横崎さんちの娘さん
こんにちは!ワセリン太郎です!安酒を混ぜ混ぜしちゃって二日酔いです!頭が痛い!
あのバカ、やりやがった――!?
ミストのドロップキックを喰らい、勢い良く数メートル吹き飛ぶ“お姫様”。
水を打った様に静まり返る場内。両手でブイサインを作り、誇らしげにドヤ顔を見せるミスト。キアは白目を剥いて泡を吹いたまま、「お……あつ……まりい……ただ……き……」と何かブツブツ言っている。暫く間を置いて、魔属の女性の誰かが叫んだ。
「な、なんという事を!?ひ!姫様が!!姫様がやられた――!」
一気に騒然となる現場。
「な――!なんて卑劣な!!」
「これだから神属というヤツは!!」
「許せない――!仇を!仇をとりましょう!!」
魔属の方が常識的に振る舞うとはどういう事か?もはやどちらが”悪魔”なんだかわからない。
じわり……向き合う神属魔属、両陣営に殺気が充満し、緊張が高まる。やばい……
俺は大きなジェスチャーで双方を制しながら倒れたキアに素早く近付き「おい!キア、大丈夫か!?しっかりしろ!」と頬をポンポンと軽く数回叩くが……彼女は半笑いの表情で「本日はお日柄が云々……」と呟いており、正常な意識の回復は見込めない様子。
仕方なく助けを求めてタンカを呼ぶと、彼女はそのまま救護班の手で医療テントへと搬送されて行った。
魔属の医療班の女性によると、「姫様はかなり頑丈なので……まあ暫く寝かせておけば問題ないでしょう」との事。
すると次の瞬間だった。再び天界側から歓声が上がる。振り向くと、中央でレアに肩車をされたエイルが拳を高く突き上げて何かを叫んでいた。
「今日!この時!悪の首領は倒れました!!今こそ永年の決着を付ける時!!皆さん、行きましょう!魔属のボンクラ共を一掃して地上に愛と平和を取り戻すのです!!戦乙女隊進軍!!そして巨乳死すべし――!!死ね!!」
何か最後の言葉はあからさまな私怨が混ざっているような気がするが……その号令を切っ掛けにして勢い良く突撃を開始する両軍、始まる合戦。双方混ざりあい、滅茶苦茶に殴り合っている。
そして次の瞬間、激突して入り乱れる両陣営の中に天高く放り出されたエイルの姿が見えた。アーメン。
土煙を上げながら混戦の中心が少しずつ川の方に移動してゆく。神属、魔属を問わずに……皆一様に嬉しそうににボコボコと派手に殴り合っており、もしあの中に放りこまれたら”確実に死ねる自信”が俺にはある。
背後からは大家がギャハハハ!と大声で笑う声、朝っぱらからビール片手に随分とご機嫌だ。
ため息を吐いた俺がふと、巻き上がる埃の過ぎ去った地面を見ると……そこには大勢に踏まれ、地面にうつ伏せに倒れたエイルの姿が。
紺色のジャージの背中には大量の靴跡が付いており、小刻みに痙攣した姿は皆に軽く数十回は踏まれたであろう事を物語っている。
トレードマークの大きなメガネも何処かへ飛んで行き、髪の毛も砂まみれで爆発、目も当てられない状態だ。慌てて駆け寄る俺。
「おい!エイルさん?大丈夫?生きてる!?死んでないよね!?」
暫く揺すっていると、車に敷かれたカエルの様になっていた彼女は呼びかけに反応してピクリ!と息を吹き返した。
「ううっ、興奮したレアさんにゴミみたいにブン投げられました……これだから巨乳は嫌いなんです……」
ジャージの袖で鼻血を拭き拭きし、ようやく少しだけ上体を起こした彼女は「棄権します……身体がバキバキで動けません。死にそうです。テントまでおぶってください……」と呟いたのだった。
「全くあんた、ミストより小柄なのにあんな脳筋連中が暴れる中に突撃するからだよ……しかしよく生きてたよな」
「うう……メガネも何処へ行ったのかわかりません。おのれ、あの脳筋の巨乳どもめ……あっ!痛い!!」
そうしてボロボロになったエイルを背負い、医療テントへと歩き始めようとした時、急に何者かが走って俺達を追い越して行った。嫌な予感がする。見ると数名の魔属、何かから逃げている――!?直後、背後からレアの声が響く。
「太郎!!退くのだ!そこは邪魔だ!!」
ああ、どうせそうなるよな……わかってたさ。
直後、俺とエイルは逃げる数名の魔属達を勢い良く追う戦乙女隊の一団にハネ飛ばされたのだった。もう嫌だお家に帰りたい!!
空高く放り出された後、スローモーションで迫る大地。そしてゴシャッ!という聞き慣れない音を聞いた瞬間、俺の意識は闇に飲まれていった。
うう……まだ身体のあちこちが痛い。土手に仰向けに倒れて寝ている俺を、アリシアさんが団扇で扇いでくれている。哀れエイルはタンカに載せられ医療テント行きだそうだ。大家が笑う。
「おい、太郎!生きてっか?オメーととエイルな、列車にハネられたみてーに空中にブッ飛んでたぜ?マジでくっそウケるよな!!」
「笑いごとじゃねーっスよ!死ぬかと思った。つーか戦乙女達、一体どんだけ身体強いんですかね?マジで車か何かにハネられたかと思いましたよ……」
俺が上体を起こし、気絶している間に簡単な回復魔法を掛けて貰ったらしい己の身体の無事を確認していると……アリシアさんの姉であるアイリスさんと竜族のアイリちゃんが戻って来た。
医療テントから氷と濡らしたタオルを貰ってきてくれた様だ。
少し困ったような笑顔でアイリスさんが俺の傷をチェックしてゆく。
「うーん、これならまあ大丈夫かなぁ。回復魔法も徐々に効いてきてるし、全快までもうちょっとかな?でも太郎さんって案外丈夫なのねぇ……あっ、ちゃんと氷を患部に当てて冷やしておいてね?」
「イテテ、はい……ありがとうございます。日頃どこぞの大家さんにプロレス技とか掛けられまくって生きてきましたからね、まあ丈夫にもなりますよ」
笑顔で俺の肩を叩く大家。
「おうよ!俺様のおかげだな、感謝しろや!俺に足向けて寝てんじゃねーぞ!?」
アイリちゃんも心配そうにこちらをのぞき込んで来る。
「アイリちゃん、ほんと大丈夫だから」
「そうですか……」
俺は身体の痛みを堪えて笑いながら、彼女に手をひらひらとさせた。そしてふと気になり、アリシアさんの注いでくれたお茶を飲みつつ河川敷の方を見ると……今だ飽きずに暴れ続けるレアやミスト達の姿が。
殴られて目の周りが腫れたりしている者もいるのだが、脱落者は数える程しかおらず皆元気一杯だ。あっ、レアの飛び蹴りが決まった!
「あれって、いつまでやるんでしょうかね……?」
苦笑いしながらアイリスさんが答える。
「う~ん、お腹が空いたらみんな戻って来るんじゃないかしら?」
「バカなんですね……」
「まあ……そうねぇ」
本当にバカだ。俺が遠くの医療テントを見ると……回復魔法で治療された戦乙女や魔属の女性達が、嬉々として戦線復帰して行くのが見える。
そうして暫く見ていると、意識が戻ったらしき姫様が何か叫びながらテントから飛び出して走って行く姿が見えた。
どうせこうなっては収拾はつかないだろう、ああいう連中は飽きるまで放置しておくのに限る。俺が観戦に徹して巻き込まれない様にしよう、それがいい。そう決めた時だった、背後に「ピーッ!ピピーッ!」と甲高い笛の音が響き渡る。
何事かと驚き振り返ると、そこには原付から降りようとする一人の婦警さんの姿が。
「お前達――!一体”何を”している!?」
ものすごい形相で怒っている。あれ?”人払いの魔法”の効果が切れたのだろうか?婦警さんの大声でこちらに気付いた魔属の女性が不思議そうな顔をしつつ近付いてきて、”例のバケツ”から魔法の液体を周囲に振り撒いた。
そして魔属の女性も俺達もそのまま暫く婦警さんを見ているのだが……どうも何ともないようだ。あれ?おかしくね??俺達が揃って首を傾げていると、その婦警さんは再び大声を出した。
「これは何のバカ騒ぎだ!?お前達は河川敷公園で一体何をしているのだと聞いている!!」
咄嗟に馬鹿正直に答えてしまう俺。
「えっと……最終戦争……ですかね?」
「はぁ?ラグ……何だって??あんた警察をバカにしてるのか!?……って、あれっ!?」
突然、俺と大家の顔をマジマジと交互に見る彼女、それから……
「あっ!あんた達アレだろ!?あのレアとかいう街中で警察相手に大暴れした頭のおかしい外国人の一味だ!署の町内不審者リストで見た記憶がある!!」
「ふ、不審者リスト――!?お、俺って不審者なの!?」
思いがけない言葉に少なからずショックを受けるが……いや、確かにそう言われてもおかしくはないのだ。それどころか警察署騒動を考えると、単なる”不審者”扱いで済ませてくれている横崎署長のはからいに感謝すべきだろうか……あれ?涙が。
「と、とにかくこのバカ騒ぎを今すぐやめなさい!!」
騒ぐ婦警さんを見て思う。そりゃ俺も止められるなら今すぐにでも止めたいですよ。でもあの異世界人達が言って聞くはずもなく……俺が肩を落としていると、少し離れたテントからヒルドが小走りにやって来た。そして婦警さんに声を掛ける。
「天音、天音ではないですか!こんな所で何を……?いや、当然と言えば当然ですか。”入ってきてしまった”のですね」
ため息を吐くヒルドの顔を見て驚く婦警さん。どうやら顔見知りの様だ。
「あれ?ヒルドさん?ヒルドさんじゃないですか!?なんでこんな連中と一緒にいるんですか??」
「いえ……ちょっと……」
少しバツの悪そうなヒルド。悪うござんしたね!”こんな連中”で!隣から大家がヒルドに問う。
「おう、ヒルド。そのネーちゃん誰よ?オメーの知り合いか?」
「ええ、彼女は天音、”横崎天音”。神丘警察署の署長、横崎謙三氏の一人娘です」
「横崎署長の娘さん――!?マジで!?」
驚く俺達。父親の知り合いだとわかって少々居心地が悪くなったのか、彼女もバツが悪そうに困った顔で敬礼する。
「神丘警察署職員、横崎天音です」
しかし落ち着いて彼女を見ると、ふと妙な事に気付く。それが何かというと、彼女の両の瞳が”燃える様な赤い色”であり、通常の人間ではカラコンでも入れていない限り考えられない。
そういえば、横崎署長の奥様は、異世界側からこちらに移住されてきたと以前聞いた事があるが……それだからだろうか?
俺がそう考えていると、近くに置いていた俺のリュックから顔を出したノームのパッ君が騒ぎだした。
パッ君を見てギョッとし「なっ!何だアレ!?」と騒ぐ横崎さん。あっ、やっぱパッ君が認識てるのね?しつこい様だが普通の人間にはノームは認識できない。そうこうしているとパッ君の声が一段と大きくなった。
「タロー・アレ!タロー・アレ!!やべー・よ!?」
パッ君はリュックの中で大暴れしながら河川敷を指さしている。一体何だろう……?気になってパッ君の指差す先を見ると……暴れる天属と魔属の混戦の輪からは随分と離れており、何もないし誰もいない。
隣ではアリシアさんも不思議そうな顔でメガネをクイクイしている。横顔もお綺麗です!
しかし次の瞬間、ヒルドとアイリスさんが同時に叫んだ。
「時空が裂けている!?」
「あれは普通じゃないわ――!!みんな気をつけて!!」
二人が叫び終えた直後、何もなかったはずの河原に生物の片眼を思わせる不気味な物体が現れ、ゆっくりと目蓋を開いてゆく……
それは覗き込む者に嫌悪感を覚えさせるドス黒い空間。凝視していると中で何かが蠢くのが見えた。全身を悪寒が走る。
そして、ゆっくりと手足で空間の歪を開き、ソイツは現れたのだった。




