『だいじょばない』
休み明けの憂鬱な月曜日、昼休みが終わる十分前。杏子が作ってくれたハムチーズのサンドイッチを食べた俺は、屋上で青空を見上げて寝転んでいた。もちろん、俺の頭はいつものように、両足を揃えて座る杏子の太ももの上にのっかっている。杏子もまたいつものように無表情なまま、穴が開きそうなほどじっと俺の顔を見つめていた。思わず食べ残しでも顔についているのかと思い、右手で撫でまわすが、目と鼻と口の他には何もついていない。
空振りに終わった手の動きをごまかすため、俺は杏子に世間話を投げかけてみる。
「いい天気だな、杏子」
「そうね。あなたは雲一つない晴れの天気が好きだから、今日はきっといい天気と感じているでしょうね」
「お前はどうなんだ?」
「私は別に。全天気対応型だから、どんな天気でも構わないわ」
話しかけた時に杏子に向けた俺の目線が、こちらを見つめ続けていた彼女の目線とぶつかる。アンドロイド独特の、青いビー玉みたいに透き通った瞳に、思わずどきりとしてしまった。もう十年以上前から知っている仲だが、今でも人間と違うパーツを見るたびに驚かされてしまう。
「相変わらず固い返事と硬い太ももだよなぁ」
「膝枕をやめたらどう? 少なくとも問題がひとつ、解消されるわよ」
「いやいや、俺の毎日の楽しみを奪うのはやめてくれ」
「じゃあ我慢して」
「はいはい」
会話が途切れたところで、屋上に気持ちいい風が吹き、杏子の肩まで伸びた髪を揺らした。正確には長さが一定で保たれている人工毛髪なので、伸びた、という形容詞は不適当なのだけれど。
腕時計を見ると、昼休みは残り六分になっていた。
「あー……眠い。昨日、ドラクエやってたらいつの間にか夜中の三時半だったんだよなー」
「でも、授業はさぼれない」
「わかってるよ。ぼちぼち戻らないとな」
屋上の暖かい日差しと杏子の太ももは名残惜しいが、仕方ない。上半身を起こして立ち上がる。
すると、その瞬間。
「おっと」
意識がボーっとなり、足がふらついてしまった。片膝をつき、下を向いて目を瞑る。寝不足が原因だろうか。
「大丈夫?」
遅れて立ち上がっていた杏子が手を差し伸べてくれる。
「いやぁ、もうダメかも」
これはきっと保健室で寝ておくべきだな。そう言葉を続けようとしたところで、思いもがけず杏子の方から言葉が続く。
「たっくん、それは違う」
「違う? 何が?」
杏子が俺の言葉を否定することなんて、滅多にないので、俺は身構えてしまう。
「大丈夫? って聞かれたら、だいじょばない、って答えないと」
「は?」
「それが最近のジョーシキだよ、って佐伯さんが言ってたから」
佐伯さん、とは、高校に入ってから仲良くなった、杏子にとって初めての女友達の名前だ。見た目はまさに今時のギャル、という感じなのだが、なぜか周囲に避けられている杏子に積極的に話しかけてくれている。
「ジョーシキ、だよ。たっくん、わかる? 常識じゃなくて、ジョーシキ」
ジョとシキの間にある長音を妙に強調する杏子の表情は、小さく笑みを浮かべていた。
小学生の時に初めて出会った頃の杏子は、まったく笑わない、本当にアンドロイドそのままのような女の子だった。それがいまや、同い年の女友達に言葉づかいの影響まで受けるようになっているのだ。
俺は嬉しくなって、その場で笑い声を上げる。急なリアクションに杏子は少しだけ目を見開いた。しかし口元には無表情が戻っている。
「急に笑い出してどうしたの? 大丈夫?」
いぶかしむ杏子に対して、佐伯に対しての妬みをちょこっと混ぜながら言ってやった。
「だいじょばない」
終わり