表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

点は点のまま

作者: 夏のラジオ

 起きた時から不思議な感じがしていた。低血圧で、絶望的なまでに朝に弱い俺が、今日はなぜか平然と起床し、家族と食事をとっている。


「お前、今日はやけに早起きじゃないか」


 食卓を挟み、父が言う。彼は新聞に目を落としたまま、食後のコーヒーを啜っていた。


「ああ」


 目玉焼きの目玉を箸でつぶしながら答える。「なんか今日は調子良くってさ」


「珍しいこともあるのね」


 母の声に違和感を覚えた。

 あれ……? こんなに高い声だったっけ?

 しかしながら、音を立てて味噌汁を食べる彼女は、間違いなくいつもの母である。


「どうしたの?」


「い、いや……」


 きっと気のせいだ。

 少し早いが、俺は制服に着替え、すぐに学校へ向かうことにした。




 まだ七時過ぎだ。外は薄暗く、ヒュウと強い風が吹いていた。

 俺の通う高校は高台にあり、自転車通学の俺は毎朝息を切らしながら登校する。

 正門前の坂道を前に、フゥと一息吐く。それから「よし!」と小さく叫び、気合いを入れた。

 一直線にのびた坂道、自転車のペダルをただひたすらに……。

 漕ぐ!

 漕ぐ!

 漕ぐ……あ、あれ?

 もう正門に辿り着いてしまった。はて? この坂道はこんなに短かっただろうか。


「剛ー!」


 背後から聞き覚えのある声がする。俺は驚いて振り向いた。


「ま、麻由美!?」


 軽快なステップで坂道を駆け上がってくる麻由美が見える。彼女は俺のところまで来て、立ち止まると、エヘヘと笑い、それから息を整え始めた。


「ハァハァ……どうしたの? 剛。今日はやけに早いじゃない」


「麻由美、お前こそ……」


 麻由美は、ストレートの長い髪とクリッとした目が印象的な、俺の自慢の恋人だ。まだ付き合い始めて一ヶ月と経っていない。


「今日さ、部活の朝連なのよね。そんでいつもより早く来たら、剛がいるからビックリしちゃった」


 俺がいつも遅刻をしてばかりだからだろう。いや、そんなことよりも……。


「お前、風邪はもう大丈夫なのか?」


 彼女はここ三日間、風邪で欠席してたはずだった。


「あ、うん」


 両手で小さくガッツポーズを作り、頷く。「この通り! もう大丈夫だよ」


「そ、そうみたいだな……」


 彼女の愛くるしい笑顔に、納得させられる。


「あ、早く行かなきゃ先輩に怒られちゃう!」


「そうか。じゃあ、朝連、頑張ってな」


「うん」


 そして彼女は校舎に向かって、駆けていった。

 なんだか麻由美……。前よりも可愛くなったな。

 俺は彼女の後姿を見ながら、そんなことを考えていた。




 教室に入った瞬間、俺は少しドキッとした。そこにはたった一人の少女が机に座り、本を読んでいる姿があった。黒板の目の前、教室のほぼ中心に位置する席だ。

 俺の気配に気づいたのか、彼女がこちらを振り向く。

 切り揃えられた前髪に肩まで伸びた後ろ髪……。

 そして幼げな顔立ち……。

 なんとなく見覚えのある顔だが、名前が出てこない。どうしたものか。


「おはよう。今日は早いんだね」


 そう言って彼女がニコリと笑う。その声を聞いてようやく、彼女の正体が分かった。


「お、お前……山村か?」


「そう」


 彼女は頷く。「今日はコンタクトレンズなんだ」


 山村はいつも眼鏡を掛けていた。学級委員である彼女の声は朝礼などで、幾度となく聞いたことがある。ちなみに、面と向かって喋ったのは、おそらく今日が初めてだろう。


「山村はいつもこんなに早いのか?」


 彼女の前方へ回り込む。


「うん。朝の人気のない学校って読書に最適なの」


 彼女は、読んでいた本の表紙をこちらに向けた。残念ながら知らないタイトルだ。


「ふーん」


 そりゃあ、邪魔しちゃいけないな、と俺は大人しく、彼女の席と同じ列の、最後尾にある、自分の席へ向かうことにした。  

 その時だ。突然ゴォォと地鳴りのような音が響いた。


「キャ」


「な、なんだ?」


 すぐにそれは止んだ。俺たちは呆然と顔を見合わせる。

 なんだってんだ。

 次の瞬間、突然足場が頼りなくなり、ふらつく。そしてガタガタと机が音を立て始めた。

 右へ、左へ……。足が言うことを聞かない。

 こ、これは……地震だ!

 ガシャーン!

 遠くで何かが割れる音。俺は体勢を低くし、必死で机につかまった。山村は椅子に座りながらじっと頭を伏せている。やがて、三十秒程度で揺れはおさまった。


「ふうー、ビックリしたー」


 顔を上げた山村が、教室の中をキョロキョロと見回しながら言う。


「ああ」


 俺も同調する。「こんなでかいの初めてだ」




 それから数分後には、ぞくぞくと他の生徒が登校してきた。皆の話題の中心は、やはりたった今の地震である。


「凄かったよなー。俺なんか丁度駅の階段で、だぜ」


 五木が好奇心で瞳を輝かせながら言った。天然パーマの縮れ髪と、おたふく顔という、なんとも憎めない特徴を持った、俺の友人だ。

 それにしても、駅の階段の何が『丁度』なのか。


「へー」


 俺は机に肘をつきながら、適当に相槌を打つ。「そいつは大変だったな」


「いや、まあ良いこともあったんだけどな」


 クックックと笑う。彼は、俺の前の席の椅子に後ろ向きで座っていた。ちなみにそこは彼の席ではない。


「良いこと?」


 はっきり言って興味はないが。


「いや、実はさ。その場にうちのクラスの女子もいたんだよ。んでもって、地震の瞬間、そいつのパンツを思いっきり見ちまった」


 全くもってくだらないことで、何故か安心さえしてしまう。


「そんで、誰だったんだ? それ」


「へへ、山村だよ」


 彼は親指で、小粋に山村を指しながら言った。


「や、山村!?」


 思わず声が荒くなってしまった。


「な、なんだよ?」


「だ、だって山村は」


 だって山村は……。「あの時、俺と一緒にいたんだぜ?」


「はっ?」


 目を大きくしながら、彼は眉をひそめた。「いや、だってあれは確かに山村だったはずだぞ……」


 どうゆうことなんだ? 彼が嘘を言っている様子はない。

 俺の勘違いか? いや、そんなはずはない。きっと山村に聞いても証言してくれるだろう。

 ということは……。


「なあ、五木……。お前の見間違えじゃないのか?」


「ええ?」 


 彼は、納得がいかない、といった顔をしながらうーんと小さく唸った。「見間違えかなー。確かに俺、そんなに視力は良くねえけど」


「だって、山村が俺と一緒にいたってのは確かだぜ。なんなら聞いてみるか?」


「うーん、見間違えなのかな」


 結局彼が納得できたのかどうかは、俺には分からない。




 ヨシ……。

 ツヨシ……。


「ん?」


 誰かが俺を呼んでいる。

 此処は……どこだ? 

 俺はただひたすら、闇の中を突き進んでいた。

 ツヨシ……。

 この声は……麻由美?


「麻由美ー! どこだー!? どこにいるー!?」


 闇の向こうに呼びかけてみるが返事はない。

 しかし、不意に目の前にセーラー服姿の少女が現れた。うちの学校の制服である。少女はこちらに背を向けていた。


「麻由美……なのか?」


 少女に問いかける。


「剛、ようやく気づいてくれたのね」


「麻由美……」


 少女の声は紛れもなく、麻由美のものだった。俺は安心して彼女の肩に手をかける。

 そして彼女がこちらを振り向いた瞬間……!


「ギャアアアアアアアアアア!」


 俺は、自らのものとは到底信じられないほどの、大きな叫び声をあげていた。

 それは恐怖。

 恐怖の叫びだった。



 

 突然、光が射す。

 扇形に開ける視界。そして不気味な沈黙。ニヤニヤとした男。ポカーンと口を開ける女。だんだんと意識も、闇の向こうから還ってくる。

俺はいつもとなんら変わりのない、見慣れた風景の中にいた。そして、なぜか大勢の注目を浴びながら。


「お前なあ」


 教壇に立つ、社会科教師の前川が、呆れたように首を横に振った。「寝言で叫び声なんかあげるんじゃねえよ。ビックリしたじゃねえか」


 教室が爆笑に包まれる。

 しばらく、頭がパニックになっていたが、ようやく状況を飲み込むことが出来た。

 夢? 夢だったのか?

 記憶が少しずつ呼び起こされていく。

 そうだ。今は確か、三時限目の社会科の授業中だ。

 前川は短く刈った髪をわしわしと掻きながら言った。


「ほら、黙れ黙れ。授業中だぞ。小島も……。もう眠るんじゃねえぞ」


「はい」


 俺が返事をすると再び、どこからか笑い声が洩れる。俺は恥ずかしさから、教科書で顔を隠した。そして誰にも聞こえないように小さく呟く。


「夢か……」


 今まで見たどの夢よりも怖かった。しかし、何が怖かったのかは覚えていなかった。




「小島くん」


 下校の準備をする最中、不意に声を掛けられた。女子の声だ。顔を上げ、相手の顔を確認する。山村だった。しかし、朝とは違い、眼鏡を着用している。


「あ、なんだ? コンタクト外したのか?」


「コンタクト?」


 一瞬、眉をひそめるが、すぐに彼女は「ああ」と頷く。「なんか慣れなくってさ。あの後、すぐに外しちゃった」


「そ、そうか」


 そう答えながら、俺は鞄を手に立ち上がる。「ところで、なんか用か?」


「あ、その……。小島くん、良ければ一緒に帰らない?」


「え?」

 驚いてみせるも、彼女の言葉をなんとなく予想していた俺がいる。「俺と?」


 人差し指で自分を指す。


「いや、迷惑なら別にいいんだけどさ」


 彼女は照れくさそうに笑いながら、若干俯いた。

 俺はうーん、と唸りながら時計を見た。三時半を少し回ったところである。


「迷惑じゃないけど……彼女がなんて言うかな」


「え……?」


 そう言って彼女が顔を上げた瞬間、目が合い、彼女の方から先に目を逸らした。「小島くん、彼女いるんだ」


「ああ、三組の三井っていう……中学が一緒の奴なんだけどさ」


「それなら、彼女に悪いね」


 急に声の調子が変わる。今までより、明るく聞こえる。「あ、詰襟のボタンが外れてる」


「詰襟?」


 見えるはずはないが、下を向く。「いや、これはわざとだよ。なんか暑苦しくってさ……」


「ダメ」


 心臓がドクンと大きく鳴った。

 同時にシャンプーの柔らかい香りが鼻を刺激する。

 山村……?

 彼女がいつの間にか俺にピッタリと近づき、俺の詰襟を両手で直し始めたのだ。


「お、おい!」


「服装の乱れは心の乱れ」


 彼女の指先が頬に当たる。「こうゆうことをキチンとしとけば、明日もきっと気持ちよく学校に来れると思うよ」


 ドクン、ドクン

 心臓の音が鳴り止まない。彼女に聞こえてしまわないか、不安だった。


「よし」


 やがて彼女がそう言って、一歩下がる。「一丁あがり」

 そして微笑む。 

 優しくて、綺麗で、魅力的な笑顔だった。


「あ……、ありがとう」


「どういたしまして。それじゃ、お先に」


 彼女は微笑みを崩すことなく、そのまま俺のもとから離れ、教室を出て行った。

 俺はその後姿を見ながら、ぼんやりと考えた。

 あの後姿……。夢で見た麻由美の後姿とソックリだ。




 俺はそのまま家路に就くことはせず、グラウンドへと足を運んだ。いつもなら麻由美の所属する陸上部が、活発な声を上げているはずである。

 何故だかは分からないのだ。

 何故か麻由美の顔が見たくなった。 

 しかし、今日は陸上部員の姿はそこになく、目につくのはユニフォームを着た、坊主頭の野球部員や、気だるそうに練習をするサッカー部員だけだった。

 朝連を行った為、午後の練習は中止となってしまったのだろうか。しかし、それなら麻由美も一言言ってくれればいい。俺と一緒に下校すればいいじゃないか。

 胸騒ぎがする。

 俺の足は自然と走り出していた。目的地は自分でも分からない。足が勝手に動き、俺をリードする。

 校舎に入り、廊下を進む。そして階段を上る。左に曲がる。

 左……? 麻由美のクラスは右だぞ?

 そこは先ほどまで俺がいた自分のクラスの教室だった。

 そして、そこにいたのは朝と同じようにたった一人の女子生徒。

 そう、後姿だった。


「山村……?」


 俺の口から発せられた言葉は「麻由美?」ではなく「山村?」

 息が乱れているのは、そして額に汗が滲んでいるのは、グラウンドから教室まで走ってきたせいだろうか。はたして、それだけだろうか。

 振り向く……。振り向くぞ……。

 思わず目を背けたくなる。

 やがて彼女はこちらを振り向いた。

 麻由美だった。

 その途端、俺の身体は平常を取り戻した。


「剛……。なんだ、帰ってなかったの?」


「麻由美……」


 俺は彼女のもとへ駆け寄った。「お前、なんでこんなところにいるんだ?」


「なんでって……」


 彼女が笑う。「今日部活ないから一緒に帰ろうかなって」


 彼女の笑顔はどこかぎこちなく見えた。


「それなら、メールでもなんでもすりゃあいいだろ?」


 その声は二人だけの教室に、やけに鮮明に響き渡った。


「怒ってるの?」


 不安げな表情になる麻由美。「ごめん……、今日携帯忘れちゃって」


「いや……」

 小さく首を振る。「俺の方こそごめん」


 おかしいのは俺なのか、それとも周りなのか。

 誰か……。

 麻由美でもいい。教えてくれ。




 麻由美との下校。麻由美との会話。それは今日感じた、全ての戸惑いや不安を一掃してくれた。

 自転車を引きながら、彼女の話に耳を傾ける。笑ったり、怒ったりと騒がしい帰路だったが、何よりも楽しかった。前日まで彼女は風邪で寝込んでいた為、こうして二人でのんびりと話をするのは随分久しぶりのような気がする。


「なあ、麻由美」


 彼女の名を呼ぶ。


「ん?」 


 首を傾ける仕草が愛しい。


「俺たち」


 できるだけ平然とした顔で言う。照れ臭さからだ。「ずっと一緒にいような」


 一瞬呆気に取られた表情を見せる彼女だったが、すぐに笑顔になり、大きく頷いてくれた。


「うん!」


 付き合い始めのカップルが陥りやすい、粗野な幻想であろうか。

 しかし、俺は確かに感じた。 

 彼女となら……。

 彼女となら、ずっとこうして笑顔のままでいれる、と。




何かが起きそうで、起きなかった。そんな一日。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] この後、この物語は続くのでしょうか。 終わり方が気になります。 文章表現方法とかは、悪くないと思います。 この後の作品期待してます。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ