数多の星よりただひとつ
「あー、やっぱ、こっちの方が星が近くに見えるなー」
とある地方都市の観光名所としてもそれなりに名のある高台の公園で、ひょろっとノッポな若者が、真夏の夜空を仰ぎ見ながらそんな事を言う。
「数だけならあっちも相当なもんなんだが……違いを感じるねー」
そう言いながら片手を天へと伸ばし、空の星を掴もうとするかの様な仕草をとる。
いかな長身でも地上から空の星は掴むことは出来やしない。
だが若者に浮かぶ無邪気な笑みには、そんな不思議も叶えてしまいそうな、奇妙に惹き付けるなにかがあった。
「……そんな事しても星は掴めませんよ」
雰囲気をぶち壊すかのように、若者の背へとかかる声。
「安里ぉ~。夢のない事言うなってー」
苦笑しつつ振り返って声の主へと言葉を返す若者。
その視線の先に居るのは、いささか不機嫌な表情をした少女である。
対比先が長身の若者であることから、その体躯の小柄さがひどく目立つが、やり取りから察してそう歳も変わらないだろう。
「……夢ばかり追いかけてる先輩と違って、女は現実的なんです」
安里と呼ばれた少女の言葉は辛辣だった。が、わざわざ選んでそういう言葉遣いをしているのだと、この二人の関係を知る者ならば判った事だろう。
もちろん、言われた側の若者にもそれは理解出来ており、
「……安里ぉ、なんか言い方きつくない?」
苦笑いに困惑の味を混ぜながら言葉を返す。
そんな彼の言い方か、それとも態度が癇に障ったのか、安里は不機嫌さをさらに募らせながら、
「……自分の胸に聞いてください」
言葉を吐き捨て、若者の視線から顔を逸らす。
安里のつれない厳しい態度から、若者は自分のこれまでを胸のうちで振り返る。
この春、高校を卒業して希望していた関西の大学へ無事進学。
そこで同じベクトルをもった多くの仲間と出会い、日々を過ごすのが楽しくて仕方なく、自然と安里との連絡も途絶えがちになっていた。
勿論たまの連絡で今どんなことをしているのとか、連絡が取れにくくなっている理由なんかを告げてきたつもりだったけれど、安里には不満だったのだろう。
そう結論付けた彼は、
「……えーと、悪かった。忙しさと楽しさににかまけて安里のことないがしろにしてた。すまん」
思い浮かんだ反省点をかえりみつつ頭を下げる。
が、肝心の安里からの反応はなく、下からそっと覗き見するようにしながら、
「安里、さん? 朗子さん?」
この数年口にする事も無かった彼女の下の名を呼んだりして反応をうかがいながら、若者は安里とのことを思い返す。
――朗らかな子。
子供の頃の安里朗子は名前の通り屈託なく良く笑ってて、いつも自分の後ろをついて来てたひとつ下の幼馴染。
名前を呼ばなくなったのは中学に入った頃だったか。
安里が自分の事を名前で呼ばず、"先輩" とか言い出してからだ。
幼馴染という関係から距離をとりたい、そういう年頃になったのかと納得してそれに合わせてきた。
妹みたいに思ってたから、兄離れは少しばかり寂しい気持ちになったものだ。
ずっと同じ学校に通って普通に先輩後輩として接してきた。
高校で自分が生徒会長になったときは "会長" って呼ばれていた時もあった。
安里が自分のあとを継いで生徒会長になったのには驚いたものだ。呼び方はまた "先輩" に戻ったっけ。
そんな関係がまた変わったのはこの春の卒業式。
卒業式の最中での突然の告白。
ずっとずっと想い続けていたことを告げられ、自分も元から憎からず思っていたのと、場のムードに乗せられて告白を受け取った。
彼氏彼女の間となり、関西へ移るまでの短い間にデートらしいこともしたし、とりあえず口付けまでは済ませた。
旅立つ際に約束した、連絡はまめにするも時間がとれたら帰ってくるも、結局守れてなかった。
"うん、そりゃ安里も怒って当然だよな。
けどな、本当楽しかったんだよな。時間がいくらあっても足りないくらいに。
そこら辺を安里に判ってもらうには、一体どう説明すればよいのやら……。"
などと、若者が回想していると、安里がゆっくりと彼の方へ向き直り口を開いた。
「やっぱり、遠距離って上手くいかないものなんですね……」
どこか諦めた気持ちがこもった口調で語りだす。
「先輩はあっちで知り合った人たちと毎日楽しくやって、こっちの事なんかすっかり忘れて連絡もしてこない。忘れたついでに綺麗な女と仲睦まじげにしてましたし」
「いや待て待て待てっ。毎日面白おかしくやってたのは否定しないし連絡し忘れていたことも言い逃れはしない。だが綺麗な人と、って」
安里の言葉に若者がすごい勢いで突っ込むが、安里は動じず携帯を取り出し何かしら操作したあと、ある画像を映したディプレイを若者へと突きつける。
そこには同年代の仲間たちと楽しげに画面に納まっている若者が映し出されていた。
ただ若者には思わず目を惹く艶やかさを持った美女が、衣服の上からも豊満だと判る胸を押し付けるようにしなだれかかっていた。
「そ、それはっ」
若者が言葉に詰まると、安里は無言で画像を次々と表示させていく。
いずれも若者と仲間たちの集合写真だが、どの画像も若者の傍にはくだんの美女が居り、抱きついてたり、腕を組んでいたりと、それはもう仲の良さが窺えるようなものばかりであった。
「数少ないメールに添付されてた画像、楽しそうにやっているのを教えてくれるのは嬉しかったです。けど、彼氏が綺麗な女の人と仲良さそうにしている写真、送られてきた私の気持ち、考えてくれたこと、ありますか?」
キッと睨みつけてくる安里の両目にはうっすらと光るものが。
「向こうで好きになった人が出来たのなら、察しろよって言ってるみたいな画像なんて送って来ないで、ハッキリ別れたいって言ったらいいじゃないっ。どうせあんな風に告白されたから、勢いで付き合うことにしただけなんでしょ? ……大型連休にも帰ってこない、夏休みになればと思っていれば、やっと帰ってきたのはお盆も過ぎてから、しかも三日もしたら向こうに帰るとか、こっちが嫌になってるのなら無理して戻る事なんてない、ずっとあっちに居ればっ? その方が楽しいんでしょ? も、そうしてなさいよっ。嫌々帰ってこられるくらいなら会わない方がまし!」
あふれ出てくる感情を堪えきれなくなったのか、おそらくはそれが素なのだろう、先ほどまでの丁寧な口ぶりから砕けた物言いになる安里。
両の目からこぼれ出るしずくは、もう止まらず頬を伝い流れ落ちていく。
それは違う。
若者はそう言いたかった。
けれど、色々と誤解している上に感情がオーバーフローしている今の安里が聞き入れてくれるかどうか、そもそもちゃんと説明出来る自信もない。
写真の美女は大学の先輩で、色気はあるけど色っぽい話のない人だとか、付き合ってる娘がいると話したら、からかうためにわざとああいうポジションで写真に写ろうとするのだとか、今の状況で言っても安里は絶対に信じたりしないだろう。
――あぁもうっ、恨みますよ華子先輩。
若者は胸の中でトラブルの原因である女性の名を唱える。
その瞬間、小憎らしい笑顔とともに、華子と呼ばれる女性と交わされてきたあれやらこれやらが頭の中でリピートされ、その中のとある記憶がクローズアップされた。
「読んどきなさい、絶対におもしろいから。むしろ読まないでいたら、創作活動志す者として、あんたの人生損するよ」
そう言って薦められた古い少女マンガが思い出される。
"華子先輩と同じ名前の、色んな意味で凄いキャラが出ていて、そういえばヒロインは今の安里とおんなじように依怙地だったっけ"
若者は場を収める方法を見つけたような気がした。
上手く行くかは判らないし、成功してもしくじっても、気恥ずかしい思いをするのが間違いないことは確かだったが、若者は躊躇う事無く実行する道を選ぶ。
恥掻くは一時。
だけどここで何かせずにいて、安里朗子を失うこと、それは絶対に嫌だった。
理由はシンプル。彼が彼女を心から愛おしく想っているから、ただそれだけ。
踏み出すきっかけを作るため深く息を吸い込み、涙と嗚咽をバリアにして殻にこもる安里へ声をかける。
「――悔しかったら」
大きくはないが強い響きを持った声は、聞く耳持たずの態度をとっていた安里にも届き、若者へと視線を向けさせた。
安里が自分へ気を向けなおしたのを確かめてから、若者はすっと両手を広げ、
「悔しかったらここまでおいで」
憎らしいまでの爽やかな笑顔でそう言い放つ。
言葉を投げかけられた安里は、一瞬全ての思考や感情がすっ飛んだ。
それから、胸の底からあれやらこれやらが混ぜこぜになった想いが湧き上がり、それに導かれるまま若者の胸の中へと飛び込んでいった。
「京ちゃん京ちゃん京ちゃん京ちゃん、わあぁぁぁん」
若者の名なのか、それを連呼しながら泣き続ける安里。
そんな安里の頭を優しく撫でながら、上手くいってよかったーっと、星空を見上げながら安堵の表情を浮かべる若者こと京ちゃんであった。
しばらく好きなだけ泣かせてやり、安里が落ち着いたところを見計らい、若者・京ちゃんは口を開く。
「安里に名前呼ばれたのも久しぶりだなー」
屈託のない笑顔でそう言うと、胸に抱えられたままの安里は顔を赤くする。
「……おまえがさ、どんな風に思ってんのかわかんないけど、俺はお互いに名前呼び合ってた子供ん頃から変わんないんだよ」
柔らかい京ちゃんの言葉に安里がそおっと顔を上げ、それの意味するところをうかがってくる。
そんな安里と視線を合わせた後、顔を上げ満天の夜空を仰ぎ見つつ、
「大きいのから小さいの、明るいのから暗いのと、夜空に星はいっぱいあるけどな、俺にとっちゃおまえって存在は、他のどれよりも一際輝いてる星な訳。代わりなんかないし、替える気だってない」
照れくささを含んだ声音で言って、それからまた視線を安里へと戻し、
「昔も今もおまえの事、大好きだ」
偽りのない誠実な眼差しで見つめ、そう言った。
「……京、ちゃん」
安里の顔が歪みだす。
でも、今度は寂しさや悔しさからではなく、たまらないくらいの嬉しさからなのは言うまでもあるまい。
再び涙を流しだした安里をあやしながら、京ちゃんはどんな風に華子先輩や仲間たちの事を話そうかと思案しているのでありました。
数多の星よりただひとつ、他のどれでもない君だけを求む。
遠距離恋愛は距離と一緒に心も離れると申しまして、
そこへ連絡が滞ったりなんかしたら、こりゃあもう、破局は近い?
そんな風に思い悩む彼女とそんな事ちっとも考えちゃいない彼氏のすれ違いから起きる、他愛のないお話でした。
少し前まで書いていた一人称の作品に引き摺られて、三人称がかなり怪しいです(苦笑)