第十話 プレゼント
「……ちぃ」
「くっ!」
限界まで体勢を低く構え、まるで蛇のように這い寄る黒ローブのラットマン。
そうして目にも留まらぬ速さで、私の足首を引っ掛けるように斬りつける。
鎌のような形状を最大限に活かす攻撃だ。ひたすら戦いにくい。
……そうだ、戦いにくいのだ。
それは熟達した『二足歩行のモノを殺す動き』。
日々 "決闘" に明け暮れる、対人戦上級者のような……対プレイヤーの手練さと厄介さがある。
「ヂュゥゥッ!!」
「オアァーッ! アチチ!」
「ステーキッ! 離れて下さいッ!! 火傷しちゃいますよ!!」
タテコくんの焦った声が聞こえる。
『炮烙』と書かれた燃える鉄骨を【脳筋】のお腹に突き入れ、そのままぐりぐりと押し付ける茶色毛のラットマン。
力ではヒレステーキが勝るのだろうが、巧みな棒捌きでそれを逸らされ、そうして出来た隙を利用されているようだ。
なんて手強いものか、このラットマンたち。
【竜殺しの七人】である我らと、それぞれに拮抗するなんて。
「――――!? クリムゾンさんっ! 矢が来ますよっ!」
「むむっ!」
そうして敵陣深くで足を止めた私に向けて、魔法と矢とが襲い来る。
一部を武器に変換した事で、長さがおよそ半分程度になっているマントを翻し、飛び道具から身を護った。
受けきれなかった炎のスペルが鎧を焦がしたが、その程度何のこともない。
一発二発のスペルで致命傷を負うほどに、この身はやわでは無いのだから。
しかし、瞠目。
黒いローブがどこにも居ない。
「――――そこかっ!?」
「……ち」
咄嗟の悪寒と勘を頼りに左手のシミターを左後ろに突き出すも、足元を狙う死角からの攻撃に、まんまと傷を負わされる。
……血が流れる感覚。アキレス腱の辺りだろうか?
ぐ、ぐ、と足を踏み込んで、その動作に問題がない事を確認する。つうう、とくるぶしに血が這った。気持ち悪い。
「……くぅっ! ステーキ! それにクリムゾンさんっ! このままではマズいですよ! こんな敵の真っ只中で足を止めるなんて、的になるばっかりですっ!」
「わかっている! だが……ッ!」
「パァ……ワァァッ!!」
「ヂュウゥゥッ!!」
引っ切り無しに飛んでくる飛び道具を避けながら、手練のラットマンと対峙する。
どちらかだけなら、きっと勝てていた。真っ直ぐ目的の所へ辿り着けていた。
これがラットマン側のチームワークか。
この戦場の要である『光壁部隊』を守るため、強力な二匹の個体とそれを援護する役割の者とで、護衛として備えていたのか。
……知恵がある。
そしてなおかつ、襲撃する側として持った入念さがある。
今日唐突に準備をさせられたプレイヤーには無い、整った戦術をこなしている。
このままでは…………。
「うおおっ!! あの特大の魔宝石を、ぶっ壊せぇっ!!」
「突っ込めぇ!!」
ふと、耳に届くプレイヤーたちの声。
あれは……伝令に聞いた、『光壁をなんとかするチーム』かっ!
「――――今はまずいっ!! 駄目だ! 止まれぇっ!!」
「突撃ィーッ!」
勢いよく突っ込む10数名のプレイヤーたち。
土台に乗った大きな魔宝石……『光壁』を形成する合体スペルの触媒を狙って。
「行け行けぇ、進めぇー……うわぁっ!」
「クソッ! おい! 矢を弾くスペルを――――ぐあっ!」
「だ、だめだ! しっかり見られてる!」
「退却っ! 一旦下がれ!!」
「きゃあっ」
回り込む形でのプレイヤーによる強襲。その一団に向け、ラットマンによる無慈悲な集中砲火がくわえられた。
……彼らは何も悪くない。切り込む位置も、速度も申し分なかった。
ただ、ラットマンが上手だったというだけだ。
そして、奴らがそこまでやる可能性という考えが……私たちに足りなかったというだけなのだ。
「…………くそぉっ!」
「クリムゾンさん、一度撤退しましょう!」
「パワァァ…………」
「しかし……私は…………ッ!」
「チチチィ……ち」
「後ろを見て下さいっ! 誰も着いて来れていませんよ! 流石にこうまで孤立無援では、僕とステーキにも無理がありますっ!」
「ううっ」
「ヂュウゥァーッ!」
「パワァーッ!!」
失敗だ。
『光壁』は止められず、防衛ラインは徐々に後退するばかり。
このままでは……プレイヤーの敗北は、近い。
……過ぎた今になってわかる。
先程のあの時、一度目の "『光壁』を何とかしようとする行動" こそが、最後のチャンスだったのだと。
きっと奴らは確信した。我らがそういう事を狙う、と。
ならば恐らくもう二度と、ここまで深く攻め入る事は不可能だろう。
特大の魔宝石、そしてその周囲で合体スペルをするラットマンたちの守りは強化され、虫一匹入り込む隙間もなくなるはずだ。
……残るは、一方的な火力と圧倒的な数の力で、思うがままに荒らされるのみなのか。
正義として、ヒーローとして……一人のリビハプレイヤーとして。
この場で出来る事は、何か無いのか。
「どうしよう……一体どうしたら……」
「クリムゾンさんっ! 僕らはもう下がりますよ!? 行きますからね!?」
「パワワァ……」
「チチ……ち、ち」
黒いローブをいなしながらに思考を巡らせる。
――――あの魔宝石へ……突っ込む……突破を…………。
スキル……『疾駆』では足りぬ……盾を構えて一心不乱に行った所で…………。
……馬ホースを呼び出し、命を賭しての一騎駆けをするか。
玉砕覚悟の大立ち回り。死なば諸共、あの重要を。
この身を燃やし、戦局を変える一手を…………。
「……んふふ、苦戦しているね?」
「――――むっ!」
「今日は正義なキミにとって、とっても不運な日なんだねぇ」
……少し離れた、岩の上。
ラットマンがひしめく中で、どしりと構えるその上に。
ピンクの髪が揺らめいている。
「……【殺界】」
「うわぁ、凄いねぇ。二足歩行のネズミがいっぱい。ボクは陸上哺乳類は好みじゃないから、おぞましさしか感じないや」
「…………」
何をしに来た、最悪め。
人の嫌がる事をして、プレイヤーを引退へと追い込む大罪人め。
我ら『正義の旗』の裁きをのらりくらりと躱し、Re:behindを蝕むPK。
何かが入った大きな布袋を腕いっぱいに抱え、こちらをニマニマ見つめる……カルマ値最低の性悪め。
「……今は貴様の相手をしている暇はない。さっさとどこへなりとも去るが良い」
「あらら。つれないぜぃ、とっつぁ~ん」
「誰がとっつぁんだっ!」
「折角援軍に来てあげたのにさ~、んふふ」
……助け、だと?
この、リビハで最も非道徳的な極悪人が、この場の私を救助に来たと?
「笑わせるな! 貴様の助力を受けるなら、死んだほうが余程マシだっ!」
「キミが死んでも意味ないよ。ボクの興味はそそられないし」
「良いから消えろッ! 私は貴様を許さないぞッ!!」
「許さなくてもいいけれど、そうしてこのまま押し負けて、Re:behindが終わったその時に……後悔はなかったと言えるのかな?」
「……くっ!」
「んふふ。みんなでリビハを守ろうよ。ボクもこの世界は気に入ってるしさ~。殺しも殺されも自由なのだから。いいね、"リビハを守る" って。善行みたいでもじもじしちゃうや。んふふ」
「貴様はぁ……ッ!!」
この女によって、何人犠牲になった事か。
我がクランメンバーも、何度も苦汁を飲まされて…………この女に目をつけられたばっかりに、引退を余儀なくされた者もいるというのに。
今更どの面を下げて、こうまでの綺麗事をぬかすのか。
駄目だ。この女は、駄目だ。
心底性に合わないと言う物だっ!
「リビハのカミサマも言ってるよ? "みんなで一緒に頑張りましょう" って。世界が終わる今日だけは、キミとボクとはお友達やよ」
「…………だからと言って、道化師と盗賊の貴様に何が出来ると言うのだッ!!」
「んふふ、そうだね。ここで道化師のお遊びをした所で、こんなに大勢の相手がいたら……一斉に寄り合いもみくちゃで、ボクの体は好き勝手されちゃうかもね」
「…………」
「ああ、それも良いかも…………いっぱいのネズミに囲まれて、お人形みたいにやりたい放題され尽くして……ぼろぼろになって捨てられるんだ。んふふ……良いかも、良いかもねぇ」
そう言いながら体をよじらせる殺界は、どこまでも蠱惑的だ。
くねりくねりと腰を動かし、自身の体を抱きしめるようにして。
……だから嫌なのだ。この女と話すのは。
何か、いやらしい感じだから……ことさらに嫌なのだ。
「……結局貴様は、何をしに来たんだ。いくらプレイヤー殺しが上手いとは言え、この大勢相手に腕を奮えるタイプでは無いだろう」
「んむ。その通りやよ。こんな状況では、"強い" も "弱い" もあんまり意味ないしね。だからボクは、とびきりの助っ人を連れてきたんだ」
「…………助っ人だと?」
「そうやよ~」
そう言って微笑みながら、手に持った袋を地面において、ぽふりと叩く殺界。
……そんな軽い刺激を受けた大きな袋が、もぞ、と動く。
何だ、あれは。生き物なのか? あれがその "助っ人" なのか?
「ボクが不運の代名詞。ここにいる皆に、それをバラ撒いてあげようね」
「……何だ。貴様は、何をしに来た…………何を持ってきた……ッ!」
「んふふ――――この場の誰もに、プレゼント。"忍法、台無しの術 ~っ!" なんてね」
そんなふざけた事を言いながら、手に持つ黒い短刀を振るい、袋を切り裂く。
甘い……香り。
殺界が "ひと一人入ってしまいそうな袋" を開けた瞬間に、むせ返るほどの清楚な香りが広がった。
…………まさか。こいつは。殺界は。
アレを連れてきたというのか。
「強いとか~……弱いとか~……そんな垣根をまるきり無視した規格外。さぁ、出ておいで」
ひょこ、と袋から出てくる白銀の頭髪。
そこに乗せられた白百合は、花びらをひらひら舞い散らせて。
目は閉じ。口は弧を描き。首をきょろきょろ動かしながら、もぞもぞと立ち上がる……真っ白いプレイヤー。
「今日がネズミの厄日やよ。ボクのせいだけれどね。んふふ」
良いも悪いもありはしない、何もかもを平等に終わらせる無慈悲な殺戮装置。
思想も理念も語らずに、目に映るものを只々癒やして殺すだけの存在。
およそ人とは思えぬ人間性、まともならざる道徳心、モンスターより生気を感じぬ無機質さ。
それら全てで、恐怖の象徴。
"強いもの" "弱いもの" ではなく、"怖いもの"。
【竜殺しの七人】、【聖女】のチイカ。
技術も装備もレベルも……数の差すらも吹き飛ばす、明確な反則が姿を表した。