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本気でプレイするダイブ式MMO ~ Dive Game『Re:behind』~  作者: 神立雷
第五章 応えよ、響け、目を覚ませ
133/246

閑話 彼女と聖女の昔の話 下




     ◇◇◇




 言うまでもない事だけど、それはドラゴンだった。

 あの頃はそういう "特別なモンスター" がいるってのを誰も知らなかったから、単純に見た目で『ドラゴン』って言ってただけだったけどな。


 そんな赤いドラゴンは、首都に飛来するや否や――――空から燃える息を吐き散らかして、街を滅茶苦茶にしたんだってさ。


 ……アタシ? アタシは、その瞬間を見てないよ。

 いつも通り誰もいない店にこもって、臭い汚泥とモンスターの体液を混ぜてたからね。

 最早日課みたいになった、"聖女様" への嫌がらせのために。



――――うん。そう。

 そうして店にこもっていたから…………この店がドラゴンに踏み潰された時、アタシも巻き込まれたってワケ。




     ◇◇◇




 ふと気付いたら瓦礫に埋もれてて、体はすっかり動かなかった。重い物でつぶされて、両足がなくなった感じもしたよ。

 崩れた建物の隙間からかろうじて見える外には、燃える建物と赤い尻尾。それと大騒ぎするプレイヤーがいっぱいで、あっちもこっちも大惨事。火事になったり倒壊したりさ。

『接触防止バリア』はその効果を見せなくて、安全な場所だったはずのこの街が、今では一番に危ない場所って感じだった。


 今まで一度だって危ない事のなかった、アタシたちの "首都" 。

 そこに文字通り降ってきた、前例のない非常事態だ。

 当然のように誰もが慌てて、大パニックになってた。


 ……そんな非日常に合わせるかのように――空気が震えて鳴るような――世界が直接語りかけてくるような――聞き慣れなくって聞き逃がせない声がした。

頭の中にダイレクトで、"運営からのお知らせ" が届いたんだ。




『プレイヤーの皆様に、運営からのお知らせです』


『皆様方が "ゲート" 周辺に作り出した最も大きい集落、通称 "首都" に "ドラゴン" の出現が確認されました』


『 "ドラゴン" に捕食されたアバターのデータは、消滅します。これはRe:behind(リ・ビハインド)サービス利用規約第51章2089条に明記されるものであり、プレイヤーの同意を得ている仕様になります。くれぐれもご注意下さい』


『アバターを失う用意がないプレイヤーは、避難する事をおすすめします。以上』




 ……それを聞いたプレイヤーの悲鳴と怒号は、本当に凄かったよ。

 当たり前だよな。リビハプレイヤーなら誰でもビビるよ。

 やられたらそこで終わり。文字通りの()()()()()()()

 他のVRMMO風に言うならば、"食べられたら、即アカウント停止(BAN)" って感じ? ああ、普通じゃないよな。

 そんな無茶なんて、ゲームとしても商売としても、前代未聞ってヤツだろ。


 だったら、そうなる。

 特にこのRe:behind(リ・ビハインド)だったら、生活に直結してる部分もあるから。

 それならああしてキャーキャー言って、ふざけんなって叫ぶのも、仕方のない事だろうさ。



 ……だけどアタシは、アタシはさ。

 それでもいいかな、って思ってた。


 散々失敗して、ダイブインしてやる事と言ったら……憎いヤツへの嫌がらせ。

 自己責任のこの世界で、しょうもないポカをやらかして……みっともなく "聖女様" を逆恨みして。


 そうして、復讐心だとか偽善者への天罰だとか、そんなもっともらしい理由で自分をごまかして、必死にこの世界にしがみついてた。

 この世界に居続ける理由を、未練たらしく探してたんだ。

 情けないったらないよ、本当に。アタシは女だけど、女々しいって言葉がぴったりの生き様さ。


 だから、いっそ…… "終われ" って思った。"終わらせてくれ" って。

 唯一の持ち物だった店も、道具も、両足だって失って。

 もうすっかり、全部を失くした。財産も意欲も失ったんだ。

 だからアタシは、このまま終わりで良いってさ。


 今もその長い首を伸ばして、プレイヤーたちを食べ続けてる赤いドラゴン。

 手頃なヤツを食べ尽くして、ぐるぐる唸りながら顔を巡らせて……瓦礫からちょこっと顔を出した、アタシを見つけたソイツに向かって。


 "アタシを食べろ。いっそきっぱり終わらせてくれよ" って。そう念じながら見つめてた。




 ……そこに現れたのが、あいつらさ。

 今ではすっかり有名になった――――あの、()()

竜殺し(りゅうごろし)()七人(しちにん)】の、変人共。




     ◇◇◇




 後から聞いた話だけど、てんでバラバラだったらしいね。

 あの日あの時あいつらが、キャラクターデリートっていうデカすぎるリスクを背負ってでもドラゴンに立ち向かった理由ってのはさ。


――――自分が正義のヒーローであるために、逃走を拒絶した【正義】。


――――逃げ遅れた唯一の知人を守るため、時間稼ぎだけしようとした【死灰】。


――――大きなリスクを背負ってでも、ひといきで大きく名を売ろうとした、計算高い【天球】。


――――キャラクター生命を賭けた極限状態のプレイヤー動向に、いたく興味をもった【殺界】。


――――【脳筋】と【金王】は知らないけど……どっちも別方向に馬鹿だから、まぁ馬鹿っぽい理由だったんじゃないかな。




 どいつもこいつも個性的過ぎる変人で、紛れもなくその道のトップ層な奴らだった。

 その頃はまだまだみんな、長ったらしい二つ名で呼ばれてたけど……それでもとっても有名人だった。


 ……そんなこんなで強い奴らが六人集まって、なんだかんだで "赤いドラゴン討伐戦" が始まったんだよ。


 …………うん。そう。()()。六人だと思ってた。

 アタシはその時、瓦礫に埋もれていたからさ。

 そんな物陰に隠れてて、すっかり見えていなかったんだ。


――――もうひとり。

 ()()()も、そこに居た事には、しばらく気づかなかった。




     ◇◇◇




 戦いは一方的だった。

 竜に立ち向かう即席パーティは、ゾウに群がるアリみたいだったよ。無力さっていう意味でね。


 あのドラゴンが持つ真っ赤な鱗は、剣もスペルもまるで効かなかった。

 どれだけ渾身に見える一撃を入れても、たまに鱗がぽろりと剥がれた気がする程度でさ。血は流れないし痛がりもしない。『歯が立たない』とはまさにあの事だよ。


 近づいては吹き飛ばされ、ブレスを避けては追い立てられて。

【正義】や【脳筋】が正面から突っ込んで、【死灰】と【殺界】が死角から致命の一撃を狙って、【金王】と【天球】が自分勝手にスペルを放って。


 寄せ集めの尖った個性。連携なんてもっての外で、むしろ互いに傷をつけあうばっかりだった。

 そりゃそうだよ。あいつらって、今では【竜殺し(りゅうごろし)()七人(しちにん)】っていう ひとかたまり で呼ばれているけど……別に、仲良しグループってワケでもないんだし。


 だから、よくよく劣勢さ。

 元々単純に力が足りない状況で、チームワークすらも無いんだから。


 個々がそれぞれ振り払われて、片手間で楽々ぶっ飛ばされてた。

 連携が出来ないからそれも当然だけど、例え出来ていたとしても……絶対に無理だろって思って見てた。

 どう考えても勝ち目のない、フルボッコ状態だったから。




 ……馬鹿じゃねえの、って感じだよな。無駄な努力を、マジな顔して張り切っちゃってさ。

 どう考えても負けイベントだし、勝てないタイプのモンスターだ。気合とか信念でどうにかなるもんじゃない。

 しかもそれが、"誰かを守る~!" とかいう……二つ名のための『おためごかし』から来るものなんだから、余計に馬鹿馬鹿しかったよ。

 結局自分のためじゃんか、って。人を助けるフリして、自分の利益を求めるばっかり。

 リビハプレイヤーってのは、人間ってのは、そういう物なんだよ。


 それに、その顔。本気でゲームをプレイする、笑っちゃうくらい真剣な顔だ。

 "キャラクターが消える" からって、シリアスぶってやってるけどさ。

 いくら消えちまうって言ったって、それはゲームの中での話だろ?

 しかも詐欺師と偽善者だらけの、どうしようもなく下らないゲームの中の、キャラクターデータの話だ。


 だったらそんなの、どうでもいいだろ。どうせいつかは勝手に飽きて、そのうち記憶から消える程度のモンだしさ。

 あそこまで懸命に守ろうとする必要なんて、無いだろ。そんなの。


 …………だけどあいつらは、諦めないんだ。

 どれだけ時間が経っても、ずっと頑張る。無駄としか思えない攻撃をし続けて、痛みを堪えてずっと戦い続けてた。

 それこそ、ずぅっと。ずぅーっとね。




     ◇◇◇




 …………おかしかった。

 そこまでの長い間、あのドラゴンと戦えてる事が。


 諦めないココロとかいうクッサい話もそうだけど……そもそも、だ。

 普通なら、あれだけ一方的にやられていたら、とっくに終わってるはずなんだ。

 疲弊し、傷つき、消耗しきって……すり潰されるように死んでるはずなんだ。


 だけどあいつらは、戦えてる。散々攻撃を食らってるのに、何度も仕切り直して戦い続ける事が出来てる。



 どうなってんだ? って疑問に思いながら、潰れた足の痛みに顔を歪めて…………ふと、気付いた。


 ()()()()。なんで?

 とっくに千切れてたはずなのに、痛みがあるのは……どうして?






――――疑問はすぐに解けた。


 竜殺したち(あいつら)は強いけど、無敵キャラな訳じゃない。

 他のプレイヤーとおんなじに、きちんと怪我して消耗してる。

 だと言うのにそれが平気なのは……体が傷ついた側から、すぐに全部が治されているだけ。


 アタシの体にまとわりつく、この暖かい光と同じもので、細かく癒やされているだけ。




 毎日店の窓ごしに睨みつけてた、忌々しい癒やしの光でな。




     ◇◇◇




 アタシには瓦礫が邪魔で見えてなかったけど、そこに "聖女様" が居たんだよ。あいもかわらず一生懸命、良い子ちゃんでヒールをしてたんだ。

 だからあいつらは戦えていて、アタシの足は生えていて。



 ……それに気付いたアタシは、即座に頭を沸騰させた。

 カンカンに熱くなって、視界が真っ赤に染まった。死ぬほど、狂っちゃいそうなほど、これ以上ないってくらいにムカついたんだ。


 だから、その勢いのまま――――怒鳴り散らした。




『……はぁ? 何オマエ。なに勝手な事してんだよっ。誰もヒールしてくれなんて頼んでねぇだろっ! ウザッ!』


『なんだよ? 哀れみか? 同情かよ? はっ! 人気者のセイジョサマは、こんなしょうもない木っ端アルケミストにすらも、よくよくお優しいこったな! クソがよ!』


『哀れなクソザコアルケミストを無償で癒やして、悦に浸ってんのかよ? ああ、そんなの――――さぞやいい気分だろうなぁ! あ~気持ちわりい! あ~胸糞わりいっ! クソッタレの偽善者が! 計算高い自己満足女がよぉ!』




 そんな悪態を吐いてる間にも、ドラゴンと竜殺しの戦いのとばっちりで、アタシの顔が焼かれたりした。

 震動で瓦礫が崩れて、もっと体が潰れたりもした。


 ……そしてその都度、癒やされた。そんな些細な所まで? ってくらい、綿密に丁寧に。

 竜殺しもアタシも、ヒールがなければとっくに死んでて……きっとドラゴンに食われてた。

 助けられてたんだ。ずっと。あの子に。


 だから、余計に。そんなヒールのぬくもりが、アタシの心をもっともっといたぶる気がして。




『……うぜぇ…………うぜえうぜえうぜえッ! 気持ちわりいんだっつーのッ!』


『余計な事すんなよっ! アタシはもう……もう、こんなゲーム、どうでもいいんだからさぁ! 余計な手出しをするんじゃねぇよっ!!』


『もう、どうでもいいんだよ! 全部が終わりで良いんだっての! もう…………もう、いいんだよ……っ』


『……勝手に治して、優しくして……押し付けがましいんだよ…………もううんざりだっつーの……』




 アタシがどれだけ騒いでも、アタシもあいつらも癒やされる。

 相変わらず体は動かないけれど、あちこちの傷はすっかり治って。


 ……頭がどうにかなりそうだったよ。

 ドラゴン相手に頑張ってるあいつらをヒールするのは良いとしても……面と向かって悪口言って、泥だの何だのを投げつけるアタシまで助けるってさ。


 そんなの……そんなのもう。アタシが()()()()って事だろ?

 必死にやってた嫌がらせなんて、まるきり相手にしてなくて。

 子供のワガママを笑って許す母親みたいに、変わらず優しくしてくるんだぜ。


 あんなに色々やったのに。

 一生懸命考えて、どうにか傷つけてやろうってやっていたのに。

 それを全部を許されてるのかもしれない。気にも止めていないかもしれない。


 ……そんな考えが、アタシをもっとムカつかせるんだ。



 どれだけ嫌がらせしたって、その程度。

 "お前なんか、取るに足らないちっぽけな存在だ" って、面と向かって言われてるような気さえして。




『……何だよ……何なんだよ…………ちくしょう』


『……利用されて、騙されて。いらないって言われて、無視されて…………その上、嫌がらせだって、相手にされなくって』


『……借金こさえて開いた店も、がんばって作ったポーションも…………誰も見向きもしてくれなくって。一生懸命やったのに、誰も気に止める事さえしなくって……』


『……アタシは、アタシがする事は……ポーション作りも商売も、毎日やってた嫌がらせだって…………全部が全部、意味のない……ゴミなのか? そうなのか……?』



『…………』



『…………なぁ、そうなのか? ……そうなのかって、聞いてんだろ……っ』


『……ああ、もう嫌だ。もう嫌だっ! 人を騙すアイツも、偽善をするオマエもっ! オマエに騙される信者共も、アイツに騙されたアタシもっ! 下らねぇカスばっかりだっ!』


『嫌いだ! みんな嫌いだ! ……だいっきらいだっ!! 死んじまえっ! クソ聖女にクソプレイヤーどもがっ!』


『もういいんだよ、こんな世界! アタシはもううんざりだっ!』


『全部終われよ、下らねぇ! 全部が全部ドラゴンに食われて、綺麗さっぱり消えちまえよぉっ!!』




 子供みたいに泣きじゃくりながら、思ってることを全部言った。


 だから、なのかな。

 ぎゃーぎゃーうるさいナニカがいる場所を、ドラゴンが尻尾で無造作に薙ぎ払って。


 アタシを埋める瓦礫の一部が吹き飛んで、そこで初めて "聖女様" の姿が見えるようになって――――




『……お前だ! お前なんだよクソ女! アタシはお前が、この世界で一番に――――』




――――彼女が、血溜まりの中に倒れ込んでいる事を、知った。




     ◇◇◇




『…………え?』




 ……意味がわからなかった。

 何で "聖女様" が、そんな事になってるのかって。


 ヒト一人分とは到底思えない、小さな池ほどもある血の溜まり。

 その中心で、今も血を吐き出しながら、真っ青な顔を悲痛に歪めてる少女。

 そうなる理由が、全然わからなかった。


 出血? 裂傷? ドラゴンにやられた? でも、着てるローブは無傷に見える。

 吐血? 毒? 誰が? こんな町中で? このタイミングで?

 何で? どうして倒れてる? 壊れた操り人形みたいに力なく、浅い血溜まりの中で溺れるようにもがき続けて。


 何なんだ。お前は、ヒーラーだろ。

 ……何でそんな事になってるのかはわからないけど、それなら……。

 それなら、アタシなんかを治してないで……自分にヒールをかければいいのに。



 どういう事だかわからなくって、呆然とあの子を見つめてた。


 ……その答えがわかったのは、そのすぐ後だった。




『――――かふっ……けほ……げっ…………』


『……え? は、はぁ!?』




 いきなりの吐血と、全身からの出血。

 何かが裂ける音、破裂する音、木の枝が折れるみたいな音。

 それらは全部、"聖女様" から漏れ出てた。


 ……誰も、何も、してなかった。

 ドラゴンだってずっと遠くにいるし、アタシだって何もしてない。

 唐突に……何の前触れもなく、()()()()()()()()()()()()



 そこで はた、と気付いたよ。

 逃げ遅れたプレイヤーが、いつの間にか無事な姿で、すっかり逃げおおせられてた事。

 アタシの体がいきなり治った事。竜殺しのあいつらが、未だに死なずに戦えてる事。


 その全部が、ヒールで回復されたから。



 じゃあ……それに使った、沢山の魔力は?

 無数のプレイヤーと、アタシと……竜殺したちを回復し続けるための、ヒールに必要だったはずの魔力は――――どうやって回復してたんだ?


 自然回復じゃない。待ってないから。

 ポーションじゃない。飲んでないから。

 無限の魔力なんて、誰も持っていない。


 だから、それなら、じゃあ、"聖女様" が。

 白くて小さいあの子がずっと。


 こんなに長い間、ずっとずっと()()をも癒やし続けていられたのは。




 突然血を吐いた今みたいに、『マナ・チェンジ』を、し続けてたから?




     ◇◇◇




『マナ・チェンジ』。体力を消費して、魔力を回復する便利なスキル。

 それでいて、決して使ってはならぬ……精神を犠牲にするスキル。


 ……こんなアタシだって、曲がりなりにも錬金術師(アルケミスト)だ。

 扱う物は回復剤だし、それならそういう技能(スキル)はきちんと調べてある。


 それは誰が使える物なのか。どれほど有用なのか。どんな時に使えるのか。


――――そして、使ったらどうなるのか。



 精神破壊スキルだとか、現実リアルの肉体を犠牲にしてリビハ内での魔力を回復するだとか、とにかく散々に言われてる。

 それをしたなら決して無事では居られなくって、ゲーム内で嫌ってほど苦しんだあとに、ダイブアウトして嘔吐したり頭痛がしたりするほどだって。



 ……でもさ。

 そんな情報を知らなかったとしても、それが大変な物だってのは、わかっただろうな。


――――いつもいつも微笑みを崩さない "聖女様" の、苦痛に歪んだ表情を見ればさ。





【噴水広場の聖女様】だなんて大層な呼び名が付けられるには、無償のヒールだけじゃ足りないよ。

 その程度の事なんて、やろうと思えば誰でも出来る。

 だから、それだけじゃあ "聖女" って呼び名には値しない。

 もっと何か、絶対的な、その呼び名に相応しい所がないと……それを名乗る事は、許されない。


 "聖女" 。輝かしい愛称だ。

 優しそうだし、可愛い感じもするし、綺麗な雰囲気もある。"最高の女" って言い換えてもおかしくないような、最上級の呼び名だよ。


 だから、半端じゃ許されない。ヒーラーで女の子だったら、誰だってそう呼ばれたいんだしな。

 だからこそ、並のヤツにはつけられない、大事にされてきた二つ名だったんだ。



 そんな厳しい監視の中で、あの子が "聖女" って呼ばれるようになったのは…………それを皆が認めたから。

 そう呼ばれるに相応しい、文句のつけようのない "聖女" たる有様だったから。


 真っ白い髪に、白い肌。

 華奢な体に、組んだ両手。

 そして、誰でもあまねく癒やす無償の(ヒール)と……。


 …………いつでもどこでも絶対に変わらない、聖母みたいな優しい微笑み。




 どんな強面のプレイヤーにだって、無愛想なコミュ障にだって、金で女を買おうとするクズにだって――――そして挙句の果てには、毎日嫌がらせと暴言ばっかり投げつけてくる『性悪錬金術師(アルケミスト)』にだって、あの子は変わらぬ笑顔を向けた。


 迷惑なヤツにも、鬱陶しいヤツにも、嫌なヤツだろうとも。

 あの子はそうして微笑みかけるんだ。


 連続のヒールで魔力が枯渇して、どうしようもなく苦しくたって。

 ウザいのに絡まれたり、悪口を言われたりして、たまらなく辛くたって。

 ずっと同じ表情で、暖かい笑顔で居続けるんだ。


 だから、聖女。

 いつ何時でも慈愛に溢れた笑みを絶やさぬ、絶対的な優しい少女。






――――そんなあの子が。他の誰でもない、あの "聖女様" が。

 ……はっきりと苦しそうにして、辛そうに顔を歪めてるんだ。

 今まで一度も見たことのないその表情を見れば、今やってる事が並大抵の物じゃないって事くらい……誰にだってわかるよ。




     ◇◇◇




『な、何してんだよオマエはっ! ば……馬鹿なんじゃねぇの!?』


『…………』


『それってマナチェンジだろ? 特別にヤベースキルなんだろ!? 何でそんな事してんだよっ!』


『……げほ……』


『……そんなに顔を歪ませて、涙だってぽろぽろ流して…………やっぱり噂通りに、相当キツいんだろ!? ヤバいんだろ!? 何でそんなの使ってんだよっ!』


『…………』


『何がしたいんだよ! そんな事する必要がどこにあるんだよ! そこまでの事をして、"誰かのために" だなんて……意味がわかんねぇよっ!』




 アタシの罵声にも、嫌がらせにも、ほとんど表情を変えなかった "聖女様" 。

 そんなあの子がアタシの目の前で……眉間にシワを寄せて、歯を食いしばって、ぼろぼろ涙を零してる。

 この場の誰より辛そうで、ここにいる誰より血を流してる。


 何をされても笑ってて、怖いも辛いも全然へっちゃらって感じで…………いっつも優しく柔らかく、それこそ聖母のようにふんわり微笑んでた、あの子がさ。

 これ以上ないってくらいに苦しんで、痛みにのたうち回ってるんだ。




『……何で、そんな……誰も見てねぇじゃん。お優しい聖女様を称える信者共は、ここには一人もいねぇだろ……』


『…………かふっ……けほっ……』


『偽善をするなら、誰かに見せなきゃ……無駄でしかねぇだろ。良い子ちゃんアピールするなら、人が見てる所でやらなきゃ、意味ねぇだろ……』


『……けほ、けほ…………』




 ……ワケわかんなかった。

 "聖女様" が "聖女様" らしく振る舞うのは、あくまで二つ名のためのはずで。

 人に見られているから、誰にでも優しいキャラクターで居るんだって。そう思ってたのに。


 だけどここには、聖女の行いを称賛するヤツは、誰も居ない。

 竜殺したちはドラゴンに夢中だし、プレイヤーは皆どっかに逃げ去った。

 アタシだって、たまたま瓦礫が動いたから見えただけなのに。


 誰も見てなんかいやしないのに、皆に無償でヒールを撒いてる。

『マナ・チェンジ』っていう、自分で自分を拷問するみたいな事をしてまで、知人も他人も見境なく助けてる。


 ……もう、理解の範疇を越えてるよ。




『……げほっ…………ひー……る……』


『…………もう……もう、やめろよ……誰もお前を褒めたりは……』


『……ひー、る』


『やめろよ……やめてくれ…………もういいだろ、もう……』


『……ま、な……』


『――――ッ! や、やめろっ!』


『……まな、ちぇんじ』




 ばきばき、って音がした。あの子の骨が砕ける音。

 血溜まりの中に倒れてたのは、消耗したからとかじゃなく……骨が砕けて、立っていられなかったんだと思う。

 改めてあの子を見てみたら、手足のあちこちが、変な形にデコボコしてたから。




『……ぐぅ……うええ……』


『……何なんだよ、お前…………どうして、そんな……』


『……かひゅ……くひゅ……けほ、こほ……』


『……もう……やめてくれよぉ……もう、いいからぁ…………』




 口から大量に黒みがかった血を吐いて、詰まった喉でヒューヒュー息をして。

 腕も動かないから、上半身を起こす事すら出来なくって。芋虫みたいにずりずり動いて、必死で角度を調整して。

 首だけで竜殺したちを視界に入れて――――また、ヒールを飛ばしてた。



 ……見てられなかった。いたたまれなくって。


 注目されたいからじゃない、ちやほやされたいからじゃない。

 ただひたすらに、優しくて。

 誰かのためになるんだったら、自分の事なんかどうでもよくって。


 イカれてるくらいの挺身。見返りを求めない慈しみ。

 巷の恋人同士で交わすものより、ずっとずっと深い献身。


 ……偽善なんかじゃ、無かったんだ。

 そんなものとはまるで真逆の、直視できないくらいに眩しい、あの子の無差別な愛情だったと知ったよ。




 …………いつの間にか勝手に涙が溢れてきて、自然に祈りを捧げてた。

 どうか、早く終わってくれって。さっさとこの場を落ち着かせて、あの子を休ませてあげてって。

 神でも竜殺しでもAIでも、とにかく何でもいいから……あのドラゴンをどうにかしてって。

 自分の間抜けさを責任転嫁して、世界に恨み節を吐き散らしてたあの時よりも……ずっと真剣に思ってた。


 そうしたら。

 そうやって、泣きじゃくりながら、一生懸命ドラゴンを見てたアタシにさ。




『…………けほ……これ』


『…………え?』


『……すごく、よかった』


『それって……!』


『だから、がんばれるから。だいじょぶだから』


『あ……』



『……りぃり・らぃりは、ぽーしょんづくりがじょうずだね』




 ほっぺたを地面に擦り付けながら、首だけで顔をこっちに向けて、あの子がさ。

 折れ曲がった左手で、小さな空き瓶を見せてくるんだ。


 ……その手にあったのは、アタシのポーション。

『魔力の』でもなく『治癒の』でもなく……駆け出しの頃に先輩錬金術師(アルケミスト)たちに褒められて、調子に乗って作りまくった『清涼のポーション』だった。



 …………確かに、配った。開店祝いのご挨拶だとか言って、あっちこっちにバラ撒いた。どうせ安物だったし、要らなかったしな。

 顔見せがてらに配りもするさ。なにせ、"頭がスカっとする" ってだけの、まるで値段の付けようがないアイテムだ。


 だけど味には自信があって、すっきり具合も上等なモンだ、と、我ながらに思ってたから。

 だから配って、飲んで貰いたかった。誰かに純粋に褒めて貰えた、アタシの唯一の自信作だったから。


 ……あの子に直接は渡してないから、誰かを経由して貰ったんだろう。

 それをずっとストレージに入れていて、今この時に飲んだんだろう。

『マナ・チェンジ』で生まれる頭痛を和らげるには、その効果が一番に丁度いい物だったのかもしれない。




 でも、どうしてだとか何故だとか、そんなのは全部どうでもよくって。


 何より、どんな事よりも。

 あの子が、アタシの名前を呼んで。

 ポーションを褒めてくれた事が。


 心をぎゅって抱きしめるように、アタシの胸に優しく響いてさ。



 ……こんな醜いアタシの名前を、しっかり覚えていてくれたんだ。

 取るに足らない存在じゃなかった。どうでもいいゴミじゃなかったんだ。

 ちゃんと全部をわかっていながら、だけれど許して、名を呼んで……ポーションの事を褒めてくれて。


 それで。

 それで…………。




『だいじょぶ』


『…………ッ』


『だいじょぶだから』




 痛みを堪えて、苦しさを押し隠して……いつもみたいに笑おうとして、だけれど上手く出来なくて…………少し歪んだ微笑みを作りながら。


 "大丈夫" って、優しく言うんだ。


 竜殺しより、アタシより、自分のほうがずっと痛くて辛いだろうに…………アタシを褒めて、安心させて……元気づけようとするんだよ。





 ……アタシはもう、胸が張り裂ける思いだった。

 あの子はずっと "聖女様" だった。どんなになってもあの子は "聖女様" だった。

 最初からずっとそうで、偽物の気持ちなんてどこにもなかったんだ。


 だから、もう。薄汚れた目で見てた自分が、その優しさに甘えてやりたい放題してた自分が……情けなくって申し訳なくって。

 ごめんね、ごめんね、ってひたすら泣いてた。

 許して貰えるってわかってるけど、どうしてもごめんって気持ちを言い尽くせなかった。


 ドラゴンが倒されて平和な時が戻るまで、ずっとずっとそうしてた。



 …………あの子はそんなアタシを見ながら、ずっとずっと。

 いびつで優しい微笑みを、ずっと浮かべ続けてた。




     ◇◇◇




 ここは『旧ドラゴン・バスター・ポーション屋』。ドラゴン襲来を乗り越えて、その名を『バスタード』に変えたアタシのお店。


 店の名前をそう変えたのは、あの日を決して忘れないため。

 あの時起こった出来事と、あの子のかけがえのない優しさの軌跡を、この看板が朽ち果てるまで残し続けるため。


 そんなアタシが扱ってるのは、ドラゴンもぶっ飛ばす最高の『清涼のポーション』と、ドラゴンをぶっ飛ばした【聖女】の話。


 この首都の一等地に陣取って、あの子の偉業を語り継いで。

 丁度目の前のあの子の指定席は、アタシがいつでも目を光らせて――――他の誰にも、座らせない。

 あそこは【噴水広場の聖女様】、【聖女】のチイカだけの席なんだから。




――――なぁ、ライターさん。

 アンタが今話を聞きに来るって事は、最近のあの子の事も含めて、全部まとめて記事にするつもりなんだろ?



『聖女の広場』が『元・聖女の広場』になったあの日。

 それからずっと、チイカはプレイヤーを殺し続けてる。

 ……そういうのも、記事にするんだろ?


 うん、そうだよな。わかってるよ。

 あの子がプレイヤーを殺してるのは、どうしたって否定できない。

 まるっきり真実だしな。




 ……だけど、だけどさ。

 あの子は、そうじゃないんだよ。


 あんなに優しい子が、望んで殺しをするなんて……絶対無いんだ。絶対だ。

 心変わりとかそういうのじゃない。あの子が変わったなんて事は絶対無い。

 あの子は良い子だ。優しいんだ。痛々しいくらいに、誰かのためをする子なんだよ。


 だから、おかしくなったのはあの子じゃないんだ。

 あの子の心は変わってない。()()()()()()()()がおかしくなってるだけだ。


 ……あの優しい心に、悪気や害意が生まれるはずは、無いんだよ。





 だから、お願いだ。

 難しい事だとはわかっているけど、あの子を酷く……悪いようには、書かないで。


 きっと何かの間違いなんだ。誰かが何かを勘違いしてるんだよ。


 だからさ、お願い。

 出来る限り最高に、優しい記事にしてあげて欲しい。




 ……これは取引とか駆け引きじゃない。ただのお願い事だ。

 出来ればそうして欲しいっていう、アタシの希望。


 アタシはあの子に、教わったんだ。

 損得抜きで他人に優しくする事は、とても素晴らしい事なんだって。

 そうして他人を思って何かをすれば、きっとみんなが幸せになるんだって。


 だからアタシはライターさんを信じるよ。

 必ず良いように書いてくれるって、信じてるからな。

 アンタが、"ひとにやさしく" が出来るヤツだって……信じてる。




 ……別に、どうしてもって言うのなら、悪く書いてもいいけどね。

 ただまぁ、その時は…………汚泥や落ちない塗料にまみれる覚悟くらいは、しときなよ。


 悪意も害意もない【聖女】のチイカの後ろには、悪意と害意であの子を守る、根っからの【性悪錬金術師(アルケミスト)】がついてるんだからな。





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