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国と小さな相乗思考


 ビルを出た。遠くの空が青味を濃くしていた。深い夜に落ち込んでいく。

 時計を持ち歩けばよかった。連絡する相手もいないからと携帯電話も常備していない。


「・・・・・・お前は、なんで殺して欲しいんだ」


 背負った少女に問いかける。おぶって欲しいといわれたので背に乗せた。顔も見るのが気まずかったから、断れなかった。


「私の身の上話に焼き砂糖の一グラムほどの興味もなかったのでは?」

「・・・・・・悪かった。聞かせてくれ」


 無愛想な態度を取ったことを根にもっていたようで、謝ったら満足そうに少女はふんすと俺の腰を踵で蹴った。小突かれたのも兎角、少女の成り立ちが気になったのは本当だった。

 殺して欲しいと訴えかけ、死ぬのが怖いと脅える少女の存在について、知りたくなった。


 どこに行く宛もない。家に帰る以外の選択肢がなかった。足を住宅街に向ける。

 バババは一度も襲撃してこなかった。俺たちを見失ったのだろう。この瞬間も探しているかもしれない。けれど、注意力をそっちには裂かずに、俺は少女の話に聞き入った。


「私の本名はフリーデン・フライと云います。フラウは愛称です。今年で十歳になります。好きなものは母の作るエッグトーストです」

「・・・・・・」

「嫌いなものは外務大臣の息子さんが飼っている大きな犬です。ヴュルディッヒは黒いし、子どもの頃には私が乗ってとっても怒ったことがあります」

「・・・・・・」

「でも良いところもあるんですよ。私の靴が隠されたら、一番に探し当ててくれるんです」

「それ、関係あるのか?」


 聞き入っていた身の上話に口を挟む。


「何がですか?」

「お前がテロリストに追いかけられたりピストル持ちながらこんな場所にいることと」

「直接はありません。ひゃあぁ! ちょっと、落っことさないでください!」


 地面に尻餅をついたフラウが拳を振り回していた。


「重要なことだけ話せよ」

「・・・・・・わかりましたよ。急に強気ですね。とりあえずおぶってください」


 再び背負う。ビル街は通り過ぎた。ピストルは背中の少女が持っている。


「先程のテロリストが言っていたように、私はこの国の第一皇女です。私の父が、あなたのような人殺しを生み出しました。大量殺戮を認可する法を制定した張本人です。国のトップにいる父は、世界中の常識に反論された科学的根拠しかない論文を認めました。昔も今も、父の独裁国家ですから、幹部の皆さんは逆らえませんでした。そうして、国の新たな法律のせいで、潜在的な虞犯者が水道水を汲むような気楽さで他人を襲い始めたのです。国民は秒針が進むたびに減りました。快楽者が弱者を殴り、復讐者が快楽者を殴る。メビウスの輪が出来上がってしまいました」


 フラウの唇を噛む音が聞こえる。


「国が崩壊するのに、時間は必要ありませんでした。テロリストが立ち上がり、国家軍にテロリストが内戦ののろしを国のお膝元で上げたのです。当時私は王宮の中にいて、家族も一緒でした。こんなことを言うのは誰に対しても失礼なことは承知していますが、私はテロリストの皆さんが勝ってくれればと思いました。だってそうじゃないですか。いつ何に脅かされるかわからない生活なんて、私だったら怖くて泣き出しそうです。けれど、軍は負けてくれませんでした。王宮にまでテロリストの手は伸びてくれませんでした。何故だかわかりますか?」

「そりゃあ、訓練した軍人のほうが強いだろう」


 テロリストとはいえ、元は民間人だ。兵法を学んで統率の取れた軍隊の方が強い、と思う。


「何にも知らないんですね。それもありました。ですけど軍人も一般的な人です。ヒーローや超人なんかじゃありません。たとえ強くても、数の暴力には敵わないはずでした。テロリストは国民の半数以上で王宮に乗り込もうとしましたから。ですが・・・・・・その十分の一ほどの軍が、圧倒的勝利を掲げて終えました」

「・・・・・・指揮官が有能だったのか?」


 桶狭間の戦い。頭に浮かんだのは、人数的弱者が勝った日本の情報戦についてだ。相手の位置を把握することで、地形の利さえも生かして兵力差を埋める。

 テロリストが王宮に攻め入ったらしい。篭城する軍のほうに分があることは自明だ。何しろ城なんだから。攻められた時の戦略なんて何十通りと考えられていただろう。


 そう説明してみたが、フラウは違うと首を振った。緑の髪がうなじをくすぐる。汗でこびりついた毛先だった。しばらく洗えていないのかもしれない。


「そんな頭を使った戦法じゃありませんよ。兵力に差があったのです」

「うん? だから、それは軍が少なかったんだろ」

「軍が少なかったのは人数差です。――幸一さんは日本から来たのでしたら、この国の為替がどのような状態にあるのかわかっているでしょう?」


 為替。日本円とこの国の通貨をトレードしたときの比率は、外から見れば笑ってしまうほどだ。


「幸一さんは華僑の人ですか? 私はよその国のお金を知らないのでわかりません」


 教えるか躊躇い、嘘を吐く理由がないと判断する。


「日本でニリトッルのペットボトル一ダースを買うお金で、家が買える」

「・・・・・・ぐすっ」

「・・・・・・」

「日本人だったんですね。失礼しました。とにかく、それほどに、この国の通貨の対外的な価値というのは下落しました・・・・・・どん底と言っても差し支えないでしょう。この国でテロを起こす人は、この国に住んでいた人たちです。そしてこの国で生きてきた人の大多数は、この国の通貨しか持ち合わせていません」


 それが普通だろう。俺だってこの国に移住しようとするまで通貨は円しか持っていなかった。


「国民が銃を持つことは許されていませんでした。けれど、テロを行うにあたって必要となったのです。だから買い付けなければいけません。銃を持つ海外諸国から・・・・・・。もう、お分かりでしょう」


 俺に答えを投げかけたフラウの声は試すための尊厳のあるものではなく、言いたくないことを濁した悲痛なものだった。それだけに戸惑った。この少女がどれだけ大きなものを背負って生きているのか測ることができなかったから。


「テロリストたちは、外国から武器を買うお金がなかったんだ。正確に言えば、自国の通貨の価値が下がり過ぎたせいで、それまでの数百倍の値段に高騰した」

「正解です。王宮前に集まったテロリストのほとんどの人は素手でした。武装蜂起とは名ばかりです。あの最初の集会は、傍目から見ればデモや集会に近いものだったでしょう。ですが、その場にいた全ての人が、蹂躙されました」


 異常だ、そう思った。そう人として考えることを、俺は忘れてしまっていた。


「国民の半数を、父は殺したのです。政府内の勇敢な反駁さえ取り締まり、機能しなくなったにも関わらず、装飾に拘った椅子の上で父は調印所を守っています。人が人を殺すことを容認する出鱈目な法律を認める紙切れを!」

「・・・・・・っ」


 背中を、これでもかと強く叩かれた。けれど泣き声は上げられなかった。それに耐えている少女が背にいるのに、その出鱈目な法律の中で踊っていた俺なんかに、共に泣く資格はない。


「ん? もう一個聞いていいか?」

「・・・・・・はい、なんでしょう」

「お前は口ぶりからしてあの法律があるのが嫌なんだよな?」

「当たり前です。どんな状況にあったところで、人が人を殺すだなんて許されてはいけません。ましてや、許すのが人だなんて傲慢を通り過ぎて愚者の行いです」


 実の父に対してなんたる言い草だろう。けれど聞いている限り王が善人だとは思えない。それには触れず、聞きたいことだけを尋ねる。


「じゃあなんでテロリストと手を組まないんだ?」


 今度は、フラウが黙る番だった。


「テロリストと手を組んで、人質のフリでもなんでもやれば法律が変わるかもしれないんだろう。死ぬだなんて――無駄死にもいいところじゃないか」


 自分だけがテロリストみたいに立ち向かわず、現実から逃げようとしているんじゃないのか。問いただす気持ちは、背中の痛みが霧散させた。


「・・・・・・それには、深い理由があるのです」

「どんな?」

「・・・・・・私は、国境を越えなければいけません」

「なんで?」


 俺がそう尋ね返すことを予め予期していたのだろう。

 フラウは、一瞬の戸惑いも見せずにその無情な事実を答えた。


「母と弟たちを人質に取られているからです。父に」


 言葉は出なかった。

 フラウの現実は、実のない虚無な言葉で包めるほどに優しくない。ハリネズミのように、外界の全てを相手にして生きていくしかない過酷なもの、だったのだろう。


「私が隣国へ、テロリストへの助力をしないお願いをする国書を持っていかなければ、家族が死んでしまう。だから私はテロリストに捕まってはならなかったのです。私は民に生かされてきた王族です。でも家族が大事です。家族の方が大事です。だから、国境を渡るつもり・・・・・・でした」


 この国のテロリストの現状を、俺は知らない。けれど、その助力とやらによっぽど助けられているんだろう。でなければ、王がわざわざ扱える大事な駒を国の中に野放すわけがない。

 フラウの声は、鉱石のように硬い意思を持っていた。誰かを思う宝石のように輝いていた。

 小さな体が抱えていた大きな心は磨り減って、その光は、消えた。


「ですがそれも疲れました。ここから国境まで、歩いて歩いて、足がなくなるまで歩いても辿り着けないことに気付いたときに、あなたがいたのです。皇女としての体まで焼き払ってくれるあなたなら。私の存在を消し去ってくれるなら、私はあなたに殺してもらいたかったのです」


 綯い交ぜの、涙声だった。


「失敗しちゃいましたけどね」


  ――――


 生きた人間を背負いながらだと牛歩になる。家に帰ったときに夜は深みのピークを迎えていた。疲れたしそのまま寝ようとよぎった考えは頭からゴミ箱に捨てる。フラウを勝手に連れてきておいてそんなことは許されないだろう。

 木の椅子に座って足を投げ出したフラウが、コップに満タンに入ったお茶を、喉をごくごくと音を鳴らして飲み干した。喉仏がないのは、年齢が二桁にもなっていない女の子だからだろうか。


「幸一の家ですか。どうして私を連れてきたのでしょうか」

「なんとなく」

「そうですか」


 それ以上の追求はされなかった。身の上話を興味ないといわれたフラウは、こんなもどかしい感じだったのかもしれない。口が不自然に波打つ。


「喋りたいのでしたらどうぞ。仕方がありませんから、私が聞いてあげましょう」

「・・・・・・別にいいよ。とりあえず、服出してやるから、それに着替えろよ。そんなボロっちいのじゃ風邪ひくだろうし」


 タンスから適当なのを見繕う。けれど、もう十八になる俺の体格と、通えていれば小学生のフラウでは服が余りに余った。袖を切り落としたり裾を縛ったりしてなんとか合わせる。


「まるで海賊みたいです」

「おたまやるから眼帯にしとけ」


 受け取ったおたまを魔法のステッキみたいに振り回していた。やはり、子どもだと思う。冷蔵庫には開け差しのヨーグルトがあった。買った覚えがない。消費期限が切れてないから食えないことはないだろう。スプーンと一緒にフラウに渡す。


「いいの?」

「俺はヨーグルトなんか食べないから。他にも何か作ってやるよ」

「・・・・・・優しいのですね」

「そんなんじゃねえよ」


 違うんだ。

 わかっていた。優しさなんて尊いものが、俺の中に残っているわけがない。

 これは今更に胸を締め付ける罪悪感に対する罪滅ぼしだ。


 人殺しでひとでなし。そんな俺が人であるみたいに振舞うために必要なのは、困っている子に手を差し伸べるという偽善的な行動だけだ。


 野菜炒めを作る。棚の下から新鮮なキャベツや人参やらを取り出し、水洗いしては細かく切る。こどもは野菜嫌いが多いけれど心配ないだろう。嫌いなものは犬とか言ってたし。


 油の跳ねる音に混じって、地震で家具が倒れるような音が部屋に木霊した。でもここは日本じゃないから地震も起きないはずだ。


「ぶっ」

「おい! どうした!?」


 リビングでフラウが倒れた。額を触るが熱はない。どこかで音楽がながれている。ブレーメンの笛で倒れた子どもを浚うのかとフラウを抱く。


「い、痛いです幸一」

「どうした? 具合悪いのか?」

「いえ、違います。ただ、おなかが痛くて、大変です盲腸です手術です注射は嫌です」


 落ちたヨーグルト。少し舐めると、静電気のような痛みが舌の上を這った。慌てて吐き出す。

明らかに腐っていた。


「最初の一口でわかりやがれ! 半分も食いやがって――トイレ連れて行くぞ」


 フラウを抱えてトイレに投げ入れる。たかが十歳とはいえ一応女の子だからな。手伝いの名目だとしても一緒に入るのはまずいだろう。


 しきりに音楽は鳴り続けた。二階から鳴ってくる音は、携帯しかない。俺の携帯番号を知っているのは日本にいる家族かコンビニ店員だけだ。

 時刻は午前三時。起きているのは・・・・・・いつも寝不足そうな彼女だろう。

 

 しくじった。


 慌ててトイレのドアを開ける。フラウは腰が砕けたカンガルーのように倒れていた。どことなく刺激臭が漂っている。


「ベッドに寝かせる、抱えるぞ」

「・・・・・・からだが、しびれます」


 しがみつこうとしたのだろうフラウの腕は、俺の服に皺を作る力もなくぶら下がった。

 階段を駆け上がった先の二階の俺の部屋にはバッドやマッチがそこらへんに散らばっている。


「くさい、です。かんきをしなきゃ、つむじからもやしが、生えますよ」

「生えるわけないだろ。ここで寝てろ」


 カーテンを閉めてから、呼び出し音が鳴り続ける携帯を取り上げる。

 表示されていた名前は意外でもなんでもなく、バババだった。


「もしもしバババか?」

『家に帰って来るのが遅かったのね。その間に、家に爆弾を設置した。ヨーグルトは消費期限切れのものを冷やしておいた。トレイの消臭剤には神経毒を混ぜておいた。スナイパーライフルを持った援軍も、十分もすれば到着する。フラウ皇女をこちらに渡しなさい。そうすれば、幸一くんも命は取らないであげるわ』


 ツーツー。


「どうしました幸一」

「いや、なんでも。・・・・・・あ、もしもしバババですか」

『ババアじゃないって言ってるでしょ! 覚えておきなさい幸一くん。アラサーはお姉さんよ。いい、輪唱なさい』

「・・・・・・そんなことより」

『いいから繰り返しなさい! はい!』

「・・・・・・絵尾さんは現役です」

『わかってるじゃない。それで、フラウ皇女を渡す気になった?』


 こんの夜型アマ。有利だからってちょっと調子付いた雰囲気醸し出しやがって。


「それより、解毒剤はあるのか?」

『持っていなかったら交渉にならないわ』

「こいつの父親が、こいつの家族を人質にしてるの知ってるのか?」

『知ってるわよ。私たちもそれでフラウ皇女と手を組む誘いをかけたのよ。けれど断られたの』

「だから武力行使か」

『何を善人ぶっているのか知らないけれど、人殺しが練った正論を聞いたところで判断を覆す気はないわよ。あなたの家の構造だって、何度も入ったから知っているわ。隠れる場所も逃げる場所もないわよ』


 そのとおりだろう。家の前は背丈の低い一軒家ばかりで、裏手は川になっていてどちらも見晴らしがいい。家に帰ってきたタイミングで電話をしてきたということは、どこからか見張っているのだろう。

 ・・・・・・待てよ。わざわざ外から見張る必要もないのか。携帯の電話口を布で塞いで、ベッドの上のフラウの耳元に近づく。


「ち、近いです幸一。わ、私はまだ十歳にもなっていないので法律でそういうことは禁止」


 顔が赤い。医者に見せなきゃ死ぬような類の毒だろうか。バババはフラウを殺す気はないらしいから、おそらく安全だろう。フラウも、さっきより元気になったのか饒舌に喋ってるし。


「ませガキ。俺が合図したら大声を出してくれるか?」

「・・・・・・構いませんが、どうしてでしょうか」

「おそらくだが、バババは家の中にいる。俺たちをどっかから見張っているはずだ。だから人質にしたお前の叫び声が電話の向こうでも聞こえれば、バババも近くにいることがわかる」

「なるほど。それじゃあ私は何を叫べばいいのですか?」

「悲鳴でいい。俺が頷いたら頼む――毒は本当にあるのか? 年くってボケてねえだろうなバババ!」

『持っていなければ交渉にならないでしょう。それと、次ババアと呼んでみなさい。私は毒殺専門だけど、体術だって馬鹿にしたもんじゃ――』


 頷く。フラウが大きく息を吸い込んで、掛け布団が大きく膨らんだ。


「犯さないでえええええええええええええええええええええええええ」


「お前何ふざけたこと抜かして!」


 悲鳴を上げろとは言ったが、それで誰かが通報したらどうするんだ!

 暗闇の部屋。ベッドに動けない少女。部屋にはバッドやライターといった特殊プレイ器具。


 階段を駆け上がる音が聞こえた。日本でよく聞いた、母親が俺を怒鳴るときに聞こえてくる足音そっくりだった。結果オーライだ。頭を振る。雑念は消え去れ。

 勢いよくドアが開く。俺はバッドを構えた。


「ちょっと幸一くん! 人殺しだけじゃ飽き足らず子どもをお・・・・・・かしているわけじゃなさそうね」

「そんな趣味はないからな。しばらく眠っとくか、縛られるかどっちがいい?」




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