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第六話 猫耳軍師、覇王を試す

盗賊討伐の命が下されてから数日…城内はにわかに、緊張した空気を漂わせ始めていた。

出陣準備の為に、慌ただしく動き回る軍の者たち…出陣準備と一口に言っても、遠征である以上、剣を持って鎧を着込めば「はい、終了。」とはいかない。糧食を始め(当然、調理器具や食器も含まれる)、武具(弓隊の矢は千から万単位だ)、馬(馬具も含む)、薬などの医療品など…用意するだけでも一苦労だ。

その忙しさたるや、まさに戦争…何の比喩でも例えでもなく、既に戦は始まっているのである。


【蒼馬】

「ふぅ~…凄いねぇ~。こういうのは、何度見ても壮観だねぇ。」


城壁の上から、忙しなく動き回る兵たちの様子を眺めている蒼馬…何を高見の見物などしているのだろうか?彼もこれから出陣だろうに…やる気は、これっぽっちも見受けられない。


【蒼馬】

「…と、いけないいけない。糧食についての帳簿を取って来るよう、華琳に言われてたんだっけ。のんびりしてたら、怒られちゃうねぇ~。」


本来の自分の役割を思い出し、目的の場所へ駆け出した。

先刻、秋蘭から、帳簿の管理をしている監督官は、厩で馬具の点検をしていると聞き、急ぎやって来た蒼馬だったが…周囲の兵たちは見るからにピリピリしていた。


【蒼馬】

「さてと、監督官っていうのはどの子かな?」


辺りを見回していた蒼馬は、明らかにこの場に場違いな格好でいる一人の少女を見つけた。

ライトグリーンの猫耳フードが場違いに当たらない場所があるなら、ぜひとも教えて欲しいものだが。


【蒼馬】

「ねぇ、そこのお嬢ちゃん。糧食の帳簿を貰いに来たんだけど…」


何故か蒼馬は、その場違いな少女に声をかけた。しかも、例の帳簿についてだ…この場合は、迷子に対する応対が正解だと思うのだが?


【??】

「……」


【蒼馬】

「あれ?もしも~し?お嬢ちゃん?」


しかし、蒼馬の呼びかけに少女は答えてくれない…


【蒼馬】

「あれぇ?聞こえてないのかな…おーい、そこの可愛らしいお嬢ちゃん。糧食の…」


【??】

「うるさいわね、さっきから何度も何度も何度も何度も。」


【蒼馬】

「いやぁ~、返事がないから、聞こえてないのかと思って…」


やっと蒼馬の方を振り向いた少女は、忌ま忌ましげな目で蒼馬を睨み上げた。


【??】

「で、何の用?わたしは忙しいんだけど?」


と、迷子のくせに少女は一丁前にのたまっ…


【蒼馬】

「糧食に関する帳簿を、華琳から預かって来るように言われてねぇ。君が持ってるんだろう?」


【??】

「なっ!あんた、何で曹操様の真名を…」


そんな事より、蒼馬は何で彼女が持ってると思い込んでいるのだろうか?どう見ても、彼女は迷子か…或いは、ここの兵の娘さんだろう。


【蒼馬】

「何でって、そう呼ぶように言われてるからだよ~。それより、帳簿は何処だい?」


【??】

「ふん、その辺にあるわ。草色の表紙のがそうだから、勝手に持って行きなさいよ。」


【蒼馬】

「うん、ありがとう。」


程なくして、蒼馬は目的の帳簿を見つけその場を後にした。監督官の許可も得ずに、いいのだろうか?


【蒼馬】

「あ、お~い、華琳。例の帳簿とやら、受け取って来たよ~。」


【華琳】

「御苦労、蒼馬。」


帳簿を受け取った華琳は、その場で中身に目を通していく。すると、何故か彼女の眉間にシワが一本刻まれた。不機嫌…というより、訝しみ何事か思案を始めた様子だ。


【華琳】

「…秋蘭。」


【秋蘭】

「はっ。」


【華琳】

「この監督官は、一体何者なのかしら?」


【秋蘭】

「はい。先日、志願してきた新人です。仕事の手際がよかったので、今回の食料調達を任せてみたのですが…何か問題でも?」


【華琳】

「ここに呼びなさい。大至急よ。」


【秋蘭】

「はっ!」


秋蘭はすぐさま厩の方へ向かった。

その場に残された華琳、春蘭、蒼馬は、しばらく無言で準備に奔走する兵たちを眺めていた。


【華琳】

「…遅いわね。」


沈黙を破ったのは、意外にも華琳だった。というか、まだ5分くらいしか経っていない…彼女の機嫌は、みるみる下降していた。


【春蘭】

「遅いですなぁ。」


春蘭も、そんな空気をさすがに読んだようで、華琳の呟きに同調する。

よもやこの状況で、彼女の神経を逆撫でするようなK.Y.者などおるまい。


【蒼馬】

「せっかちさんだねぇ~。もうすぐ来るよ~。」


…いた。このピリピリした空気を、少しくらい読んでもよさそうなものだが…。

華琳も、怒りをぶつけてやりたいのは山々なんだろうが…相手は蒼馬だ。自慢の大鎌〈絶〉の方が、悲鳴を上げてしまうだろう。

結局、周囲の空気が一層重苦しくなっただけだった。

それから数分後…


【秋蘭】

「華琳様、連れてまいりました。」


そう言って秋蘭が連れてきたのは…何故か、さっきのあの迷子の女の子だった。

秋蘭までふざけているのかと一瞬思ったが、蒼馬じゃあるまいしそんなわけが無い。

つまり、この猫耳フードの彼女こそ、話に上がっていた新人の監督官なのだろう。

少女はフードを下ろし、華琳の前に立った。


【華琳】

「お前が食料調達を?」


【??】

「はい。必要十分な量は用意したつもりですが…何か問題でもありましたでしょうか?」


【華琳】

「必要十分って…どういうつもりかしら?指定した量の半分しか準備できてないじゃない!」


…半分?それは、単純に考えると行きの分しかないという事だろうか?それではまるで、神風特攻隊…無論、この時代の華琳が彼らの事を知るはずもないが、それでもやはり怒るだろう。


【華琳】

「このまま出撃したら、糧食不足で行き倒れになるところだったわ。そうなったら、貴方はどう責任をとるつもりだったのかしら?」


【??】

「いえ、そうはならないはずです。」


問い詰める華琳に対し、少女は毅然と返答した。凡人なら間違いなく、縮みあがるであろう覇気を浴びながらである…。


【華琳】

「何?…どういう事?」


【??】

「理由は三つあります。お聞きいただけますか?」


【華琳】

「…説明なさい。納得のいく理由なら、許してあげてもいいでしょう。」


暗に、納得いかなければ…という脅しなのだが、少女の表情は自信に満ちている。

…なるほど…蒼馬が彼女を監督官だとすぐに見抜いたカラクリがやっと分かった。


【??】

「…ご納得いただけなければ、それは私の不能がいたす所。この場で我が首、刎ねていただいても結構にございます。」


華琳の覇気から彼女を守る、絶対の自信…知略を極めし者のみが身につける事ができる、賢者の覇気。少女は、それを持っていたのだ。


【華琳】

「…二言はないぞ?」


【??】

「はっ。では説明させていただきますが…まず一つ目。曹操様は慎重なお方ゆえ、必ずご自分の目で糧食の最終確認をなさいます。そこで問題があれば、こうして責任者を呼ぶはず。行き倒れにはなりません。」


【華琳】

「ばっ!馬鹿にしているのっ!春蘭!」


【春蘭】

「はっ!」


春蘭が剣を握ろうと手を伸ばす…が、その手首を蒼馬が押さえた。


【春蘭】

「くっ、蒼馬!放せっ!」


【蒼馬】

「待ちなって~。まだ話の途中でしょう~?」


【秋蘭】

「蒼馬の言う通りかと。それに華琳様、先ほどのお約束は…」


ここは秋蘭も、華琳の宥め役に回ってくれた。


【華琳】

「…そうだったわね。で、次は何?」


【??】

「次に二つ目。糧食が少なければ身軽になり、輸送部隊の行軍速度も上がります。よって、討伐行全体にかかる時間は、大幅に短縮できるでしょう。」


確かに、馬に乗っている兵たち自身と違い、重たい物資の輸送は当然ながらスピードが落ちる。本隊と分断させるわけにもいかないのだから、行軍速度は輸送部隊の速度に合わせる事になるだろう。

しかし…


【春蘭】

「ん…?なぁ、秋蘭。」


【秋蘭】

「どうした姉者。そんな難しい顔をして。」


【春蘭】

「行軍速度が速くなっても、移動する時間が短くなるだけではないのか?討伐にかかる時間まで半分にはならない…よな?」


【秋蘭】

「ならないぞ。」


春蘭も気づいた通り…糧食を半分にしたからって、討伐行にかかる時間まで半分とはいかない。

休憩や戦闘に要する時間もあるし、そもそも行軍速度だってさすがに倍になったりはしない。


【華琳】

「まぁいいわ。最後の理由、言ってみなさい。」


【??】

「はっ。三つ目ですが…私の提案する作戦を採れば、戦闘時間はさらに短くなるでしょう。よって、この糧食の量で十分だと判断いたしました。」


そこまで言うと、少女は一つゆっくり息を吸い、一気にまくし立てた。


【桂花】

「曹操様!どうかこの荀‘イク’めを、曹操様を勝利に導く軍師として、幕下にお加え下さいませ!」


【秋蘭】

「なっ…!」


【春蘭】

「なんと…」


秋蘭、そして春蘭が一様に驚きの表情を見せる横で、蒼馬は普段通りヘラヘラとした笑みを浮かべていた。その緩んだ顔を引き締めれば…せっかくのいい男が、これでは台無しである。

さて、華琳は…


【華琳】

「……」


黙して、荀‘イク’を品定めでもするように眺めていた。


【桂花】

「どうか!どうか!曹操様!」


【華琳】

「…荀‘イク’。貴方の真名は?」


【桂花】

「桂花にございます。」


【華琳】

「桂花。貴方…この曹操を試したわね?」


【桂花】

「はい。」


やはり、少女は毅然としている…瞳に宿る光は、未だ揺らぎを見せない。


【春蘭】

「なっ!貴様、何をいけしゃあしゃあと…華琳様!このような無礼な輩、即刻首を刎ねてしまいましょう!」


激昂する春蘭に対しても…


【桂花】

「あなたは黙っていなさい!私の運命を決めていいのは、曹操様だけよ!」


この言い返しだ。賢者の覇気の特殊効果とでも言おうか、覇気や威圧を撥ね退ける効力のおかげである。


【春蘭】

「ぐっ!貴様ぁっ!」


【蒼馬】

「だから春蘭ちゃん、ちょっと落ち着こうよぅ。短気は損気だよ~。」


【春蘭】

「ぐぅぅ…」


再び剣を掴む手を押さえられ、渋々ながら引き下がる春蘭…その間にも、華琳と桂花の話は続く。


【華琳】

「桂花。軍師としての経験は?」


【桂花】

「はっ。ここに来るまでは、南皮で軍師をしておりました。」


【華琳】

「…そう。どうせあれのことだから、軍師の言葉など聞きはしなかったのでしょう。それに嫌気が差して、この辺りまで流れてきたのかしら?」


【桂花】

「まさか。聞かぬ相手に説くことは、軍師の腕の見せ所。まして仕える主が天を取る器であるならば、その為に己が力を振るうこと、何を惜しみ、躊躇いましょうや。」


【華琳】

「…ならばその力、私のために振るうことは惜しまないと?」


【桂花】

「一目見た瞬間、私の全てを捧げるお方と確信いたしました。もしご不要とあらば、生きてこの場を去る気はありませぬ。遠慮なく、この場でお切り捨て下さいませ!」


沈黙が、辺りを支配した…言葉を発することが許されないほど、重々しい空気…。


【蒼馬】

「やれやれ、穏やかじゃないねぇ~。」


全く関係ないという体で、蒼馬が口を開いた…本当にK.Y.な男だ。


【華琳】

「…春蘭。」


【春蘭】

「はっ。」


華琳はすでに、蒼馬の態度に関しては、必要な時以外は無視を決め込むことにしたようだ。

何も言わずに出された手に、春蘭は華琳の得物である絶を渡す。死神を思わせる鎌を、ぴたりと桂花に突き付ける華琳…その顔は笑いながらも、瞳は冷たく燃えていた。


【華琳】

「桂花。私がこの世で最も腹立たしく思うこと…それは、他人に試されるということ。分かっているかしら?」


【桂花】

「はっ。そこをあえて、試させていただきました。」


【華琳】

「そう…なら、こうする事も、貴方の手の平の上という事よね…」


言うなり、華琳は絶を振り上げ…桂花めがけ振り下ろした。蒼馬も止めに入れなかった…いや、入る気がなかったのかもしれない。何しろ…


【桂花】

「……」


桂花はケガ一つ負っていなかったからだ。

絶の刃は、彼女の首を刈り取る寸前で止められていた。


【華琳】

「もし、私が本気で振り下ろしていたら、どうするつもりだったのかしら?」


【桂花】

「それが天命と受け入れておりました。天を取る器に看取られるなら、それを誇りこそすれ、恨むことなどございませぬ。」


【華琳】

「…嘘は嫌いよ。本当の事を言いなさい。」


見え透いたおべっかなど、華琳には通じなかった。


【桂花】

「曹操様のご気性からして、試されたなら、必ず試し返すに違いないと思いましたので。それに…わたしは軍師であって武官ではありませぬ。あの状態から曹操様の一撃を防ぐ術は、そもそもありませんでした。」


【華琳】

「そう…」


静かに、華琳は絶を下ろした。


【華琳】

「…ふふっ、あははははははははっ!」


【春蘭】

「か、華琳様?」


突然、気が狂れたように…というか、心底愉快そうに笑い出す華琳に、春蘭が心配そうに声をかける。


【華琳】

「最高よ、桂花。私を二度も試す度胸とその知謀、気に入ったわ。貴方の才、私が天下を取るために存分に使わせてもらう事にする。いいわね?」


【桂花】

「はっ!」


桂花は、本当に嬉しそうな笑みを浮かべていた。


【華琳】

「ならまずは、この討伐行を成功させてみせなさい。糧食は半分で良いと言ったのだから…もし不足したならその失態、身をもって償ってもらうわよ?」


【桂花】

「御意!」


こうして、華琳の陣営に軍師・桂花が加わった。

そしていよいよ、出陣の時を迎える。

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