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又八と梅子

作者: 肴

風が木々を揺らし、山も轟々と唸っている。

今夜はひどい吹雪になりそうだ。


トントンと山小屋の戸を叩く音に、猟師の又八は囲炉裏から腰を上げた。


表の戸を開けると、美しい女が今にも気を失いそうな様子で立っていた。

人里離れた山奥の小屋に、このような美しい女が訪れることなど……。


物の怪の類か、もしくは……。


又八は不審に思いながらも、女を小屋に入れ、囲炉裏の前に座らせ、雪を払ってやった。


「おめぇ、大丈夫け?名前は?」


女は咄嗟に思いついた名を言う。本名はとうに忘れてしまっていた。


「梅子にござぃます。」


梅子と聞いてギョッとしたように、又八は目を丸くする。


「お、おめぇ ほんとうに梅子け?」


「はい、梅子です。」


「それにしてもその姿は……。」


又八は、幽霊でも見るような目で女を見つめていた。


「ええ、ほんとうに梅子です。あなた、まさかお忘れになりましたか?」


「いんや!忘れるわげねえだ!生きとっただか?!えがった、えがった。でも、なしてそんな……。」


又八が疑いの言葉を口にする前に、女は又八の手を取り、それを自身の豊満な胸にグイと押し当て、言った。


「ほら、触れるでしょ?幽霊ではありません。ずっと、あなたの事を考えておりました。あなたに会いたくて……。」


黒い瞳は潤んで、又八を捉えて離さない。

又八も女を見つめる。手は胸に置かれたままだ。


すると又八は、何を思ったか、女の胸をコショコショとくすぐり始めた。


うぶな男と買い被っていた女は一瞬驚いたが、又八の好きにさせた。


「ウフフ、くすぐったい……。」


又八の手は、胸を掴むでも、揉むでもなく、衿から手を滑り込ませるわけでもなく、コショコショとくすぐるような動きを繰り返すだけだった。


しまいには耳の裏を掻いたり、頭を撫でつけたり、鼻と鼻をくっつけたり、男女の睦ごととは程遠い行為が続いた。


女は又八の出鱈目な愛撫に耐えきれず、ついに笑ってしまう。


「きゃーあははは、くっくすぐったい。ちょっと、やめて……きゃーーたすけてー、あっ……あ……いや ふぅ んっ ……。」


又八は、脱力した女を満足そうに眺めた後、自分も横になった。


「あぁ、めんごい、めんごい、おらの梅子。帰ってきてくれて、ありがとごす。」


と、言い、女をギュッと腕の中に抱き寄せた。そのまま又八は、コクリコクリと眠り始めた。


女が腕の中から見上げると、安心しきって寝こけている又八の顔が見える。


無垢な男を騙していることへの罪悪感が、フツフツと湧いてくる一方で、このまま梅子として、又八と暮らすのも良いかもしれないという気持ちになる。


女は盗賊として生きてきた。人を騙すことを生業としてきた。こんな風に優しく抱かれたのは、生まれて初めてだった。


囲炉裏がパチパチと火の爆ぜる音を立て、薄青い小屋の中に、橙色の輪を作る。


暖かさに包まれ、世は更けていった。





翌朝、又八が目覚めると、腕の中で寝ていたはずの梅子の姿が無い。


「なして……なして……。」


昨晩の梅子は、やはり幻だったのだろうか。

自分を哀れに思い、女に化けて出てくれたのだろうか。


又八は、顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、小屋から飛び出した。


すると、足元に見慣れた茶色い毛玉の生き物が、すり寄ってきた。



梅子だった。



鹿を追って山に入ったきり、半月戻って来なかった猟犬の梅子は「ワン!」と、一声鳴くやいなや、嬉しさの余り又八に飛びつき、鼻や口をベロンベロンと舐めまわした。


又八も

「ほんにえがった。もうどこにも行かねぇでけろ!」と、梅子を抱きしめ、心の底から安堵した。


その後、又八は、いっそう梅子を可愛がり、梅子も又八の側を片時も離れることはなかった。




ひと月ほどたったころ、又八は町の歌川国貞子という浮世絵師の元を訪れていた。又八と歌川国貞子は旧知の間柄だった。


犬の身体を持つおなごや、おなごの身体を持つ犬を描いて欲しいという又八からの切なる依頼に、歌川国貞子は嬉々として筆を握った。


そして完成した艶本は、題目を『獣愛画』とし、絶大な人気を博した。そればかりか、江戸の穴という店から飛脚で全国に流通し、当時のベストセラーとなった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 初めまして。 青瓢箪と申します。 皆さんがおっしゃっているように日本昔ばなし、の雰囲気が伝わってきました。 恩返し、的な。 エジプトの神様のような感じで、人間の体に動物の顔は不思議ですけど…
[良い点] 下ネタ短編であることをすっかり忘れる物語。寓話的というよりは、日本昔話的な物語構成と引きが魅力的。
2016/12/07 00:00 退会済み
管理
[良い点] 寄稿ありがとうございました。 おお、純和風。これは今までの寄稿作に無かった文体で、まずそこでグッと興味を引かれました。 読んでみるとやはり雰囲気がちがい、最後まで読みギミックに気が付くと…
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