第一話 仮想現実にあるリアル
□■□ 首都東 海岸地帯 □■□
◇◇◇
ヴァーチャル・リアリティ。仮想現実。
その言葉を聞いた時、多くの人間が初めに想像するもの。
『まるで現実のような偽物の世界』
実際俺も、そう考えてた。
――――だけど、今は違う。
そうじゃないんだぜってはっきり言える。
さんさんと照りつける太陽。頬を滴る汗。気持ちよく感じるそよ風。
獣道を踏みしめれば、小枝を折る些細な音から土にブーツが沈む感触。
少しだけ荒くなった呼吸で吸い込む、鼻につく緑の香りは……海が近いからなのか森林とは少し種類が違う甘い物だ。
そうして木々の間から見え始めた向こう側は、まるで一面何もない。どこまでも目いっぱいの水しかないから、ひたすらに開放的だ。
幼少の記憶? バカンスの思い出? 非日常だから何でもいいのか?
わからないけど、とにかく俺がこの地で感じているコレに、胸が高鳴って仕方がない。
水は好きじゃない、泳げないから。
日焼けがしたいとかサーフィンがしたいとか、そんなのが趣味な訳じゃない。
水着の女を見たいなんて、そんなエロオヤジみたいな事も言わないけどさ。
――――だけど、止まらない。
この先にあるものに、期待と高揚が抑えられない。
『まるで現実のような偽物の世界』だって? 馬鹿を言うなよ。
偽物だろうと仮想だろうと、人工的に作られたデータの集合体であろうとも。
こうやって自分の足で歩きながらその先を想像してワクワクする気持ちは、現実の俺の心に違いないんだ。
だから、それなら、この仮想空間だって――――
『現実の一部』と言ったって、間違いじゃないと思うんだ。
◇◇◇
「海だぁーっ!! おらおらぁーっ!!!」
「いやっほ~! ひっさしぶりに見た~!!」
「わ~い! 本当に海だ~!」
「ふふふ、輝く水面に値段はつけられませんね」
リュウジロウ、さやえんどうまめしば、ロラロニーがピョンピョン跳ねて喜びをあらわにする。金の事ばっかりのキキョウですら、殊勝な事を口にして。
かく言う俺も…………何だか無性に大声出して、思いきり走り出したい気分だ。
「でっけぇなぁ。日差しもビシビシ突き刺して来て……最高だぜっ! なぁ!? "サクリファクト"ィ!?」
「うるせーなぁ……気持ちはわかるけど」
「あっ、サクリファクトくんがニコニコしてる~」
「サクちゃんがそんな顔するなんて珍しいね~? 動画で保存しとかなきゃっ」
上がったテンションのままにからかいやがるが、それもしょうがない。許す。そういう気分なんだろう。なんか、笑っちゃう気分。
木々の生い茂る森や、見渡す限りの草原だって自然と言えば自然だけど、海の圧倒的な迫力の前では価値が薄いよな。
この果てなく真っ青な大海原は、でかくて広くて、壮大だ。
現実の海に生き物らしい生き物ってのは殆どいない。
水質汚染が進みすぎた事や、各国のAI漁船による最高効率で後先考えない漁の結果、どれもこれもが絶滅しちまった。
捕獲した物をそれぞれの国が陸地で養殖してるから、存在自体はしてるけど……天然物の魚ってのは映像でしか見たことがない。
海って言ったら泳ぐ所か、外敵が死滅して増え放題になった砂浜に潜る貝をほじくるだけの場所だ。
……釣りだとか、投げ網漁だとか、聞いた事はあるけれど、目にする機会は一度もなかった。
そういう海での仕事ってのは、過去の生業として学んだだけの、過去の遺物で未知の領域となっている。
だからこそ、目の前にあるのはきちんとファンタジーだ。今はすっかり消え去った、真の母なる大海って所だろう。
様々な生き物が自由に泳ぐ、生命と神秘に満ち溢れた――――正真正銘、本当の海。
そりゃワクワクもするよ、しょうがない。
「よっしゃ! とりあえず、泳ぐかぁ!!」
「水着もないから私達は泳げないな~、リュウジロウの裸撮っても再生数伸びないだろうし」
「お城作ろうよ~、ヒトデ捕まえようよ~」
「白い砂浜……珊瑚がありそうですねぇ。アクセサリーになりうるのでは?」
……うん、まぁ……気持ちはわかってるけど……いくらなんでもはしゃぎすぎだろ。
これは良くないぞ。誰か一人が冷静でいないと、はしゃぎ疲れて解散になっちまう。
「……お前らちょっと落ち着けよ。まずは当初の目的を優先しようぜ」
「おっといけねぇ! そうだったなぁ!」
「魚を獲るだけ獲ったら遊ぶ。まめしばもロラロニーも、それでいいだろ?」
「ヒトデは~?」
「コイツが俺っちの秘密兵器……リュウジロウ印の投げ網『大漁丸』でぃ!」
ヒトデとかアホな事言ってるロラロニーは置いといて、リュウジロウが取り出す網を皆で見つめる。
白くて大きく等間隔で空いた、綺麗な長方形の網目。蜘蛛の巣だって言われなきゃ気づかないような、合成素材っぽい代物だ。
日差しに照らされても光を吸い込むようにツヤを持たないソレは、獲物を捕獲する用に調整してあるのかね。
「わぁ~すべすべしてるね~」
「リュウ、これってどのくらいの大きさなのさ?」
「知らねぇ。広げてみようぜぃ」
そうして四隅をそれぞれ持って、広がりきるまで距離を取る。ちなみに、中央で網を持ってるつもりのロラロニーは、まるで何の役にも立ってない。
…………つーかこれ……異常に……。
「…………デカくないか?」
「大きいね~!」
「あの裁縫師、腕がイイんだなぁ!! 折りたたんであのサイズなのに、ここまでデカいとは……このリュウジロウ、思いもよらなかったぜ!!」
「ざっと十メートルくらいでしょうか? これは重そうだ、ふふふ」
首都で広げなかったのも納得のサイズだ。こんなデカい網、五人で引っ張り切れるのか? ゲームの世界だから、その辺はなんとかなるのか?
つーか、リュウもサイズを知らないってどういう事だよ。
『この蜘蛛の巣をありったけ使って、ご機嫌な投げ網をこしらえてくだせぇ!!』とでも言ったのか? ……滅茶苦茶想像しやすいな、その状況。
「とりあえずこれを まめしば の矢にくくりつけて、景気よくバシッと行くって算段よ」
「私は別に良いけどさぁ……結構飛ぶと思うよ?」
「まぁ、遠くないと大きい魚はいないだろうってのは、わかる」
流石に浅瀬にいたら、槍だのを持ってるプレイヤーがちょろっと潜れば、捕まえられるだろうしな。
それなら狩人であるまめしばの弓で、遠くへ飛ばしてやるほうが、獲物に期待も出来そうではある。
「一番に狙ってるのはマグロだからなぁ! なんだったら、海の彼方にぶっ飛ばしても、構わねぇんだぜぇ?」
「ん~? ……それって私に対する挑戦かなぁ?」
「おうおう、男気見せてみやがれ! まめしばぁっ!!」
「まめしばさんは女の子だよ~」
「ふぅん? そこまで言われて引き下がったとあっちゃあ、このMetuberさやえんどうまめしばの女が廃るってモノだよねぇ」
「よっしゃ! そう来なくっちゃあなぁ!!」
……悪ノリが始まった。
これが『動画映え』って奴を求めすぎるMetuber特有の無茶か。
知らないぞ、引き戻す事が出来なくなっても。
引っ張って、疲れて、頑張っても駄目で、諦めて。
『大海原の遥か彼方へ、投げ網を捨てに来た集団』って感じの結末になっても、俺は知らないぜ。
◇◇◇
「ん~むむむ――――やっ!!」
「お~…………飛んだね~! 流石まめしばさんっ」
「今のって "矢" を射ったから "やっ" って言ったのか? ご機嫌じゃねぇかまめしばよぉ」
「ち、ちがうよ。やめてよ私がギャグ言った感じにするの」
狩人のまめしばが一度に二本の矢を番えて射る。
綺麗に真っ直ぐ、それぞれが飛んで行って……くっつけた網も魔法の絨毯のようにたなびきながら海面と平行に飛んで行く。
ちょっと前に見た時はヘロヘロだったまめしばの弓は、今ではずいぶん立派なもんだ。
アップした動画のコメント欄や、先輩Metuberとのコラボ企画で教わったらしいけど…………しみじみ見ていない間に、すっかり一人前の矢を射れるようになったんだな。
「あっ! 何か飛んだよ!! イルカかなぁ?」
「ロラロニーさんは調教師ですからね。イルカとお友達になれるかもしれませんよ、ふふふ」
「気をつけてよ~? 可愛いイルカが可愛いロラロニーちゃんをバクバク食べる動画なんて、私撮りたくないからね」
この世界のモンスターの中には、プレイヤーに友好的な奴もいる。有名所で言うなら、荒野地帯の『七色羊』や、首都の北方向の花畑地帯の『花ブタ』なんかがそうだと聞いた。
だったら、頭がいいと言われるイルカも、そういう感じで仲良く出来たりするかもな。
……まぁ、調教師であるロラロニーなら、そう言ったモンに限らず従魔に出来るらしいけど――――その友好的って噂の『七色羊』に逃げられたロラロニーは…………どうなんだろう。
「よぉし、もうたっぷり沈んだよなぁ!? 早速、綱引きと行こうぜぇ!!」
「ふくくく、楽しみだねぇ。カメラはここに固定して……この縄を引けばいいんだよね?」
「ヒトデいるかな~? ナマコとか」
「ロラロニーさんは、ちょっと不気味な異星人みたいな生き物を求めるんですね。ふふふ」
随分遠くまで飛んだ網。
それに付いてた引っ張る用の太くて白い縄が動きを止めた所で、いよいよ俺たちパーティの一大事業――――『投げ網漁』が始まった。
海中から財宝を引き上げるような心持ち。一体何が捕れる事やら、ドキドキの宝くじ開封の儀だ。
「行くぜ行くぜぇ!! 俺っちのマグロよ、今陸にあげてやるからなぁ!!」
「鯛とかかかってたりして! そうしたら、ぴちぴちのお魚を胸に抱えた絵を動画のサムネイルにしちゃうぞぉ!」
「私はハマチが好みですねぇ。丁度この時期、リアルに習うなら脂が乗っているシーズンですよ……おっとヨダレが。ふふふ」
「ヒトデとナマコ~チンアナゴ~」
「俺は伊勢海老がいいな。蟹も好きだ」
「へぇ~……サクリファクトくんって、変わってるね~」
いや、変わってねぇよ。普通だよ。
ヒトデとか言ってる奴が異常なんだろ。
◇◇◇
誰も彼もが汗を垂らして、それぞれの希望する獲物に想いを馳せながら、現実じゃ出来ない事をする。
笑いながら時間と思いを共有して、目的に向かって一本の縄を引くんだ。
『まるで現実のような偽物の世界』って言うけどさ。
俺がコイツらと一緒に過ごして、遊んだり笑ったり必死になったりするこの体験は――――リアルの俺の脳に深く刻み込まれるんだぜ。
それが偽物って言うのは、ちょっと違うよな。この素敵な日々は、確かに心に残るものだ。
仮想現実で楽しく過ごす俺たち自身は、現実に生きる人間なんだから。
「えへへ……楽しいね! サクリファクトくん!」
ロラロニーが笑う。リュウジロウも笑う。
さやえんどうまめしばも、キキョウだって笑ってる。
…………俺だってそうだ。仮想だろうとなんだろうと、楽しければ笑っちゃうよな。
『まるで現実のような偽物の世界』だなんて言って、鼻で笑って馬鹿にする奴らはさ。
海の広さも、空の青さも、未知を探す事や――――そして何より、『仮想現実』で気の合う仲間と笑い合ったりする…………そんな現実を、未だ味わった事が無いんだろう。
それって、ひたすらもったいない事だよなぁ。
『海』
現代における海は、各国による『水域海戦』と呼ばれる争いによって殆どの生物が死滅している。
『水域海戦』とは、高度に発展した漁業による力づくの排他的経済水域の押上や生態系への干渉によって他国の国力を削ぎ落とす事を目的とした物及び、成長の土台が十分に出来た養殖技術の進歩の独占を目論み"他国に渡る水生生物の種を減らす"事を目的とした遺伝子改造による野生の種の根絶行為を指す。
直接的なぶつかり合いは無くとも、暴力的に海を荒らす事に待ったをかける暇もない内に後戻りの出来ない状況に陥ってしまったそれは、なし崩し的に海に隣接する世界中の国々を巻き込んだ。
最北・最南の氷の国から常夏の海まで例外はなく、海に生きていたあらゆる水棲生物は捕獲又は殺傷済み。
生命による循環を失ってしまった海の沿岸部には大規模な水質浄化装置が置かれ、人工的な青さを保っている。その装置の効果が及ばない遠海部は、物音もなく黒い海水が漂っている事から『死の海』とも呼ばれている。




