閑話 彼女と聖女の昔の話 中
◇◇◇
――――え? ソイツに文句を言わなかったのか、って?
馬鹿言うなよ。真っ先にやったに決まってるだろ、そんなの。アタシは堪え性がないんだから。
店を開いて三日目さ。全部に気付いたアタシは、我慢もせずに飛び出した。
わざわざ戦闘職の護衛を4人も雇って、『花畑に近い街』に向かって、先輩を見つけて詰め寄ったさ。騙したな! ってキレながらね。
そうして顔を真赤にするアタシに、アイツは半笑いで言ったよ。
『うん、騙したよ。だから何?』
って。
頭がカーっとなって、ポーションを投げつけた。『接触防止バリア』にぱりんって弾かれた。
"決闘しろ!" なんて言ってみたけど、鼻で笑って立ち去られたよ。もう用済みだとばかりに、すっかり馬鹿な初心者を見る目で見ながらさ。
……悔しかった。色んな事が。
どうしてアタシなんだ、とか。
どうして誰も教えてくれなかった、とか。
そもそもどうして、アタシは自分で気づけなかったのか……とか。
そんなムカつきと後悔と今後の不安で、何だか色々どうでもよくなっちゃって。
……露店で手持ちのポーションを売って護衛に金を払うつもりだったから、帰りは一人で首都に戻った。
途中でモンスターに襲われて、全身滅茶苦茶に食われて殺されたよ。
ちょこっとだけ残ってた有り金も、"死亡時ペナルティ" で目減りして。
そうしてしみじみ思うんだ。このモンスターも先輩も、中身は全く同じなんだって。
のこのこ歩く弱そうなやつの、背後からしっとり忍び寄って……ばくりと噛みつき、糧にする。
沢山の錬金術師たちだって、一緒なんだ。
初心者が騙されそうになっている……じゃあ助けてあげなくちゃ、なんてならないんだ。ポーション売りのライバルが減るなら、丁度良いやって笑ってたんだ。
結局アタシの周りに居るヤツは、表の顔ではにこやかに笑いながら、隙を見つけて食ってやろうとする――そんな外敵ばっかりだったんだ。
◇◇◇
四面楚歌の世界をこそこそ歩き、デスペナで重い体を引きずりながら、客が来ない店に帰る。
こんなに惨めな事は無いよ。
拭っても拭っても溢れる涙が鬱陶しくて、感情を入力するダイブシステムにだってムカついて。
ずっと夢見てたRe:behindの世界は、思っていたより厳しい所だった。
今ではすっかり『正義の旗』とかPKKが見回るこの世界も、あの頃じゃまだまだ化かし合いの世紀末でさ。
"騙されるほうが悪い" "全ては自己責任" って言葉が、あっちこっちで当然のように語られてた。
そんな中で、ぼけっとしてた自分が悪い。
それはわかってた。
……わかっていたけど。
ずっと待ってた念願の、このRe:behindを始めたばかりのアタシに残ったのは……お古の錬金道具一式と、才能があると勘違いしてた人並みの才能と、客が来ない店と――――多額の借金だけ。
何でアタシがこんな目に。アタシが何をしたって言うんだ、って。
処理しきれない悲しみと、どこにもぶつけようのない怒りで、ぶくぶく溺れそうだった。
お店の入り口、そこのドア。その曇りガラスから見える外には、相も変わらず邪魔くさい人だかり。
へらへらにこにこ心底楽しそうにして、沢山のプレイヤーが笑ってる。アタシの気も知らないでさ。
その中心にはいつも通り、白い女が両手を組んで祈ってた。
ほんわか優しい笑顔と、目を瞑ったいつもの顔で、何の憂いもないツラをして。
――……ふざけやがって。アタシはこんなに辛いのに、そうして調子よく過ごしやがって。
――……そもそもアンタがそこにいるから、アタシの商売が終わってんだろ。
――……そうやって金が稼げないから借金も返せなくって、どんどん深みにハマって行くんだ。
――……アンタがそこでヒールをするせいで。アンタがアタシの邪魔をするせいで。
――……お前が居るせいで! お前のせいで! この辛さは全部が全部――――……
『お前のせいだっ!!』
『お前がそこでヒールをするから、アタシが迷惑してるんだっ!』
『何が無償の愛だっ! 何が慈愛の精神だよっ! 馬鹿じゃないのかよっ!!』
『偽善者! 偽聖女! 良い子ぶりやがって! ムカつく! ムカつくんだよぉ!!』
『邪魔なんだ! 消えろぉ! 疫病神ぃ! ふざけんなあ!』
『消えろ! 消えろクソ女っ! アタシの店の前から、この世界から消えちまえよっ!!』
気づけば体は自然と "聖女様" の前に立ってて、口が勝手に動いてた。
ぼろぼろ泣きながら、首をかしげるチイカに向かって、訳がわかんないままに癇癪を起こして怒鳴ってたんだ。
もう、色んな事がぐるぐる渦巻いて。何がなんだかわかんなくなっちゃって。
アタシがこんなに辛いのに、目の前でのんきにへらへら人気者してる "聖女様" を。
太陽みたいに周りを照らして幸せを振りまいて、その隅っこに日陰を作り出してる事にも気づかない彼女を。
そんな彼女に集まり寄った、にこにこ笑顔の数えきれないほどのプレイヤーたちを。
否定せずには居られなかったんだ。
…………逆恨みだよ。
そもそも、元々この場所は――――あの詐欺師が店を建てる前から、あの子が指定席にしていた場所なんだからさ。
後から来たのはこの店で、あの子に文句をつけるのなんて……お門違いもいいとこだよな。
でも、言わずには居られなかった。
アタシがこんなに辛いんだから、へらへらニコニコしてないで、ほんの少しでもその辛さを味わえって思ってさ。
傷つけてやろうって思っちゃったんだ。
……だけど、彼女は。
そんなアタシに向かって、あの子はさ。
いつも通りの笑顔にもっと沢山の優しさを乗せて、そうっと静かに微笑んで。
小さな声で『ヒール』って言って、アタシに暖かい光を飛ばすんだ。
…………惨めで。悔しくて。情けなくって。
…………そんで最高に、ムカついて。
チイカの『接触防止バリア』を狂ったみたいにバンバン叩いて、子供みたいに大声で喚きまくった。
馬鹿にするなって、何様だって、泣きじゃくりながら叫んでた。
そこからだ。アタシの不安も不満も全部、あの子に向けられる……そんな『逆恨み』の日々が、始まったのは。
◇◇◇
それから毎日、ひたすら嫌がらせした。
あの子が座るベンチを壊したり、取れにくい塗料を塗ったり、色々とね。
でもそうすると、あの子の取り巻き連中が対策するんだ。
ベンチは一々直されて、塗料は綺麗に拭き上げられて。ベンチの足元に臭い泥を撒き散らしてやった時なんて、自分の上着をそこに掛けるヤツまでいてさ。どうしようもなく腹がたったよ。
どんだけ大事にするんだって。あんな良い子気取りの偽善者を慕う、馬鹿が馬鹿をやってるって。
そんな感じで毎日色々やったけど、どうしても取り巻きが邪魔をする。
リビハの中では効果が出ない。だから今度はリアルで追い詰めようと思って、掲示板で悪口を書いたり、何気ない所に細かく悪評をバラ撒いてた。
変装してパンツを盗撮してネットにアップしたり、あの子のフリして体を売るサイトに登録したり……思いつく事は全部やったよ。
どうにかして "聖女様" の笑顔を曇らせてやろうって躍起になって、それだけを生きがいに頑張ってたんだ。
最後の最後はもう、行き着くところまで――――リアルの特定にまで手をつけたけど、なぜだか一切情報がなかったな。
でもそれで逆に助かったのかもしれない。もし住所がわかっていたら、アタシは今頃『なごみ』行きだっただろうからね。
だけどあの子は、変わらなかった。
どれだけアタシが嫌なことをしても、たまにちょっとだけ悲しい顔をするばかりで、根っこはずっとそのままだった。
それがことさらにアタシの心を荒ぶらせて、頭の中をかき混ぜた。強がるなって余計に怒った。
何度も噴水広場で顔を合わせては、正面から思いっきり罵倒して――――責任を取れ、リビハを辞めろ! って騒ぎ立てた。
いよいよ街の外で見つけたら、ここぞとばかりに泥を投げたり失敗作の臭いポーションを投げたりって、直接の嫌がらせもした。
だけどあの子は、変わらない。
ずっと同じ雰囲気のまま、アタシに向かってヒールをするんだ。ふわって微笑んでさ。
アタシはもっとムキになった。もっともっと意固地になった。
あの子に嫌がらせをするために、必死で月額と借金の返済分を稼ぐ日々で、それしか頭に入ってなかった。
変装して露店でポーションを売ったり、体を売って稼いだりもしたよ。出来る事は何でもやって、死ぬ気で小銭を稼いでは――――次はどんな嫌がらせをしてやろうかって、あの子をどうやって酷い目に合わせようかって、毎日毎日それだけを考えて、歪んだ充実の日々を過ごしてた。
一部では有名だったらしいよ。"聖女様に楯突く性悪錬金術師がいる" ってさ。
何も悪いことをしていないのに、ギャンギャンあの子に悪口を言うそんなアタシに……危うく【天災薬師】なんて二つ名がつきそうになってたりもしたよ。
夢見てた【天才薬師】と一文字違い。ニアミスだけど、大きな違い。そんなのゴメンだったから、掲示板で必死に自演して……二つ名はかき消したけど。
そんな感じで、ある意味、さ。
あの子がいなければ……とっくにリビハは辞めてただろうって思うよ。
アタシの心にあったのは、鬼角牛の黒角みたいに捻じくれきった復讐心だけだったんだから。
そんな何も変わらぬ毎日を過ごしていた、あくる日。
忘れもしない、いつも通りの青空の日。
あの子の笑顔のように暖かい日和で、あの子の髪色みたいな雲がぷかぷか浮かぶ、あの子の心みたいに平和な首都の空に。
とうとうアレが――――真っ赤なドラゴンが、飛んできたんだ。
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