第十三話 ボーパルバニー
□■□ Re:behind首都西方向 荒野エリア □■□
「『えりあひーる』」
あれから幾度その声を聞いただろう。
幾度ラットマンが頭を弾けさせただろう。
【聖女】が呟き、敵が死ぬ。その単純なやり取りは、滞りなく繰り返されて。
頭を弾けさせ、大地に血をぶち撒けて―――― 一定の時が経つと、その血液は死体と一緒にかき消える。
しかし、彼女は赤いまま。
【血まみれ聖女】であるがまま。
誰かを殺めた返り血は、死に戻りによって消滅する。
だが、殺す側の【聖女】が吐いた血は……彼女が死なない限り、決して消えはしない。
――――荒野は変わらず、乾いたままだ。
その枯れ果てた地で吸い取るように、ラットマンの血液と命を飲み込んでいく。
残るのは、彼女がバラ撒く恐怖だけ。
「…………しかし、これは僥倖ですよ。聖女の謎ヒールによってラットマンの勢いは削がれ、前進が止まりました」
「確かにそうかもしれん。あとは首都に "死に戻り" した者や、外から徐々に集まる者たちが来れば、数の不利は解消されるやもしれないのだ」
「そうですねぇ。いくら僕とステーキでも、大勢にたかられたら為す術もないですし」
彼女が何を思い、何をしているのかはわからない。
しかし今日のこの場においては、その力は有用だと言わざるを得ない。
自身は持続的に回復がされ、単体相手なら無詠唱で頭を吹き飛ばす事が出来、きちんと詠唱をした範囲ヒールであれば……その中の誰をも、一撃で殺戮せしめる。
そんなデタラメが、チートをしているような力が、世界を守る今だけは……確かに必要な物なのだ。
……それが、本人の意図しないものだとしても。
今は、その力に頼る事しか、出来ないのだ。
「聖女がもう少し進んだら、僕らも再び戦いに加わりましょう。浮足立ったラットマンならば、まぁ……ちょちょいのちょいでしょうから」
「ん? 今『マッチョ』って言ったか?」
「言ってないです」
「そうか……じゃあ折角だし、『マッチョ』って言ってくれ」
「いや、意味わかんないんですけど!? 嫌ですよ!!」
「ふふ」
相変わらず仲のいい2人だ。まさに莫逆の友と言った所か。
竜を殺したあの時も、この2人にはずいぶん助けられた。単純な『守る力』と『攻める力』は、大体の状況で万全だ。
ならばきっと、このラットマンの群れを食い止める役目も、たっぷり果たす事が――――
「――隊長ッ! 隊長!! 伝令ですッ!!」
「む? どうした、冒険者隊員。不測だらけではあるが、前線はおおむね安泰だぞ」
「首都周辺のラットマンの圧があまりに強く、どんどん内部に攻め込まれていますッ!『ゲート』防衛部隊の数が足りませんッ!!」
「……なんだと?」
思わぬ凶報。まさか後ろが危ないなんて。
しかし、どうして。そこだけはしっかり安全だと思っていたのに。なぜ?
「どういう事だっ! 援軍に加えて、"死に戻り" したプレイヤーも多くいるはずではないのか!?」
「います、いますが……」
「なんだっ! いくらステータス減少があるとは言え、多少は戦力になるはずなのだ!」
「いえ、そうではなく……前線で死亡し、『ゲート』に戻ったプレイヤーの大半が……戦える状況に無いんです」
「な、なぜ? どうして?」
「わからないんです。『わからないんだけど、怖い』と。『理由はわからないけど、足がすくんで動けない』と言って、ほとんどが怯えてしまって。立っている事すらままならないんですっ」
…………怖い?
何が? 死ぬ事が、か?
いや……それはおかしい。
このRe:behindをプレイしているのなら、死はそれなりに身近にあるものだ。
ならば、それなりに慣れているはず。
「おかしいですね。そんなに死ぬのが怖いというのも、余り聞かない話です」
「オレもよく死ぬってのよ。気持ちのいいモンじゃねーけど、そんなに背筋をブルブルさせるほどでもないと思うぜ」
「……その場合は、背筋と言って下さい。漢字は一緒ですけど、意味合いが全然違いますから」
「お~ん?」
何故だ。どうして大半が、そうなるのだ。
死は怖い。確かに怖いが……そこまででもない。
結局は『ああ、死ぬってこんな感じか』というくらいの物で、決して立てないほどの恐怖を味わうものでもない。
……あの新人の、サクリファクトくんですら。
リスドラゴンに飲み込まれ、『死ぬ感覚』と『キャラクターもデリートされる』という二つを同時に味わった上で、きちんと戦闘に参加出来ていたのだ。
ならば、前線から死に戻ったプレイヤーが――――新人ではない歴戦のリビハプレイヤーたちが、恐怖で身体を縮こまらせるなど、普通ではない出来事だ。
「……ごく一部が恐怖で身を震わせていると言うならば、私も十分納得出来る。しかし、大半とはどういう事だ? 一体何が起こっている?」
「わからないんです。恐怖で震える本人たちに聞いても、『わからない、思い出せない。だけど怖い。今までで一番こわい』と言うばかりで。ごくごく一部のプレイヤーは戦いに出ていますが、本当に少数なんです」
「…………何だ。どういう事なのだ……」
「あ、そういえば」
「ん? どうした、タテコくん」
「そういうプレイヤー、最近たまに聞きますよね。丁度リザードマンの発見があった時くらいから」
「…………ああ、言われてみれば……そうかもしれないのだ」
タテコくんの言葉で思い出す。確かに最近、そのような事を言っているプレイヤーをちらほら見かけた。
それは最近の事であり、以前には見られなかった事。
そして、その者たちに共通するのは――――『リザードマンににキルされた』プレイヤーだと言う所。
「……まさか……『外来種』にキルされると、何かがあるのか?」
「その可能性が高いかもしれませんね。死に戻る間に、物凄い恐怖映像を見せられるとか」
「全身の筋肉がいっせいに失くなる幻覚とかか?」
「違いますよ! それが怖いのはステーキだけ…………いや、よく考えたら普通に怖いですね!?」
……あり得る。このRe:behindを統べる、あの意地悪なマザーAI "MOKU" であるなら、そういう仕様にしている可能性が、十分に。
そうだ、アレは意地悪なのだ。
で、あればこそ。
『ゲート』を狙い合い、互いを滅ぼし合う関係の『外来種』と我々プレイヤー…………その両名のいさかいに、特別なものを挟み込んでいるのではないか?
何せ『ゲート』は、我らが生まれいづる地点だ。
ダイブすればそこに現れ、死ねばそこへと戻り行く。
ならば、それを破壊し合う争いの最中に、命だけを奪い合っていては……収拾がつかない。
そうだ。きっとそうなのだ。
そうであるなら説明がつく。
「『えりあひーる』」
「チュ!?」
……と、なると……。
あの【聖女】の行いは、正しく『恐怖を振りまく行為』であるのだろう。
頭が弾け、ささっと殺され。その後に悪夢を見せられる。
……殺されたラットマンたちからすると、今でも浮かべているであろう聖女の慈愛の微笑みが、それこそ底知れぬ恐怖と雁字搦めで紐付けられているのだろうか。
◇◇◇
「どうしますかッ! 隊長!!」
「……『ゲート』が壊されては元も子もない。私を含む前線部隊が一度後方へ下がり、後方の部隊をそのまま押し込むように首都内部へと後退させる」
「了解ですッ! 先に伝えて来ますッ!」
「ステーキ、僕らも下がりましょうか」
「よくわかんねーけど、わかったってのよ」
最大にして唯一の戦闘目標は、首都の『ゲート』を守る事。
ここでいくら我々前衛部隊や【聖女】がラットマンを押し止めようとも、側面から回り込んだラットマンに好き勝手させていては、全てが水の泡だ。
……まだ戦える者で、守るしかない。
圧倒的物量差を持つ相手に対し、防衛にまわる。そんな悪手を選ばされた。
……そしてなおかつ、死んではならない。
死ねば未だ見ぬ『恐怖』が待っている。立てなくなるほどに、脳へと擦り込まれる。
死なないように、ゲートを壊されないように。
二つに注意を払いながら、戦わなくてはならないのか。
「…………くそぅ……」
思わず口から悪態が漏れ出る。余計な仕様が足に絡まった気分だ。まさかそんなルールがあるとは。せめて事前に知らせてくれれば良い物を。
……それこそ、いつもの悪党の位置を知らせてくれるように、特別にでも。
「とりあえずこの場は、【聖女】のチイカさんに任せましょう。気持ちよくヒール無双してますし」
「すげーよなぁ。あんなに殺しても、まだにっこり笑ってるってのよ」
「……ここから表情が見えるんですか? ステーキは相変わらず目がいいですね」
「おう、ばちこり見えるっての。聖女と、その近くにいる白いウサギもな」
「…………ウサギ? 荒野に? 珍しいですね」
そんなヒレステーキの視線を辿れば、確かに小さく白っぽいナニカが見える。
あれは――――『白羽根ウサギ』か? 主に首都南の草原に生息しているはずだが、どうして荒野にいるのだろう。何かに追い立てられたか?
「そういえば【聖女】はウサギが好き――――って、あれっ?」
「おお? なんだぁ?」
「……えっ」
「……ぼーぱる! ぼーぱる……ぼーぱる!」
それは、一瞬だった。
ウサギが【聖女】のチイカに近寄り、彼女がそちらに顔を向けた、その瞬間。
【聖女】がらしくない焦った声を出し、その姿にノイズが走る。
そして、瞬く間に彼女の全体像がぐにゃりと揺れて、ぱしりと電気が収束し――――綺麗さっぱり、消え去って行った。
……目減りはした物の、未だ大群と呼べる数がいるラットマン。
それらと、プレイヤーの陣営から突出した私たち3人との間に、静寂ばかりが漂う。
「……な……っ!? あれは……!」
「あれって……ダイブアウト時のエフェクトですよね? まさか "ダイブアウトした" んですか? この状況で?」
「な、なぜだっ! どうしてこんな局面で……っ!」
「ウ~ン、【聖女】はウサギが嫌いなんじゃねぇのかぁ?」
「んん? ステーキ、何を言うんですか。【聖女】はウサギが大好きで、だからこそウサギ狩りをするプレイヤーを必死で止めると言われているんですよ」
「でもよ、それにしたってあの顔は……なぁ」
「……僕には遠くて見えませんでした。一体どんな顔をしていたって言うんですか?」
「何だかウサギを見て "ぼーぱる" と呟いた途端、この世の終わりみたいな顔をしてたってのよ」
「へぇ」