第二十八話 『勝利のグー』
何だ……? 灰の香りが変わった気がする。
サクリファクトが何かを叫び、鈴のような綺麗な音色が聞こえて――――何かが通り抜けた感覚がした。
「…………? ……?」
声が、出ない。俺も青トカゲも、リザードマン共も。
何かしたのか。あいつが、友が。
世界のルールを捻じ曲げるような、強い何かをぶちまけたのか。
「…………っ」
はは、と笑うつもりが、それすら出来ない。
何て強制力だよ。この【死灰】をこうも縛るとは。
昂ぶる。あいつめ、サクリファクトめ。
何かを手にしてそれを使うか。竜殺しですら黙らせるのかよ。
それが何だか知らないが、そいつは抜群に――――クールだな。
俺はご機嫌だぞ。我が親愛なる戦友よ。お前が放った力であるなら、それは例外なく俺の味方でもある。
「…………」
高揚の気持ちそのままに、青トカゲへと突っ込み、斬りつける。
槍を横にして防いで来るが、その隙をついて腹への蹴りを繰り出した。
そのつま先に光るのは、毒でコーティングされた死の刃だ。俺は体のどこでも殺す。
さぁ、回避行動を取ってみろ。
「…………ッ!?」
「…………」
――――――直撃。腹への深い打撃。
サクリファクトが撒いた空気は、青トカゲすらも死に至らせる。
三度、四度のバックステップ。それはコイツの技能による物だった。
『シ』と小さい声で何事か呟き、その効果によって、よく跳ねた。
…………ならば、今この異常事態。
言葉を狩られたこの場所で、お前のスキルは、不発する。
無口が災いしたな、青トカゲ。俺はとっくに気づいていたぜ。
『サクリファクトの何かの効果で、スキルもスペルも使えない』。
そこに敵や味方や距離の例外などあらず、誰も彼もが喋れないんだぜ。
戦いながら悪態を吐く、お喋りがちな俺だから。
お前より一歩先に、それに気づいていたんだよ。
…………まぁ、そうでなくても気づけたけどな。
何しろ親友のする事だ。きっと俺には、わかったぜ。ああ、間違いないさ。
「…………」
確かな致命打。毒は気合じゃ治らない。
青い鎧のリザードマン。お前は間もなく死んで行く。
お前の墓石が残るのは、遺言、恨み節、負け惜しみ――――果ては断末魔さえ許さぬ非情の、ならず者が作った無言の地だぜ。
トドメは刺さない。静寂の中で ひそり と死んで逝け。
サクリファクトを攫った不運を、嘆いて朽ち果て、死で詫びろ。
あいつを拉致したその瞬間から、お前の負けは決まってたんだよ。
…………灰にもならずに、お別れだ。
二度と "灰" に会わないようにと、祈るばかりで消えて逝け。
◇◇◇
「…………ッ!」
「…………!!」
静かだ。風のざわめき、葉の揺れる音。あとは戦火の音しかしない。
鉄と鉄がぶつかり合う音、足で地面を踏み鳴らす音。心が落ち着く戦闘音だ。
…………残りのリザードマンは、九か。
さっきは十二匹いたと思ったが、サクリファクトはもう三匹も倒したのかよ。
イケるじゃないか。流石だぜ。最早とっくに初心者じゃなかったんだな。
よし、この【死灰】もあの地で一緒に――――――
「…………!」
「…………ッ」
――――――ぴた、と足が止まる。体が勝手に、と言った感覚。
行っちゃいけないように思う。
いや、行く必要がないのか。わかった。そうか。
これは歓心。喜びだ。とてもハッピーな出来事だ。
戦えている。やれている。
あのサクリファクトが、弱々しかった後輩が。
九匹がかりを相手取っても……一歩も退かずに、ぶつかり合えてる。
……なんだ、これ。手が震えるぜ。口が歪んで、目頭が熱くなる。
高鳴る胸の鼓動を受けて、自然に右手で胸を抑える。ちりちりとした火が燻るぞ。
友よ。サクリファクトよ。
凄いぞ。出来てる。ちゃんとやれてるじゃないか。
俺は、それが……凄く嬉しい。
剣を振るえばトカゲに当たる。横から迫る斧をスウェーで躱し、反対側のトカゲを蹴りつける。
背後からの棍棒の一撃――――むしろ腕を差し出す構えで、思い切りよく打ち付けられて…………怯んだのは、攻撃したはずのメイス持ち。
あれは、ローグの『ヴァイヴァー』か。先に仕込んでおいたのか?
だらんとした左腕に治癒のポーションをふりかけて、握って開いて確認し、再度トカゲを睨みつけ――――果敢な攻めだ。意気でトカゲを押している。
嬉しい。涙が出そうになった。
初心者だったサクリファクト。俺がダンジョンに篭っている間に、お前も修羅場をくぐっていたのか。
出来なかった事が出来ている。やれなかった事がやれている。
いくら相手がクソ雑魚とは言え、九匹相手でなんとかなってる。
そんなお前の、すっかり成長を果たしたその有様は……俺の心に何とも言えない感情を与えてくれる。
――――強くなったな。前と比べて。
俺にはそれが、何より嬉しい。自分の事のように嬉しいんだ。
「…………ッ!」
……俺が行ったら、簡単だろう。灰色の死を振りまいて、物の数秒で皆殺しに出来るだろうよ。
だけど、ここは……そうじゃない。あいつに任せる。あいつにやらせよう。
サクリファクトなら出来るから、このままあいつにやりきらせるんだ。
頑張れ、我が友。頑張れサクリファクト。
【死灰】がここから、見ているぞ。
「…………ッ」
「…………!!」
避けて、刺して、斬り伏せて。
時には砂を掴んでばら撒き、足癖悪くひっかけたりもする。
決して優雅な物じゃない、泥臭くって必死な戦い方だ。
だから、綺麗だ。見惚れるぜ。
ひたむきで一生懸命なお前だから、精一杯がゆえの美しさがある、と。そう思う。
「…………」
そうして無言のエールを送る、俺の目に映るトカゲの姿。
――――真後ろ。完全な死角からの強襲だ。
それをするのは弓持ちトカゲで、手に持ったのは小ぶりのナイフ。
あれはきっと意識外だ。サクリファクトの予想では、弓持ちがナイフで突き刺してくるのは……誤算だろう。
…………ちょっとくらいは、良いよな。うん。友達だしさ。
手は出さないと決めたけど、『灰の手』を出し、サクリファクトを横に引っ張る。
「…………!」
俺の手による思わぬ衝撃を受けたはずのサクリファクトは、横に引っ張られる格好のまま――――それをわかっていたかのように利用して、勢いに乗せた足を振り抜いた。
痛撃。そこに突っ立っていた魔法師トカゲの腹に、脚力と遠心力が乗った蹴りが突き刺さる。
…………どういう事だ? 何でああまで、都合の良いムーブを……?
そんな疑問を持った俺を、サクリファクトがちらりと見つめ――――こくりと一つ、頷いた。
……おいおい、マジかよ。予想の内か?
俺が見ているのを知っていて、『灰の手』による助力が来るのを、わかっていたとでも言うってのか。
なんだよ、それ。ははっ! 信じられないぞ!
ああまで囲まれながらにも、俺が見ているのを確認し!
その上で俺がする事を信用し、いつ来てもいいように待ち構え!!
とうとうその時、ばっちり合わせて来たってのか! お前は!!
視野が広い。臨機応変だ。咄嗟に合わせる判断力と、俺への厚い信頼がある。
…………笑みが溢れる。心が弾む。
頼ってくれて、頼れる奴だ。俺が求めたその一つ上をこなす奴だぜ。
そんな友と一緒に戦場を駆けるこの時。こんなに楽しい事も、そうは無いよな。
ああ、やっぱり。このRe:behindは、最高だ。
俺が最強でいられるし、それで救える奴がいる。
しかもそいつが、誰より気が合う親友だって言うんだから…………そりゃあもう、何より最高なんだ。
サクリファクト。我が友よ。
俺はこの地でお前と会えて――――良かったよ。
さぁ、片腕を貸してやる。
お前と俺の片腕で、きっちり【死灰】の両腕だ。
その手に掴めぬ物なんて、この世界にはありはしないだろうよ。
◇◇◇
◇◇◇
…………静寂の地。トカゲのドロップアイテムばかりが散乱し、後の残りは草木と勝者が居るだけの、ひたすら穏やかな "元・戦場" だ。
無言のままに地面に倒れ、仰向けで空を見るサクリファクト。
そこへゆっくり近づけば、こちらに目を向け、満足そうに笑いかけて来る。
……俺も思わず笑みを浮かべて…………スキル効果で言葉につまり、口をぱくぱくさせてしまった。
『よくやった』とか『お前は最高だ』とか、色々言いたい事があるって言うのに……気の利かないスキルだぜ。
「…………」
「…………」
俺が口を開けたり閉じたりするのを見つめて、音もなく爆笑するサクリファクト。
……そうして一通り笑い終わると、右手をグーにして突き出して来る。
「…………」
背丈は俺と似てるから、拳のサイズも同じくらいだ。
黒い皮手袋に包まれたそれは、汚れ、傷つき……だけれどとても、力強く。
そのまま互いに見つめ合い、万感の思いを込めて、打ち付けた。
灰色の拳と黒い拳で、ゴズンと鈍い音がした。
スキルの効果がなくとも、言葉は要らない感じがするぜ。
"友達" って素晴らしい。