閑話 あるプレイヤーが助けられた日 A
□■□ 首都にある酒場 『駄目人間の飲んだくれ亭』 □■□
「呪い……ですか?」
新人仲間のロラロニーがとぼけた顔で聞く。
俺たち新人の案内役を務めた時から付き合いがある……ええと……ああそうだ。
『Re:behind公式 初心者支援クラン 若芽の萌ゆる大地』という長ったらしい名前のクランでサブマスターを務める、新人教官ウルヴさんだ。
そんなスキンヘッドに入れ墨、戦士でございって感じの荒々しさを持つ彼は、俺たちも贔屓にしているこの酒場の超常連客らしい。たまにこうして偶然顔を合わせては、近況や知らない事を質問したりと、良い関係を築かせて貰っている。
「ああ。二つ名ってのは、良いも悪いも併せ持つ、言わば呪いよ」
薄暗がりな酒場の片隅、手にした骨付き肉をムシャっと食いちぎる戦士の男。
いかにもファンタジーの冒険者と言ったその振る舞いは――――新人をゲームの世界に入り込ませる雰囲気作り、なのだろうか。
きっとそうだな。この人はそういう気配りがデキる男だ。そんな彼のはからいに、いつもワクワクさせて貰っている。
「そりゃあ強化もあるぜ。単純に強くなれる。だが物事ってのは表裏一体、薬も過ぎれば毒にもなるわな」
こくり、と頷きながら、チュルルルコクリとジュースを飲むロラロニー。
その目は真剣だ。
ウルヴさんの、肉に。ちゃんと聞けよ。
「【天球】のスピカは、光球って魔法のプロフェッショナル。その魔法を扱わせれば右にも左にも出るもんはいない。カスタムして巨大化させた光球は『天球』と呼ばれ、ソレに乗って移動するひと目で異質と判るプレイヤーだ」
「いつもスペルを発動させているんですか? いやはや、凄いものですね」
キキョウはつるつるした木製テーブルを撫でながら、単純な疑問を口にした。
確かに凄い。凄いっていうか……それを通り越して、もはや異常だな。
街でもどこでもスペル発動しっぱなしって、水を出しっ放しで寝るようなもんだろ。
水なら水道代が大変だし、スペルなら魔力が大変だ。
「【天球】と呼ばれ続ける為の努力だな。魔力回復のポーションなんて、ガッパガパ飲んでるらしいぞ。二つ名獲得と維持の為の、投資の呪いって所だ」
「ややもすれば、投機と呼んでもいいかもしれませんね……ふふふ」
二つ名。二つ名か。
有名になればなるほど強くなるこのゲームの、ちらっと見えるマスクデータ。
可視化された知名度、いつでもどこでも止まぬ声援。
その二つ名に見合った効果が得られるっていう、個性をプレイヤーに持たせる理由付け。
「【脳筋】だったら筋力が上がるが、スペルは使えない。スペルを使いだしてその二つ名を失う事を恐れるってのもあるが、何より『【脳筋】に魔法は似合わない』って世界が判断するらしい」
「取り上げられちまうんですか? せっかく編んだスペルを」
「取り上げられるっていうか、忘れちまうらしい。まぁ、二つ名ってのはそういう物だ。何しろ筋肉で出来た脳みそが、スペルを記憶出来るはずが無いんだから」
リュウジロウの疑問が珍しく最もだ。
折角編んだスペルが使えないって、そりゃ酷い。
子供から新品のおもちゃを取り上げるが如くだ。
ただ、そういうもんなのかな。
個性って言ったら、つまりは "それらしさ" って所か。
脳みそまで筋肉で有名だったら、そうであれって世界が言うのか。
……でも、なんかそれって。
「…………何だか、怖くないですか?」
「ん? 何がだロラロニー」
「二つ名に合わせて、プレイヤーが変えられちゃうんですよね? それって、どこまで変えられちゃうのかなって」
「ん~? う~ん、ロラロニーはよくわからんなあ! ガッハッハ!」
笑って誤魔化すウルヴさん。
キキョウもリュウジロウも、黙ってカメラを回すさやえんどうまめしばだってよくわかってない様子だ。
でも、俺にはわかるぜ。ロラロニー。
『筋肉の脳みそがスペルを記憶出来ないから忘れる』って、怖いだろ。
――――ジュッ
元々記憶力がない脳筋だから、【脳筋】って二つ名になったのか?
二つ名を持ったから、記憶力がなくなったのか?
精神を飛ばしてダイブするダイブゲームは、精神汚染や洗脳が容易らしいが……それによる所では、ないのか?
――――ジュルルッ
それを踏まえて考えたら、どうにも震えが来るよな、こういうの。
AIがオイタしてたりしないよな?
暴走はありえない、"ISS"で使われてる物と同じタイプの物らしいけど、なんだって確実なものってのは……
――――ジュルルルッ ズゾッ
つーかジュルジュルうるせーな!
「うるせーよロラロニー」
「でも、後少しあるし……」
「はぁ……俺のやるから」
「ええっ! サクリファクトくんの飲んだやつ!?」
なんだ。間接キスでも恥ずかしがってんのか?
この仮想現実で?
初心な子供じゃあるまいし――――いや、それっぽくはあるけどな、こいつ。
「別に恥ずかしがる事でも――――」
「サクリファクトくんのって、酸っぱいやつだよね? 私酸っぱいの好きじゃなくて」
……人の好意を、なんだと思ってんだ、こいつは。
◇◇◇
「それにつけても、ウルヴのアニキ」
「どうしたリュウジロウ」
「俺は、名を上げてぇ。でも、金がねぇ。どうにかしてえ」
「ハハッ! 簡潔だな。それでいて正直。好きだぜそういうの」
リュウジロウが真っ直ぐウルヴさんに問いかける。
今日会ったばかりだけど、アホだよな、こいつ。
真っ直ぐアホだ。
「それにはまぁ、ロールプレイだろうな」
「"役割を演じる"、ですか」
「ああ。それが一番単純で、わかりやすい」
「役割ですかぃ。役割ねぇ……あっしの役……」
「【正義】の二つ名のクリムゾン。ああいうわかりやすいのが一番具合がいいだろうな。どこからともなく現れて、悪を滅ぼし名乗りを上げる、正義のヒーロー【正義】さん。あの堂々とした立ち振舞から、演技じゃなくて素でやってるのでは~なんて言われているが」
【竜殺しの七人】。
【正義】の二つ名、全身真っ赤のクリムゾン・コンスタンティンか。
女だてらにヒーローに憧れる変わり者で、正しく悪を打ち倒す本物の正義の味方。
グッズ展開までされた彼女は、『Re:behind』の広告塔だ。
「正義さんっ!? 今正義さんの話してたっ!?」
「急になんだよまめしば。黙って撮影してると思ったら」
「大ファンだもん! 携帯端末の待受も正義さんなんだよぉ~」
「女性人気が高いらしいですね。羨ましいものです、ふふふ」
『Metuber』のさやえんどうまめしば。
この世界に来る前からリビハの情報動画をやってて、ようやく念願叶ってここに来れたらしい。
そんな奴がファンになるくらい、正義さんことクリムゾンさんの勇名は、仮想にも現実にも轟きまくっている。
「ああっ、赤いヒーロー、正義しゃん……」
「なんだぁ? 熱の入れようがとんでもねぇな」
「正義さん、私は知らないや」
「おや、ロラロニーさん。情報収集は商売の基本ですよ?」
「悪がいる所に颯爽と現れ、正義の鉄槌を下す私達のヒーロー……【正義】のクリムゾンさん……。今どこで、何をなさっておられるのかしら――――」
◇◇◇
◇◇◇
□■□ 首都南 森林地帯 東奥湿地 □■□
失敗した。
まさかこんな事になるなんて。
「待てよぉ、逃げても無駄だっつーのぉ、ヒヘヘ」
「ウヒョヒョ、あんまり騒ぐとモンスターが寄ってくるっしょ~」
後ろで嫌な声を出す二人。街で声をかけてきた男たち。
"一緒に冒険に行こう、あとから女の子も合流するよ"
"俺たちだけが知ってる秘密のスポットに、稼げるモンスターがいるんだ"
なんて誘われるがままに、のこのこ着いてきてしまった自分を呪う。
今思えば怪しすぎるし、考えが足りなすぎる。
でも、今月の生活費も厳しかったし…………もう本当にお金がなかったから……ああっ、もう! どうしよう……。
「きゃぁっ!」
「ほらぁ、捕まえちゃった」
「俺達のほうが先輩なんだからさ、逃げられる訳ないっしょ。すばやさ的に~」
いやらしい視線の二人にとうとう追いつかれ、腕を掴まれる。
街の中だったら"接触防止バリア"とかいうので弾けるけど、ここは森の中。
身を護るものは、何もないんだ。
「いやぁ、それにしても――――まっさか、こんな簡単に行くとはねぇ」
「チョロすぎっしょ~」
「や、やめて……ください……」
「セーフエリアを出たら、もう自己責任よ? これ常識ね」
「"接触防止バリア"も働かないここじゃぁ、何されちゃっても仕方ないってのが、この世界っしょ~」
「ふっ……うぅぅ……っ」
「泣くなよ~後腐れのない、しがらみのない快感をさ、楽しんじゃおうよ」
「仮想だから何してもオッケー! 身体の乱れは、現実には影響ないっしょ!」
涙が出てくる。馬鹿な自分と、これからの事を考えて。
仮想だからって現実とは何も違いがなくて、ここではそういう事も出来る。望む望まないは関係なく、出来るようになっちゃってるんだ。
いやだ、いやだ。ログアウトしたい。
強制ログアウトボタンはあるけど、死亡扱いで罰金を受けるし、何より右手を掴まれてるから操作が出来ない。
「さぁ~て、それじゃあ……まずは脱ぎ脱ぎ――――」
気持ちの悪い手が私の革鎧に手をかける。
背筋がぞぞっとして、涙がもっと溢れ出てくる。
いやだ、いやだよぉ……。だれか、たすけ――――
ギュピィィィンッ!
「――――な、なんだっ!?」
何かの音。聞いたことない、変な音だ。
魔法? いや、そういう物じゃない気がする。
例えるなら、子供の頃に見たテレビ番組の中で、主人公が変身する時みたいな、そんな音。
「お、おいっ!! 上を見ろ!!」
「はぁ!? 赤と白の幾何学模様……まさかっ、嘘っしょ!?」
変態二人が騒いでる。上だなんだと言って。
もしかして、なんとかなるの? 隙を見て逃げ出したり、頑張って戦ってなんとかしたり。
それとも…… "誰か" が、助けに来てくれたの?
――――ズシンッ
「な、何者だ……ッ!!」
顔を上げると、土煙。
空から降ってきたのかな? なんで?
煙が晴れると、浮き出てくるのは……赤い色?
剣を縦に構えてて、顔は見えない……けど、あれって……女の子?
疑問がとめどなく溢れる間、赤い彼女は地響きの余韻を感じ入るようにじっとしてる。
精神を集中させているような、静かで凛とした空気。
そんな時間がたっぷりあって、土埃が消えきった所でようやく、勇ましく声をあげた。
「――――正義っ! 参上っ!!」
正義のヒーローの、女の子。
変わってる……けど、助かった。
色々疑問はあるけど、今はそれが素直に嬉しい。
◇◇◇
「あ、ありがとうございました……」
「気にする事はない。悪がある所に正義はある、私は私が成すべき事をしただけだ」
変態二人は捨て台詞を吐いて逃げ出した。どうやらこの赤い子は有名な人らしい。
知っているのに"何者だぁ"って問いかけてた理由は、私にはわからない。
その後は、危険と不安から守ってくれるみたいに街まで送ってくれた。
会話はなかったけど、凄く感謝してる。
いつか何かでお礼しなくちゃ。ヒーローだって、生活費は必要なんだろうし。
それにしても、カッコいい。
男の子みたいにヒーローしてる、凛と佇む女の子。
綺麗な金髪はさらさらしてて、赤い鎧はお日様に照らされてキラキラ光る。
……あとで、検索してみようかな? 有名な人なら、動画とかあるかも。
「むっ、誰かが私を呼ぶ声が聞こえるっ」
「えっ、あの」
「私はもう行かなくては。街ももうすぐそこだ――――今後は気をつけるのだぞ、お嬢さんっ」
「ま、まってくださいっ!」
気づくと街はすぐそこで、唐突に別れを告げようとする彼女に思わず声をかけた。
ど、どうしよう。つい声をかけちゃったけど、何を言えばいいんだろう? お礼はしつこいくらい言ったし、あと言うべき事は……。
――――ううん、もういいや! 名前を教えて貰っちゃおう! そうすれば、あとで検索もしやすいし。
「せ、せめて……お名前だけでも……」
私がそう問いかけると、凛とした彼女は微笑んで答える。
「ふふっ、私は名乗るほどのものでは――――」
「クリムゾンさ~ん、『正義の旗』隊長、【正義】のクリムゾンさぁ~ん! 置いて行かないでくださいよぉ~!」
澄ました微笑み顔で決め台詞みたいなのを言おうとした彼女。
そこに最悪の邪魔が入って、顔がじわぁ~っと赤くなる。
真っ赤な鎧と同じ色だ。
急に可愛く見えてきた。
「……もぉ~っ、だいなしだよぉっ」
ちっちゃい声で呟きながら、怒ったように走って行く彼女。
しっかり悪を退けて、きちんと私を救った正義のヒーロー。
…………クリムゾンさん、かぁ。
あとで検索してみよっと。
『接触防止バリア』
『Re:behind』に限らないVR / Dive Gameが抱えていた大きな問題の一つが、
警察機構のような物がない世界における、女性へのセクハラや性的暴行である。
歴史を逆行するかのような、動物的な弱肉強食の世界。
力こそが全てという剣と魔法の世界において、女性は弱い存在だった。
自分の身は自分で護る厳しい世界とは言え、大体のゲームで女性は少数であり、数的不利を余儀なくされる。また、現実とは違う「ゲーム的な服装」は扇情的な物も多い事から男性の欲情を刺激し、いつどこの仮想世界でも女性は精神・肉体の性的暴行に怯える日々だった。
いよいよ女性プレイヤーが減少しきり、絶滅危惧すらされている状況下で発売された『Re:behind』には、それらの問題の解決策として"接触防止バリア"なる物が実装された。
反応をオンにしていれば「ダメージ判定があるもの」「悪意のある者による接触」「個別に拒否指定されたプレイヤーによるもの」のいずれかを自らが認識している時、自動でそれらを拒絶してくれるその強固な光の壁は、安易な暴力を尽く否定した。
大きな街のようなセーフエリア内部限定の物ではあるが、その絶対的な防御は信頼に足る物として認められ、多くの女性プレイヤーを呼び込めた事も『Re:behind』がこうまで大きい存在となるに至った理由の一つだろうと言われている。
尚、意識の外からの物には効かず、またモンスター等の攻撃には効果は発揮されない。