陽気な人
ある村に、陽気な男がいた。
陽気といっても、一般人のそれとは違うほど、彼のそれは際立っていた。
小学校では、喧嘩で泣いている子と、怒っている子の間に入って、持ち前の元気で解決していたし、中学校では先生にも口を出して、認められるようになった。校風は「いつも元気に」。作り出したのはまさしく彼だ。
いつも笑っている彼は、この村のシンボルであり、誇るべき素晴らしい人間性を持っていることで有名だった。
大人になっても、彼はいつも笑っていた。
仕事場は普通の営業のようなもので、いつも走り回っていたようだ。村の人間はそんな彼を励みに生きていた。彼のようにいつも元気に生きていこうと、希望を見出していた。
かれには口癖があった。
「笑顔が一番だよ」
この言葉に救われた人間は多い。
私もその一人だ。以前勤めていた会社で発注ミスをしてしまったとき、上司にこっぴどく怒られた。
公園で落ち込む私にこの言葉をかけてくれた時の彼の顔は忘れたことがない。とびっきりの笑顔だった。
ある日、彼の同級生がペンキをひっくり返し、妻に叱られていた。
彼は割って入り、
「そんなに怒らないで。ペンキは頑張って落とせばいいじゃない。笑顔が一番だよ。」
といった。
彼の飛び切りの笑顔を見て、夫婦は一緒になって笑い、和解した。
ある日、彼の上司がけがをした。車にはねられたことで骨折したのだ。
上司は仕事が溜まっているのに…とぶつくさと文句を言っていたという。
彼はその病室に赴き、
「そんなにイライラしないでください。仕事はどうなっても、命があればいいじゃありませんか。笑顔が一番ですよ。」
といった。
彼の輝かんばかりの笑顔を見て、上司は黙って頷いた。
ある日、彼の恩師が火事で家を全焼させてしまった。
大切なものがいっぱいの思い出深い家だっただけに、大層悲しんだという。
彼は恩師のいる学校に行き、
「家がなくなったくらいなんですか。形あるものはいずれ崩れ去る運命なんです。そんなことより、笑顔が一番ですよ。」
恩師は複雑そうな表情をした後、苦笑した。
ある日、彼の友達の息子が池に落ちた。釣りをしていたらしいのだが、父親が目を離した瞬間、おぼれてしまったのだという。 意識は取り戻したものの、脳に大きな障害を負ってしまった。
彼は友達の自宅を訪問して、
「悲しむことはないよ、この子だって笑っているじゃあないか。みんな、笑顔が一番だよ。」
息子は遠い目をしてずっと笑っている。両親は黙ってこぶしを握り締めて、泣いた。
ある日、この穏やかな村に似つかわしくない、殺人事件が起きた。
殺されたのは彼のお隣さんで、彼の幼馴染だった男である。
残された彼の弟、両親は大変悲しんだ。それと同時に犯人を恨んだ。この手で殺したくて仕方がないくらい、殺気立っていた。
彼はお隣に行き、
「命なんていつかなくなるんですよ! そんなに悲しまないで! そんなことより、笑顔が一番ですよ。」
その言葉を聞いた弟は顔を真っ赤にし、彼に近づき、胸ぐらをつかみ、
そして彼は・・・・・・・
「これが20年前に起きた出来事だよ。」
私が言う。
「それは…悲しいことがありましたね。」
答えたのは一人の青年である。当てのない旅をしているらしく、この村の歴史に興味があるといい、私を訪ねてきたようだ。
「そう、彼は悲しい男だった。私たちも悲しかった。この村の象徴ともいえるべき彼を、失ったのだからな。」
私は本当に悲しかった。願うなら、この目の前にいる青年に同じように思ってほしいと考え、話すことにしたわけだが、正解のようだ。
「君は、彼の何がいけなかったんだと思う?何が受け入れられなかったんだと思う?」
青年は口に手を当て、しばらく考え込んだ。私としても真剣に考えてくれてとてもうれしく思う。
「…私にはよくわかりません。ただ、全ての人間が同じ内面を持っているわけではない、とはいえるかもしれませんね。」
「その通り。」
青年はこの村の彼が持っていた大きな問題を分かってくれたようだ。ならば、話が早い。
「だからこそ、私は立ち上がったのだよ。この学校ができて早いもので10年か…」
「そういえば、ここはどういう学校なんです? ここに来るまでに学校は何個か散見できましたが、ここはそれらのものとは違うようですね。」
青年が私に問う。
「うむ。ここは喜怒哀楽を教える学校なのだよ。子供だけではなく、この村の全員が入学しなければならない、な。村民の義務に定着させることができたよ。」
「喜怒哀楽の学校?どういうことです?」
「彼は必ず笑顔だった。笑顔を絶やさなかった。しかし、それが原因であんな事件が起きてしまった。ならばどうするか? 村民全員が彼のようになってしまえばいいのだよ! そのためには怒りの感情や悲しみの感情は制御しなければならない。人と接するときは笑顔で! それをさせる学校なのだよ。」
「…… 成果はどうですか?」
「むう… 上々といいたいところなのだが、どうしても感情を抑制することが出来ん奴もいてな。そういうやつは懲役刑か、酷ければ死刑をくれてやったこともあるが…うまくいかんの…」
「…徹底してますね。」
青年はそれだけ言って、帰り支度を始めた。
「この村の良いところ、理解していただけただろうか。」
「…そうですね。非常にユニークな村なのだな、と思いました。」
青年は少し間を置き、笑って言った。
「気に入ってくれたみたいで何よりだ。私もうれしい。君は今笑った。つまり、君もまたうれしかったということなのではないかね?」
青年はまた間をおいて、今度は笑顔を作らずに、言った。
「そうかもしれませんね。」
青年が村を出ると、少し離れた丘に小屋があるのを発見した。
その小屋のまわりには畑があり、そこで自給自足をしているらしいことがわかる。
小屋には、一人の初老の男性が住んでいることが窓からみえる。ふと、その男性と目があった。
小屋に招かれた青年は上着を脱いで、椅子に掛ける。
初老の男性は、快く迎え入れてくれたが、笑顔を作ることはなかった。
「あの村に行っていたのかい? こんな辺鄙なところへ、めずらしいものだね。」
「ええ。いろんな地の歴史や文化を学びたく訪れたのですが、あなたはどうしてこんな離れた場所に住んでいるんですか?」
男性は少し戸惑っていた。話すかどうかで悩んでいるようだった。しかし、どうやら覚悟を決めたようでぽつり、ぽつりと話し始めた。
何故「陽気な人」がこんなところで一人さびしく暮らしているのか、その理由を。
「僕はね、間違っていたんだよ。」
「間違っていた?」
「本当は俺は、陽気でも何でもないんだ。ただ、怒った顔や悲しい顔より、笑顔のほうがいいだろう? それを突き詰めすぎたっていうのかな… 自分の感情関係なしに、笑顔でいてしまったんだよ。」
「・・・・」
青年は何も言わず、男性の言葉に耳を傾ける。
「村長にいろいろ聞いただろう?あれだけじゃないんだ。俺の笑顔は時に人を傷つける。そう気づくまでに時間がかかったよ。俺は自ら志願してあの村から離れたところに暮らすことにした。もう俺は笑顔を捨てたんだよ…」
「なあ君。またあの村に立ち寄る予定があるなら、伝えてくれないか? 感情を制御しすぎることは何の意味もないということに気づきました、ご迷惑をおかけしました、と。」
「…申し訳ありませんが、僕はもうこの辺りには来ないでしょう。」
「そうか。それは残念だな…」
青年は小屋を出るとき、男性のほうを振り返り、ひとこと言い残した。
「僕は、心からの笑顔が一番、だと思いますよ。あなたにも、あの村にも。」
青年はそういい、笑った。
男性もそれを見て、笑った。
初めて短いのを書きました。
この青年シリーズで、短編をどんどん書いていこうと思います。
もしかしたら短編のほうが合っているかも…
また感想をください! 夏目好機でした!