第四十話 決戦準備
演武場は土煙に覆われてしまい、何がどうなったのか全く見えなくなってしまった。
【蓮華】
「…ど、どうなったの?思春、大丈夫?」
【思春】
「はい。ですが…さすがにこれでは、何も見えません…」
果たして、一刀と雪蓮はどうなったのか?
【蓮華】
「姉様…北郷…」
中々晴れない土煙に、呉の将たちの不安がピークに達した頃、不意に強い風が吹いて来て、立ち込めていた土煙を吹き飛ばしていった。
そして、演武場の中心では…星降りの御魂を大地へ叩きつけたままの一刀と、立ち尽くした雪蓮の姿があった。どうやら、二人ともケガは無いらしい。
【雪蓮】
「……」
雪蓮は、自身の左横の地面に目を向けた…一刀の刀が叩きつけられた大地は、地割れを起こしたかのように裂けていた。その裂け方は、パックリとなんて生易しいものじゃない…むしろ、バックリだ。
【雪蓮】
「…フッ…参ったわ。」
雪蓮がそう告げると、一刀は立ち上がって刀を収めた。
【一刀】
「それじゃ、よろしく頼む。」
【雪蓮】
「…えぇ。」
一刀が差し出した手を、雪蓮は複雑な表情をしながらも握り返した。一刀、三つ目の目的である蜀呉同盟も、無事に成立した。
【??】
「きゃあああああっ!」
と、その時である。突然、空から女性の悲鳴が響いてきた。
【一刀】
「ん、何だ!?」
上を向いた一刀が目にしたのは、自分めがけ落ちてくる…
【一刀】
「あ、愛紗!?」
【愛紗】
「ご、ご主人様!よ、避けt…」
【一刀】
「うわああぁぁっ!」
ドサッ
一刀は避けるのも間に合わず、受け止めようとするも落下の衝撃に耐え切れず、結局は愛紗の下敷きになるしかなかった。
【一刀】
「い、いててて…」
【愛紗】
「うっ…ご主人様、大丈夫ですか?」
【一刀】
「あ、あぁ…何とか…ん?」
その時、一刀は自身の右手がやけに柔らかいものを掴んでいる事に気づいた。見るとそれは…
【一刀】
「あ…」
【愛紗】
「?」
愛紗の左胸であった。
【愛紗】
「きゃあああっ!」
バチンッ
【一刀】
「ごべぶっ!」
愛紗の強烈なビンタが飛んできて、さしもの一刀も吹っ飛ばされてしまった。その左頬に真っ赤なモミジをつけて…。
【愛紗】
「ハッ!?も、申し訳ありません、ご主人様!」
【一刀】
「だ、大丈夫…愛紗も、元気そうで何より…」
本来なら感動の再会となるはずだったのに、とんだ安いラブコメの一コマになってしまった。おそらく、それもこれも…
【一刀】
「で、何で空から降ってきたんだ?」
【愛紗】
「いえ…お二人の闘いが終わるや否や、蒼馬殿に…」
空間転移で飛ばされたのだろう。飛ばす場所を考えて欲しいものである。まぁ、真下に一刀がいるから大丈夫とでも思ったのだろうが…。
【愛紗】
「そういえば、二人ともお怪我は?もし必要なら…」
愛紗はそう言うと、容器に入った水のような液体を差し出した。
【一刀】
「これって…蒼馬さんの…」
【愛紗】
「必要なら使うといいと…」
月下の雫…五百ミリほど入る容器に、八分目ぐらい入っている。相当な量だ。
【一刀】
「……愛紗、大事に持っててくれ。これからの戦で必要になる場面もあるだろうが…同時に、新たな争いの種にもなり得る。」
【愛紗】
「はい。」
死者をも生き返らせる月下の雫…この乱世において、大陸の覇権などより、よほど多くの人間を魅惑する代物だ。
【一刀】
「…孫策、俺たちは蜀に帰る。お前たちも、戦の準備をしておいてくれ。」
【雪蓮】
「えぇ、分かったわ。そうだ、北郷…貴方に、私の真名を預けておくわね。私の真名は、雪蓮よ。」
【一刀】
「ありがとう、雪蓮。俺には真名が無いから、名前でそのまま一刀と呼んでくれ。」
雪蓮と真名を交換した後、一刀と愛紗は呉を後にした。
【一刀】
「そうだ、愛紗。」
【愛紗】
「何ですか、ご主人様?」
馬を止めていた所まで向かう最中、不意に一刀は愛紗を呼び止めた。愛紗が振り向くと…
【愛紗】
「ご、ご主人様!?」
彼女の体をぎゅっと抱きしめた一刀…
【一刀】
「ただいま。」
【愛紗】
「ご主人様…」
【一刀】
「それと、無事で良かった。」
【愛紗】
「申し訳ありません、ご心配をおかけしました…」
【一刀】
「…愛してる、愛紗…」
【愛紗】
「はい……え?」
突然の告白に思わず聞き返そうとした愛紗を他所に、一刀はそそくさと愛紗から離れ、歩いて行ってしまった。
【愛紗】
「え?あ、あの、ご主人様?い、今、なんて……」
【一刀】
「さ、帰るぞ。」
【愛紗】
「ちょ、ご主人様!ぅぅ~…不意打ちなんて卑怯です…」
愛紗は顔を真っ赤にしながら、一刀の後を追った。
【蒼馬】
「若いっていいねぇ~。」
そんな二人の様子を、空の上から蒼馬はちゃっかり覗いていた。
【蒼馬】
「さてと…予定よりだいぶ遅れをとっちゃったし…おじさんも、そろそろ行こうかな~。」
そう呟き、蒼馬は光の翼を羽ばたかせて北へと進路を取った。目指すは、言うまでもなく五胡の地…死神の鎌が、怪しい輝きを放っていた。
蜀呉同盟が締結された日から、三国はそれぞれに戦の準備を推し進めていた。徴兵、兵の鍛練、軍の編成、兵糧や物資の調達…これで三国の命運が決まるであろう大事な戦だ。その準備には、過剰という言葉はない。
三国の軍師たちは、時間の許す限り奔走を続けていた。
【華琳】
「蜀も呉も、一向に表立って動こうとしないわね…」
【桂花】
「あの男の読み違いでは?」
【華琳】
「戦の準備を整えているのは間違いないわ。問題は…最初の一手を誰が打つかよ。」
呉も蜀も、魏が動くのを虎視眈々と待っているのだろう。
【華琳】
「…秋蘭の具合は?」
あれから数日して、秋蘭と流琉の部隊が帰還した。華陀によって処置を施された秋蘭たちは、帰還後順調に回復していた。
【桂花】
「大事を取らせていますが、本人はもういつでも出陣できると…」
【華琳】
「そう。蒼馬は?」
【桂花】
「……」
華琳の問いに、桂花は分かり易く口を閉ざす。
【華琳】
「そんなに彼が嫌い?」
【桂花】
「…はい。」
【華琳】
「…まぁいいわ。後で直接見に行くから。」
華琳の言葉に、桂花の表情が曇る…華琳が蒼馬を気にかけている事実が、どうしても許せないのだろう。まぁ、気持ちは分からないでもない。
【華琳】
「そんな顔をしないの。後で私の部屋に来なさい。」
【桂花】
「っ!はいっ♪」
そう言い残し、華琳は医務室に向かった。
蒼馬が五胡から帰還したのは、秋蘭たちが戻ってきた日からさらに二週間近くが過ぎた頃だ。目立ったケガこそしていなかったが、酷くやつれた様子で、若作りで黒くしているらしい髪に、隠しきれない数の白髪が混じっていた。
それから十日…再び医務室で安静にしている蒼馬は、以前と同様の老人スタイルでいた。
【華琳】
「…さすがの貴方も、五胡を相手に一人では辛かったようね。」
【蒼馬】
「そうだね~…思いの外、消耗しちゃったよ~。」
医務室の寝台に横たわったまま、蒼馬は力無く微笑みながらそう言った。
【華琳】
「…大丈夫なの?」
【蒼馬】
「まぁ、想定外な事が多々あったからね~…でも、大丈夫。ちゃんと、天の御遣いは殺すよ~。」
【華琳】
「…無茶だけは、しないでちょうだい…」
華琳は心配そうにそう言った。
【蒼馬】
「ありがとう。だけど、そんな心配そうな顔してたら、兵の士気が下がっちゃうよぅ。」
【華琳】
「そうね…準備は着々と進んでいるわ。もう、いつでも出陣できるくらいよ。」
【蒼馬】
「そうかい。おじさんも、もういつでも行けるよぉ~。」
【華琳】
「その前に、貴方の意見も聞かせてちょうだい。蜀と呉…どう攻めるべきかしら?」
【蒼馬】
「桂花ちゃんたちは何て?」
【華琳】
「関係ないわ。貴方の意見を聞きたいの。」
華琳からの不意打ち気味な問いに、蒼馬はしばし思案するような素振りを見せてから、実際は何も考えてないだろう調子でこう言った。
【蒼馬】
「そうだねぇ~、蜀から先に攻めたいというのが、正直な意見かな?」
【華琳】
「その理由は?」
華琳に理由を突っ込まれて、蒼馬は困った顔をした。
【蒼馬】
「いや、だって…おじさん、日に日に年老いてるわけだし、早く天の御遣いである一刀君を倒して、お役御免になりたいから…」
【華琳】
「ふざけているのかしら?」
【蒼馬】
「ごめん、冗談だよぅ~…」
蒼馬が寝たきりじゃなかったら、また蹴り飛ばされていただろう。
……。
華琳side
【蒼馬】
「ごめん、冗談だよぅ~…」
全く、この男は…床に伏していようと態度は相変わらずじゃない。
まぁ、それが頼もしいというのも事実なのだけど…それはそうと、何をさっきから部屋の隅を気にしているのかしら?そこには誰もいないのに、まるで睨みつけるようにして…
【華琳】
「蒼馬?」
【蒼馬】
「…何でもないよぅ~。さて、真面目な話をしようか…蜀と呉が同盟を結んだ今、こっちは両国の動きに注意を払う必要がある。現在の兵力は…およそ20万と言ったところか?うち、6万を別動隊として蜀方面へ向かわせるといい。率いる将には、春蘭ちゃん季衣ちゃん、凪ちゃんもいれば心強い。軍師は…風ちゃんがいいだろう。仮に蜀が攻めてきても、これなら安心だし、呉に送る援軍も減らせる。」
【華琳】
「じゃあ、残りの兵で呉を?」
【蒼馬】
「呉の兵力は15万ぐらいだろう。対し、こちらは14万…華琳、君が呉の立場なら、この報せを受けてどう思う?」
【華琳】
「……なるほど。その為の6万という数字なのね。」
【蒼馬】
「さらに、呉との戦闘は水上戦となるだろう。となれば、この兵力の振り分けはさらに大きな意味を持つ。」
やっぱり、聞いておいて良かったわ。
桂花たちの意見は対立して、どうにも作戦を決めかねていたし…それに、
【華琳】
「大したキレ者ね。わざわざ不利を被るなんて、あの子たちじゃ考えもつかなかったわ。」
【蒼馬】
「三人とも考えてはいただろうさ。実際に可能かどうか、不安だっただけだよぅ。おじさんがこんな状態だしね。まぁでも、呉軍と直接戦いはしないけど…こんなおじさんにも出来る事があるはずだし、おじさんも本隊に同行するよぉ~。」
【華琳】
「そうして頂戴。もとより、私もそのつもりだったわ。」
これで準備は整ったわ。
必ずや、この大陸の未来を、この手に!
normal side
蒼馬と華琳が大事な話をしている頃、蜀でも着々と戦の準備が整えられていた。こちらでも、軍師である朱里と雛里は大忙しで、日に幾度も城内のあちこちで二人の「はわわ」と「あわわ」の声が聞かれた。
鈴々や星と言った武将メンバーも兵の鍛練に余念はなく、翠と蒲公英は軍馬のコンデイションに日々気を遣っていた。
そんな最中、愛紗は一刀に呼び出された。正確には、星から一刀が呼んでると教えられたのだが…。
【愛紗】
『…この時間なら、ご主人様は政務室か?』
愛紗は早速、政務室に向かった。
【愛紗】
「ご主人様?お呼びでしょうk…」
【桃香】
「ふぇ?愛紗ちゃん?」
しかし、彼女の予想に反して、政務室には桃香しかいなかった。
【愛紗】
「桃香様、ご主人様はいらっしゃらないのですか?」
【桃香】
「見ての通りよ~…うぅ~、こんなに忙しいのに、ご主人様は何処に行っちゃったのよ!うわーん!」
確かに、桃香の目の前には書簡が山積み…朱里や雛里が戦支度に奔走している為、日々の政務は桃香と一刀がきっちりやらなければならないのである。しかし、今まで彼女たちが手伝ってくれていた分もとなると、その仕事量は半端ではなかった。
【愛紗】
「そうですか…執務中失礼いたしました。では…」
【桃香】
「待って~、愛紗ちゃ~ん、手伝ってよぉ~…(泣)」
【愛紗】
「いえ、ご主人様に呼ばれておりますので…見つけたら、戻るように伝えておきm…」
【桃香】
「早くしてくれないと、もう…限界……」
桃香は、力尽きたように机に突っ伏した。
【愛紗】
「と、桃香様?」
【桃香・黒】
「はぁ~…相変わらず頼りないわねぇ。」
次の瞬間、むくりと起き上がった桃香の瞳は、赤い輝きを宿していた。
彼女は愛紗を一瞥すると…
【桃香・黒】
「何をボケッと突っ立ってるの?ご主人様が呼んでるんでしょ?」
興味なさげに視線を書簡の山に移した。そしておもむろに、その内の一つを手にして開くと、ほとんど流し読みで目を通して、ポイポイと処理していく…。
【愛紗】
「…と、桃香様?どうされたのですか?」
考えてみれば、愛紗は素の彼女と話した事は無いのだった。桃香のフリをしている彼女とは、廊下ですれ違いはしたが…。
【桃香・黒】
「ご主人様から聞いてないの?まぁいいわ。さっさと行きなさいよ。でないと、無理矢理にでも手伝わせるわよ?」
【愛紗】
「し、失礼します!」
愛紗は慌てて政務室を後にした。
次に愛紗が向かったのは、医務室である。そこには、
【華陀】
「ん?珍しいな。」
一刀の後を追って蜀に来た、華陀が詰めていた。
【愛紗】
「華陀殿、ご主人様はいらしてなかったか?」
今や華陀は一刀にとって無二の親友となっていた。健康管理に関するアドバイザーとしても、全幅の信頼をおいているのだ。
【華陀】
「一刀か?今日は来てないな。」
【愛紗】
「そうか…はぁー、何処に行かれたのだ?」
その後、一刀の自室にも行ってみたが誰もおらず…よく仕事をサボって居眠りしている庭の木の上にもいなかった。
【愛紗】
「まったく!人を呼び付けておいて、何処に行ってしまわれたのだ!」
探せど探せど何処にもいない一刀に、愛紗もいい加減イライラしてきた。
【愛紗】
「だいたい、政務もほっぽり出して…これで大した用件でなかったら、その時は……」
【桜香】
「その時は?」
【愛紗】
「うぇっ!?お、桜香様?」
突然、真横の茂みから顔を突き出してきた桜香に、思わず愛紗もぎょっとしてしまった。
【愛紗】
「何をしてらっしゃるのですか?」
【桜香】
「璃々と隠れんぼしてるの。愛紗お姉ちゃんもする?」
【愛紗】
「いえ、私はご主人様を探すだけで手一杯ですので…」
【桜香】
「一刀兄たん?なら、城壁の上じゃない?何とかと煙は高い所が好きなんでしょ?」
【愛紗】
「なるほど、盲点でした。ありがとうございます、桜香様。」
愛紗は桜香に礼を言うと、その場を後にした。
その前に、一刀バカにされてた気がするのだが?
カンカンになっている愛紗が城壁をに上っている頃、一刀は…本当に城壁の上にいた。
【一刀】
「……」
真剣な面持ちで、じっと遠くの空…魏の方角を見つめている。
【愛紗】
「…あ、ご主人様!」
そんな一刀の姿を見つけ、愛紗は駆け寄ってきた。続けて文句の一つも言ってやろうと思っていたのだろうが、一刀の表情を見てその言葉を飲み込んだ。
【一刀】
「遅かったな、愛紗。今のお前なら、すぐに見つけられたと思うんだけど?」
【愛紗】
「こんな所におられては、見つけられるわけがないではありませんか!桜香殿に会えなければ、危うく街に探しに出ていました。」
【一刀】
「…しっかりしてくれよ、愛紗。蒼馬さんに何を習ったんだ?」
横目で愛紗を睨む一刀…その真剣な表情から察するに、かなり怒っているようだ。
【愛紗】
「……す、すみません。」
【一刀】
「相手は夏侯惇なんだろ?油断してたら死ぬぞ。俺を残して先に死んだりしたら、承知しないぞ。」
【愛紗】
「はい。」
【一刀】
「…皆に伝えてくれ、愛紗。魏が、動くぞ。」
一刀が見つめる先…魏の都・許昌の、城の、医務室。寝台の上で上体を起こしていた蒼馬は、一人になった部屋で、ニヤリと、唇の端を吊り上げていた。
【蒼馬】
「さぁ、始まるよぉ~。」




