第十四話 リポップ
「……まずいですよね。ええ、まずいです。【聖女】が居なくなったとなると、ラットマンは再び勢いづくでしょう」
「…………ああ」
「ここは退却が良と見ますよ、クリムゾンさん」
「……そう、だな」
その登場がふざけた道化師によってもたらされた予期せぬ形ではあった物の、確かな戦力だった【聖女】のチイカ。
そんな彼女が消え、更には首都も危険と来ている現状は、非常によろしくない。
そして更には、『外来種』のキルによるもう一つのペナルティ。
"とても怖くなってしまう" という不可思議な物が待っている事を考えれば、何度も死に戻りながら無理やり戦う……いわゆるゾンビアタックも、不可となっただろう。
良くない。良くない流れが来ている。
「いよいよこもる……か」
「それしか無いでしょうね。幸い首都には外壁があり、四方の入り口を抑えれば守りきれるはずです」
「入り口は狭い。ラットマンが何百いようとも、一度に通れるのは5匹もいないだろう。ならば、耐えきれぬという事もない」
「少数戦を連続でするだけ、ですね。それがどれほど続くのかは、考えたくありませんけど」
その手は初めに提案された。
堅牢な壁に囲まれた首都での、籠城。
それは歴史も語る有効な戦術であり、数の差を埋める一つの手段だ。
しかし、それは……最後の最後にしておきたかった。
ラットマンの能力が未知数である以上、むざむざ最終防衛ラインまで引っ張る必要もないだろう、という考えがあったからだ。
もし、奴らに何かがあったら。
首都の壁を破壊したり、壁越しに攻撃をくわえてくるような力があったなら。
万が一にそんな何かを用いられたならば、退路を失う籠城という作戦は自殺行為でしかない。
だからなるべく、避けたかったのだ。
「いよいよ切羽詰まってきたのだ。自分たちでは解決しきれず、敵の力不足に頼るしかないとは」
「情けない話ですが、祈りましょう。ラットマンに『そういう物』がない事を」
◇◇◇
「退却ぅっ! 退却しろぉっ!!」
「おおい! 一旦下がるぞぉ!」
タテコくん、ヒレステーキと連れ立って首都へと後退すれば、その道中の前衛部隊の間にも指示が伝わっている所だった。
いかんせん明確な隊分けのような物がなく、更には "安全地帯" の外ともなると情報伝達手段が口頭に限られ、足並みが揃うのに時間がかかってしまう。
「退却だって? 下がるのか?」「話が違うじゃねーか! 行けるとこまで行くんじゃなかったんかよ!?」
「いや、多分状況が変わってんだろ」「みんな下がってるよ? 下がろうよっ」
じわりと波紋が広がるように情報の共有がされ、互いの様子を伺いながら判断をつけようとするプレイヤーたち。
こういう時は、急造の集団特有の悪さが出る。
『何に従うべきなのか』がはっきり定まっていないと、身の振り方に迷いが出てしまうのだ。
で、あればこの場は。
私が目印となるのが最良だ。
「――技能『鳳天舞の戦旗』……みんなっ! 退却だッ! 退却してくれっ!」
「下がるのか? え? どっち?」「ちょい待ち、あのラットマンだけ倒したい」
「魔法が来るぞぉ!」「で、結局どうすんだよ?」「回り込め!」
「た、退却を……っ!」
しかし、いくら旗を掲げた所で、元より背の低い私が戦場でひときわ目立つには足りず。
むしろそれぞれ余計に混乱するばかりで、右往左往するプレイヤーが増えてしまった気さえする。
急がなくてはいけないのに。
「あの……た、退却…………あっ! そうだっ! 技能『栄光の道を往く軍馬』ッ!」
ふと思いついた、冴えた方法。
開戦の合図時のように、馬上で声を挙げれば目立つのではないか、という名案。
それをするためにスキルを叫んだ。
が。
「…………あれ?」
一向に "正義のジャスティス・馬・ホース" は現れない。
どうして? 戦いの最中に乗り捨てたから、ヘソを曲げてしまったのだろうか。かしこそうな顔だったし。
「クリムゾンさん、どうしました?」
「あ、いや。スキルで馬を呼ぼうとしたのだが、うんともすんとも言わなくって……」
「へぇ~……ん? それって『栄光の道を往く軍馬』ですか?」
「うむ、そうなのだ」
「あれは一日の回数制限がありますよね? もしかすると、もう使い切ってるんじゃないんですか?」
「……あっ」
スキルに異常に詳しいタテコくんの言葉を受けて、しみじみ考える。
我がクランの偵察隊の元へ向かった際に、一回。
その後、開戦と同時に一回。
確かに今日は、すでに二回喚び出していた。すっかり忘れていた。
「そういえばそうだった! 今日は数時間前に一回と、先程一回使用していたっ」
「つまり、1足す1だから…………2だな!」
「よく出来ましたね、ステーキ。まさかキミにさんすうが出来るとは」
「8までは余裕だっての。なにせオレの腹筋は、8個あるんだからな」
「…………キミって、まともに日常生活送れてるんですか?」
「突っ込めぇ!」「退却じゃないのか?」「ちょ、急に居なくならないでよっ」
「おいっ! どうすんだよ!?」「右からくるぞぉ!」
そうしている間にも、プレイヤーたちの混乱は増すばかりだ。
未曾有のRe:behindの危機に、今までなかった多数vs多数の大規模戦闘。
その非常事態で浮足立った気持ちが、彼らの耳を塞ぐ。考える事を放棄させる。
一部のプレイヤーにだけ届いた半端な指揮が、かえって邪魔をしてすらいる。
……どうしよう、早くみんなで退却しなくてはならないのに。
「みんなっ! 退却だっ! 首都が危ないから、一度後方へ下がってくれっ!!」
「ポーションくれ! ポーション!」「矢がくるぞぉ! 盾上げろぉ!」
「殺せ殺せ! 負けてたまるかよっ!」「ぶっ飛ばせぇ!」
"戦乱" という言葉がこれ以上ないほどぴったりな、見渡す限りの大戦。
誰もが現実の灰色世界でくすぶらせていた闘争心をむき出しにし、より多くの戦果を、血を求め。
ひたすら前に、一歩でも先へと足を進めようとする。
その戦意は心強い。Re:behindを守ろうとする強い意思は、私の胸に熱く伝わってくる。
……しかし、今は。
今だけは、その『Re:behindを守る』をするために、どうか話を聞いて欲しい。
「退却してくれっ! 正しき義は、今ここで戦う事ではないっ!」
「一匹残らず駆逐しろぉ!」「ネズミ野郎、ぶっ殺してやるっ!」
「リビハは俺たちが守るんだぁ!」「行け、行け、行けーッ!!」
「お願いだから、話を……っ!」
精一杯に旗を振り回して、声一杯に訴えかける。
こうしている間にも、首都にはラットマンが押し寄せているかもしれないという不安で、胸をいっぱいにして。
早く、戻らなくっちゃ。でないと負ける。リビハが終わる。
それだけは嫌だ、それは駄目だと力いっぱい拒絶しながら。
首都にこもればどうにかなるはず。否、それしか道は残されていない。
それさえ出来れば、きっと。
きっと何とかなるのだから。
そうしなければならないのだから。
だから、早く。
「お願い……っ! お願いだから……旗を見てっ! 言う事を聞いてっ! 下がらなきゃ駄目なのっ!!」
「……ステーキ、僕らも声を出しましょう。とにかく今はここで戦うより、後退すべきだ」
「お~ん? あいよ。…………お前らァッ!! 聞けェッ!!」
「ウオオオッ! 殺せェ!」「魔法詠唱! 巻き込まれるなよ!」
「回り込まれてる、タンクはどこっ!?」「いくぞお前ら! 突っ込めぇ!」
「……話聞けってのよォッ!!」
――――どぉんっ!
大きな、とても大きな音がした。
プレイヤーのあまりの狂乱ぶりに、とうとう業を煮やしたヒレステーキが、肩に担いだ『大きい何かの骨』を地面に叩きつける…………その寸前に。
それは、彼によるものではなく、他のプレイヤーによる物ではない。
ラットマン陣営側から鳴ったもの。あちらの何かが、出した音。
そしてそれは、我々のようなちっぽけな存在ではない、とてつもなく巨大な力による物。
プレイヤーでもラットマンでもなく、もっと大きくて強い何かが……現れた証。
「ギヂゥゥ」
「…………えっ」
『プレイヤーの皆様に、運営からのお知らせです』
荒野の向こう。距離感が掴めないほど、尋常ではないサイズのソレは。
一面の土よりずっと濃い色合いの茶色い体毛で体を覆い、そこに三本の筋を走らせる。
体と比べるとずいぶん小さく見える手……前足は、二本。
むっくりした太さの力強い足も、二本。
そして、ふさふさでくるりと丸まった尻尾は――――その数、十本。
「ギヂヂィ……」
『首都西方向、荒野地帯に "ドラゴン" の出現が確認されました』
つい先日のように思える。もしくは、ずっと遠い出来事のようにも。
そして、どれだけ時間が経とうとも……決して忘れはしない。
あの色、形……サイズ感。
尖った前歯に、小さなお手手――――そして無数の太尻尾。
「あれって……この前海岸に出た……」「ひぃっ」
「嘘だろ?」「何アレ!? 何で!? どうしてこの状況でっ!?」
『 "ドラゴン" に捕食されたアバターのデータは、消滅します。これはRe:behindサービス利用規約第51章2089条に明記されるものであり、プレイヤーの同意を得ている仕様になります。くれぐれもご注意下さい』
Re:behindのバランサー。世界の制御機構。どこかの誰かの最終兵器。
キャラクターを食う、悪しき存在であり……確かな絶望。
「…………リ、リスドラゴン……ッ!」
「ギヂヂヂヂィィッ!!」
『アバターを失う用意がないプレイヤーは、避難する事をおすすめします。以上』
私たちの世界を滅ぼす大魔王は、茶色いふさふさ尻尾を持っていた。