第五話 覇王、死神と語らう
中庭から城内に入り、次なる暇潰しを探して歩いていた蒼馬の前から、水色の髪と青いチャイナドレス姿の女性が歩いて来た。
彼女は秋蘭…春蘭の妹の、夏侯淵である。
【蒼馬】
「やぁ、秋蘭ちゃん。」
【秋蘭】
「ん?その声は…蒼馬か?」
【蒼馬】
「正解♪」
秋蘭もまた、蒼馬の変身ぶりに驚きを隠せなかった。何しろ、あれだけむっさいオッサンだった蒼馬が…以下略…。
【秋蘭】
「見違えたぞ。それだけの容姿なのだから、普段から身なりを整えればよかろうに。」
【蒼馬】
「いやー、おじさんずっと一人旅だったからねぇ~。気を遣う必要が無くて…」
【秋蘭】
「はぁー…男とはいえ、姉者より身なり格好に無頓着な者がいるとは…」
何やら気苦労多そうな溜め息を吐き、秋蘭は両手に抱えた無数の竹簡を抱え直した。量が量だけに、かなり持ちづらそうである。
そう思っていると、蒼馬が手を伸ばしてきて、半分ほどの竹簡を秋蘭から奪い取った。
【秋蘭】
「蒼馬?」
【蒼馬】
「何処に持っていけばいいんだい?」
【秋蘭】
「あ、あぁ…華琳様のお部屋に持って行くところだ。」
【蒼馬】
「じゃあ、行こうか。まだ秋蘭ちゃんとは、二人で話した事無かったからねぇ。」
そう言って、蒼馬は竹簡を手にスタスタと歩きだした。なるほど、確かにこれは持ちづらい…蒼馬も改めてそう実感した。
【秋蘭】
「ふふ、面白いやつだな。お前は。」
【蒼馬】
「どうも♪まぁ、伊達に六百年も生きてないって事かな~。」
【秋蘭】
「ふむ、昨日も言っていたな。お前は嘘ではないと言うが、今のお前はどう見ても姉者より少し上…二十五か六くらいにしか見えん。そもそも、人の子が六百年も生きられるわけが…」
秋蘭の疑問はもっともだった。何しろ、この時代の人間の平均寿命なんて、五十そこそこ…いや、四十あればいいだろうか?
間違っても、人生百年なんて時代ではない。
【蒼馬】
「うん、普通ならね…本来なら、おじさんもとっくに死んでいたハズ、なんだけどねぇ~……」
その時、秋蘭には蒼馬の瞳に翳が差したように見えた…直感で、秋蘭は話題を変えるべきだと判断した。その話は、まだ…まだ自分が聞いていい話じゃない、そう判断したからだ。
おそらくそこには、複雑な事情があるに違いない。無理に聞き出すのは、治りかけの瘡蓋を剥がすようなものだろう。
【秋蘭】
「その服は?」
【蒼馬】
「あぁ、寝台の上に置かれててねぇ~。水浴びに行く前は無かったんだけどなぁ…誰か気を利かせてくれたんだろうけどねぇ。」
【秋蘭】
「我が軍に入るのか?お前が軍律を守る姿が、私には想像できないんだが…」
【蒼馬】
「うん、おじさんもだよぅ~。それこそ、兵の士気に関わるだろうねぇ~。」
やれやれと、秋蘭はまた一つ溜め息をついた。
【秋蘭】
「従ってくれる気はなしか…」
【蒼馬】
「ま、その辺は気まぐれかな~?」
などと話しているうちに、華琳の部屋の前まで辿り着いた。
【秋蘭】
「着いたな。済まないが、華琳様の居室は男子禁制なのだ。手伝ってくれてありがとう、蒼馬。今度、折を見てこの礼はしよう。」
【蒼馬】
「いいよぅ~、気にしなくても。じゃあ、またね~♪」
蒼馬はそう言って、その場を後にしようとする。と、そこで部屋のドアが開けられた。
【華琳】
「待ちなさい、蒼馬。」
【秋蘭】
「華琳様。」
【華琳】
「ご苦労さま、秋蘭。机の上に置いといてもらえる?」
【秋蘭】
「はい。」
【華琳】
「さて、蒼馬。時間はあるわね?少し付き合いなさい。」
華琳は蒼馬の返事を待たずに、そそくさと歩きだした。
【蒼馬】
「やれやれ、わがままなお嬢様だねぇ~。」
【華琳】
「何か言ったかしら?」
【蒼馬】
「~♪」
すっとぼけた蒼馬の態度に、不機嫌そうに眉間のシワを深くする華琳…だが、何を言っても無駄と早々に悟ったらしく、何も言い返さなかった。
そして二人がやって来たのは、城壁の上…そこからは、華琳が治める陳留の街並みを一望する事ができた。
【華琳】
「蒼馬。貴方にはここから、何が見えるかしら?」
【蒼馬】
「何って、街だろう?陳留だっけ~?」
【華琳】
「そうよ。でも、その答えじゃ及第点は上げられないわ。」
【蒼馬】
「おじさんの感想でも聞きたいのかい?そうだねぇ…小さな街だけど、活気がある。」
【華琳】
「えぇ…民がいて、彼らが街をつくり、賑わせる…そして、それを狙って戦が起きる。」
【蒼馬】
「…戦争…か。嫌だねぇ~。」
【華琳】
「でも、それが現実よ。豊かな町があって、それを制するだけの力があれば、金なり食糧なり力ずくで奪い去れば、そいつは一生楽して暮らせるんですもの。」
蒼馬の瞳が、僅かに曇りを見せた。彼は神術師のトレジャーハンター…あらゆる異世界を巡り、たくさんの街を見て、多くの人と出会って来た…中には、彼女が言ったような被害にあった町もあっただろう。さらに言えば、暴虐によって滅ぼされ、もう無くなってしまった町も…。
【華琳】
「けど、私が治める国では、絶対に戦なんて起こさせない。」
【蒼馬】
「相変わらず、凄い自信だねぇ~。」
【華琳】
「当然でしょう?民とは、弱いものよ。国とは、そんな弱い庶人を守る盾となり、また矛となるべきもの。その代わりに、労働力や資金を提供してもらい存在しているの。分かる?私の服も食事も、この城さえも…彼らの血と命で成り立っているの。」
【蒼馬】
「ふぅ~ん。それで、おじさんに何を言いたいんだい?」
【華琳】
「貴方、ちゃんと話を聞いていたのかしら?」
少し苛立たしげに、華琳は蒼馬を睨みつけた…華奢な体格だが、やはりその威圧感は凄まじい。
【華琳】
「ここに居るからには、貴方にもそれなりの働きをしてもらうわ。でなければ、食事も部屋も与えるわけにはいかないと…」
【蒼馬】
「なら、出ていくだけだよ~。」
【華琳】
「なっ!」
蒼馬は事もなげに言った。
華琳は聡明だ。先見の明もある。だが、さすがに蒼馬の考えは予測もつかなかったらしい。無理もない、衣食住は生きてくうえで絶対に欠かせないもの。それを奪われると言われて、ほいほい差し出すようなバカはいない。
それは絶対の常識、間違いようの無い事実…の、ハズだった。
【蒼馬】
「忘れたの?おじさんはただの旅人なんだ。別に、置いてくれと頼んだ覚えはないよ~。」
【華琳】
「そ、そうだったわね…」
らしくもなく、彼女は失念していた。
ここに彼が居るのは、彼ではなく自分が望んだ事だ。一刻も早く、彼を手なずけなければと焦るあまり、そんな事も忘れていたのである。
【華琳】
「でもね、蒼馬…私は欲しいと思うものは必ず手に入れるわ。いつか貴方も、自ら望んで私に従うようにしてみせる。覚えておきなさい。」
【蒼馬】
「ふぅー…やれやれだねぇ~。まぁ、言ってくれれば出来る限りの事はするよぅ。」
【華琳】
「えぇ、そうして頂戴。私も遠慮なく命令させてもらうから。」
【蒼馬】
「命令は嫌だな…おじさん、命令されるの大嫌いだから。正確に言うと、言いなりになるのが、ね。」
蒼馬の声が、明らかに低くなった。雰囲気も、何処かピリピリしている…。
華琳もそれを悟り、すぐさま話を逸らした。
【華琳】
「ま、まぁそれはそうと…蒼馬、民を守るためには、どうしたらいいと思うかしら?飢饉にあえがず、盗賊に奪われず、他国の侵略に怯えず、民の平穏と日常を守るためには…」
【蒼馬】
「…そんな事が可能なら、おじさんの方が知りたいよ~。」
【華琳】
「答えそのものは簡単よ。国を強くすればいい…人が増え、土地が豊かになれば、豊かな国を作れる。商業や工業が発展すれば、良質な武器を生み出し、国庫も潤う。でも、その為にしなければならない事が、難しいのよ。」
【蒼馬】
「…皆が安心して暮らせる国にする事、かい?」
【華琳】
「そうよ。分かってるじゃない。血税は、民衆の祈り…この国を、豊かで大きく、平和な国にする為の。」
【蒼馬】
「…恩義に報いぬは恥、か…」
【華琳】
「蒼馬?」
【蒼馬】
「昔、そう言ってた子がいてね…恩義に報いぬは恥、忠義を尽くさぬは罪、仁義を欠くは人に非ず…」
【華琳】
「良い言葉ね。どんな人だったの?」
【蒼馬】
「しがない兵士さ。生きていれば、一角の将になったかも知れないが…主君や上司である将軍、仲間達を死地から逃がす為に、若い命を落とした…」
【華琳】
「そう…」
華琳も、蒼馬の話してくれたその彼の死を悼んだ。
【蒼馬】
「…まぁ、彼の最後については、後になって知ったんだけどねぇ~。はぁ~、しんみりしちゃったね…平和な国にしたいって話だったけぇ?」
【華琳】
「えぇ。国が一つにまとまれば、争いはなくなる…その為に、貴方の力を貸して欲しいの。」
【蒼馬】
「買い被りすぎだよ~。おじさんは、ただの旅人なんだから…」
【華琳】
「いいえ。とぼけた態度で隠してるつもりだろうけれど、私の目は誤魔化せないわよ。」
【蒼馬】
「…なるほど。君への認識を改める必要があるねぇ~。今朝の非礼も詫びておくよ。ふふ、争いを無くすか…いいでしょう。そういう事なら、おじさんの力も貸してあげようかね~。これからよろしく、華琳。」
【華琳】
「えぇ。期待させてもらうわよ、蒼馬。」
二人は笑顔で握手を交わした。
二人は決して、主君と家臣という関係ではない…むしろそれは、協力者と呼ぶ方が相応しいだろう。
【華琳】
「とりあえず、貴方には我が軍の兵になってもらうわ。近いうちに出陣する予定だから、調練に参加して最低限の動きは覚えてちょうだい。」
【蒼馬】
「出陣?穏やかじゃないねぇ~。」
【華琳】
「山向こうの町や村を脅かしている盗賊たちがいてね。近々、正式に朝廷から討伐の命が下るはずよ。」
そして翌日、その話は現実のものとなる。
蒼馬は一兵卒として、一体どんな働きを見せるのだろうか?