第三十七話 愛紗の修業(後編)
それは、突然の事だった…
【愛紗】
「こ、これは!?いったい…一体、どうなって…」
それまで真剣な顔で青龍に念じ続けていた愛紗の顔は、今や青ざめ、引き攣っていた。無理もない、何故なら青龍から…
【愛紗】
「ひぃっ!」
禍々しい、どす黒い怨念じみたオーラが湧き立ち、彼女の周囲に立ち込めているのだから。
戦場で勇猛果敢に戦う彼女だが、実は…幽霊の類が大の苦手だったりするので、この怨念は相当の恐怖のようだ。
思わず、彼女は青龍を投げ捨てようとすr…
【蒼馬】
「離すなっ!」
【愛紗】
「っ!」
蒼馬の声が響き、愛紗の動きがビクッと止まる。
【蒼馬】
「絶対に離すな!」
【愛紗】
「で、ですが、蒼馬殿…」
愛紗の声は震えている…今にも、子供のように泣き出しそうだ。しかし、蒼馬は変わらず厳しい口調で続ける。
【蒼馬】
「手を離せば逆にとり殺されるぞ!それは青龍の魂じゃない!君が斬ってきた…青龍に斬らせてきた者たちの怨念だ!」
【愛紗】
「…っ……」
続ける蒼馬に対し、愛紗はもう声も出せないようだ…。
【蒼馬】
「青龍は、その怨念が君に危害を与えないように、自身にそれを吸収させてきたんだ!今、手を離せば、その守護が消えるぞ!」
【愛紗】
「…ど、どうすれば…?」
【蒼馬】
「落ち着け!その怨念の中に埋もれた、青龍の魂を見つけ出すんだ!」
【愛紗】
「青龍の、魂…」
愛紗は恐怖をぐっと堪え、青龍を握り締めた。意識を向ければ、自然と頭に流れ込んでくる怨念たちの声…さらには、青龍の刃に切り裂かれる情景と痛みまで伝わってきた。
【愛紗】
「ぐっ…ぅぅ……」
気が触れそうになるような苦痛の中、それでも愛紗はその手を離そうとしなかった。苦しみの中、彼女は悟ったのかもしれない。自身に何を課せられているのかを…。
この怨念の中に埋もれた青龍の魂を見つけるという事は、否応なく怨念たちと向き合わねばならない…それは今まで、青龍が担ってくれていた事であり…その苦しみを、分かち合わねばならないという事である。
【愛紗】
「…ぐぅっ!ぁ、が……」
【蒼馬】
「……限界か。これ以上は…」
命に関わる、そう判断した蒼馬は修業を中止させようと愛紗の下に歩み寄ろうとした。
【愛紗】
「ま、まだです!まだ、私はやれます!」
強がる愛紗だが、その表情は発狂寸前であった。見開いた目は血走り、クマも酷く、食い縛った歯の間から血を流し、彼女のトレードマークである美しい黒髪も、艶を失いボサボサになっている。
【愛紗】
「青龍は、ずっとこの怨念から私を守ってきてくれた…なら、今度は私の番です!今度は私が…青龍を見つける番です。」
【蒼馬】
「…なら、死ぬ前に見つけてみせろ。」
【愛紗】
「はい。」
愛紗の決意に押されて、その場は引き下がった蒼馬だが…それから一時間近く経っても、愛紗は青龍の魂を見つけられずにいた。それどころか…
【愛紗】
「……かは…ぁ……」
倒れ伏し、血を吐き、全身が痙攣を起こしている…もはや、死にかけであった。
【蒼馬】
「…そのまま死にたいか?」
【愛紗】
「…ま、まだ…まだ……がはっ!」
再び血を吐く愛紗…しかし、それでも青龍からは手を離そうとしなかった。
【蒼馬】
「今、止めないと…死ぬよ?」
【愛紗】
「……」
……愛紗は、返事をしなかった。いや、出来なかった…。いつの間にか、彼女の呼吸も、心音も、止まっていた。
愛紗side
ここは…?
私は、さっきまで修業を…そうだ!青龍!青龍!何処だ!?バカな…さっきまで、確かにこの手で持っていたはずなのに…。
それに、蒼馬殿もいないし…怨念の声も気配もない…どうなっているんだ?
ひょっとして、私は…死んだのか?
【蒼馬】
「いや、まだ死んではいないよぅ~。」
【愛紗】
「うわ!?蒼馬殿?一体、何処から…」
【蒼馬】
「湧いて出たのかって?まぁ、そんな事はどうでもいいよぉ。」
どうでもいいって…それを判断するのは私の方なんですが…。
【蒼馬】
「それもそうだね~。」
【愛紗】
「…?蒼馬殿?どうして今…」
【蒼馬】
「どうしてって、今の君は魂だけの状態だからね。心の声も、おじさんには声になって聞こえるんだよぅ。」
【愛紗】
「魂だけ?では、やはり私は…」
【蒼馬】
「落ち着きなって。一時的に、肉体から魂が離脱しているだけだよ。まぁ、さすがに長引くと危険だけどね~。」
【愛紗】
「だ、だったら早く戻らないと…」
【蒼馬】
「でも戻る前に、アソコに行ってごらん。」
蒼馬殿が指差したのは、薄暗い中に、一際明るい光の差した場所だった。
【愛紗】
「あそこに何が?」
【蒼馬】
「行けば分かるよぉ~。じゃ、おじさんは先に戻ってるよ~。」
そう言って、蒼馬殿は現れた時同様、唐突に消えた。一体、何だったのか…。
取り合えず、私は蒼馬殿に言われた通り、光の差した場所へと向かった。遠くに感じたその場所は、歩いてみると意外に近かった。
【愛紗】
「…これは!」
そこには、地面に突き刺さった青龍が…こんな所にいたのか。
私はすぐさま、青龍に手を伸ばした…しかし、手にした青龍はビクともしない。
【愛紗】
「せ、青龍?どうしたんだ?」
幾ら力を入れて引っ張っても、結果は変わらなかった。
一体、どうすれば…その時、ふと思った。さっきまであた場所は、ここから見るとあんなに暗いのに、どうして蒼馬殿の姿が見えたのか…ここを指差していると分かったのか…。蒼馬殿は言った…今の私が魂だけだと…つまり、先の蒼馬殿もまた魂だけだった…私は、気づかぬうちにその魂の言葉を、意志を感じ取った?
だとすれば…この青龍も…いや、これこそが!
【愛紗】
「青龍の魂…」
私は、両手で青龍を持ち直した…
【愛紗】
「…やっと、見つけた…」
力を入れるんじゃなく、優しく、でもしっかりとその柄を握り…
【愛紗】
「…今まで、私を守ってくれて、ありがとう…」
抜こうとはせずに、ただ感謝の思いを……すると、青龍は自ら、大地から抜け出てきた。
normal side
愛紗が目を覚ますと、空はすでに明るくなっていた。
【蒼馬】
「おはよう。まだ、動かない方がいいよぅ。」
【愛紗】
「蒼馬殿、おはようございm…はぐっ!」
忠告を聞かずに、体を起こそうとした愛紗は、自身の背中や腕の筋肉がビキッと音を立てるのを聞いた。その瞬間、全身に激痛が走る…。
【蒼馬】
「体の方は仮死状態だったからね~。まぁ、あと三十分から一時間くらいすれば、硬直も和らぐはずだよ~。」
【愛紗】
「そうですか…」
【蒼馬】
「一刀君の方も、休息をとり終えて動き出したみたいだね~。」
【愛紗】
「ご主人様、がっ!?」
驚きに声を張った愛紗は、今度は腹筋から胸にかけて激痛を覚え、声を詰まらせた。
【蒼馬】
「とりあえず、君の回復を待って、一刀君と合流させてあげるよぉ。」
【愛紗】
「ありがとうございます。」
と、その時…蒼馬が急に動揺の色を見せた。
【愛紗】
「蒼馬殿?」
【蒼馬】
「い、いや、何でもない…」
【愛紗】
「はぁ、そうですか…」
咄嗟に取り繕う蒼馬だが、内心は相当に焦っていた。
【蒼馬】
『な、何だ?一刀君のこの移動スピードは…まさか!一刀君、すでにあの刀の力を?』
一刀が目を覚ましたのは、愛紗が起きるのとほぼ同時だった。
【一刀】
「ん、ん~!良く寝た。」
起きた一刀は顔を洗い、馬に水を飲ませ…すぐに出発した。
出発して、すぐに…
【一刀】
「…よし、今日も飛ばすぞ!」
一刀は星の太刀を抜き放って、その力を無意識に解放した。瞬間、彼と彼の乗る馬は流星のごとく、大地を駆け抜けた。
【一刀】
「おおっ!やっぱ、速いな!すっげぇぞ、お前。」
だから馬のおかげではない…。
【蒼馬】
『このままだと、午前中には呉に着いてしまうな…』
一刀の機動力を見くびっていた蒼馬は、悠長に構え過ぎた事を後悔した。
このままでは、魏が出る幕もないまま、蜀と呉が戦を開始するかもしれない。蒼馬はその前までには、五胡を脅し付けて、魏に戻るつもりだったのだが…。
【蒼馬】
『こうなったら、国境の砦で少しでも足止めされてくれるのを、期待するしかない。』
蒼馬のそんな淡い期待も、この後すぐにぶち壊された。
【呉軍兵士A】
「ん?何だ、あれは…」
国境に建つ砦に詰めていた兵士の一人が、もの凄い速さで接近してくる影を確認した。
【呉軍兵士B】
「どうした?」
【呉軍兵士A】
「いや、あれ…」
とか言ってる内に、その影は迫って来て砦の門を…
【一刀】
「うらあああっ!」
ドゴォンッ
叩き破って、突き抜けて行った…。
【蒼馬】
「……」
蒼馬は座り込んで頭を抱えていた…。
【愛紗】
「そ、蒼馬殿?」
【蒼馬】
「…世の中、どうしてこう上手く行かない事ばっかりなのかね~。」
日頃の行いが悪いからである。
【一刀】
「う~ん、やり過ぎたか?」
すでに遠くに見える呉の国境の砦…馬上から顔だけで振り返りながら、一刀はその様子を眺めた。
しかし、後ろを振り向いている時間など無かった。
【一刀】
「待ってろよ、愛紗…今行くからな!」
その後も、一刀が速度を緩める事はなく、蒼馬の予想通り午前中に呉の都へと到着した。
さすがに、城門を破って都に押し入るつもりはないのか、一刀は適当な距離で馬を降りて、単身で城門へ向かった。その手に、星の太刀を握ったまま…って、これでは明らかに不審者、敵襲と思われてしまうが…。
と、次の瞬間…一刀の姿がその場から消えた。まるで、蒼馬の空間転移か瞬脚のように…忽然とだ。
【一刀】
「よっと…」
常人には、彼の動きは見えなかっただろう。強いて感じた事と言えば、今日は風が強いなぁ、くらいか?
文字通り、一刀は風となって駆け抜け、城門を飛び越え、さらにそこから城下の街にある建物の上に飛び降りてきたのだ。誰にも、その動きは見えなかった…いや、仮に目撃した者がいたとして、それを信じられるとは到底思えないが。
【一刀】
「侵入成功…とはいえ、これからどうするか?さすがに、城の中にまで今みたくはなぁ…」
それはさすがにマズい、という思考が働くくらいには、まだ彼にもまともな部分が残っているようで、ちょっと安心した。これで躊躇せず城にまで侵入したら、豪胆になったというレベルではなく、ただのバカだ。
【一刀】
「よし、整理しよう。俺の成し遂げたい目的は…愛紗を助ける事、桃香と同じような状態になっているらしい呂蒙将軍だっけ?その人を何とかして正気に戻す事と、呉と同盟を結ぶ事。さて、どれから手をつければいい?」
一刀は落ち着いて思案した。確実にこの三つを成功させるには、どうすればいいのか。もっとも、実は残り二つだけなのだが、まだ彼はその事実を知らないのである。
【一刀】
「呂蒙将軍を正気に戻してあげれば、呉といい関係になれるかもな。じゃあ、呂蒙将軍の方が先だな。でも、連中の狙いが俺の命なら、愛紗を人質にしてくるのは目に見えてる。やっぱ、先に愛紗を助けないとダメだ。」
感情的にも、理論的にも、それが先決だという意見は一致した。問題は方法である。
【一刀】
「虎穴に入らずんば…」
だから、それはダメだって!
冗談に聞こえないトーンで独りごちる一刀…その目は、まっすぐ城を見つめている。
【一刀】
「……ダメだ。そもそも、愛紗が何処に捕らわれてるのか分からない…広い城の中を駆けずり回ってる内に見つかって、愛紗を盾にされてゲームオーバーだ。」
あわや本当に乗り込む気かと思ったが、大きな問題に気づいてくれたようだ。
【一刀】
「となると…呉の誰かの協力がいるな。」
項垂れていた一刀は、眼下の街にいる人々を見下ろしてそう呟いた。そして、その民たちの中に…明らかに異彩を放つ少女を見つけた。
【一刀】
「あれは…」
一刀は人気のない通りに飛び降りてから、市の中を歩く彼女の姿を再確認した。ピンクの髪に、青い瞳…ただ、髪が短くなっているのが気になったが、それでも間違いないと一刀は確信した。
【一刀】
「確か、孫権…彼女なら或いは…」
話が通じる…そう直感した一刀は、彼女の方へ歩み寄った。
【町民A】
「あら、孫権様!」
蓮華は、果物を売っている店の前で、店の女将さんに声をかけられていた。
【町民A】
「今日はいい桃が入ったんですよ。よろしかったら、どうぞ。」
【蓮華】
「あ、あぁ…ありがとう…」
予想だにしない親切に戸惑いつつも、蓮華はありがたくその桃を受け取った。籠に詰められた桃は、甘い香りがして実に美味しそうだった。
【蓮華】
「いい香り…姉様も喜ぶわ。」
【町民A】
「孫策様にも召し上がっていただけたら、光栄な限りです。」
そんな話をして、女将さんと別れ、市の視察に戻る蓮華…と、そんな彼女に、
【一刀】
「へぇ~、民から慕われてるみたいだね。」
【蓮華】
「っ!」
一刀は背後から声をかけた。
びっくりした蓮華は、せっかく貰った桃を落としそうになったが、何とか持ち直した。そして、慌てて振り返り、また驚いた。
【蓮華】
「き、貴様は…北郷…?」
【一刀】
「やぁ。」
片手を上げて、軽いノリで挨拶する一刀に対し、蓮華の方は昼間からお化けでも見たような顔をして固まっている。
【蓮華】
「い、生きていたのか?それとも、怨念か?」
【一刀】
「人を悪霊みたいに言わないでくれ!ほら、足!ちゃんとあるだろ?」
この時代、幽霊には足がないという説があるのかは微妙だが、一刀の明るい様子を見て、少なくとも怨念ではないと蓮華も安心したようだ。
【一刀】
「まぁいいや。そんな事より、君に折り入って頼みがあr…」
その時、絶妙なタイミングで一刀の腹の虫が鳴った。
【蓮華】
「……」
【一刀】
「……」
さすがの一刀も、これには赤面するしかなかった。
その様子が可笑しくて、蓮華も失笑してしまった。
【蓮華】
「ぷっ…ふふ、うふふふ…」
【一刀】
「あ~、いや、これは色々あって、昨日から何も食べてないというか…長坂の一件から向こう、まだお粥を少ししか食べてなかったので…」
ずっと意識の無かった彼は、起きてからもすぐには食事を取れず、やっとの思いで少量のお粥を胃に入れたのだ。それ以来、水しか飲んでいなかったのだから、そりゃあ腹も減るというものである。いや、普通なら倒れているだろう。
【蓮華】
「ふふ…ごめんなさい。でも本当に、貴方っておかしな人ね。」
【一刀】
「そうかなぁ?」
【蓮華】
「会う度に、見る度に、印象がコロコロ変わるんですもの。」
【一刀】
「そう言う君だって、髪バッサリいったね?イメチェン?」
【蓮華】
「いめちぇん?」
【一刀】
「って、ごめん。俺の世界の言葉だった。見た目の雰囲気とかを変える事、って意味さ。」
【蓮華】
「あぁ…まぁ、そんなところね。似合ってなかったかしら?」
【一刀】
「いや、そんな事ないよ。凄く似合ってるし、可愛いと思うよ。」
不意打ち気味に可愛いなんて言われて、今度は蓮華の方が顔を真っ赤にしてしまった。まぁ、髪を切り、気持ち区切りをつけたつもりとはいえ、かつては淡い恋心を抱いていた一刀に言われたのだ。無理からぬ事である。
【一刀】
「孫権?顔が赤いけど大丈夫k…っ!?」
お決まりの鈍チンなセリフを遮るように、何者かが殺気を放ちながら一刀に迫ってきた。
殺気に気づいた一刀は、咄嗟に刀を抜いて、黒い影が振り下ろしてきた一撃を受け止めた。
ギィンッ
【一刀】
「くっ!?」
受け止めたのは、一刀から見ても相当な長さの長刀だった。それを、刀の長さに不釣り合いなほど小柄な少女が握っている…その事実に、地味に一刀の思考は混乱した。
【蓮華】
「み、明命!?」
【一刀】
「あらら、敵さんに先に見つかっちったかな?」
明命の瞳の様子が、鈴々や朱里たちのそれと酷似しているのを見て、一刀は彼女が操られている事を悟った。
未だ愛紗が捕らわれていると思っている一刀は、自身が絶体絶命の窮地に立たされたと思った。しかし、そうは思っても、やはり彼の心は怖いほど落ち着いていた。
【一刀】
「まぁ、何とかなる…か?」




