第十六話 【正義】のヒーロー
「ヂュゥゥッ!」
「たぁっ!」
「ヂュッ!?」
――――まっすぐ。
「チチィッ!」
「邪魔だっ!」
「チチチッ」
――――とにかく、まっすぐに。
「チューチュー!」
「どけえっ!」
「チューッ!」
――――リスドラゴンの下へと、一直線。
行ってどうなる、という疑念が頭によぎる。
以前の海岸で相手取った時、その強さに圧倒された。倒せる範疇にないものだと、わからされた。
そんな強大な相手に私ごときが一人で突っ込み、それで一体何が出来るのか、と。
だけど……あの時は、そうだったけど。
あれからレベルアップを重ねた今なら、あるいは。
斬れるかもしれない。耐えられるかもしれない。歯が立つかもしれない。
成長した私の力が、万夫不当のドラゴンに届く可能性が、あるかもしれない。
「――――"ヒーローはいつだって、空からやってくる" ……魔法、『レビテーション』ッ!」
「チュッ!?」
「チューチュー!」
……わかってる。
例え沢山のレベルアップがあったとしても、その程度でどうにかなる敵じゃないって事くらい。
でも。
十中八九無駄だとしても。
僅かな希望がある限り、最後の最後まで絶対に諦めないのが、私の大好きなヒーローたちの生き様だったのだから。
だから、行くんだ。命の限り。
「『チュィチュァ』ッ!」
「――――魔法……雷かっ!? きゃぁっ!」
「チュチュゥ~!」
「……ぐぅ……く、そぉ……っ!」
大地を走れば囲まれて、空から行けば撃ち落とされる。
唯一残った獲物を狩ろうと、300ものラットマンたちが私だけに向かってくる。
……ああ。まるでヒーロー物の最終決戦。
沢山の戦闘員と、その奥にいる悪の親玉。
コミックで見たあの景色が、今ここにある。
「ふぅ……ふぅ……『疾駆』っ!」
「チュァアッ!」
それなら、やれる。頑張れる。
コミックのヒーローと同じ心を持ち、夢見たヒーローの晴れ舞台がここにあるのなら。
私は全てを、出し切れる。
「『疾駆』っ!『疾駆』ぅぅっ!!」
「チュウーッ!」
「そこを……どけぇぇっ!!」
剣を、槍を、弓を、杖を。
それぞれの武器を私に向けて、競うように迫ってくるラットマンたち。まるで餌に群がるハイエナのよう。
弾ききれない攻撃が、私の体を抉り傷つける。
そんな程度じゃ、止まらない。
私の希望は、折れないぞ。
…………簡単な話だ。
このままリスドラゴンの下へと辿り着いて。
そうしたら、私の剣でアイツをどうにかして。
それで、何かがいい具合に、良くなって。
それで、ラットマンもなんとか……いい感じになって。
そして。
そして。
「『ヂュアァ』ッ!」
「『疾駆』ぅっ!!」
そして、また。
明日も、明後日も、この世界で遊ぶんだ。
私がヒーローになれる世界で。
何をするのも許されない現実とは、まるきり違うこの場所で。
「…………ぐっ……ああぁっ! 負けるかぁっ!『疾駆』ぅっ!!」
「チュゥー!」
火球をくぐり、一歩先へ。
技能『疾駆』を連続で使用し、増加させた脚力で、もっと前へ。
かすめた火球が髪を焼く。刺さった矢が体を重くする。
度重なるスキルの使用で、足の筋がぶちぶちと音をたてる。
……それがどうした。まだ生きている。
生きているから、前に進める。
「ま……だ、まだぁっ!『疾駆』っ!」
一太刀。せめて、一矢報いてやる。
ほんの少しの遅延が、何かのキッカケになるかもしれない。
少しでもリスドラゴンの歩みが遅れれば、その間に何かがあるかもしれない。
いつでも都合の良かったRe:behindだ。
それなら、そういう都合のいいことがあっても、いいはずだ。
……そんな可能性に縋ったって、許されるはずだ。
「チュゥーッ!」
「どけぇっ!『疾……――――」
「チチ…………ち」
「――――ッ!? ぐっ……ぅ…………ぁぁああっ!」
あと僅か。目の前にリスドラゴンが迫った地点で、影法師にように現れた黒いローブ。
『凌遅』と書かれた二振りの鎌を持つ、あのラットマン。
その刃が、私の右足を深く斬りつけた。
「……はぁっ……はぁっ…………痛っ……!」
「……チチ……ちぃ」
少し前の時と同じ、足首を狙った地を這う斬撃。
それをまんまと食らい、ぱくりと開いた右足かかと辺りから、どくどくと血が流れる。
……踏み込みが効かない。大事なところを斬られたのか。
否、そうしたのだろう。走る私を、止めるために。
だが。
それがどうした。だから何だっ!
その程度で、【正義】が止まって……なるものかっ!
「――――ぁぁぁああっ!『疾駆』っ!!」
「……ちぃ?」
技能の効果を発動させて、きちんと繋がっていない右足を思い切り踏み込む。
柔らかい何かで大地を蹴る感覚と、足首に直に来る痛み。
転がるような勢いで、前へ前へと体を運ぶ。
バランスが取りづらくなったのは、きっと右足の先端が失くなったからだろう。
この敵陣真っ只中での、身体の欠損。死は免れないだろうな。
……でも、もう大丈夫。目指すゴールには、辿り着けたから。
リスドラゴンが、そこに居るのだから。
「『斬鉄』ッ!『一番槍』ッ!!」
「ギヂヂヂィッ!」
「行けぇぇッ!!」
海岸地帯にリスドラゴンが現れた、あの時と同じスキル。
私が信じる最高のスキルコンボ。
その力を乗せた愛剣を、リスの顔面に向かって突き出した。
……無事はいらない。お金もいらない。名声も二つ名も、もういらないから。もう何も欲張ったりしないから。
だから、お願い。どうにかなって。都合の良い事が起こって下さい。
【竜殺しの七人】の力で、リスドラゴンを倒させて。
お願いだよ、マザー。
「…………あ……」
「ヂ…………」
剣の柄を握った手に、ふさりと当たる毛の感触。
身を捨て、全てを捧げ、決死の覚悟で突き出した剣は。
その根本までが、しっかりと。
リスドラゴンの体内へと入り込んだ。
「……あぁ……ああ……っ!」
「ヂ……ギヂィ…………」
そして。
「ヂヂィ」
リスドラゴンが、愉悦に目を細めながら顎を動かす。
口内に入り込んだ『真・ジャスティスソード』の刀身は、いとも簡単に噛み砕かれた。
「……ぅ……ぁ…………」
「ギヂヂヂィッ!!」
ずっと共に歩んできた剣が折れる音。
私の心が粉々に砕ける音。
二つのバキバキいう音が、頭の中に強く響いた。
◇◇◇
◇◇◇
――――駄目だった。
死に物狂いで突っ込んで、持ちうる全てを発揮しても、まるで打開には至らなかった。
わかっていたけど。覚悟していたけど。
それでもどこかで、どうにかなるかもって……思ってたけど。
やっぱり私は、出来なかった。
一人じゃ何にも出来なかった。
「ギヂィ!」
「……あう……」
刀身を失った剣を持ち、地面に落下していく私を、リスドラゴンが右手で掴む。
ドラゴンの生態。彼らのお楽しみ。
私を、食べるのだろう。
「ヂヂヂィ!」
「…………」
……私のRe:behindは、ここでおしまい。
世界が消えるその少しだけ前、【正義】のクリムゾンというキャラクターはデリートされて、一人きりのゲームオーバー。
大好きだったこのMMOを、強制的に引退させられる。
…………楽しかったな。
自分なりに一番格好いい装備に身を包んで、格好いい名前を名乗って、目一杯ヒーローごっこして。
"正義さん!" って呼ばれて、助けて、憧れられて、認められて。
極限まで現実に近い世界で、思うがままに "ロールプレイ" をさせて貰えて。
「…………」
ねぇ、マザー。私は楽しかったよ。
はっきり言える。人生の中で一番、充実した時だったって。
空も海も、レベルも装備も、ゲームの中の、作り物だけど。
現実の私が重ねた思い出は、ダイブインしている私の心にしっかり残る物だった。
Re:behindを遊んで楽しむ私の心は、作られた物なんかじゃない、紛れもなく現実の物だったんだ。
「…………」
……楽しかった。だからきっと、ずっと忘れない。
リアルの私が死ぬその日まで、Re:behindの事は、忘れない。
それほど楽しいゲームで、心に残る世界だった。
この世界で出来た事、作った思い出、知り合った人たち。
装備も、試験も、モンスターも……空も大地も山も森も、この空気も。
その全部を、絶対忘れない。
私は忘れないよ、マザー。
「……うぅ……」
忘れない。忘れたくない。
「……うぁぁぁ……っ」
ねぇ、マザー。
終わりにしたくないよ。
「いやだ……いやだぁ……」
やめたくない。これでおしまいなんて嫌だ。
まだまだこれからだったんだ。やりたい事はいっぱいあるんだ。
大きな山を登ってみたい。深い森のずっと奥まで行ってみたい。海の底を調べてみたい。
空だって全然飛び足りないし、ダンジョンだって攻略してみたい。
作ったマントを、もっと使ってみたい。装備をもっと強くて格好いい物にしたい。
髪型だって変えてみたいし、たまには可愛いファンタジーの服も着てみたい。
何もしないでのんびりお喋りをしてみたい。暇つぶしに薬草を採取してみたい。
白羽根ウサギと戯れて、七色羊の毛に埋もれて、伸びるカエルを伸ばして遊んで。
……そして何より、正義のヒーローになりきりたい。
そんな何でもないRe:behindの毎日を、もっともっと過ごしたい。これからもずっと過ごしていたい。
大好きなこのゲームを、続けていたい。
…………こんな所で終わりだなんて、そんなの嫌だ。絶対に。
「……うぅ……うぇぇ……」
深い闇の中、嗚咽を堪えず吐き出す。
リスドラゴンの体内でぎゅうぎゅうと四方から締め付けられる感覚は、今までで一番に気分が悪い。
今まさに "キャラクターが消えて行ってる" って状態があるから、余計にそう感じるのかな。
……そうだ、私は消えて行ってる。
大好きなこの世界から、今……消えつつある。
そのどうしようもない事実が、デリートされ行く喪失感が、胸をぎゅうぎゅう締め付けるんだ。
…………やだ。そんなのやだ。いやだよ。
「…………ひっく……うぇ……」
ねぇ、マザー。
私はね。
ヒーローが、大好きなんだ。
だから、なりきった。コミックの中の英雄に。
正義の心で誰かを助ける、完全無欠のヒーローに。
……でもね、マザー。
あなたは勘違いをしているよ。
私は、あなたの助言なんて、いらなかった。
私だけをヒーローにする世界なんて、いらなかったんだ。
私が一番欲しかったのは…………『私がヒーローである世界』なんかじゃない。
『ヒーローが居る世界』だったんだよ。
どこかで誰かが涙する時、颯爽と登場して、痛快な活躍を見せる……正義のヒーロー。
そういう存在が確かに居る場所を、見てみたかったんだ。
みんながヒーローになれる世界を、作りたかったんだよ。
……竜型ドラゴンの時だってそう。以前のリスドラゴンの時だってそう。
私はいつでも、私だけが主役だなんて望んでいなかった。私以外の誰かを求めてたんだ。
一緒に正義をしてくれる人を、求めていたんだよ。
だから、『正義の旗』なんだ。
その旗の下に集う『ヒーローたち』を求めていたから、そういう名前のクランなんだ。
私はあくまで旗印。正義をする人たちを先導する、ここではみんながヒーローになってもいいって教えてまわる、目印になりたかったんだよ。
「……………………誰かぁ……」
この世界で、誰かのヒーローでありたい。
そして、誰かに、ヒーローであって欲しい。
命のかかっていないゲームだからこそ、身を挺して守って、守られたい。
生活のかかったゲームだからこそ、本気で互いを支え合いたい。
……作られた仮想現実だからこそ。
法律も規則もない、『なごみ』も居ない場所だからこそ。
自分たちが持った "正義の心" っていう理想を叶える、綺麗な世界になってほしかった。
誰かに助けられたから、自分も誰かを助ける――――そんな善意の連鎖が巻き起こる、素敵なMMOであってほしかった。
みんなにとってのヒーローが、【正義】のクリムゾンであったように。
私にとってのヒーローが、この世界のどこかに居てほしかったんだ。
「……ぁぁ……っ」
やめたくない。消えたくない。おしまいにしたくない。
誰か、私を。
Re:behindを。
「……助けて……っ!」
「――――――了解っす」
「…………ぅえっ?」
小さく、とても小さく。
声が、聞こえた。
「ロラロニーっ! ぶちかませっ!」
今度はもっとはっきりと、聞き覚えのある声が聞こえて。
「うんっ! 行くよぉ、火星虫くんっ」
「漢気見せろや! カブトムシィッ!!」
五感を失いつつあった体に、大きな衝撃。
次いで、体が空に浮かぶような ふわりとした感覚。
……そして、閉じたまぶたに差し込む光。
「…………うぅ……?」
「なんか……前の時とは立場がまるきり逆っすね、クリムゾンさん」
何の特徴もない、普通の声。似た声質の人を探せば、10も20も見つかりそうな、平均的な日本国男子の声。
でも、わかる。これが誰なのか知っている。
『鬼角牛』の時、リスドラゴンの時、リザードマンの時。
幾度も私が助けたこのプレイヤーを、私は知っている。
「……あ…………」
「つーか重いな。いや、鎧のせいかな? クリムゾンさんって体重何キロっすか? 80キロくらい?」
耳を疑うほどに酷い事を言う、まさに "ならず者" のその彼は。
【死灰の片腕】、【金王の好敵手】。
【殺界】に気に入られ、【天球】に目をつけられている、ちょっとだけ特別な初心者プレイヤー。
「ちょっとサクちゃん! 正義さんになんて事言うのっ!?」
「ふふふ……確かにそのデリカシーの無さは、酷いと言わざるを得ませんよ、サクリファクトくん」
「いやだってさ……思ってたよりすげえ重くて……」
「女の子に重いとか言わないっ!」
赤い髪のリュウジロウくん。青い髪のさやえんどうまめしばさん。
金髪のキキョウくんに……大きなカブトムシに乗る、茶色い髪のロラロニーちゃん。
そんな彼のパーティメンバーと、誰とも寄り添わないはずの【死灰】を背にしてこちらを見つめる…………サクリファクトくん。
「満を持しての登場だ。クールに決めろやサクリファクトォ」
「えぇ……なんすかクールって…………」
そんな【死灰】の言葉を受けた "普通の男の子" は、少しだけ眉を寄せながら、斜め上を見て。
良い事を思いついた表情で、小脇に抱えた私に向かって言う。
「ヒーロー見参っ!…………なんつって」
そう言って、照れくさそうに はにかむサクリファクトくんは。
紛れもなく、【正義】のヒーローだった。