第二十四話 呼び声に答えよ
死灰が行く。
全てを灼くような激情で、持ちうる力を振るうため。
その強い志は、辺りを見ればすぐ知れる。
…………灰。空気を濁らす、灰色の塵。
マグリョウさんがダンジョンの虫を燃やして作ったソレは、むせ返るように辺りに揺蕩い、心を映す鏡となって。
灰色の炎のように猛り、狂い、奮い立ち、彼のエリアを作り出す。
そこまでであれば以前にも見た。だけれど、今は。
今この場にある、灰燼の揺らぎは…………前とは明らかに、違うもの。
――――質量。煙のように渦巻きながら、何かを動かす実在感。
――――意思。自在に動かせる新たなちから。灰の男の、左腕。
――――支配。灰が舞い散るこの場所は、死灰の男が支配する。
ゆらゆら漂うだけじゃない。
動く。【死灰】の男が命ずるままに。
灰が蠢き、形を作って……それはとうとう、ただの "塵" ではなくなって。
ナイフを、剣を、リザードマンを……掴み、投げつけ、締め上げる。
目まぐるしく変わるその姿は、時に悪魔のような腕であったり、彼を覆い尽くす羽衣のようであったり、はたまたクワガタのような大アギトであったり。
形を変えてサイズを変えて、自由自在に働いて――――そして気づけば、再びマグリョウさんの左腕へと戻っているんだ。
…………すごい。やばい。なにこれ。
すげえ強いし、超かっこいいじゃん。
何でそんな事が出来るんだ。二つ名効果、なのだろうか。
「…………ん?」
ふと、隣を見る。マグリョウさんが引きずって来たリザードマンの死体が、揺れたから。
…………いや、違う。死んでいないぞ。
これは……麻痺か? 昏倒しているのか?
何にせよ、コイツはまだ生きている。
……ああ、それもそうか。"リザードマンは、死んだら消える"。ならば、消えていないコイツは生きているんだ。
装備も武器も持ったまま、ただ寝ているだけ。
きっとその内、殺すのだろうけど。
丁度いいからその剣を、何とか鞘から引き抜いて……背中をこすりつけるようにゴリゴリ頑張り、後ろ手に縛られた縄を切る。
自由になった右手でストレージから『治癒のポーション』を取り出し、体を癒やして……ある程度元通りになった所で、再びマグリョウさんを見た。
「はははっ! そうだっ! 死ぬ気で来いよぉ! 本気を出して、負けを噛み締め、苦渋にまみれて無様に死ね!!」
「ジャァァァッ!!」
数は、十四。
近接が七、遠距離が五、ヒーラーが二か。
ようやく本気を出したのか、全員でもって波状攻撃を仕掛けるリザードマンと…………それを回避し、くぐり、灰に紛れて姿を隠し、思わぬ所から飛び出る灰色の男。
「『コール・アイテム』……『裂帛』『はやぶさ』『とこしえ』」
「ジ――――ッ!?」
「どこ見てんだよクソトカゲ。そっちは灰で、俺はここだぜ。眼科行けよ」
「ジャァ……ッ!!」
……マグリョウさんが押している。数の差なども、物ともせずに。
決して決定打を喰らわず、奴らを削り続けている。
普通だったら、これは無茶過ぎる戦いだ。
何せその数……十四 対 一。どう考えたって、やられるばかりの負け戦なはずだ。
だけれど彼なら――――マグリョウさんならどうにかなると……そう思ってしまう。
頭に浮かぶ、『最強』の二文字。それは酷く淡白で、子供が言うような身も蓋もない二字熟語。
そして、そうであるからこその、マグリョウさんを表現するには、この上ないほどぴったりな言葉。
確かなトップ。紛れもない抜群。群雄割拠のこの地において、ひときわ光るとびきりな男、【死灰】のマグリョウ。
コミュ障で子供っぽい、誠実で真っ直ぐな彼だから――――『最強』なんていう、端的で身も蓋もない言葉が、一番似合う。
そんな、誰もが認める戦闘狂で、誰より多くの殺しと殺されを経験している、とことん単騎を極めた彼ならば。
この程度の差なんて、どうにでもなると……そう思ってしまう。信じてしまえる。
眩しいまでに明らかな格の違い。
どれほど "数の差" があろうとも、"戦力差" では負けてない。
凄いぜ、先輩。マグリョウさんは、やっぱり最強だ。
「どうしたどうしたトカゲ共ぉ! たかが一人ぽっちに対して、何一つまともに当たってねぇぞぉ!!」
「シュルルゥッ!!」
「ほら、こっちだぜトカゲちゃん。手のなるほうへ、の大サービスだ。よ~く狙えよ?」
「シュルァッ!!」
「…………えぇ……何この矢……ヘロヘロ過ぎだろ……引くわ。止まった的すら射殺せないとか、その弓はどこで役に立つんだよ。才能ないから狩人辞めれば?」
飛来する矢を右手で掴み、バキリと折って吐き捨てる。
わざわざ足を止め、腕を広げて攻撃に身を晒し、それの対処をしてため息をつく仕草には…………リザードマンたちもカンカンだ。
…………凄いぞ、マグリョウさん。これでもかって程に煽りまくって。
それに込められたのは、単純にリザードマンを良く思っていないと言う彼の心と……もう一つ。
そうして挑発し、腹を立たせ、逆上させて。ようやく全力で殺しに来た相手を――――きちんと上から叩き潰して、力量差を思い知らせるつもりなのだろう。
何しろこれは、きっと狩りじゃない。モンスターを狩猟する戦いではなく、己のプライドをかけた、対人戦のような物だから。
だから、マグリョウさんは――――正々堂々、真正面から自分へと挑ませ、そのウワテを行く事で、奴らにどうしようもないまでにあけすけな敗北を叩きつけるんだ。
ああ、そうだな。間違いない。
何しろ俺は、マグリョウさんの友達で……とても気が合う者同士。
だからきっと、灰色の彼の考えは……俺ならわかる。俺だけにはさ。
◇◇◇
「――――ははっ! どうしたヒーラートカゲ共。癒やしの光の頻度が落ちてきてるぜ? まるで趣味の悪い置物だなぁ!」
「…………ッ!」
ひらりはらりと全てを躱し……ちくりぐさりと剣やボルトを刺し、当てる。
灰に紛れ、灰を操り、灰の手で奇襲を仕掛けるマグリョウさんは、まるきり怪我も負わないままで。
リザードマン側の背後に控えたヒーラーっぽいトカゲたちは、目に見えて息を荒くしている。二匹の内の片方は、座り込んですらいるぞ。
いよいよ限界が来たって所かな。
"癒やしのスペル" は、燃費が悪い。
それはプレイヤーたちにとって、周知の事実だ。
切り傷、擦り傷……火傷に中毒、果ては体の欠損までをも治し切る、どこまでもゲーム的な不思議の力。
それは湧き出る霊薬の如く、ヒーラーの手元から放たれて――――願った相手を、ふわりと癒やす。
そこに特別な条件や、俺のならず者のような大変なデメリットもなく、ただただ体を元通りに出来る物だ。
だから、とにかく燃費が悪い。
なにせそうまで万能の力だ、そうでなくてはたまらない……と言った所でもある。
「……さて。ヒーラーも息切れみてぇだし、そろそろ終わらすか。トカゲの小さい脳みそでだって、自分たちがどこまでも下らない三流だって事は……十分理解出来ただろ」
ヒーラーの魔力切れを確認したマグリョウさんはそう言うと、いよいよ "舐めプ" ではなく……きちんとした決着をつけようと、外套を口元まで引き上げる。
顔の下半分を隠すその姿は、彼が本気で殺す時のもの。
無駄話は終わりで、これからはひたすら命を奪うと決める、処刑人の目出し帽だ。
やっぱり、何とかなってしまった。まるで相手にならなかった。
強いな、【死灰】は。マグリョウさんは。こんなのもう、完璧に最強だろ。
……と言っても……最強は "プレイヤー" という範囲の中だけでの話だけれど。
あの日海岸に現れた規格外――――『リスドラゴン』みたいな存在は、一人じゃどうしようも出来ないし。
それに、この世界はまだまだ未知に満ちている。
まだ見ぬモンスターとかドラゴンだって、きっといっぱいいるのだろうから。
「……さぁ、無様に負け散らせ――――ッ!?」
ひゅば、と空気を裂く音がして、マグリョウさんの顔を『何か』が掠める。
そのまま揺蕩う灰をも斬り開き、とんでもない勢いで遠くの岩にぶつかって――――それを受けたとても硬そうな大岩が、大きな音をたてて爆散した。
…………あれは、槍だ。幻想の。
槍の形をした何かが――――エネルギーのような何かがが飛んで、マグリョウさんの頬に一筋の傷をつけたんだ。
「シ」
「……ジャ、ジャルァ……ッ」
「……シ」
「…………」
十四のリザードマンが、びくりと体を揺らし、大急ぎで道を開ける。
七・七に別れるその間を、静かにゆっくり、歩く影。
ヒーラートカゲの、その後ろから。
ケツァルコアトルスとかいうペットを残して、群青色の鎧を纏った槍持ち――――青鱗のリザードマンが、こちらへゆっくり歩み寄る。
「…………お前……」
「シ」
「……良いじゃん」
何か、通ずる物があったのだろうか。マグリョウさんがソレを見やれば、目を薄っすら細めて褒める言葉を口にした。
空の深い所のような、沈み込むような群青色。
大気を裂くように刺々しく伸びた突起のあるヘルム。
触るだけで怪我をしそうな、尖りまくった鎧。
ひと目見ればはっきりわかる、尋常ならざる鋭い槍。
青いオーラを立ち昇らせて、マグリョウさんへと近づくソイツは――――俺を攫った忌まわしき奴で、恐らく何かの『二つ名』を持つ……青鱗のリザードマンだ。
あの堂々とした立ち振舞。周りのリザードマンが取る態度。
その格別な装備に、青いオーラ。
そして、周囲の目を釘付けにするような……その身から溢れ出る、存在感。
確証はないけど、何となく思う。
【死灰】のマグリョウさんが、プレイヤー側の『最強』だと、するならば。
この青い鱗の槍使いは…………リザードマン側の、そういう存在。
なのかな、と。
◇◇◇
「……シィ」
「ジャア!」
「シュルァ!」
青鱗が小さいながらに一声かければ、リザードマンたちの背筋もぴんと伸び切った。
日本語にするなら『はっ!』みたいな感じだろうか。切れの良い返事。敬意のこもった、厳かな態度だ。
「シ……シュ……」
そして今度は、短く、連続で……陣形の指示。
聞いたリザードマンが足並みを揃え、素早く位置を変えていく。
それは、まるで一つの生き物よう。
先程のバラけた様子とは全く違う、ちゃんとした感じの配置についた。
……隙がない。仕上がった戦列だ。素人目に見たって、そうだとわかる。
これは……アレだな。奴らに足りなかった所が、埋められた気がする。
――――青鱗による、統率。
それを受け、個々としてではなく、全体で一つとなって動こうとしている。
「…………チッ、めんどくせえ」
俺より遥かに状況を把握しているであろうマグリョウさんが、イライラを隠さず舌打ちを零した。
…………まずい、のだろうか。
いや、まずいよな。
◇◇◇
『二つ名』と言う物は、様々だ。
【脳筋】のように単純な膂力をもたらす物から、【天球】のように器用さを底上げする物。
更にはリュウが持つ【腹切り赤逆毛】なんていう奇妙な物もあるし、俺の【七色策謀】とか言う……意味がよくわからない物まで、それはもう色々ある。
それは、生き様。選んだ生き方。そのプレイヤーを端的に示す、誰かによって呼ばれる呼び名。
しかし、それではまだ足りない。ただ個性的なだけじゃあ、二つ名は齎されない。
成した者だ。二つ名を戴くまでに必要なのは、何らかの功績だ。
ダンジョン・アタックでもいい。がむしゃらなPKでもいい。ひたすら面白い事をしたってのでもいいし――――『竜殺し』だったら、完璧だ。
Re:behindでの、何か大きな出来事を……した者。
何かを達成し、何かを極め、何かを乗り越えた者に与えられるのが、二つ名と言う物なんだ。
…………俺が思うに、あの青鱗のリザードマンはきっと、マグリョウさんよりは……弱い。
いくら二つ名持ちとは言っても、誰もが同じ強さではないし、『ペットに乗って空を飛ぶ』という青鱗の個性を考えるのならば、【死灰】と言う名ほど戦いに向く物でも無いのだと思う。
ああ、きっとそうだ。それをアイツは理解している。
だから、それをわかっているからこその、この指示……この戦術だ。
油断をせず、決して侮らず、自分の力をきちんと理解して。
自分側の能力を把握し、適材適所で並べ替え、とにかく勝ちを目指してる。
今出来る事、その全てをしてるんだ。
……マグリョウさんの気持ちもわかる。俺だって舌打ちしたい気分だ。
あの十四匹――――ただの怒り狂ったリザードマン共だけであったなら、何も問題はなかったけれど。
青鱗のリザードマンは、とことん冷静で、まともだった。戦う者の心得を、その胸にしっかり持っていた。
「……めんどくせぇけど、やってやる。【死灰】のマグリョウの本領を、その身で知れよトカゲ共」
でも。
それでもきっと、マグリョウさんなら……あの【死灰】の力を持つ彼なら、どうにかこうにか……勝てるだろう。
マグリョウさんは、まだまだ本気を出していない。持ちうる全てを使っていない。
彼の本域は、死に物狂い。それさえすれば……難はあれども、勝てると思う。
大変だろうけど……頑張れ、マグリョウさん。
――――――頑張れ…………頑張れ?
――――……いいや、違うな。頑張れ、じゃない。そうじゃないな。そうじゃなかったよ。
…………なぁ、リザードマン。クソトカゲ。
マグリョウさんをしっかり見つめて、油断なく武器を構える……総勢十五匹め。
お前らは…………何を見ている?
手には剣。体は万全。心はまるで折れてない。
意思は強く。頭は熱く。そうする理由も、腐るほどある。
――――――……最強の男の、持ちうる全て。
マグリョウさんが考えるそれらはきっと、スキルにアイテム……そして二つ名。そればっかりなんだろう。
だけれど、足りない。忘れているんだ。
ここに確かにもう一つ…………マグリョウさんに比べれば、酷くちっぽけで弱々しい物だとしても……それでも確かにここに在る事を。
手に持つ剣は、リザードマンから奪った盗品。
心に燃やすは、グツグツ煮えたぎった復讐心。
そうしてどこまでも "ならず者" らしい俺が持つ名は……。
俺がこの身に得た『二つ名』は……【死灰】の彼と共に戦う為の、俺の有様だ。
だから、立とう。共に行こう。
『頑張れ』じゃない、『頑張ろう』。
奮い立たせて、彼の隣に。
その欠けた所を、埋めるべく。
「……お、おい……サクリファクト…………お前は…………」
「マグリョウさん。俺はアンタの名を呼んだ。だから今度は、俺の名を呼んでくれ」
「……え……? お、俺の親友……サクリファク、ト?」
「そうっす。俺はサクリファクト。マグリョウさんの友人で……【七色策謀】【新しい蜂】」
「…………あ」
「――――そんでもって、【死灰の片腕】っす」
俺は、彼の片腕だ。マグリョウさんの……持ちうるものだ。
片手ばかりの力しか無いけど、それでも彼と共に在るものだ。
だったら、ここで立つのは道理。彼の役に立つのも道理だ。
ただ助けられるだけじゃない。互いが互いを必要として、互いを支える存在なんだ。
だから、振るうんだ。全身を。彼の片腕であるべく、体を守るべく。
……勿論、危ない時は、守って貰う。片腕だから、それなりに扱って貰うんだ。
そうやってそれぞれに出来る役割をこなして、どこへなりとも一緒に行くんだ。
これが俺の……世界が俺を呼ぶ【死灰の片腕】と言う二つ名への――――答えだ。
「そうか……そうか! ははっ! 良いな、それは良い!」
「ええ、良いっすね。って言っても、いつかのダンジョンみたいな事は……しないようにして下さいよ」
「ははっ! わかってるっての! まぁでも、無理はすんなよ。厳しくなったらすぐに後ろに――――」
「……マグリョウさん。誰に物言ってんすか」
「おいおい何だよ。ずいぶんな自信だな?」
「当たり前じゃないっすか。何しろ俺は【死灰の片腕】。『最強の男』の片腕ならば――――トカゲ如きは、片手間でしょう?」
「……はははっ! そうか、そうだな! ははっ! はははっ!!」
俺と、【死灰】のマグリョウさん。
先輩で、後輩で、師匠で弟子で――――――片腕で。
そして気の合う……友達なんだ。
一緒にやろう。共に戦うぞ。
これこそ俺が、この世界で得た力。
ただ守られる存在じゃない。助けて貰うだけじゃない。
横に並んで軽口を叩き、一緒にゲームをプレイする。
俺は。
最強の男と、共に在る。