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第三十二話 死神の起床

華琳の思考は止まっていた…いや、正確には止まっていたわけではなく、止めどもなく頭は回転していた。ただ、余りにその内容が纏まりがなくて、結局それは何も考えられていないのと同じ事だった。

ついさっきまで、彼女は敵将・関羽と一騎打ちをしていた。そして敗れ、その首を刎ねられようとしていた。迫りくる青龍刀に、死を覚悟した瞬間…目の前に、白く光る滝が現れた。

一瞬、華琳は『三途の川にも滝があるのか』と思ったそうな…。しかし、流れるそれは水ではなく髪であった。自分を守るために、病床(?)の身を押して駆けつけ立ち塞がった…


【蒼馬】

「……ふぅ~ぃ…間に合って何よりだよぅ~。」


死神・蒼馬の白髪だった。


【華琳】

「そ、蒼馬!ど、どうして…」


【愛紗】

「…蒼馬殿?」


愛紗は華琳の言葉を聞いてやっと、目の前に突如として現れた老人が蒼馬である事を知った。

彼女の思考も、それまで止まっていたと言っていい。自慢の青龍の一撃を、前触れもなくいきなり現れた皺くちゃの老人に、骨と皮ばかりになったような腕一本で止められたのだ。その皮膚に、傷一つ負わせられずにだ。

しかし、その老人の正体が蒼馬と知って、やっと思考が纏まり出したようだ。


【愛紗】

「そ、蒼馬殿?その姿は一体…」


【華琳】

「貴方、部屋で安静に…寝ていたはずじゃ…」


【愛紗】

「何故、そんな姿に…」


【華琳】

「貴方には、何も知らせるなって兵たちにも…」


【蒼馬】

「いや、二人とも…」


【愛紗】

「そもそも、魏にはいつ戻られたのです?」


【華琳】

「だいたい、力を温存させたいって言ったのは貴方でしょう?」


【蒼馬】

「うん、だから…」


【華琳】

「ちょっと、関羽!黙ってて!」


【愛紗】

「曹操殿!今は私が…」


【蒼馬】

「…うるさぁいっ!」


蒼馬の一喝で、一気に戦場が静まり返った。いや、騒いでいたのは華琳の愛紗の二人だけだが…。


【蒼馬】

「二人してわーわー言われたって、一度に応えられるわけないだろ!」


【華琳&愛紗】

「「ご、ごめんなさい…」」


すっかり老け込んだ蒼馬に怒鳴られ、揃って謝る華琳と愛紗…片や覇王、片や軍神と語られる二人だが、この時ばかりは近所の雷親父に叱られる子供のようであった。


【蒼馬】

「ふぅーぃ…華琳、総大将の君がこんな前線にいたらダメでしょう?とりあえず、君は城に下がってなさい。」


【華琳】

「ま、待って!蒼m…」


蒼馬は有無を言わさず、華琳を空間転移で城へ飛ばした。恐らく今頃、玉座の前で千鳥足になっているだろう。慣れない人間が空間転移すると、三半規管が混乱してしばらく真っ直ぐ歩けないし、立ち上がる事も出来ないからだ。乗り物酔いしやすい体質の人なら、間違いなく戻すだろう。


【蒼馬】

「さてと…真桜っ!何処だ!」


再び、蒼馬の怒号が戦場に響く。


【真桜】

「ひっ!た、隊長…」


兵たちがざざっと割れて、二十メートル離れた位置にいた真桜の姿が現れた。顔を蒼くして、ガタガタ震えているのがこの距離からでも分かった。


【蒼馬】

「主立った武将が不在の今、総大将を守り、前線で奮戦しなければならないのはお前だろう!しっかりせんかぁっ!」


【真桜】

「っ!」


【蒼馬】

「聞けぇいっ!兵たちよ!諸君らは、誇り高くも城下の街を守る任に着く、我が警備隊の兵士である!諸君らの背には、常に民の生活が、平穏が、命がある事を忘れるな!我らが王、曹孟徳の言葉を借りるなら、彼らの平和への祈りが、我らの生きる場所を作ったのだ。諸君らが握りしめている剣も、諸君らの身を守る鎧も、彼らの祈りに与えられたもの…ならば今こそ、その祈りに応えよ!我らが、彼らの平穏を守るのだ!恩義に報いぬは、人の恥と知れっ!」


【魏軍兵士】

「「「「「オオォォーッ!」」」」」


長らく床についていた総隊長・蒼馬の出現、その鼓舞を受けて、警備隊の隊士によって編成されていた兵たちは一気に士気を高めた。


【蒼馬】

「…さて、劉備軍の諸君。覚悟は、良いか?」


死神が、その刃を抜いた…途端に、圧倒的な殺気が蜀軍の兵士たちを圧迫した。

膝は震え、手は握力を失い、全身から溢れるように嫌な汗が湧き出す…今にも押し潰されそうな威圧感を放つ蒼馬に、兵たちは完全に呑まれていた。


【愛紗】

『…蒼馬殿…味方ならば心強いが、敵に回すとこれほどまでに……』


愛紗も、膝の震えは抑えられなかった…だが、兵を率いる大将として、必死に恐怖と闘い、自身を奮い立たせた。しっかりと、青龍偃月刀を握りしめる。


【愛紗】

「…っ!はぁぁっ!」


気合いを入れ、踏み出そうとした…瞬間、死神の刃が閃いた。


ズガガガガガガッ


【愛紗】

「なっ!?」


突然の事に、愛紗は体を硬直させた。それは正解だった。もし踏み出していたら、彼女の足は宙を舞い、吹っ飛んでいただろう。何故そんな事が言えるのか、知れた事…彼女の、蜀軍の前に引かれた一本の線、大地に刻まれた蒼馬の一閃の跡がそれを語っていたからだ。


【蒼馬】

「それより先に踏み入るなら、この死神の刃が悉く…諸君らの命を刈り取るぞ。」


【愛紗】

「……撤退だ。全軍撤退せよ!」


愛紗の号令を受け、蜀軍は隊列も整えず逃げるように撤退を開始した。


【真桜】

「ちょ、隊長!追わんでえぇの?」


真桜は、逃げる蜀軍と動かない蒼馬を交互に見ながら聞いた。しかし、蒼馬は答えない。代わりに、


【風】

「いいんですよ。ここでの深追いは、かえって危ないですからね。」


いつの間にか近くに来ていた風が答えた。


【風】

「向こうも主立った将を連れず、関羽将軍一人でしたからね。兵数も多くなかったですから、仮に追撃しても、あまり大きな効果は望めません。それよりも、下手をして敵方の怒りを買えば、今度は総力戦に発展しますから、周囲の情勢も気にかかる今のコチラとしては、むしろ不都合が多いのですよ。」


風の説明を聞いて、真桜も納得したようだ。桂花に至っては、すでに引き上げの準備を進めている。と、そこへ…


【霞】

「おりゃあっ!」


砂埃を巻き上げ激走してくる、神速の一騎…魏の騎馬部隊を指揮する霞が、蒼馬たちの元へ迫ってくる。思わずギョッとするほどの、鬼気迫る表情で…。

【風】

「あぁ、なるほど…華琳様が稟ちゃんに頼んでいたのは、霞ちゃんの事でしたか。」


【蒼馬】

「それはいいけど、凄い気迫だねぇ。」


【霞】

「関羽ーっ!ウチと勝負せぇっ!」


一同は、やる気十分の霞をどう落ち着かせ、どう説明するか、新たに浮上した問題に頭を悩ませるのだった。




その頃、漢中の張魯の下で目を覚ました一刀は…


【一刀】

「本当に、ありがとうございました。」


土下座していた。

相手は他ならぬ、命の恩人である張魯と華陀にだ。


【張魯】

「お礼なんて良いのです、御遣い様。五斗米道は治療を必要とする全ての人に、等しく手を差し伸べるのです。まして貴方は、これからこの戦乱の世を鎮める為に生きねばならないのです。」


【一刀】

「…俺は、御遣いなんかじゃありません。信じてくれた人たちを、託された思いを守る為に、命を投げ捨てるしかなかった…無力な人間です。」


桃香たちと共に立つと決めたあの時から、御遣いとして生きてきた一刀…しかし今、その重荷を下ろしてみると、自然と涙が溢れて来た。自分のしてきた事に後悔はないが、こんな自分を信じてついてきてくれた人たちにただただ申し訳なく、自分が情けなかったからだ。


【張魯】

「命を投げ捨てるのは、愚かな事です。五斗米道において、それは最も許されざる禁忌です。しかし、貴方は違う。貴方は命の重みを知りながら、死の恐怖を感じながら、人々の為に自らの命を、投げ『売った』のです。結果、貴方の守ろうとした人々は皆、無事に蜀へ逃げ延びたのです。貴方は、無力ではありません。もう無力ではありません。無力だった貴方は、長坂の谷底で死にました。今の貴方は……ご自分でお分かりになるでしょう?」


一刀は頭を上げた。瞳はまだ濡れていたが、その眼差しは強い決意に溢れていた。王として資質と、一学生として甘えが揺らぎ、せめぎ合っていた今までとは違う…もう甘えはなかった、不安はなかった、弱さはなかった、奥にひた隠しにしようとしているのではなく、全てを払拭し生まれ変わったかのようである。


【張魯】

「この世界の未来を、貴方に託します。」


【一刀】

「はい。」


【張魯】

「華陀。」


【華陀】

「はい、張魯様。準備は済んでます。」


華陀はすでに、荷造りを済ませていた。


【張魯】

「御遣い様、どうぞ華陀を連れて行って下さい。我が五斗米道の唯一の継承者です。きっとお役に立つでしょう。」


【華陀】

「よろしくな。」


華陀は爽やかに微笑みながら一刀に手を差し出した。一刀と並ぶと、何だか主人公が二人いるように見える。二人とも、実にいい男なのだ。どっかの自称オッサンな老主人公と違って。


【一刀】

「こちらこそ。長坂で貴方が俺を拾ってくれなかったら、今ごろ本当に死んでいた。ありがとう。」


【華陀】

「礼なんていいさ。俺には、応急処置ぐらいしか出来なかったんだしな。」


【張魯】

「華陀、しっかりやるのですよ。」


【華陀】

「はい!」


こうして、回復した一刀は華陀を連れ、漢中を後にした。

馬を駆り、目指すは桃香たちが入った蜀…と思ったのだが、しばらく来たところで一刀が何かを発見した。


【一刀】

「…あれは?」


目を凝らすと、それは行軍している魏の兵たちだった。しかしその歩みは見るからに遅く、彼らが負傷しているのが分かった。

魏の兵たちという事は、これから一刀にとっては敵になる軍という事になるのだが、

見つけてしまったものは見て見ぬフリも出来ない。それに一刀は、魏の将である蒼馬に二度も命を救われた事がある。このまま放っておけるはずがなかった。


【一刀】

「華陀、早速だけど…」


【華陀】

「あぁ、分かっている。フッ、やはりお前について来て良かった。」


華陀も彼らに気付いていたのだろう。一刀が申し出てくれた事に、心底嬉しそうな表情で頷き返した。

二人は方向を変え、魏軍の方へ馬を走らせた。


【一刀】

「これは…」


辿り着いた一刀は唖然とした。魏軍の兵は、士気も練度も大陸で随一と呼ばれる精兵揃い…にも関わらず、目の前の彼らは一様に疲弊し、傷を負い、まるで生気がなかった。


【華陀】

「皆、酷い傷だな…」


【流琉】

「何者ですか!貴方たち!」


兵たちが道を開け、流琉が一刀たちに歩み寄って来た。その目は、怪しい二人に警戒の色を浮かべている。


【華陀】

「俺は五斗米道の使い手、華陀だ。けが人を前に見て見ぬ振りは出来ない。彼らの治療を申し出たい。」


【流琉】

「……」


華陀の申し出に、流琉は訝しむような目を向けて答えない。当然だ、そう簡単に見ず知らずの人間を信用など出来まい。

しかし、それ以上に今は、藁にも縋りたい気持ちもあった。


【流琉】

「…ついて来て下さい。」


そう言って、流琉は華陀と一刀を伴って、兵たちの間を縫っていった。そうして、流琉に招かれた先にいたのは、


【一刀】

「なっ!?」


矢傷を負い、血まみれになり、息も絶え絶えの秋蘭だった。衛生兵たちによって、現代でいう担架のような物に乗せられ運ばれている。


【一刀】

「彼女は、確か夏侯淵将軍…」


【華陀】

「知っているのか?」


【一刀】

「あぁ。反董卓連合の時に、顔を拝見した程度、だけどな。でも、彼女ほどの武将がどうして…」


【流琉】

「蜀の黄忠、馬超により、我々の部隊は急襲され、秋蘭様は……くっ、おのれ劉備!無償で助けて下さった華琳様への恩を…よくも…よくもっ!」


流琉は込み上げる怒りと悔しさに涙し、小さなその拳を何度も地面に叩きつけた。


【一刀】

「っ!?」


同時に、一刀は金鎚で頭を叩かれた気がした。


【一刀】

「……華陀…彼らの治療は君に頼む。」


【華陀】

「あ、あぁ…」


一刀は深刻な表情でそう告げると、龍刻四爪刀のうちの一本を華陀に渡した。鞘が深緑色の、まだ一度も抜いた事がない二本のうちの片方だ。


【一刀】

「それを見せれば、通してもらえる…ようにしておく。」


【華陀】

「お、おぅ…頼むぞ?」


本当は断言したかったが、桃香の…およそ彼女からは考えられない暴挙を知った今、現状では保証しかねた。しかし、一本でも刀を預けておこば、絶対に合流できる気がしていた。龍刻四爪刀は四本一式の珍しい刀…そこには何かしらの絆というか、引き合う力がある事を、一刀は感じていた。

華陀を残し、単身で蜀へと急ぐ一刀…そして残された華陀は、懐から針を取り出すと、


【華陀】

「じゃあ…いくぞ!」


秋蘭の治療を始めるのだった。




その頃、蒼馬の出現により撤退を余儀なくされた愛紗たち…蒼馬の殺気に当てられた兵士たちは、一様にして闘志を、士気を失っていた。


【愛紗】

『…単身で、敵兵の士気をここまで下げるとは…この者たちは、もはや魏の軍勢とは戦えぬな。』


擦り込まれた恐怖心は、簡単には拭えないものだ。まして相手は死神・蒼馬…仇為す者にはすべからく、死と恐怖を与える…彼と一度対峙すれば、並の兵士は二度と剣を握れないだろう。

そして、そんな状態の兵たちが帰還すれば…出兵しなかった兵たちにも、その恐怖は伝染する。しかも、実際以上の恐怖となってだ。


【愛紗】

『…蒼馬殿はそれを見越して…我々を殺さずに帰したのか?自身の恐怖を兵たちに流布させる為に…』


殺してしまえばそれで終わり…植え付けた恐怖心を最大限に活かす為に、蒼馬は生かして彼らを帰したのだ。何とも狡猾で恐ろしい男である。

そんな蒼馬の恐ろしさを、改めて痛感した愛紗だったが…突如としてその思考は途切れた。


【愛紗】

「…っ!なっ!?」


突如、彼女は馬の上でバランスを崩した…いや、そんな事あるわけがない。彼女ほどの将が、こんな何もない所で落馬などするはずがない。そう、そこには、何も…無かった。地面すら…。


【蜀軍兵士A】

「う、うわあああっ!」


響く悲鳴と、馬たちの嘶き…突然の事に反応も出来ず、後続の兵たちも次々と転げ落ちていく。そこにあったのは、大きな落とし穴だった。つい先日、ここを通った時には何も無かったというのに…一体、誰が?


【愛紗】

「ば、バカな…これは一体?」


【??】

「今です!騎馬部隊は落ちずに留まった兵たちを、弓隊は穴に落ちた兵たちを!」


その時現れたのは、穴の上から弓を引き絞る…幾人もの孫呉の兵たちだった。そして、彼らを指揮していたのは…帽子を被り、眼鏡をかけた少女だった。


【??】

「関羽将軍は生け捕りになさい。他は、殺してかまいません。」


【呉軍兵士A】

「はっ!呂蒙将軍!」


【愛紗】

「くっ!」


【亞莎】

「フフフ…」


少女に似つかわしくない邪悪な笑みを浮かべ、愛紗を見下ろす亞莎。呉軍の罠にはまり、絶体絶命の蜀軍…しかし、愛紗を生け捕りにする目的とは一体?




【于吉】

「…作戦は成功ですね。呉にも駒を配置しておいて正解でした。魏には、あの男がいる以上、迂闊に手を出せませんし…しかし、これで北郷をおびき寄せるエサが手に入りました。彼女には申し訳ありませんが、彼は我々にとって邪魔な存在ですし、仕方ないですよね。」




愛紗の身に危機が迫っているとは知らず、一刀は蜀への道をひた走る…


【一刀】

「一体、どうしちまったんだ桃香?愛紗は、鈴々は…何で誰も止めなかった?一体…皆に何があったんだ!?」




愛紗たちを退けた後の蒼馬は、医務室に戻り再び寝台の上に横になっていた。ただ、眠りには就かず、じっと窓から空を眺めていた。流れる雲が、異様に早い気がした。


【蒼馬】

「……これはもう、のんびり寝てられないな。」


…死神が、まだ寝ぼけ半分だった両の眼をカッと見開いた。

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