第三十三話 増殖する影
馬を全力で走らせた一刀は、やっとのこと蜀へと辿り着いた。辿り着いた、と言っても国境の砦なのだが…。
【一刀】
「さて…慌てて来ちまったが、どう言って通してもらうか?」
一刀は可及的速やかに、城にいるであろう桃香たちと合流したかった。しかし、いくら単身とはいえ、武器として刀を三本も下げた見慣れない服を着た男が、はいどーぞと通してもらえるわけはない。
事情を話しても、確認を取りに行ってる間に日が暮れるだろう。いや、すでに日は傾き、もうじき夕暮れだ。城に着けるのは明日になるだろう。
【一刀】
「いっそ強行突破するか?」
焦っているのか、暴走しているのか、いきなり物騒な発言をしだす一刀…。
【一刀】
「せめて、前のとこの兵士が一人でも詰めててくれれば、俺の顔も分かるかもなんだが…」
砦を前に悩む一刀…ところで、彼は砦から少し距離をとった位置にいるので、砦の兵たちに気づかれていないつもりなのだろうが…
【兵士A】
「なんだ、あいつは…?」
【兵士B】
「あんなとこで立ち止まって、何をしているんだ?しかも、見たこともない服を着てるぞ。」
【兵士A】
「怪しいな…魏か呉の間者じゃないか?」
めっちゃバレてるし、しかもめっちゃ怪しまれていた。
【一刀】
「よし、とりあえず行こう。行ってみて、もしかなり時間がかかりそうなら、その時は仕方ない。突っ切って行こう。」
いや、待とうよ…。
何だか以前にも増して思いきりがよくなった一刀…しかし、彼が砦へと近づいて行くと、砦から兵たちが出てきた。
【兵士B】
「そこの者、止まれ!」
【兵士C】
「怪しいヤツめ!蜀の地に何用だ!」
【一刀】
「え?え?いや、怪しい者じゃ…俺は…」
【兵士A】
「かかれーっ!」
兵士たちは一刀の話も聞かずに、一斉に掛かってきた。
【一刀】
「ちょっと!話を聞いてくれって!」
一刀の言葉も虚しく、兵士は問答無用で槍を振ってきた。慌てて一刀は頭を下げてそれを躱し、兵士たちの動きを見た。
お互い馬に乗っているし、数は十人近く…しかし、その動きは今の一刀には恐ろしく緩慢に見えた。
【一刀】
『…仕方ない…砦を突っ切るか…』
一刀は、迫りくる兵士たちの攻撃を全て避けながら、馬を走らせた。突き出される槍を伏せたり、のけ反ったりして躱し、鞘に収めたままの刀で時折はじきながら、風のように兵士たちの間をくぐり抜けた。
【兵士A】
「なっ!?」
驚きを隠せない兵士たちを尻目に、一刀は刀を抜いた。あの青い刀身の刀だ…瞬間、一刀の姿はまさに…風となった。
目にも止まらぬ速さで、駆け抜ける一刀…砦の門が閉まるより早く突入し、閉じていた反対側の門は…
【一刀】
「はっ!」
最弱の衝撃波で吹き飛ばし、そのまま砦をものの二秒で抜けてしまった。
【一刀】
「……ん?って、速っ!え?ちょっ!お前、凄いな!」
一刀は驚愕と感激の入り混じった様子で、自身の乗ってきた馬を褒めちぎった。
別に、一刀が乗っている馬が特別に速いわけではない…彼が抜いている剣、星恋龍牙の内の一本、星の太刀の効果によるものだ。
【一刀】
「よし、このまま一気に城まで突っ切るぞ!」
【桃香・黒】
「…于吉の作戦通りなら、愛紗はもう呉の呂蒙に討たれた頃ね。」
彼女は自室の窓から、魏の地の方角を眺めてポツリと呟いた。
【桃香・黒】
「愛紗には悪いけど…これでご主人様は、私のモノ。フフフ…アッハハハハ!こんなに事がうまく運ぶなんてね…それに、戦争の流れも早める事が出来たし。」
彼女のその口振りは、まるで自身の勝利を確信しているかのようだ。よりによって、ケンカを売った相手は三国のトップ勢力である魏だと言うのに。
【桃香・黒】
「愛紗が呉に討たれたと知れば、曹操は私たちが呉と一戦を交えると考える…その機を逃す彼女じゃない。でもまさか、于吉のおかげで私と呉が水面下で内通しているなんて、かの曹孟徳も思いもよらないでしょうね。」
そう、これが彼女の作戦であった。
于吉、呉、さらに愛紗の死…目的の為には、利用できるものなら何でも利用する…彼女には、桃香が持たない狡猾な知恵と、それを実行し得る冷徹さが備わっていた。
しかし、内通関係と言っても、于吉によって人格を変えられたのは桃香と、恐らくは亞莎のみ。幾らなんでも、二つの勢力をコントロールして一緒に魏を迎え討とうとさせるには無理がある。
と、そこへ…
【??】
「桃香様。お呼びでしょうか?」
背の高い、白黒の髪をした女性が、彼女の部屋へ入ってきた。
【桃香・黒】
「焔耶ちゃん、待ってたわ。」
彼女は魏延…桃香の親衛隊を務める将だ。長身でハスキーヴォイス、顔立ちも美しいので男装も似合うだろう。宝〇の男形としても通用しそうだ。と、思ったが、相当キツくサラシを巻かねばならないようなので、少し無理があった。
【桃香・黒】
「焔耶ちゃんにお願いがあるの。」
【焔耶】
「はっ!なんなりと…っ!?」
突然、彼女は焔耶に詰め寄ると、キスでもしそうなほど焔耶に顔を近づけて、じっとその瞳を覗き込んだ。
【焔耶】
「と、桃香様?な、何を…」
顔を真っ赤にして目を泳がせる焔耶…実は彼女、桃香に一目惚れしており、親衛隊でありながら、桃香の半径五十センチにも踏み入れないのだ。いざという時に困ると思うが…。
【桃香・黒】
「大丈夫よ、さぁ…ワタシをミテ…」
【焔耶】
「え?と、とうか…さま……」
彼女の瞳に、赤い光が揺らめくと同時に、焔耶は急激に意識が遠のいていくのを感じた。その瞳から、徐々に精彩が失われていく…。
【桃香・黒】
「…フフフ…焔耶、私の言う事、聞いてくれるわよね?」
【焔耶】
「……はい、桃香さま……」
…どういう事であろうか?まるで精彩のない瞳のまま、虚ろな声で返事をする焔耶…その様子はまるで、彼女の操り人形にでもされたかのようである。
その頃、呉では…独断で愛紗がいる蜀の部隊を討ち、彼女を生け捕りにして戻ってきた亞莎の尋問が終わった所だった。
【明命】
「亞莎!」
尋問を終えた亞莎を待っていたのは、親友である明命だった。
【明命】
「大丈夫だったんですか?お咎めは?」
【亞莎】
「お咎め?無いですよ、そんなの。」
【明命】
「え?」
事もなげに言う亞莎の言葉が、明命には信じられなかった。無理もない、彼女の勝手な行動で、蜀との確執をより深めてしまった。今はまだ内政に力を入れたいこの時期に、他勢力と諍いを起こしかねない行動をとって、何の咎めもないわけがない。
【亞莎】
「本当に大丈夫ですよ。元より、劉備陣営との仲は最悪…いずれ蜀から攻めてくるのは間違いなかったのですから、その前に少しでも向こうの戦力を減らしておかないと。蜀軍最強の関羽を捕らえたのは、むしろ我が軍にとって有益…咎めを受ける理由なんてありません。」
【明命】
「…そうかもしれないけど…でも、それならそれで、雪蓮様や冥琳様たちに前もって相談しておけば良かったのに…こんな騒動になって、心配したんだからね。」
【亞莎】
「ごめんなさい、心配かけて…そうだ、明命…」
【明命】
「何、あー…しぇ?」
亞莎の瞳にも、彼女と同じあの赤い光が揺らめき、それを見てしまった明命は…焔耶と同じく、意識を乗っ取られてしまった。
【亞莎】
「協力してね、明命?」
【明命】
「……えぇ……」
一刀が城に到着したのは、夕陽が西の空へと沈もうとしている頃だった。
通ってきた市の方は、横目で見る限り活気があり、繁盛しているように見えた。まぁ、一刀の馬は速かったので、市の人たちからは一刀の姿など見えなかっただろうが…もし見えていたら、一刀を知る人たちだって当然いるので、町は大パニックになっていたはずだ。
【一刀】
「町の人たちの様子は、幽州にいた頃と変わりないみたいだな…でも、」
一刀は城門に目を向ける…開け放たれた門、本来ならそこにいるべき門番の兵の姿は影も形も無い。篝火が煌々と燃えて辺りを照らすが、迫る夕闇の中では逆に不気味さを増していた。
【一刀】
「何なんだ?この異様な雰囲気は…」
城全体から漂う、悍ましい邪気…立ち入る事を思わず躊躇ってしまi…
【一刀】
「…皆、何処にいるんだ?」
…邪気を感じていないわけじゃないだろうに、それでも一刀は臆する事もなく城内へ入って行った。
【一刀】
「すぅ~…おーい!桃香ーっ!愛紗ーっ!鈴々!朱里!雛里!誰か、いないかぁっ!」
…邪気を…感じていないのか?不用心にそんな大声を出して…。
案の定、返事は無かった。仕方なく、一刀は城内を進む…長い廊下を歩いて行くと、物陰に蹲っている少女を発見した。丸い帽子に、黄色い髪…一刀には見覚えがあった。
【一刀】
「朱里?」
【朱里】
「ひぅっ!?あ、あぁっ!ご主人様ぁっ!」
ひどく怯えた様子で顔を上げた朱里だったが、一刀の姿を見るやワッと泣き出し飛びついてきた。よほど怖い思いをしたのだろう…。
【朱里】
「ご主人様!ご主人様ぁっ!」
【一刀】
「しゅ、朱里?何があったんだ?何で誰もいないんだ?」
【朱里】
「桃香様が、兵の皆さんを集めているみたいですから…桃香様、まるで人が変わったみたいで…おまけに、焔耶さん…魏延将軍まで様子がおかしくなって……怖くなって逃げ出したら、雛里ちゃんが捕まって、牢屋に…」
まだ落ち着き切らない朱里の説明は、途切れ途切れだったが、とりあえず桃香がおかしくなった事だけは一刀にも理解できた。そして、雛里が捕われている事も。
【一刀】
「よし!じゃあ、まずは雛里を助け出そう。朱里、案内を頼む。俺一人だと迷子確定だからな。」
【朱里】
「はい!」
こうして二人は、牢屋に捕われている雛里を救出に向かった。
【朱里】
「皆さん、桃香様に集められて玉座の間にいるとは思いますが、一応気をつけて下さいね。」
【一刀】
「わかった。見つからないように…抜き足…」
【朱里】
「差し足…」
【鈴々】
「忍び足♪」
【一刀】
「うわぁっ!びっくりした…鈴々!お前、いつから?」
背後にいきなり現れた鈴々に、一刀は思わず大声を上げてしまった。
【朱里】
「しーっ!ご主人様、声が大きいです!(小声)」
【一刀】
「ごめん。(小声)」
朱里に怒られる一刀を見て、まるで悪戯が成功した子供のように笑う鈴々…。
結局、鈴々も入れて三人で牢屋に向かう事になった。
【一刀】
「なぁ、鈴々…愛紗はどうした?」
【鈴々】
「愛紗は…兵を率いて魏に向かったのだ。魏は、今ちょうど守りが手薄になってるからって。」
【一刀】
『…つまり、その作戦の陽動の為に、夏侯淵将軍たちは襲撃されたのか。しかし、いくら手薄だと言っても、将が愛紗一人なんて…愛紗、無事でいてくれよ。』
一刀が愛紗の心配をしている間に、一行は無事に牢屋へと辿り着いた。看守は…どうやら看守までいないようだ。
【一刀】
「雛里!雛里、何処だ?」
【雛里】
「…ぁ…ご主人様……ご主人様っ!」
一刀の呼び掛けに、雛里は消え入りそうなか細い声を絞り出して叫んだ。
【一刀】
「雛里!無事だったんだな。」
牢の中に入れられてはいるが、見たところケガも無いようだ。ホッと安心した一刀だったが、その後ろにいる人物を見てもっと驚いた。
【一刀】
「なっ!趙雲殿!貴方まで…」
見ると、そこには手首を後ろ手に縛られ、猿轡を噛まされた星が横たわっていた。
【星】
「ーーーっ!」
何かを必死に訴えようとしているようだが、その言葉はまるで声にならなかった。
【一刀】
「朱里!鍵は?」
【朱里】
「ここです!」
朱里に牢屋の鍵を手渡された一刀は、鍵を開けると急いで中に入り、雛里を表に出させて、星の縄を解きにかかった。
【一刀】
「待っててくれ。今すぐ縄を…くっ、固い…」
さすがに頑丈に結ばれていて、中々解く事が出来ない。
と、モタモタする一刀に苛ついてか、星は激しく首を横に振っている。
【星】
「ーーーっ!」
【一刀】
「趙雲殿?」
否、何かを、必死に訴えようとしていた…と、首を振った拍子に星の猿轡が外れた。
【星】
「北郷殿!早く逃g…」
しかし、
バタン…ガチャッ
【一刀】
「え?」
星の訴えは、既に遅かった。
閉ざされた牢屋の戸…まだ中にいる一刀と星…そして、先程までとは打って変わり、無表情で牢屋の外に立っている、朱里と鈴々と雛里…。
【一刀】
「お、おい?三人とも?何の冗談だ?」
【鈴々】
「ごめんね、お兄ちゃん…これも、お姉ちゃんの為なのだ。」
感情の篭っていない鈴々のその言葉に、一刀はやっと事態を飲み込めた。そう…すでに鈴々たちも、彼女に洗脳されてしまっていたのだ。
考えてみれば、もっと早く気づくべきであった。
一刀の大声に、充分に声が聞こえる位置にいながら反応しなかった朱里…あれだけ大騒ぎしながら、ここまで来る間に誰にも見つかっていない事、不在の看守に、星の縄を解こうともしていなかった雛里…気づくべき要素は幾らでもあったのに、一刀は悉くそれを見逃していた。
【一刀】
「……」
信じていた、古参の仲間たちによる裏切り…ショックのあまり、一刀は項垂れるしかなかった。
【朱里】
「安心して下さい、ご主人様。桃香様が大陸を統一した暁には、ご主人様には大陸の王となっていただきますから。」
【雛里】
「つまり、桃香様の旦那様に…」
【鈴々】
「…愛紗の事は、もう忘れるのだ。」
そう言い残し、三人は牢屋を後にした。
ショックから立ち直れず、黙り込んでいる一刀…
【星】
「しっかりされよ!北郷殿!桃香殿はあの変わり様、さらには貴殿まで諦めてしまっては、お二人を信じて逝かれた伯珪殿が…余りに、惨めではありませぬか!貴殿は、天の御遣いなのであろう!これしきの事で…」
【一刀】
「…いや…俺は、ただの人間だ。天の御遣いなんかじゃない。」
【星】
「なっ!?」
【一刀】
「だから…運命だの、天命だの…そんなもんで物事納得なんか出来ねぇし、諦めだって悪いのさ。」
一刀はそう言うと、星の太刀を抜き放って…牢屋の格子に向かった、目にも止まらぬ速さで斬撃を見舞った。しかし、格子は純度こそ低いが一応は鉄製だ。そんな事をしたって斬れるわけがn…
ガガンッ ガン ガランッ
【星】
「…ぁ……」
星はその様子を、口をポカンと開けて呆然と眺めていた。
鉄の格子が…まるで小枝のように綺麗に切断されてしまったのだ。叩き折るのではなく、斬ったのだ。そんな事が出来る人間に、未だかつて会った事もなかったのだろう。
【一刀】
「う~ん…さっきの朱里たちの口ぶりからすると、乱心してる桃香の目的は天下統一と…それは元々か…後は、俺らしいな。けど俺には愛紗が…あ、それで愛紗を魏に向かわせたのか。そっちの方も気になるが…その前にやっぱり、桃香を止めるのが先決だな。手伝ってくれるか、趙雲殿?」
【星】
「…え?あ、あぁ…勿論だ。」
それを聞くと、一刀は再度、刀を一閃させた。星の腕を縛っていた縄が切られた…。
最初からこうすれば早かったのに……いや、わざとか。
【星】
「…これは驚いた…腕を上げられましたな?それも格段に。」
星は確信した…一刀が、身も心も強くなっている事を…。
【一刀】
「そうでもないさ。ただ前みたいに、気張ってはいないかな。何でかな…こんな状況でも、妙に落ち着いてる自分がいる。でなきゃ、わざわざ罠にはまったりしないよ。」
【星】
「…伯珪殿の見立て通り、という事か…我が真名を、お受け取り頂きたい。我が真名は、星。」
【一刀】
「なら、俺の事も一刀でいい。これが君たちの真名に当たるかは知らないけど、まぁ好きに呼んでくれ。」
【星】
「では主と。」
【一刀】
『俺の名前、人気ねぇ~。』
この世界に来てから、一刀を名前で呼んでくれた人物は、蒼馬ぐらいだった。
牢を出た二人は、看守室に保管されていた星の槍を入手し、外の扉の前に立った。外に、人の気配は無いようだが…油断は出来ない。
【星】
「そうだ、主。正体がバレないように、これを…」
【一刀】
「何だ、これ?」
そう言って、星が一刀に手渡したのは…蝶の形をした、パーティー用の仮面…だった。
【一刀】
「いや、俺はいい…」
【星】
「まぁ、そう遠慮なさらず。」
【一刀】
「そもそも、正体がバレるバレない以前に、見つかった時点でダメだろう。」
【星】
「我々だとバレなければ、言い逃れる事も出来るではありませんか。」
その前に不審者として捕まるかもという考えは無いのだろうか?
【星】
「大丈夫です。勇気を出して、こんな感じに…でゅわっ!」
【一刀】
「でゅ…でゅわっ!」
シャキーンッ




