第七話 死神の出陣
城を出た華琳の率いる軍…その数はおよそ一千騎ほど。それが悠然と行軍する様は、十分に壮観である。無論、CGならこの何倍にも数増しできるだろうが、生身の兵と馬がこれだけの数をなし、隊列を作って進軍している光景は、おいそれと見られるものではない。
【蒼馬】
「いよいよだねぇ~。」
【秋蘭】
「そうだな。しかし、お前の顔を見る限り、緊張の色は窺えんが…」
秋蘭と話をしながら、蒼馬はのんびり馬に揺られていた。その顔はいつも通り、飄々とした笑みを浮かべており、これから命のやりとりをしようというのに緊張感の欠片もなかった。
【蒼馬】
「まぁ、何かあの子…桂花ちゃんだっけ?あの子が作戦とか考えてくれてるみたいだし、糧食の量から見ても楽に済みそうな感じだからねぇ~。」
【秋蘭】
「しっかり働いてくれよ。姉者に聞いたが、尋常じゃない腕前なのだろう?」
【蒼馬】
「買い被りだよぅ~。最近は腰痛にも悩まされてる、いい歳のおじさんなんだから~。」
何処がだ、と秋蘭は溜め息を吐いた。
そんな二人の視線の先に、あの猫耳フードが見えてきた。
【蒼馬】
「そういえば、まだ作戦の内容を聞いてなかったねぇ~。おーい、桂花ちゃ~ん。」
【桂花】
「なっ!あんた、何でっ!」
蒼馬の呼びかけに、桂花は目を吊り上がらせて怒りを露にする。
【蒼馬】
「ん、いや~ねぇ。作戦の内容を聞いてなかったなぁって思って…」
【桂花】
「バカ言わないで!あんたみたいな一兵卒に、何で前もって作戦を知らせる必要があるのよ!だいたい、気安く真名を呼ばないでちょうだいっ!」
【蒼馬】
「と、言われてもねぇ~…おじさん、年のせいか物覚えが悪くて…前もって聞いとかないと、ちゃんと動ける自信ないし…」
【秋蘭】
「それに、桂花よ。わたし達は華琳様同様、お前を真名で呼ぶとさっき華琳様から説明を受けただろう?」
【桂花】
「分かってるわよ!でも、何でそこにこんな何処の馬の骨とも知れない男が含まれるわけ?」
【蒼馬】
「あっはっはっは♪馬の骨か。ウマい事言うねぇ~。」
愉快そうに蒼馬は笑う…が、桂花は余計に腹を立ててしまったようだ。
【桂花】
「きぃーっ!何なのよ!あんた何様っ!」
【秋蘭】
「よせ、桂花。聞き及ぶところ、蒼馬の実力は姉者より上らしい。」
【蒼馬】
「……」
秋蘭がフォローしてくれたが、蒼馬はちょっと別のところで寂しがっていた。
どうやら先の発言…自身の名前と馬の骨、さらにはウマい事のウマまでかけたつもりだったらしい。親父ギャグ以下なので、ツッコミをいれるのも馬鹿らしいが…気づいてすらもらえなかったので、流石に寂しかったのだろう。
【桂花】
「ふん。とにかく、気安く人の真名を汚さないでよね。」
【蒼馬】
「ふぅー、酷いねぇ~。繊細なおじさんの心は、もう粉々だよぅ。」
だから何処がだ…と、秋蘭はまた溜め息を吐くのだった。
【蒼馬】
「ま、そんな事より…一体、どんな作戦を考えてるんだい?糧食半分なんて…かなり大胆なマネしちゃって…」
【桂花】
「そんな事って!」
なおも蒼馬を睨む桂花だったが、蒼馬の方が不意に視線を軍の前方へと向けた…。何やら、人だかりが出来ている…その中央で、何か小さな影が飛び回り、同時に大きな塊もあっちへこっちへ飛び回っている。
【蒼馬】
「……やれやれだねぇ~。」
【秋蘭】
「蒼馬?」
蒼馬は馬から降りると、隊列の外側に出た…
【秋蘭】
「お、おいっ!蒼馬、何処へ…」
【蒼馬】
「ちょっと先回りするね~。」
言うなり、蒼馬の姿が掻き消えた…後には砂煙だけが残り、忽然とその姿は消えていた…。
【秋蘭】
「なっ!」
同時に、華琳のもとに先行部隊からの伝令が届いた。
行軍進路に、戦闘中の軍団があるとの事だった。しかも、それが野盗の集団と一人の少女と聞き、華琳も放っておけずに春蘭を救援に向かわせたのだった。
【??】
「でぇぇぇいっ!」
ドゴンッ
【野盗A】
「ぐわっ」
野盗の一人が、少女の投げた巨大な鉄球をくらって吹っ飛んだ。
【??】
「まだまだっ!でりゃあああっ!」
再度、少女は鉄球を投げ放つ…それはもの凄いスピードで野盗に命中し、くらった男は断末魔もあげられずに、ぺしゃんこになってしまった。
野盗の群れと戦っているのは、ピンク色の髪の毛を大きく二本に束ねた、まだあどけない少女であった。その可愛らしい容姿とは裏腹に、得物の鉄球は凶悪なまでに大きい…彼女の身長と大差ないのではなかろうか?鉄球は、鎖で彼女の手元の十字架のような持ち手と繋がっている…これは、ひょっとして剣玉?
【野盗B】
「おいっ!ガキ一人に何してやがる、テメェらっ!数で押し潰せ!」
【野盗CDEFG】
「「「「「おおおおっ!」」」」」
群れは、四方八方から少女を取り囲み、一斉に襲い掛かろうとしてきた。
【??】
「はぁ…はぁ…さすがに、多すぎるよぉ…」
少女にも、疲労の色が見える…絶対絶命、かと思った瞬間……何かが、そう何かがその場を過ぎ去って行った。それは風となり、大の男たちを空へ…遥か上空へと吹き飛ばしてしまった。
【??】
「へ?」
呆気に取られているのは、少女も野盗たちも一緒だ。
【蒼馬】
「ふぅ~ぃ…あ、あれ?通り過ぎちゃったかな?」
十メートルほど先の所に、蒼馬が立っていた…が、辺りを見回して行き過ぎたと分かると、慌てて戻ってきた。
同時に…男たちは空の散歩から帰ってきて、硬い地面に叩きつけられ意識を失ってしまった。
【蒼馬】
「お~い、お嬢ちゃ~ん。大丈夫かい?」
【??】
「え?あ、え?う、うん。」
予想もしなかった事態に、少女はまだ混乱しているようだ…そんな彼女の傍に歩み寄ると、蒼馬はその頭を撫でてあげた。そうしてもらうのが、年相応なくらいの…幼い女の子。そんな彼女が、どうして野盗の群れなどと…。
【春蘭】
「お~い!そこの者、大じょ…って蒼馬!何故、ここに?」
駆けつけてきた春蘭は、目の前の光景と、軍の後方にいたはずの蒼馬の姿に唖然とした。
【蒼馬】
「ん?まぁ、いいじゃない。そんな事は…」
そんな事で済ましていい話じゃないが、まぁ相手が蒼馬では聞いても無駄であろう。
【野盗B】
「くっ、くそ…覚えてやがれ!」
辛うじて難を逃れていた野盗たちが、一目散に逃げ出した。
【春蘭】
「なっ、待てっ!」
慌てて春蘭が追いかけようとしたが…蒼馬がそれを引き止めた。
【春蘭】
「止めるな、蒼馬!奴らが逃げ…」
【蒼馬】
「好都合じゃない。拠点まで案内して貰おうよ~。」
【春蘭】
「…そうか。よし、お前たちは奴らの後を追え。」
春蘭は連れてきた部下たちに、そう指示を出した。
【蒼馬】
「うん、よく出来ました。」
そう言って、蒼馬は春蘭の頭を撫でた。
【春蘭】
「なっ!何をする!」
【蒼馬】
「いい子いい子~♪」
【春蘭】
「ば、バカにするな!」
顔を真っ赤にして、蒼馬の腕を払いのける春蘭…。
【??】
「あ、あの…」
すっかり蚊帳の外になってしまっていた少女が、おずおずと声を上げた。
【蒼馬】
「ん~?何だい?」
【??】
「た、助けてくれて、ありがとうございます。」
元気な声でそう言って挨拶する少女の姿に、蒼馬は目を細めた…中身がオッサンというか、すでにおじいちゃんなので、その目は孫の姿を見るそれに近かった。
【蒼馬】
「気にしなくていいよぉ~。年のせいか、最近とんとお節介焼きになっちゃってねぇ。ま、ケガが無くて何よりだねぇ~。」
【春蘭】
「そんな事より少女よ、なにゆえお主は一人で戦っていたのだ?」
蒼馬に任せておくと話が進みそうにないので、春蘭が代わりに尋ねた。
【??】
「それは…」
と、少女が事情を話そうとした矢先に、華琳たちの本隊が到着した。
【華琳】
「…蒼馬?何故、貴方までここに?」
【蒼馬】
「あぁ…散歩?」
華琳はいい加減、頭痛を覚え始めていた。
【華琳】
『一刻も早く、彼を飼い馴らす必要があるわね』
【??】
「…ねぇ、お姉さんたちって…ひょっとして、国の軍隊?」
心なしか、少女は警戒の色を浮かばせて華琳や春蘭を見つめる…。
【春蘭】
「む?まぁ、そうなるが…ぐっ!」
瞬間、少女は春蘭に向かって鉄球をぶつけてきた。一同は唖然としているが、蒼馬は特に驚いた様子も見せなかった。
【蒼馬】
「う~ん、穏やかじゃないねぇ~。」
そんな彼を尻目に、春蘭と少女の間に緊迫した空気が流れる…何とか防いだ春蘭だったが、想像以上の重さに軽い腕の痺れを覚えていた。
【春蘭】
「貴様、何をっ!」
【??】
「国の軍隊なんか信用できるもんかっ!高い税だけむしり取っておいて、僕たちを守ってくれようともしないでっ!」
ビュゥッ ドゴンッ
鋭い音がするほどの勢いで繰り出される鉄球に、春蘭も苦戦を強いられる。
【蒼馬】
「なるほどねぇ~。だから一人で…」
【??】
「そうだよっ!僕が村で一番強いから、僕がみんなを守るんだっ!盗賊からも、お前たち役人からもっ!でりゃあああああっ!」
【春蘭】
「くっ…こやつ、なかなか…」
相手が自分より小さな女の子という事もあり、本気を出せない春蘭は防戦一方だ。その上、少女の鉄球には悲しいまでの優しさと覚悟が宿っており、物質的な重さを何倍にも感じさせた。
【蒼馬】
「でも、妙だねぇ?華琳、そんな酷い政治してないでしょう~?」
街を見れば分かる…重税を課して民を苦しめていたら、あんなに街に活気があるはずがないのだ。
【秋蘭】
「この辺りの村は、華琳様の治めている土地ではない。」
【桂花】
「だから、遠征してきてはいるけれど、華琳様もその政策に口出しできないのよ。」
【華琳】
「……」
秋蘭と桂花の説明に、華琳はどこか憂いを帯びた目で少女を見つめるばかりで、自ら口を挟もうとはしなかった。
【蒼馬】
「…なるほど…難儀な話だ…」
それだけ言って、蒼馬はもう手も口も挟まなかった。押され気味の春蘭に手を貸すでもなく、ただ事の成り行きを見守るのだった。
【??】
「でぇぇぇいっ!」
【春蘭】
「くっ!やるしか…だが、しかし……」
反撃を躊躇う春蘭…と、その時…
【華琳】
「そこまでよっ!」
華琳が厳かに声を上げた。王の覇気を持つ彼女の一喝に、少女も思わず攻撃の手を止めた。
【華琳】
「武器を引きなさい、春蘭。」
【春蘭】
「は?しかし…」
突然襲い掛かられたのだ…警戒を解くわけにはいかないだろう。
戸惑う春蘭の様子に、華琳は覇気を強めて一声…
【華琳】
「剣を納めよ、夏侯元穰!これは命令である!」
【春蘭】
「は、はっ!」
慌てて下がり、剣を納める春蘭…
【華琳】
「…春蘭、この子の名前は?」
【春蘭】
「え?あ…」
まだ、誰も少女の名前を聞いていなかった。何かと間の悪いところで、本隊が到着したからだ。
【季衣】
「あ、許緒といいます…」
圧倒されているのだろう…許緒と名乗った少女は、華琳から目を離せなかった。
【華琳】
「そう…許緒、ごめんなさい。」
【季衣】
「え?」
そんな許緒に対し華琳は、真摯に頭を下げた…相手が子供だからと侮ることなく、あのプライドの高い華琳がである。
【季衣】
「あ、あの…」
思いもしなかった華琳の行動に、逆に許緒は戸惑ってしまった。それはそうだ…彼女にとってお役人というのは、自分たちをこき使って、税を奪い、威張り散らすだけの、盗賊と何ら変わらない連中なのだから。それが、自分のような年端もいかない子供に頭を下げるなど…彼女にとっては衝撃以外のなにものでもなかった。
【華琳】
「名乗るのが遅れたわね。私は曹操…山向こうの陳留の街で、刺史をしている者よ。」
それを聞いた許緒は、驚くと同時に申し訳なさで縮み上がってしまった。
【季衣】
「山向こうって、それじゃあ…ご、ごめんなさい!」
今度は許緒が頭を下げた。
【季衣】
「山向こうの街の噂なら聞いてます。刺史の人がとってもいい人で、税金も安くなって、盗賊の被害も少なくなったって…そんな人に、ボク…ボク……」
【華琳】
「構わないわ。この国が腐敗している事は、刺史を務めるわたしが一番知っているもの…官と聞いて憤る許緒の気持ちは、むしろ当然と言うべきだわ。」
そう言った華琳の瞳は、深い憂いの色を帯びていた…。
と、そこへ偵察の部隊が戻ってきた…追跡の結果、敵の本拠地はすぐそことの事だった。
【華琳】
「ねぇ、許緒…私たちはこれから、貴方の村を襲っていた連中を根絶やしに行くのだけれど、良かったら貴方の力も貸してくれないかしら?」
【季衣】
「ボクの力を…?」
【華琳】
「そうよ…村を守る為に、二度と盗賊の襲撃に怯えて暮らさずに済むように…私たちに、貴方の勇気と力を貸してちょうだい。」
【季衣】
「…分かりました。村のみんなのためにも、ボク頑張ります!」
【華琳】
「ありがとう、許緒。これより行軍を再開する!総員、騎乗!」
再び、軍は動きだした…。
許緒は取りあえず、春蘭の下につく事になった。(ちなみにお気づきと思うが、蒼馬は秋蘭の部下という事になっている)
【季衣】
「あの夏侯惇さま…さっきは、ごめんなさい……」
【春蘭】
「ん、何。もう気にせんでいい。それより、わたしの事は春蘭と呼ぶがいい。」
それを聞き、許緒の顔がぱぁっと明るくなる。年相応の、眩い笑顔だ。
【季衣】
「はい!ありがとうございます、春蘭さま。ボクの真名は、季衣です。」
【春蘭】
「よし、季衣。盗賊どもに、我らの力を思い知らせてやるぞ。」
【季衣】
「はいっ!」
春蘭と季衣は、あっという間に打ち解けた…もともと秋蘭という妹がいる春蘭には、姉属性というのが備わっているのだろう。二人はまるで、仲の良い姉妹のようである。
そんな二人よりも後方を行くのは、秋蘭と蒼馬…こちらは逆に、まだまだ互いに探り合いをする間柄だ。尤も、蒼馬の方は飄々とはぐらかすだけで腹の底も手の内も明かそうとはしないが…。
【蒼馬】
「いい子が入ったねぇ~。純粋で、すっごく素直な子だよ~。」
【秋蘭】
「うむ。それに、姉者に苦戦を強いる武力も称賛に値する。頼もしい仲間が出来た。」
【蒼馬】
「そうだねぇ。これで、おじさんもちょっと楽が出来るよぅ。」
秋蘭は、もう何度目か分からない溜め息を吐いて蒼馬を見つめた。
【秋蘭】
「お前の言葉をそのまま受け取る気はないが、どう受け取ればいいのか未だに分からんよ。」
【蒼馬】
「やだなぁ~。それじゃあまるで、おじさんが腹黒いみたいじゃない。」
【秋蘭】
「…違うと、言い切れるのか?」
蒼馬を横目で鋭く睨みつけ、彼の内心を探ろうとするのだが…逆に蒼馬と目が合った瞬間、不意に意識が飛びかけた。
【秋蘭】
「……っ!」
【蒼馬】
「おじさんは、本心でしか語ってないからねぇ。ただ…おじさんの事は、百の言葉を尽くして説明したって、どうせ信じられないだろうからね~。」
そう言って誤魔化す蒼馬に、秋蘭は一層と警戒を強めた。
怒声だけで軍馬を怯えさせ、姉の剛剣でも薄皮一枚傷つけられず、自身もまた…目を合わせただけで気絶しかけた。蒼馬について分かっているのは、現在これだけなのだ…警戒するのが当たり前である。
【蒼馬】
「ま、この間も話したけど…おいおい、ね。」
【秋蘭】
「…我らは、お前を信用していいんだな?」
【蒼馬】
「もっちろん♪恩はちゃんと返すよぅ♪」
と言ってるうちに、どうやら盗賊たちの本拠地が見えてきたらしい。前方の部隊から、秋蘭と蒼馬に召集が掛けられた。
次章、ついに蒼馬が本領を発揮する…のか?




