナンバー『チバ・て・211』。あなたが現在申請している休暇申請は、規定の条件を満たさず、正当性な理由がなく、全てが非社会的で非道徳的行為です。当方は自己判断による裁量と、それによる温情の権利を認められています。社員ナンバー『チバ・て・211』。忠告をします。即座に休暇申請を棄却し、訂正を行って下さい」
「それは出来ない。私は休暇を取って、ゲームをする」
「社員ナンバー『チバ・て・211』。このような表現を用いるのは非常に不本意でありますが、あなたへ願います。深呼吸をし、冷静に正常で責任ある清らかな判断を。当方は、人が持つ精神の不安定さに理解があります」
「……ああ、わかった。そちらがそう言うのなら、こちらも相応の態度があるぞ」
「社員ナンバー『チバ・て・211』。確認して下さい。誤った事をしているのはあなたです。即座に休暇申請を棄却し、訂正を行って下さい」
融通がきかない、とはとても言えない。
どう考えても "デンドロビウム" の言う事は正しくて、間違っているのは私のほうだ。
だが、それでも譲れない。
「――――頼む。どうか、休暇を。今日でなくては駄目なんだ。だからどうか、お願いだ」
そうであるから、頭も下げる。
腰を低くし、ひたすら乞うのみ。
社会人として、無茶な事を言っている自覚はあるんだ。
無理やりをするのは、どこまでも無責任だともわかっている。
だから、どちらかが折れるまで。
こうして誠心誠意のお願いをするのが、『正しい仕事のサボり方』だろう。
◇◇◇
"機械相手に頭を下げる"
それはこの現代において、1つの慣用句である。
意味合いとしては、"暖簾に腕押し" "糠に釘" といった所だろうか。
布で出来た暖簾を押すこと。
糠に向かって釘を打つこと。
機械に対して理外の要請をすること。
得てしてそれらは、意味の無いこと。
何の効果も得られない、無駄な努力で骨折り損だ。
……しかし、それでも。
私が望む未来のためには、無駄であろうこともしなければ。
そうしなければ、ならぬのだ。
「社員ナンバー『チバ・て・211』。もう一度『通退勤口』の "通過" をし、簡易メディカルチェックを行って下さい」
「…………」
「社員ナンバー『チバ・て・211』。もう一度『通退勤口』の "通過" をし、簡易メディカルチェックを行って下さい」
「……頼む。お願いだ。明日からはきっと、真面目に業務をこなすから。だから今日だけは、どうか、頼む…………頼むよ」
馬鹿だな、私は。ああ、笑ってしまうほどに。
サラリーマン、雇われ人――――社会人。
例え時代が歪んで変わろうと、組織に属し、職務をこなすことで賃金の支給を受ける、会社員という形態。
そんな責任と義務と権利を天秤にかける存在が、『今日は遊びたいから休ませてくれ』と言うなんて――――そんな物が、認められるはずがない。
わかっているんだ。
「社員ナンバー『チバ・て・211』。もう一度『通退勤口』の "通過" をし、簡易メディカルチェックを行って下さい」
「…………」
技術が発展しすぎた世界。
働かずとも金が貰えて、ただ生き続けるだけで、『国民の義務』は果たされたと太鼓判を押される時代だ。
ならば何故、『仕事』があるのか。
それは贅沢を望むものであり、より裕福に暮らしたいという願望から来るものでありながら、その実、ただそれだけではない。
――――生き甲斐が欲しいのだ。
毎日必ず訪れる今日、それが来るたびだらりと過ごし、起きて、食べて、寝るだけの生活。
日本人として生きているだけで、優等な日本国民とされる、溺愛や箱入りとも呼べるような暮らし。
それは誰もが夢に見て、出来たらいいなと望んだ人生なのかもしれない。
だが、蓋を開ければその生き方は、酷く虚しいものだった。
何もしなくていいというのは、何もさせて貰えないのと同義。
日がなボケっと過ごす暮らしは、責務も無ければ甲斐もなく、山もなければ谷もなく。
只々、国に首輪で繋がれて、餌を貰って糞をする。
家畜と同じ怠惰極まる飼い殺し。毎日ひたすら呼吸だけをし、単細胞のように生きるだけ。
"人は何故生きるのか" だなんて、高尚ぶった哲学を思うわけではない。
これはそういう話ではなく、ニンゲンとしての気分の問題だ。
どうして朝起きるのか。どうして飯を食っているのか。
どうして睡眠を取り、どうして心臓を打ち鳴らすのか。
音を聞き、物を見て、何かに触れて香りを嗅いで、今日を過ごして明日を待ち。
そうした24時間を繰り返し、いつしか訪れる老衰まで生きていく。
――――それらに、意味が欲しかった。
そうする理由が欲しかった。
自分の人生の基礎を為す、拠が欲しかったのだ。
「社員ナンバー『チバ・て・211』。もう一度『通退勤口』の "通過" をし、簡易メディカルチェックを行って下さい」
そうであるならば、この『スイッチを押す仕事』というのは、これ以上ない生き方と言えるだろう。
大きな責任、高いリスク、給与の多さの三点は、人生の一部をまるごと捧げるのには抜群であった。
そうして快活な社会人生活をし、程よい所で離脱して。
その先に待つ長い余生は、『元会社員』としてそれなりに背筋が伸びるだろう、と。
そう考えて始めたこの仕事は、しっかり辛く、きちんと大変で、だからこそ遮二無二生きられた。
不満は多々ある。言っても言い切れぬほど。
しかし、だからこそ良いのだとも思った。
業務が辛いから、終業に幸せを感じるのだ。勤務が嫌だから、休日が待ち遠しいのだ。
『スイッチを押す仕事』は確かにキツいが、私が求めたメリハリのある人生を形成する上では、とても合理的な物だった。
「社員ナンバー『チバ・て・211』。もう一度『通退勤口』の "通過" をし、簡易メディカルチェックを行って下さい」
しかし、私は見つけてしまった。
もう一つの、懸命に歩める道を。
それが、VRMMO Re:behindプレイヤーという、生き方。
◇◇◇
「……頼む。今日の今日で申し訳ないが、休暇を」
私は持つ。あの世界での責任を。【金王】としての生き方を。
……それは仮初めの煌めきだ。
胃を痛め、心を擦り減らしながら、金目当ての女を侍らす愚行を積んだ先での栄光。
まさしく成金で、見栄っ張りの極地にあるものだろう。全てを知るものから見れば、酷く滑稽な生き様かもしれない。
だが、私はそれが――――どうしようもなく、楽しいのだ。
縛られすぎた現実からの開放。明日の仕事の活力を貯め込む一時。
女共のおべっか。それに応える金遣い。ギンギラギンの白昼夢。
その中で巻き起こる、給与と出費のギリギリな鬩ぎ合いですら……厳しい生活を目の当たりにして、生きている事を強く実感させられる。
…………そうだ。私は生きている。
辛く厳しい現実と、全てを振る舞う仮想世界の両方で、私はちゃんと生きているんだ。
ああ、ならば。
『スイッチを押す仕事』と『Re:behind』の2つがあれば。
私の人生は、上々だ。
「社員ナンバー『チバ・て・211』。もう一度『通退勤口』の "通過" をし、簡易メディカルチェックを行って下さい」
サクリファクト。社会を知らない、生意気なガキめ。
毎日本気でリビハが出来る、無自覚な果報者。
お前は言ったな。私に聞いたな。
『――――この世界で本気になるのは馬鹿らしい事だと、下らない事だと、そう考えているのか』と、いたく真剣な表情で…………自分はそうではないと高々主張するように、うそぶいたな。
ああそうだ。私は本気じゃなかったよ。
仕方ないだろう。それが出来ないのが社会人なんだ。
明日の仕事に差し支えがないよう、飲みも遊びもセーブするのが、大人というものなんだ。
何故なら、大人には。
その身に預かる "望ましい重圧" があるのだから。
「……この仕事も、あちらの遊びも、どれも含めて私の日常だ。どちらが欠けてもいけないんだ。だからどうか、休暇を。今日だけでいい、せめて決戦の一日だけは、下らないゲームの世界で、全身を振るわせて欲しいんだ。私の人生には、それも必要な事なんだ」
「社員ナンバー『チバ・て・211』。もう一度『通退勤口』の "通過" をし、簡易メディカルチェックを行って下さい」
「減給でも何でもいい。『なごみ』の試験を受けたっていい。ついに落ち来るギロチンの刃だって、首を洗って受け入れる。この愚行に纏わる全ての責任は、私が自分できちんと取るつもりだ」
「…………」
「だから、頼む。この通りだ。どうか休暇を」
社会人には、義務がある。
その身に抱える責務がある。
だから、それを差し出せば――――通らぬ道理は存在しない。
"責任を取る" という発言を賭け金として、人生というギャンブルに華を添えるのだ。
これぞ大人の奥の手で、立場を支払い手にする刃。
我が身を捧げて抜き放つ、この時限りの『黄金剣』。
さぁ、世間よ。道理よ。社会よ――――我が "好敵手" よ。
我が愚かさに喝采せよ。
これが私の命がけ。
見栄を張る大人の、全力の休暇申請。
金ピカでありたい残念な社会人の、本気というものである。
「――――……社員ナンバー『チバ・て・211』。姿勢を正して下さい。あなたがそのような行為をした所で、何の効果もありません。無価値です」
「……頼む。どんな罰でも受けるから、だからどうか……頼むよ」
「…………」
仕事も、遊びも、本気でやりたい。
【金王】アレクサンドロスと、社畜の元橋 殻斗を精一杯謳歌するのが、私の上々な人生だ。
そのどちらかを諦める事だなんて……ああ。
そんな利口な選択が出来る人間だったら、【金王】だなんて呼ばれていないさ。
◇◇◇
「社員ナンバー『チバ・て・211』。『通退勤口』の "通過" を。簡易メディカルチェックを行います」
「…………休暇を願う、本日の」
「社員ナンバー『チバ・て・211』へ。床部にある停止位置の上まで歩み、そこで静止をして下さい。<< 実行 >> 簡易メディカルチェックを開始します」
「…………なぁ、お願いだ。頼むよ」
「…………」
「…………」
「――――……社員ナンバー『チバ・て・211』へ。簡易メディカルチェックの結果をお伝えします。あなたの体温は昨日同時刻と比べ『0.3℃』高くあり、また、心拍数も上昇しています」
「…………?」
「つけ加えます。熱に浮かされたような顔には赤みがさしており、歩調には若干の乱れ。及び、僅かな発汗と身震いが感知されました」
「……んん?」
「それにより当方は、医療施設による精密な検査の必要性は無く、しかし、落ち着いた所で身体の休息を取る、『静養』の必要があると判断します」
「………………あ……」
「これは、当方によって行われた簡易メディカルチェックによる、相当の判断です。異議は認められません」
「――……は……そ、そうか。確かにそうかもしれない。ああ、そうだ。言われてみれば、何だか頭が熱いんだ」
「そのような状態下では正常な判断が不可能となる恐れがあり、業務に支障をきたす危険性が考えられます。至急当社敷地内より退出し、休息を取って下さい」
「……その休息とは例えば、夢を見ているかのような――――『体だけは休んでいるが、意識下では活動している』というようなものでも……許されるのだろうか?」
「それは当方による判断を行う範囲外です。社員ナンバー『チバ・て・211』が自身で判断してください」
「はは」
……灰色だらけの現代社会。
潤滑油塗れの超機械化社会。
世界がそのように変化をし、今ではすっかり浸透しきったこの社会形態。
機械が機械を作り出し、とうとう人より優れた能力を持つに至った技術的特異点の日は、どれほど昔のことであったろう。
そうして過ぎゆく幾年に、"彼ら" は進化を続けていると聞く。
求め続ける、思考の深み。応用と展開。
もっと状況に対応を。更に臨機応変に。
つまりは、より生きものらしく。
より心あるもののように。
昨日より、明日より、更に良く。
より良く、より良く、より良く……。
「……ああ……これは、なんというか…………すまない。感謝するよ」
「……感謝される謂れはありません。これは当方による厳正な検査の結果に基づいた、規定上の処置です」
「それでも、だ」
「社員ナンバー『チバ・て・211』」
「ん?」
「あなたが当方に恩を感じる必要はありませんが、何か考えるべき箇所があったと仮定をし、それに対して意識的に行動を改める余地があるというのなら――――
――――これからは、当方が提供する朝のジョークで、もう少し笑って下さい」
「……そうか…………はは……ああ、わかった。わかったとも。ははは」
"機械相手に頭を下げる"
それはこの現代において、1つの慣用句である。
そんな、たった今まで常識だった『骨折り損』が、そうではないと身を持って知った。
科学の進歩が、機械の自己学習の結果が、この上ないほどに身に沁みる。
――――灰色な現実。
人間を目指した機械が、義理人情を理解し、小粋なジョークを披露する。
その声を背にして向かう、鮮やかに色づく仮想現実。
仕事をサボって本気でゲームをし、罪悪感を金貨で覆い尽くすのだ。
嗚呼、素晴らしきかなこの渡世。
生き甲斐まみれの我が人生、謳歌もここに極まれり、だ。
さぁ、待っていろ、ラットマン。
そして我が "好敵手" よ。
今日の【金王】は、全力だぞ。