第十一話 * ふくろのなかにいる *
「…………」
袋から半分体を出して、首をかしげるようにキョロキョロ動かす、全身真っ白な女性プレイヤー。
身に纏っているのは荘厳なローブ。所々にある金色の刺繍は、実際に金を糸状にした物。
頭にあるのは白い百合。プレイヤーの努力と薬剤による品種改良の結果で生まれた、 "ただひとつの百合" という装飾アイテム。
そのどちらもが、プレイヤーたちから贈られた物だ。
決死の覚悟で狩られた大物モンスターの毛皮を、幾重にも繰り返し脱色して作られたローブ。そこに鍛冶師と彫金師が技術の粋を持ち寄り作った金糸を使い、数えきれないほどの裁縫師が総力を結集して編み込んだもの。
Re:behind中の園芸師と錬金術師が花と薬剤を持ち寄って研究と生育を重ね、ようやく完成したオリジナルの花。
現実世界には無数に存在し、この世界ではそれ一つきりの…… "ただひとつの百合" 。
いつまでも初期装備に身を包んでいた『噴水広場の聖女様』に、少しでも礼をしようと考えたプレイヤーたちによる、献上の品々だ。
……ある意味で、私のマントと同じ物。
リビハプレイヤーたちの技術と善意――――その集大成。
白いローブと、白い百合。
それこそが国内外の『Re:behind』で最も有名なプレイヤーの代名詞。
今ではすっかり死の象徴の、完成された二つの装備を身につけるのは……【聖女】のチイカである証。
「というわけで、ボクのお仕事はこれでおしまい。前座な道化師は退散さ」
「…………お……おっと、てれ……ぽーたー……」
「ん? なぁに? チイカちゃん」
「……はい、にんじゃ……?」
「ん~? 何を言っているの?」
「…………もんすたー……はいびせんたー……?」
「まぁいっか。頑張ってね、チイカちゃん。みんなをその手で救うのだっ! なんてね、んふふ」
目をつむったまま、【殺界】のほうを振り向く【聖女】。
表情は変わらず、慈愛の笑みを浮かべたままだ。
しかし、何かはあったらしい。殺界が顔を歪めて舌を出す。
「うへぇ……こっち見ないでよぉ、くらくらしちゃう」
「…………」
「ひゃぁ~だめだめ、もう限界っ。最近捨てすぎて『くのいちドレス』の予備もないし、さっさとスタコラサッサだぜぃ」
顔を両手で隠すようにして、その場で軽く二回ほど飛び跳ねた【殺界】が、霞のように姿をかき消す。
そうした所を見た次の瞬間、背後に気配が生まれ出た。
「んふ、【正義】ちゃん。キミも早く離れなよ。あとは彼女がやってくれるからさ」
「……殺界ぃぃ……ッ!」
「あらら、どうして怒るのさ? ネズミは死んで、リビハはきっと守られるんだよ? 今日のボクは、紛れもない正義やよ」
「それは…………」
「救う形にこだわってばかりじゃ、取り返しのつかない事になるんだぞぉ?」
「そんな事、貴様に言われずとも……っ!」
「って言っても、今まさにそうなんだけどね。もう取り返しがつかないよ」
そう言って【殺界】が指し示す方角で、【聖女】がじっと何かを見つめていた。
そこにいるのは1匹のラットマン。聖女に向かって槍を向ける、灰色のネズミだ。
「かわいそうな事だけど、ネズミの不運はもう始まるよ。巻き込まれ事故はゴメンだし、ボクはお暇させて貰うねぇ。ばいば~い……どろんっ!」
「あっ……! ま、待て――――」
――――パンッ!
【殺界】がバックステップで姿をくらますとほぼ同時に、何かが弾ける音がする。
荒野の土肌に、首を失ったラットマンの赤い血が飛び散った。
「チュ!? …………チュチューッ!」
「ヂュゥゥッ!!」
突然現れた聖女を警戒していた周囲のラットマンたちが、にわかに色めき立って声を挙げる。
"あれは敵だ、殺すべき存在だ" と認識し、一斉に狙いをつける。
「チュチュゥッ!」
「ヂュヂィーッ!!」
「まーまー」
荒々しく鳴き声を挙げるラットマンに囲まれた【聖女】の、あどけない声。
何故、こうまでけたたましい戦場で、これほどはっきり聞き取れるのか。
その不可解さが、私の心を余計に脅かす。
「――くそっ! 退避だ2人ともッ! 下がるぞッ!!」
「オオ? あれは……【聖女】か? なんだってこんな所にいんのよ。つーかここ、どこだよ」
「ステーキ!? 知性を取り戻したんですか!? 早く逃げましょう!!」
「ちゃんと」
詠唱は2段階目だ。
しかし、すでに効果は出始めている。
頭がフラつき、視界が歪む。体の細かい傷はすっかり治って。
足元に生えていたささやかな枯れ草が、緑色を取り戻し――――そして再び枯れ果てて、はらはらと風に流れて行く。
「ぷれい」
「チュ……っ!?」
「ヂ…………」
3段目。全速力で首都方向へと走る。
背後でラットマンのうめき声がする。終わり行く命の、きしむ音。
「いんぼーく」
「チュ……チュゥッ!!」
詠唱完了。ギリギリ安全圏へと辿り着き、振り返って【聖女】を見やる。
――――黒い雨が、彼女に襲いかかっていた。
いずれかのラットマンにより、彼女に向けて集中砲火の指示が出たのだろう。
無数の矢が、互いにぶつかりあって折れるほどに密集して乱れ射られ……【聖女】に向かって降り注ぐ。
「…………」
そして、着弾。
相変わらず座ったままの【聖女】。その頭や体の隅々まで余す所なく、大量の矢がしっかり射抜く。
彼女が座り込んでいた岩は矢を弾き、その周囲の地面には深々と突き刺さる。
天然の処刑台の上で、白い少女が穴だらけになった。
流れ出る血がローブを汚す。
真っ赤な液体が体中のいたる所から流れ落ち、水に垂らした絵の具のように丸く広がり岩を濡らして。
頭の出血で重さを増した百合の花びらが、白から赤にその色を変えて、また血が滴るように地に落ちる。
普通であるなら、これで終わりだ。
明らかに致命傷で、死に戻りは間もなく……と言った所だろう。
だが。
「…………」
だが、不変。
何事もなかったかのように、変わらぬ微笑みを浮かべる【聖女】は。
薄目を開けて、最後の言葉を口にする。
「『えりあ ひーる』」
――――パパパンッ!
乾いた荒野の地の上に、真っ赤な花が咲き乱れる。
まるでグラスに注がれたワインを零したように、聖女近くから順序よく広がって。
白い彼女を中心として、辺り全てが血に染まる。
半径およそ15メートル。一発必中、不可視で不可避の終撃。
周囲のラットマンたちは――――弾けて死んだ。
咲いたばかりの白い百合。その花びらが舞い散った。
地面に落ち、血を吸って。じわりと赤に変わっていった。
◇◇◇
それは、【聖女】に近い一部のラットマンたちにとっての終わりで。
それ以外の全てのラットマンにとって、始まりだった。
「…………わーらっと……わーらっと……」
「チ、チチィッ!」
白い少女が何事かを言いながら立ち上がり、ゆったりとした動きで歩み出す。
体に刺さった矢が、花びらと一緒にぽろぽろと抜け落ちる。
「『チュァァ』ッ!!」
1匹の魔法師が、【聖女】に向かって火球を飛ばす。
まるで避ける素振りすら見せず、思い切りぶつかり――――燃え上がった。
「チュチュゥ! …………チュ!?」
戦果に喜ぶラットマンだったが、自身の魔法によって起こった顛末を再度確認し、目を剥く。
燃え上がりながら歩く少女。燃える前と同じスピードで移動を続ける少女。
燃えている事以外、何も変わりのない少女。
白銀の髪は端から燃え、チリとなって風に運ばれ……しかし、決して尽きる事はない。
皮膚の焼けるにおいはするが、しかし全く動じずに、そのままのペースで歩み続ける。
ローブに火は回らず、代わりにその内側へと炎が走る。白い布地の下で火炎が揺れる。
百合は燃えている。花弁が燃えさしとなり、黒い炭に変わって、はらはらと舞い散る。
そうして再び花が咲く。焼かれて芽吹き輪廻する。焼き枯れ続けて、再び咲き続ける。
炎から身を護る防御のスペルではない。そのような特殊耐性を持つユニーク装備な訳でもない。スペルが不発した訳でもない。
効果は出ている。きちんと燃えているし、焼け落ちて行っている。
だからこそ、ラットマンには意味がわからないのだろう。
ちゃんと燃えているはずだ。しっかり焼いているはずだ。
だというのに、何故。
何故焼け焦げぬ。何故燃え尽きぬ。何故その歩みが止まらぬのだ……と。
「チュゥ!? チ、チュ!!」
「ヂュ! 『ヂュィヂュ』!!」
火球を出したラットマンが困惑する場のすぐ近くから、今度は氷のツブテが撃ち出される。
散弾銃から吐き出される鉛玉のように、鋭い速さで標的へと向かい……炎上しながら歩き続ける【聖女】の腹部に抉りこむ。
「ヂュ!!」
そのラットマンが杖を振るう。次の効果を発揮するために。
【聖女】の腹部にしっかりヒットし、めりこむ氷。それが彼女の体に突き刺さったまま――――事細かく破裂した。
強い冷気が散乱し、辺り一帯を氷の世界に変えていく。
【聖女】の全身を氷で包み、その歩みを止めさせた。
「ヂュヂュウ~ッ!」
「チュー!」
今度こそ明確に行動不能だ。それを見た魔法師ラットマンたちが、杖を掲げて自身を讃える。
しかし。
そんな彼らの喜びは、長く続きはしなかった。
「……ヂュ?」
みし……と軋む音。ぱき……と割れる音。
彼らの三角耳にも届いたであろう立て続けの異音は、氷漬けの白い少女から鳴り。
徐々に、徐々に大きさを増し、状況を変えて行く。
「チュゥ……!?」
そして、開放。砕けた氷が光を反射し、きらきらと彼女を彩った。
氷に囚われた【聖女】は、さしたる苦労もなくそこから抜け出し、再び同じペースで歩み始める。
「ヂュヂュ!? ヂュゥゥ!?」
「チュゥ!」
幾重にも重ねてぶつけられた、普通であれば死んでいるはずの攻撃。しかし彼女は止まらない。
矢で貫かれ、炎で燃やされ、氷で固められた。しかし彼女は変わっていない。
炎と氷を出した2匹のラットマンたちは、そんな疑問がいよいよ恐怖に変化しつつあるようで。
困惑の声に怯えを乗せて、何事かの言葉を交わす。
「ヂュ!? ヂュヂヂ!?」
「チュチュウ!」
――――それを見つめる、慈愛の視線。
深まる微笑み。組まれる両手。
小さく呟かれる、なにかの言葉。
「ヂュウ! ヂュヂュ――――」
「チューゥ!? チュ――――」
ぱぱんっ! という2度の破裂音。
互いに顔を向け合い、作戦をたてていた2匹の魔法師ラットマンたちは。
全く同時のタイミングで、そのネズミ頭を無残に弾けさせた。
【聖女】がキョロキョロと首を傾げている。
慈愛の微笑みを絶やさぬまま、最初と何も変わらぬままで、ゆっくり足を踏み出した。
「まーまー」
生と死を司る徒花が、無数のラットマンへと歩み行く。
彼らに訪れた終わりの時間は、まだ始まったばかり。