第二話 不羈独立
□■□ 首都東 海岸地帯 □■□
◇◇◇
「…………はぁ……はぁ……」
「………………あ~っ……腕がいてぇ……」
「……ふふ、ふ……こんなに体を動かしたのは…………何年ぶりでしょう……うっぷ」
「俺も……もうだめだ…………これ以上は、無理」
案の定、まめしばが張り切って飛ばした網は――――遠くて重くてキツすぎた。
そりゃあ最初の頃は『おいおい、この重さってどんだけ大漁なんだよっ!!』とかはしゃいでたけど…………。
序盤はそうして調子よく引けていた縄は、途中から引いても引いても全く動かなくなって。まるで地面と綱引きしてるみたいな、不毛な時間を過ごす羽目になった。
珊瑚に絡まってるのか、とんでもない大物がかかったのかは知らんけど…………これは流石にやっちゃった感じだ。
「まめしばぁ……やりすぎだぜぇ……?」
「…………はぁ……はぁ……だってリュウが、挑戦的な事言うから」
「俺っちもまさか…………あんなに飛ばすとはよ。へへ、流石まめしばだぜ」
「……皮肉にしか聞こえないよ」
リュウがヤリきった男の顔でまめしばに言う。何でちょっと清々しい顔してんだよ、どうすんだよこの有様。
やっぱり『大海原に投げ網をポイ捨てしに来た馬鹿五人』になっちまったじゃねーか。
「…………何かの家畜のような……牛や馬のような生き物に引かせる、という手もありましたね」
「ああ……それもよかったなぁ…………今となっては後の祭りだけど」
そういう事は最初に言ってくれよ。今からそんなモンスター捕まえに行った所で…………。
ん? 捕まえると言えば、調教師でもあるロラロニーはどこ行った?
縄がピクリともしなくなって早々に『ちょっと休憩しようよ、果物取ってくるね』とか言ったきり、その間抜けな姿が見えない。
どうせろくに力も体力もないし、マイペースなアイツは最初からアテにはしてない。してないけれど、せめて見える所にいてくれないと、どうにも心配で仕方ない。
一応離れた所までは行くなって言っといたけど――――まさか迷子になって、モンスターにむしゃむしゃ食われてたりはしないよな?
「おや? あの毛色は……ロラロニーさんですかね?」
「……ん~? ロラロニーちゃん? …………アレって何やってるの?」
「なんかデケェ葉っぱに水汲んでるなぁ…………なんだぁ?」
と思っていたら、結構離れた所で何かをしてる くるくるした茶色い髪が見えた。
無事だったかと少しばかりほっとしながら、そんな彼女を視線で追いかける。
…………その辺に生えてたような大きい葉っぱに海水を汲んで、茂みにガサガサ潜りこみ。
…………ちょっとしたらまた這い出して、海水を汲んで再び茂みに戻る。
何してんのアレ。疲れて見に行くのもだるい。
「私ちょっとロラロニーちゃんの様子見てくるよ~……あ~疲れた」
「合点でぃ…………」
いつもやかましいリュウの相槌も、今だけは普通のボリュームだ。
静かでいいかもしれない…………いや、その為にこんなに疲れるのなら、二度と御免だけど。
「しっかし、どうすっかなぁ。まるで動かないぜ、『大漁丸』」
「こんだけ置いといたらもう魚共も逃げちゃったんじゃないか?」
「網の構造上、全部が逃げているとは思えませんが……それに、重いままですし」
「宝が大漁にとっ捕まってんのよ。引き上げる事が出来たら、一攫千金だぜぇ」
「俺は珊瑚に引っかかってる線を推すね」
これだけ動かなかったら、絶対引っかかってるって。
重いとかそういうレベルじゃないからな。引っ張りゃピンと張られる縄は、人の力が付け入る隙がない頑なな物だと感じるぜ。
「俺の『大漁丸』の魚とり性能が高すぎたんだぜぇ~、天下無双のリュウジロウ様の投げ網は、魚も一網打尽なんでぃ」
「どっちかっていうと、作った裁縫師のスペックだろ……」
「何か重機のような物が欲しいところですね」
重機、重機ねぇ。
完全にファンタジーなこの世界に、そんな物持ち込んだ日には、リビハプレイヤーから袋叩きにされるだろうな。現実の世界の便利な物は、出来るだけこの世界では再現すべきじゃないって公式も声明を出してるしさ。
何よりそういう事を嫌うプレイヤーが多いからな。不便を楽しむっつーか、自身の肉体だけでなんとかすると言うか。
それこそ、持ち込める物っていったら――――頭脳と筋肉くらいだ。
◇◇◇
「それにしても、まめしばとロラロニーは何を――――」
「お~! 海だよタテコォ!! 腕立て伏せしようぜッ!!」
「何でですか。それを海でやる必要性を説明してくださいよ、ヒレステーキ」
…………唐突に現れた二人組。
片方は偉く"まるまる"とした男で、右手・左手・背中にそれぞれサイズの違う盾を備える恰幅のいい男。
そしてもうひとりは――――重機のような圧倒的な力の塊、ムッキムキの大男だ。
デカい。上にも横にも、兎に角デカい。眼の前に広がる圧倒的な大海原のような、大筋肉海だ。
「デカいな……」
「ンッ!? おいッ!! そこのお前さんよ、今なんつったッ!?」
やばい。余りの迫力に思わず零れてしまった声が届いたらしく、筋肉の塊が近づいてくる。
ボロボロになった獣の皮と背中のやたらと大きい骨は、まさしく【原始人】と言った様子で…………。
「今なんか言ったよなッ!? もう一回言ってくれよッ!!」
「いや、なんか……『デカい』なぁって……すいません」
「俺が、デカいってかよ……? お前――――」
筋肉がぷるぷる震えてる。怖い。
力に満ち溢れたその姿は、一挙一動がヘヴィアタックって感じの重さがある。
まさしく重機。人が動かすショベルカーとかそういう加減を知らないタイプの。
「見る目があるッ!! 嬉しい事言ってくれるじゃあねぇの!! 俺がデカいかッ!? デカいだろッ!? そうだ、俺は――――デカいのよぉ!!」
なんか喜んだ。怖い。
デカいって嬉しいのか? いや、身長はある程度弄れる世界だし、大きいのが好きだからそうしてるんだろうけど…………。
何でこんなにご機嫌になるんだ? わからない。怖い。
わからないってのは、恐ろしいって事だぜ。
「すみませんね、彼にとって『デカい』とは、最も喜ばしい称賛の言葉になるんです。筋肉モリモリの【脳筋】が、知性の足らなさ全開で迫りくる様子に恐怖を感じるでしょうが、悪いようにはなりませんのでご安心を」
そうなのか…………ほっとため息をついてしまう。
まるまるとした相方がフォローしてくれて一安心だ。
こんな人にただ殴られただけでも、俺の細い体なんか海の向こうに飛んで行っちゃいそうだからな。
「いやぁ、確かに! アニキの筋肉は、漢の中の漢でさぁ!!」
「おおッ? なんだぁ!? おめぇもわかってるじゃあねぇかよッ!!」
「いよっ、Re:behindイチの大丈夫っ!!」
「ダイジョブ? なんだかわからねぇけど、そうよッ! 俺は、ダイジョブなのよッ!」
「丈夫という言葉が、元々は"しっかりした男"のような意味ですからね、そういう意味ですよステーキ」
「ふふふ、博識な方ですね。タテコさんと申されましたか? 私はキキョウ。以後、お見知りおきを」
「おや、これはご丁寧に……私はこの【脳筋】の相棒、タテコと申します」
暑苦しい感じの二人と、ウンチクを語る二人がそれぞれ意気投合して会話を始める。
気づけば男臭い場になってるなぁ。華が足りんぞ。
華の二人は…………二人で水汲んでる。結局アレは何してんだ。
「そんで、赤い髪の兄ちゃんはここで何してんのよ」
「リュウジロウでさ、アニキ。気軽にリュウとお呼びくだせぇ」
「おうッ! リュウッ!!」
「いやぁ、あっしらはここで、ちぃとばかし投げ網漁をやっていたんですがね……」
ウルヴさん系なんだよな、この筋肉。相棒のタテコって人は【脳筋】って言ってるけど――――ん? 脳筋?
…………あ! もしかしてこの人って…………【竜殺しの七人】の一人、【脳筋】のヒレステーキさんじゃないか?
「一応僕の相棒のヒレステーキは、【竜殺しの七人】に連なる一人なんですけどね。いかんせん二つ名が【脳筋】な物で、その残念な頭のお蔭で万年金欠でして……」
「それはそれは、心中お察し致します。と、言う事は……この辺りにそれを解決する"そういう物"があると……?」
「おっと! キキョウさんは抜け目がありませんね。……仕方ありません、ここで会ったのも何かの縁です。実はですね――――」
ああ、やっぱりそうなのか。Re:behindトッププレイヤーの一人、【脳筋】【原始人】のヒレステーキさんなのか。
そう言われると納得出来る。
脳みそまで筋肉で出来ているかのような、圧倒的な力強さ。
タテコさんの言う通り、頭がちょっと残念なんだろう。声も無闇にでかいし。
「よぉしッ!! わかったッ!! このヒレステーキに任せとけッ!!」
「さっすがアニキィ! 日の本イチの快男児っ!!」
「おうよッ! 俺は"カイダンジ"なのよッ!! どれ、この縄かッ!?」
「まさしくそうですぜアニキ!」
何がどうなったのか、リュウと喋ってたヒレステーキが縄を手にする。
投げ網を引くのを手伝ってくれるのか? 会ったばっかりなのに?
意気投合するにしたって、話が早すぎやしないだろうか。
「待ってくださいステーキ。引っ張るにしても、加減は必要ですよ」
「おうよッ!! 俺は、カゲンなのよッ!!」
「き、聞いてます? カゲンなのよってなんですか? ねぇ!」
「よっしゃあッ!! 行くぞォッ!! パワァァァァァッ!!!!」
やべえ。
早い展開もその勢いも、脳筋って言葉を力づくで理解させられるやり取りだ。
良い人なのかもしれないけど、底抜けの脳みそ筋肉。
タテコさんだっけ? 彼の日々の苦労が目に浮かぶぜ。
「雄雄雄雄ォッ!! 来てるッ!! 来てるぞォッ!!」
「すげぇぜっ! アニキィ!! 痺れるぅっ!!」
あれだけ動かなかった網を引く縄を、どんどん巻き取るヒレステーキさん。
はち切れんばかりに力を滾らせる胸や腕の筋肉は、まるで巨大なエンジンか何かだ。
…………何か湯気まで出ているぞ。どういう理屈だよ、怖いしちょっとキモい。
「セイヤッ!! セイヤッ!! 筋肉祭りだッ!! 追い込むゼッ!!」
「いけぇーっ、アニキぃっ!! ワッショイっ!! ワッショイっ!! 猛獣の皮のタンクトップが、青空に映えて粋だねぇっ!!」
引っ張るヒレステーキ、ヨイショするリュウ。
会話にはなっちゃいないが、意思の疎通は成されてる。
同じ言語を口にしてる筈なのに、理解出来ない事ってあるんだな。
「マッチョマッチョオルゥゥァァアッッ!!」
「やりやがったっ!! アニキと『大漁丸』が、やりやがったぜぇっ!! 文句無しの、大漁だぁーっ!!」
そしてとうとう、水しぶきを激しく上げながら、網はしっかり陸地へと揚げられる。
網にかかっているのは色とりどりの魚や海草。ついでにピンクの綺麗な珊瑚まであるぞ。
やっぱり珊瑚に引っかかってたのか? そしてそれを引っこ抜いたって言うのか?
…………破けない網も凄いけど、それを引っ張り切るってのもとんでもない膂力だ。
これが、トッププレイヤーの力。生ける伝説と、俺たちの差か。
そりゃあ男として多少の憧れはあるけど…………。
何だよ、最後の掛け声の『マッチョマッチョオラーッ』って。
ああいう感じになるなら、この力は全然いらないわ。
「ほんっとーにっ! 感謝の言葉もありませんぜ、アニキっ!」
「おうおう、良いって事よッ! ここで会ったのも、あの、えー……アレだしなッ!! サイドチェストォ!!」
「…………縁、でしょう。ポージングでごまかさないで下さいよ、ステーキ」
「それだそれ! エンなのよッ!! アブドミナル・アンド・サイッ!!」
「こんな極上の漢に会わせてくれた天の巡り合わせに、感謝しきりだぜぇ!」
「ふふふ。それには私も同意です」
魚はピチピチ、いつの間にか上半身裸になったリュウは天を仰いでウキウキ、ヒレステーキさんはポーズを決めてムキムキ。
凄い空間になってる。
女性陣が来たら、卒倒するんじゃないか?
「――――ぉ~い! 網引っ張れたの~?」
「――なんでリュウ脱いでるのさっ」
そんな事をしていたら、噂の女性陣がご帰還だ。
何をしていたのか知らないが、一仕事終えたように軽く額に汗を浮かばせて。
あいつらこの魚を見たら喜ぶだろうな、なんて考えていたら――――
――――そんな彼女達を迎えようとする俺たちの隣で、ヒレステーキさんが今までにない空気を纏った。
「なんだよ……女、いたのか」
「へっ? ア、アニキ……? どうされたんですかぃ、そんな険しい顔で……」
「ステーキ、キミは…………」
「もういい。行くぞタテコ。リュウ、楽しかったが…………もう会う事はねぇだろうよ。じゃあな」
「あっ、アニ……キ……?」
さっきまでの快活な笑顔が嘘のように表情を曇らせたヒレステーキさんは、そう言ってこちらに目もくれず歩き出す。
タテコさんが慌てて一礼して駆け寄ると、何かを言い合いながら森の中へ入って行った。
一体どうしたんだ? 女がどうこう言ってたけど……女ってモンに、何かあるのか?
「お~! 凄いじゃんっ!! みんなっ!! どうやって引っ張り上げたのさ?」
「いや、ヒレステーキさんって言う気のいいアニキが手伝ってくれてよぉ……」
「ヒ、ヒレステーキって……あの【脳筋】のっ!? 何で呼んでくれなかったのぉ~!? 撮りたかったぁ~!!」
「……何か……お前らを見たら、怒り出しちまってよぉ……」
「えぇ~? どうしてかな~?」
「別に私達変な事してないよね? 何でだろう?」
「不思議ですねぇ、先程までは至ってご機嫌でしたが」
謎は深まるばかりだ。
まぁ、俺がこの目で見た【竜殺しの七人】ってのは、大体がちょっと変わってる人たちだったからな。
何か特別な事情があるんだろう。
それに、パワーだのマッチョだの言う人の頭の中を理解しようとしても、多分無理だと思うしな。
ロラロニーのほうがいくらか判りやすいってモンだぜ。
「私達は白いタコに水をかけてただけなのにね~? ね、まめしばさん」
………………前言撤回。すげえ意味わからん事してた。
ロラロニーの事も、俺には判らない。
この世界には、まともなヤツのほうが少ないと思う。
『デカい』
筋肉を求める者達の間で使用される、大きい筋繊維を指す言葉。
基本的には褒め言葉であり、意識的に筋肉を付けている人間に言うと喜ばれる。
その他似たような意味の言葉に『キレてる』『ナイスバルク』等が存在する。
現代に限らず、100年以上前から使われている閉鎖的な世界の中に歴史がある言葉。