その30.手がかり
アルディウスさんを怒らせてしまったあと、私は次のラナーまで、ログインをしなかった。いつもなら別のクエストや金策をするところなんだけど、ケロタニアンがベッドで寝ているところで終わってしまったから、途中で他のことをするのは無粋な気がして。我ながら、のめりこみすぎ。そんな中でも延長は我慢したんだから、えらいと思う!
こわいくせに、夢中。最近、necolaちゃんにもラナテルデスの話をしてないあたりが、私のハマりっぷりを表してる。なにかで気持ちがいっぱいになってくると、話さなくなっちゃうんだよね。なんだか口にすることで壊れちゃう気がして。それでいろいろ痛い目を見てるくせに。
今日もすごく、待ち遠しかった。
「ケロタニアン!」
「おお、いたたた……」
「大丈夫?」
頭のうしろをおさえて、ケロタニアンは起き上がった。倒れたときの怪我も心配だけど、私にはもうひとつ心配していたことがある。
「ケロタニアン、あの、胸を見せてくれる?」
「胸でございますか?」
理由を説明しようとしたら、ケロタニアンってばそれより早く、お医者さんに見せるみたいに服をめくってくれちゃった。とりあえず、海でも見た通りのカエルさんの胸とおなか。なんともなっていなくて、ほっと一安心。
「り、理由くらい聞いて? そのね、アルディウスさんがどんってしたから」
ケロタニアンは、私が頼んだらなにも考えずうなずくんだろうなって、わかってはきたのだけど。
「なるほど! ご心配をおかけしてしまいましたな、まったく申し訳ない」
「そんなことないよ、私こそ、何もできなくてごめんね」
あのとき、びっくりして動けなかった。男の人の大きな声、これまで何回もゲームの中では聞いてきてるけど、やっぱりこわい。特に自分に向けられたものは。
でもあれは、私が悪いんだと思う。
「酷いことしちゃった。アルディウスさんは、前回の禍を経験してるんだよね。それなのに私、無神経に歌ったりして」
普通じゃない感じだった。あのときなにが起きたかわからなくて、あとから必死に思い出した。アルディウスさんはケロタニアンから剣を奪ったんだ。それで、私に斬りかかろうとして、でも気づいたように、止めた。
「探して、謝らなきゃ。それに『ラナンキュラス』って誰なのか、聞かないと」
扉がノックされた。入ってきたのは、隊長さん。ケロタニアンをここまで運んでくれて、今はちょっと外を確認してくると席を外していた。
「アルのこと、すまなかった。カエル殿、具合はどうだ? 怪我はなかったか」
「ははは、目を回してしまいました。が、この通り元気ですので、お気になさらず」
ケロタニアンがベッドから出て、軽いガッツポーズで無事を教えてくれる。
「隊長さんも、カエル殿って呼ぶんですね。アルディウスさんと同じ」
なんだか微笑ましい。隊長さんが、お、と頭をかいた。
「失礼。ケロタニアン殿でしたな。ここらへんでは、長い名前は珍しいんですよ。親しくなれば短い愛称で呼びますが、それまでは肩書なんかで呼ぶことが多いですね」
「アルディウスさんって、ここらへんだと雰囲気が違う名前ですよね」
「両親が大陸から来たのかもしれませんね。あいつは、顔立ちや肌色、髪質も、大陸風です。チェリヤは移住者が多いんですよ」
「……そうなんですか」
確かに、チェリヤは観光名所だからってだけじゃなくて、村にもいろんな姿の人がいる。でもチェリヤらしい特徴っていうのはちゃんとあって、それは民族衣装を着ると特によくわかる気がする。
「アルディウスさんは、戻ってくるでしょうか」
私の質問に、隊長さんは顔をくもらせた。
「わかりません。アルは、間違っても無抵抗の女性に危害を加えるようなやつじゃないんです。それが、どうして……」
話を遮るように、扉がノックされた。
訪れたのは、アルディウスさんだった。
「アル!?」
「アルディウスさん!」
ケロッ、ってケロタニアンの鳴き袋も驚いた。
「すみません。戻りました」
「……おまえ、戻ってきたのか」
隊長さんもすごく驚いている。私も、もしかしてもう戻ってこないかもしれないと思っていたから、驚いた。
「よかった。もうお会いできないかと」
私の言葉に、アルディウスさんは驚いたあと、苦笑を浮かべる。
「それは、優しさからなのか? 俺はあんたに剣を向けたのに」
「私があの歌を歌ったからですよね? ごめんなさい、言葉をうまく選べないかもしれない。でもきっと、アルディウスさんにとっていやなことをしたから」
人を傷つけたときの言葉って、なにを言っても失礼な気がして、ためらってしまう。相手を弱いものとして扱っているような、相手は立派な大人で、対等なはずなのに。
「そうなのか、アル?」
アルディウスさんは伏し目がちに視線を外し、唇を噛んでいるようだった。
「……そうだろうとは思います。あの歌を聴いたとき、目の前が真っ赤になった気がした。血が煮えるような、怒りを思い出した」
「おまえ、前回の禍のことは、ほとんど覚えていないと言っていたじゃないか」
「話したくなかった」
アルディウスさんはうつむいたまま、短く答えた。ひるんだように、隊長さんは口を閉じる。
暗い目。暗い声で、アルディウスさんはささやくように話し始めた。
「日を追うごとに、聴こえる歌が増えていく。歩いていく村人を、まだ正気の村人が連れ戻して、家に閉じ込めて、鍵をかける。日常だったものは全部壊れた。そのうち、止められるやつがいなくなる。誰も彼も歩いていく。だから俺は、全部の家の鍵を開けた。開かないなら、扉が壊れるまでぶつかり続けるんだ。自分達の身体がどうなろうが」
少しの間、沈黙。誰もなにも言わない。
アルディウスさんが、ふいに強く首を振った。
「……だから、俺はあの歌が大嫌いだ。ペルテの歌を聴いたときは、あの時を思い出して体中から力が抜けるようだった。でも、あんたが歌ったときは」
私の方を見る。
「さっき言ったとおりだ。怒りを思い出した」
「ラナンキュラスというのは、女性だったんですか? 私に、似ていた……?」
アルディウスさんは瞬きをして、眉をひそめる。
「わからない。覚えていない」
「そう、ですか……」
考えていると、アルディウスさんがケロタニアンに声をかけた。
「カエル殿、悪かった。怪我はなかったか?」
「どこもなんともないでございますよ。このケロタニアン、剣の腕はさておいて、丈夫さだけは自信があります」
「なんだそりゃ」
苦笑いなんだろうけど、アルディウスさんはおかしそうに笑った。
「あと自信があるのは歌でございますね! 暗い空気ですな、ここは一曲よろしいか!」
け、ケロタニアン?
「いや、空気がわかるなら読めよ! あとこの際だから言っておくが、俺は歌自体が嫌いなんだ。ろくな思い出がない」
「おや、そうですか? 若さゆえ、良い歌に巡り合えていないだけではございませぬか?」
「ケンカ売ってるのか、カエル殿は……」
「ケロタニアンてば……!」
アルディウスさんが怒ってる、青筋が浮いてる気がする。いつも空気のくせに、ケロタニアンに話が向くと、だいたい変な方向に行く気がする!
「アル、歌も嫌いだったなんて、俺も初めて聞いたぞ。よくみんなと歌ってたじゃないか」
アルディウスさんが隠していたことをいろいろ知って、隊長さんはちょっとショックを受けているよう。
「そりゃ、そんなこと言ってられないからですよ。白けさせるくらいだったら、いくらでも歌います」
「いや、アルディウス殿、大人ですなあ!」
「あんたな……」
「つらいことを思い出すのに共に歌っていたとは、なんと尊い心がけか。アルディウス殿は、みなのことが本当に好きなのですな。このケロタニアン、感服いたしましたぞ! アルディウス殿は、尊敬に値する御仁ですなあ」
悪気はない、悪気はないんです。言葉に裏はないんです。でもちょっと、ばかにされてるみたいだよね……微妙な空気に気づかず、ケロタニアンだけご機嫌。
アルディウスさんは一瞬怒ったように口を開きかけたけど、結局息を吐いた。脱力するみたいに。
「……昔も、あんたみたいなのがいたな」
「おや、ご友人ですかな?」
「どうだったかな」
肩をすくめて、アルディウスさんは話を切り上げたようだった。
「ライラン、あんた達はもうこの村を出たほうがいい」
「え、でも……」
「ここにいても、もっとひどいものを見るだけだ。それより、あんたにはこの禍を止めるために動いて欲しい」
そう言われてしまうと、確かに、ここにいても私のできることはもうないのかもしれない。
「あの……アルディウスさんは、このあとどうするんですか?」
「俺はこのまま、この村に残る。あんたがどうにかしてくれることを信じて、ぎりぎりまで粘るよ」
隊長さんの方を見て、うなずき合う。
「あんたには、重いことを頼んで悪いけど……」
「あの、アルディウスさんも一緒に来てくれませんか?」
「なに?」
全員が私を見た。
「アルディウスさんの力を借りたくて……だって、前回の禍の経験者なんて、他にいないんです。ラナンキュラスについてだって、アルディウスさんは覚えていないって言いましたけど、きっかけがあれば思い出すかもしれないし……!」
まだ全員が私を見ている。え、ケロタニアンも? 口を開けてるって、驚いてるってこと? それはなんだか納得がいかない!
「ず、ずうずうしいのは百も承知です! アルディウスさんにとってつらいことをお願いしているのもわかってます。でも、なんとかしたいんです、禍の手がかりになるなら、ひとつも逃したくないんです!」
アルディウスさんと隊長さんは、ここでどうしていくかをもう決めていて、それが自然な流れなのかもしれないけど。
困ったように顔を見合わせている。
「……協力したくないわけじゃないが、俺はいつ狂うかわからないし、あんたに斬りかかろうともしたんだ」
アルディウスさんが、ちらっとケロタニアンを見る。
「こう言っちゃ悪いが! そうなったとき、カエル殿に止められるとは思えない」
「いやいや! わたくし、確かに剣の腕は及ばぬところがございますが、かばうことならできますゆえ!」
「それはするな!」
「それはしなくていいから!」
図らずも、アルディウスさんとハモってしまった。だってだって、ケロタニアンのかばうって、自分もがっつり食らうだけのやつでしょ! もう、せめて上位のスキルだったら……!
「フロミン殿から頂いた、カエルの塗り薬もありま」
「すぐ治るから怪我していいってわけじゃないのー!」
食い気味に言ってしまった。
「ええ……では、アルディウス殿の右手に手袋をしておくのはいかがでしょう」
「手袋?」
ケロタニアンは、いつも腰の後ろにくっつけているかばんからミトンタイプの手袋を取り出した。明るい緑で、ハスの葉っぱがくっつけてある。
「これは、わたくしが冬に愛用している手袋なのですけども」
そういえば見たことがある。おともキャラクターも、季節のイベントアイテムを装備できたりするんだよね。麦わら帽子とか、マフラーとか。かわいい。
アルディウスさんの右手をとって、ミトンをはめる。
「なにをするにも、このミトンは邪魔になるでしょう。アルディウス殿の意思がないときが恐ろしいわけですから、このミトンを外したときが、警戒すべき合図です。時間稼ぎとしては短いでしょうが、なに、わたくしもライランも不意打ちでなければ、これまで戦ってきた実績がありますゆえ!」
そういえば、私も戦えるんだった! 確かに、不意打ちじゃなかったらもう少しちゃんと……動ける、と、いいなあ……?
「いや、そんなことで」
「なるほど」
隊長さんが、がっとアルディウスさんの両肩をつかんだ。
「いってこい、アル。花冠を編む娘さんの近くにいれば、奇跡があるかもしれない」
「いや」
アルディウスさんが、隊長さん、ケロタニアン、私を見る。隊長さん、ちょっと笑ってる? 希望を持ってくれたのかな。そうだよね、アルディウスさんのこと、息子さんみたいに思ってるから。
「お願いします、アルディウスさん! 私もケロタニアンも、ちゃんと身を守ります。アルディウスさんのことも、守りますから!」
……多分!
***
「アカツラ! ホンドウーーーー!」
「おつかれさまでーす、剣藤さーん」
「おまえら、なんであんな流れに!」
「俺はライランの希望を叶えようとしただけで……断ってくれてよかったんですけど」
「僕はー、隊長さんならああ言うよなーって思ってぇ」
「断ったらアルディウスが了見の狭い男になるだろ! あれじゃ、俺が次も参加しなきゃいけないじゃないか!」
「大丈夫ですよぉ、僕が演りますから! ね、もともとそういう話でしたよねえ!? どうして今日、剣藤さんがいるんですかねえー!」
「だって、アルディウスのあんなシーン、俺がやるべきだろう!?」
「僕が・やるべき・だったんです!! さあ、これでアルディウスは休憩明けもライランさんの同行ですからね。どうします剣藤さん、このあともサボってずっとこっちに出演したっていいんですよ。信用と売り上げを失って、ランキングがガタ落ちかもしれませんけどねぇ! うひゃひゃひゃひゃ!」
「笑い方ぁ……」




