第十七話 ドラゴン
「……そんなに見られると、恥ずかしいんすけど」
「……あっ……うん。……ごめんなさい」
「……? 何かいつもと違いません? まぁいいや。とりあえず置いていいっすか?」
「…………う、うん……」
どうやら私は知らずの内に、サクリファクトくんを見つめていたらしい。指摘されて初めて気が付き、顔が熱くなる。
……そんなにぼーっとしてたかな。自分がどんな顔をしているのか、全然わからない。
「ちょっとサクちゃん!『置く』ってなにさっ!?」
「……何だよもう……それは別にいいだろ」
「あの【正義】さんだよ!? 可愛くて強い皆の憧れ、仮想世界のジャンヌ・ダルク的存在なんだよっ!? 優しく下ろしながら『失礼、フロイライン。どうぞこのハンケチーフをお使い下さい』くらい言わなきゃ駄目でしょ!」
「……何がハンケチーフだっつーの」
そんな彼は、さやえんどうまめしばさんの言葉に呆れ顔をしながら、私を地面に下ろす。
どちゃ、と液体を含んだ音がするのは、全身がリスドラゴンの体液で濡れているから……だろうか。死の淵に瀕したギリギリでの救出に、夢見心地で頭が働かない。
…………助ける側には何度も立った事があるけれど、助けられる側になったのは初めてだ。
……何となくだけど、もう少し……抱き上げられたあのままで居たかった気もする。
そして、もっと言うなら……小脇に抱えるんじゃなくって、お姫様抱っこがよかった、とも。
「Re:behindの【正義】さんっていうのは、それくらい特別な存在なのっ! 皆が憧れるヒーローであり、アイドルなんだから!」
「……いくら有名な正義さんだって言っても、中身は普通の女の子だろ」
「――――はうっ」
サクリファクトくんのぶっきらぼうな言葉が、鎧の堅牢な胸甲を突破し、その深い所まで抉り穿つ。
胸に強烈な刺激。まるで『鬼角牛』の突進が直撃したような、強い強い衝撃だ。
その不思議な、痛くない痛みに……思わず変な声が出てしまう。
伝説の矛のように私を貫く、致命の一撃。
思わず胸を押さえれば、鼓動は跳ねるようにとくとく鳴って。
……これは、なんだろう……? 何かの技能効果? 状態異常?
こんな感じは、Re:behindでも現実でも……経験した事がない。
「チューチューッ!」
「ギヂヂィ!」
「……なぁサクリファクト。もういいか? あっちも待ちきれないみたいだしよ」
「そっすね、ぼちぼち始めましょう」
「全くサクちゃんはもう……後でこのまめしばさんが、女の子の扱い方をレクチャーしてあげるからね!」
「ふふふ。それではその "後で" を無事に迎えるためにも、精一杯頑張りましょう」
「おっしゃぁッ! 漢を燃やすぜぇ!!」
「…………あ……っ! ま、待って……!」
私がそんな胸の違和感に戸惑っている内に、戦闘準備を済ませていたサクリファクトくんとパーティメンバーたち。
彼らは6人、相手は300。ついでに恐怖のリスドラゴン。
プレイヤー総出でも敵わなかった相手に挑む彼らに、思わず声をかけてしまう。
生半可では倒せないドラゴン。魔宝石による巨大な『光壁』。【炮烙】と【凌遅】のラットマン。
勝てない要素ばかりの戦いへと向かう、6人ぽっちの背中へと、"行っちゃだめ" と言おうとして。
でも。
そんな私に、サクリファクトくんが、振り向いて。
普通の顔と声色で――――
「大丈夫っすよ。なんとかしますから」
――――なんて言うものだから。
それ以上は何も口にできず、小さく頷くだけになった。
◇◇◇
「合わせろ、赤髪ぃ」
「合点承知の助ぇっ!!」
始まりは、意外な所から。
あの万年ソロプレイヤーの【死灰】とリュウジロウくんが、息を合わせて切り込む事から始まった。
……最近サクリファクトくんと仲がいいのは知っていたけど、それ以外の人とも連携が取れるなんて、とっても驚きだ。
以前は、近寄るものは何でもかんでも殺していたというのに……一体どうして。
「……クリムゾンさん、『治癒のポーション』です。欠損は治りませんが、身体の傷は癒えますよ」
「あ……うん、ありがとう……」
「いえいえ、貴女に頂いた恩を考えれば、まだまだこちらの黒字というものです。ふふふ」
私と同じ金髪をさらりと揺らしながら、怪しい笑みを浮かべるキキョウくん。その手から渡された課金のポーションを飲み干しながら、改めて【死灰】のほうへと視線を送る。
「……良い物ですね、若者の成長というものは」
「……え?」
「恐れや諦め、それらで他者を遠ざけていたマグリョウくん。そんな彼が今やああして、誰かと肩を並べている。以前の海岸での状況と似ていながらも、確かに違った所が感じられます」
「…………うん」
「そうした心変わりの手助けをしたのは、我らがパーティリーダーである彼ですよ。私はそれが嬉しく、誇らしいんです」
「…………」
誰にも開けられなかった【死灰】の心の扉をこじ開けた、サクリファクトくん。
彼が一体何をして、どんな事をしてきたのだろう。
……わからないけど、わかる気がする。
ただの普通な、平凡な男の子であるはずなのに……何かが違う印象を持たせてくる、サクリファクトくん。
【正義】に対する態度、【天球】への接し方。
それが他の誰とも違うように思えるのは、きっと気のせいじゃないのだろう。
そうだからこそ、【死灰】を変える事が出来たのだろう。
……その "何が違うのか" は、上手く説明出来ないけれど。
「前にも言ったが、お前は太刀筋が良いな? 赤髪」
「ありがとうごぜぇやすッ!【死灰】の旦那ァッ!」
「……だが、脚さばきがなっちゃいねぇ。剣士一本勝負もいいが、そこに別の職業を入れて機動力を――――」
「それなら旦那ァ! 明日にでもあっしに、戦場での立ち回りをご指導くだせぇ! その剣舞のように鮮やかで見惚れる所作の一端を、どうかこのリュウジロウめに!」
「あぁ? 何で俺がそんな事……」
「サクの字も入れて3人で、熱い漢の友情修行へとしけこみましょうやァ!」
「…………友情修行? …………まぁ、それなら……いいかな」
「やったぜ!」
そんな会話をしながらも、1匹、また1匹とラットマンを斬り捨てる。
辺り一面にラットマンがひしめき合っているこの場所で、ひたすら自由にのびのびと、互いの背を守りながら戦う2人。
そうまで彼らが思うがまま剣を振るう事が出来るのは、一人の "CC" による撹乱があるから、だろうか。
黒いならず者。妨害を得意とする、世界に定められた『悪い子』。
そんな職業を持つ彼が、ラットマンの軍勢を……楽しそうに引っ掻き回している。
「『チュチュゥ……」
「『シャッター』」
「……ッ!?」
「チュアゥッ!」
「…………何で矢を番えながら叫んでんだよ、アホか」
「チュッ!?」
「ヂヂィッ!」
「あ、そこ罠がある」
「ヂ……ッ! ヂヂ!」
魔法をローグの技能『シャッター』で止め、弓を構えたラットマンに石ツブテを投げつける。
深い踏み込みで急接近を狙った大剣を持つラットマンの足裏には、いつの間にか仕掛けられていた針の罠が突き刺さる。
敵に直接打撃を加えるのではなく、"そういう場" を作り出す事に長けた "CC" 。
したい事をさせず、やりたい事をやるという身勝手を押し付ける……まさにならず者の所業だ。
「ヂヂ……」
「いい事教えてやるよ。罠はそこと、そこと、あのその辺にいっぱいあるぞ」
「ヂヂヂィ……ッ!」
「まぁ、大体嘘なんだけど」
「ヂィーッ!!」
足に鋭いトゲが刺さり、二の足を踏むラットマンに向かって、地面を指さしニヤニヤとするサクリファクトくん。
だらりと剣を下げながら、気の抜ける声を出すその仕草は、言葉が通じなくとも十分に挑発効果があったらしい。
辺りを囲むラットマンの1匹が、いきり立ちながら勢いをつけて飛び出す。
「あ、そこはマジである」
「ヂッ!?」
「ロラロニーが拾ってきた謎キノコ、そのエキスをたっぷり含ませた毒針トラップだ。どんな効果があるかは知らんけど――――あいつが持ってきたキノコなんだから、必ず体に毒なはずだぜ」
「ヂィィィ……ッ!」
正道ではない。王道ではない。
魔法師を黙らせて、狩人を投石で妨害し、近接職を嫌らしい罠で足止めする。どこまでも悪辣で狡猾に、自分なりの方法で『良い結果』を求めるひと。
そのニヒルでインモラルな在り方は、陽のあたる場所を歩む "正義のヒーロー" と呼べるものでは、決してない。
言うなればそれは……"ダークヒーロー" 。
大義名分のためなら手段を選ばない、悪いことをして良いことをする存在。
…………実は、私は……そんなタイプのヒーローも、嫌いじゃない。
その背徳的で刹那的な、昼よりも夜が似合うような、赤よりも黒を纏うような有様も……オトナのヒーローとして、ちょっとだけ好きだ。
……ううん、違う。"ちょっとだけ" じゃない。
結構、大好きだ。
「――――マグリョウさんっ! 9時から矢っす!」
「おう。『来い、死灰』」
「リュウっ! 1匹そっち行くぞ! お箸を持つ手のほう!」
「合点ッ!」
「まめしばはしっかり見てろ! ロラロニーはその虫で――――散々暴れてやれっ!」
「はいさ~」「ほいさ~」
「『チュチュ……」
「お前、ヒーラーだろ? ヒーラーは殺す。全部殺す。俺はヒーラーが嫌いなんだ」
「……チュゥーッ」
そんなサクリファクトくんが操作する円陣の中で、灰の男と炎の男が苛烈にラットマンを斬り捨てる。
時折漏れ出るラットマンの攻撃にも、的確な指示に呼応をして。
それを取り仕切るサクリファクトくん本人も、特に厄介な職業のラットマンばかりを重点的に仕留めて回っている。
……敗色濃厚の大戦で、あの範囲だけは勝ち戦だ。
一部の隙もなく整えられた、彼らの場と化している。
特段に強い訳でもなく、特別な能力を持つ訳でもなく、格別な運を持つ訳でもない。
そこにあるのは、平凡な男の子の懸命な頑張りと、仲間たちとの繋がりだけ。
だから余計に、目が離せない。
◇◇◇
「ははっ! 殺っても殺ってもキリがねぇ! 今日は食い放題に縁があるなぁ? サクリファクトォ!」
「俺はもう腹いっぱいっすよ。色んな意味で」
――――それにしても、と思う。違和感があるから。
いくらそうなるようにしているからと言っても、本来であればもっと多勢に無勢であるはずだ、という違和感が。
サクリファクトくんたちは明らかに孤立しているし、ラットマンの中に居る唯一の生き残りプレイヤーで、ひときわに目立っているというのに…………どうして包囲があの程度なのか。
そんな疑問を浮かべて辺りを見回していると、私の隣でバチバチと電気の魔法を発現させているキキョウくんが、微笑んだまま口を開いた。
「……二つ名というのは、不思議な物ですね。一体どんな作用をしているのかわかりませんが、【ネズミの餌のロラロニー】という名は、しっかりその効果を発揮している」
「…………それが、彼女の二つ名?」
「おや、知りませんでしたか? 海岸地帯のリスドラゴンに捕まった時から、彼女にはそんな二つ名がついたのですよ」
「ネズミの、餌……」
「ふふふ、いかにものんびりした彼女らしい、どこか とぼけた二つ名です」
そんな事を言いながら、元々細い目を更に細めて遠くを見るキキョウくん。その表情は、どこまでも優しく暖かい――――まるで我が子を見守る父親のようですらある。
「そんな【ネズミの餌のロラロニー】の効果は、『ネズミを刺激する』という物。今までは只々腐るだけであったそれも、今日にあっては最高の結果を発揮していますね」
「……ネズミを刺激? 敵視を集める、のような?」
「と、いうよりは――――『目が離せなくなる』と言った所でしょうか。ここへ来る道中、虫の背に乗って移動する私たちの姿に、地面のラットマンたちは釘付けでしたよ。その熱い視線には、思わず照れてしまうほどでした。ふふふ」
……言われてみれば、確かにそうだ。
この場にいる多くのラットマンたちは、黒光りするカブトムシに乗るロラロニーちゃんを追いかけて、あちらへこちらへと右往左往するばかり。
だから、ああなのかな。
サクリファクトくんたちの所に、程々にしかラットマンが寄って来ていなかった理由が、わかった気がする。
「……それも、わかっていた上で?」
「ええ。どれほど強力な魔法であろうと、尖りきった鉄の矢であろうとも、あのカブトムシの甲殻を貫けないのは検証済みですからね」
「だからロラロニーちゃんはあの虫を、ああまで動き回らせているんだね」
「ふふふ……まぁ、ロラロニーさんがソレを楽しんでいるという面も否定はしきれませんが……。それに何より、確実に無事である保証がなければ、サクリファクトくんが彼女に危険な事をさせたりはしませんよ」
「火星虫アターック!」
今もシャカシャカと動き回るあの虫は、たまにリスドラゴンへの体当たりをしながらも、大勢のラットマンを引きつけている。
二つ名と、あの虫の防御力。それらを使った大胆な誘引で、多数の中であっても押しつぶされずに居られているんだ。
こげ茶色のつるりとした甲殻。薔薇の茎のように、細くてトゲのついた足。
そして何よりその頭には、ソレの象徴とも言える大角。その巨体でラットマンを吹き飛ばし続ける特大の……ムシ。
実物は見た事がないけれど、疑似飼育ホログラムキットや生物の授業でも度々目にした、馴染み深い甲虫……カブトムシ。
……そもそもあれは、一体何なのだろう……?
ロラロニーちゃんは以前、白くておぞましいうねうねの、とても気持ち悪いタコを連れていた気がするけれど……違うペットを手に入れたのだろうか?
「プレイヤーではどうにもならないリスドラゴンをも軽々吹き飛ばす、その膂力。そして昆虫特有の薄い羽を使い、私たち全員を乗せても軽々飛んだ力強さ。更にはここへ来る途中、ラットマン共から浴びせられるひっきりなしの遠隔攻撃も、余裕で跳ね除ける防御力。ふふふ……持ちうる能力、その全てが規格外です」
「なに、それ。私はそんなモンスター、聞いた事ない……」
「ええ、そうでしょう、そうでしょう。何せ、その範疇には含まれないものですから」
「モンスターじゃ……ない?」
「はい。あれはモンスターではなく――――
――――とうとう目を覚ましたプレイヤー側の最終兵器、"カブトムシ型ドラゴン" です」