第三十一話 御遣いの復活
彼女の目覚め…その翌日、話は現在に戻る。
【華陀】
「張魯様!少し休まれないと…」
【張魯】
「いいえ。これは、始めたら最後まで手を休められぬ治療…よく見ていなさい。」
【華陀】
「はい…」
一刀は、五斗米道の教祖である張魯によって治療を受けていた。
たまたま通りかかった華陀によって、ここ漢中へと運ばれた一刀だったが、華陀の治療の甲斐もなく昏睡状態が続いていた。
そこで張魯自らが、こうして一刀の治療に乗り出した。張魯はまず、一刀の気の流れを診察し、華陀の治療が効果を見せない原因を探った。結論から言えば、原因はすぐに分かった。だが同時に、かなり大変な治療になる事を悟った。
一刀の体内を流れる気…この流れが、酷く乱れていたのだ。巡りが悪いのではない…あり得ないほど流れ方がおかしくなっていたのだ。
【張魯】
『何故、このような気脈に?じょうじんならば、生きていられるはずもない状態…』
張魯も戸惑っていた…一刀のその状態は、常軌を逸していたのだ。
彼女は現在、一刀の乱れた気脈を正常な流れに戻そうとしている最中だ。絡まった毛糸を解くような、緻密で、繊細な治療である。一度始めたら、最後まで気を抜く事は出来ない…完全に治療しなければ、気脈が再び乱れていくからである。
【張魯】
『あと…少し……よし、これで!』
最後に、張魯は高々と針を掲げた。そして、最後の一突きを、一刀の右足へと落とした。
刹那…
【張魯】
「え?」
一刀の体から、眩い…光が……
その頃、秋蘭と流琉は兵を率いて定軍山へ到着した。
【秋蘭】
「着いたな。蒼馬曰く、何か起きるやもしれぬという話だが…」
彼女たちの目的は、蜀へと入った桃香たちの動向を監視する事。一応、秋蘭と流琉二週間滞在し、その後は後任に任せ帰還する予定だ。何もなければの話だが。
【流琉】
「…あの、秋蘭様?兄様って、一体どういう方なんですか?」
【秋蘭】
「どういう、とは?」
【流琉】
「その…こんな事、言いたくないんですけど…私、怖いんです…兄様のこと…」
周りに兵がいないのを確認してから、流琉はおずおずとそう口にした。
蒼馬に対しては、魏の将兵たちの間でも好き嫌いが特に分かれている。季衣はよく懐いているし、凪は心底慕っている。沙和も、よく洋服を買って貰ったりしてたので、蒼馬に対して好意的だ。しかし、真桜は未だに蒼馬が苦手のようだし…桂花に至っては害虫扱いだ。
【秋蘭】
「蒼馬は…不思議なやつだな。」
少し考えてから、秋蘭は端的にそれだけ言った。
【秋蘭】
「私も、あいつの事をよく知らない。本当に六百歳なのかどうかも…ただ、」
【流琉】
「ただ?」
【秋蘭】
「あいつは、我々の仲間だ。それだけは断言できる。」
自信に満ちた笑みを浮かべながら、秋蘭はそう言った。相変わらず素性も何もよく分からない男だが、それでも彼女は蒼馬を信じていた。何故なら、彼がちゃんと戻って来たからだ…華琳の心を正すために魏を去り、彼女が心を入れ替えると再び戻って来たからだ。
彼は、自分たちを裏切らない。秋蘭は心からそう信じていた。
【流琉】
「ひょっとして、秋蘭様は、兄様の事が好きなんですか?」
そんな秋蘭の様子を見て、流琉は突拍子もない事を聞いてきた。
【秋蘭】
「……は?」
あまりの的外れな流琉の問いに、秋蘭も困惑気味だ。返答に窮しているようで、目を泳がせ、頬を少し染めていr…あれ?
【秋蘭】
「い、いや…そういう気はないんだ。ただ、」
【流琉】
「ただ?」
【秋蘭】
「ただ…」
【兵士A】
「夏侯淵将軍、典韋将軍!」
その時、兵の一人が慌てた様子で二人の下に駆け寄って来た。
【秋蘭】
「何事だ!?」
【兵士A】
「敵襲です!蜀軍の兵が、突然現れ…」
その報告を受けると同時に、秋蘭たちの率いていた兵たちの叫びが響き渡った。
【秋蘭】
「くっ!兵を伏せていたのか…流琉!」
【流琉】
「はい、秋蘭様!」
二人はすぐさま前線へと出た。そこには、肩や腕に矢を受け痛みにもがく兵たちや、頭を射抜かれ絶命している兵たちもいた。
【秋蘭】
「敵は何処だ?」
【流琉】
「あ、あそこです!」
そう言って流琉が指差した先には、弓に新たな矢を番える紫苑の姿があった。定軍山の上から、麓の秋蘭たちを狙っている。見れば、彼女の率いる弓隊およそ百人が、同じように弓を引いている。
秋蘭も、すぐさま矢を番えたが、それより早く蜀の兵たちが一斉に矢を放つ。
【秋蘭】
「くっ!」
降り注ぐ矢はまるで雨の如く…魏の兵たちは為す術も無く射抜かれ、次々に息絶えて行く。
そんな中を、さすがの反射神経と体術で切り抜ける秋蘭と流琉。そして、今度は秋蘭が矢を放った。位置的には不利だが、それでも彼女の放った矢はまっすぐ紫苑めがけ飛んで行く。絶好の軌道だ。
しかし、紫苑が矢継ぎ早に放った矢が、秋蘭の矢を正面から捕え、弾き飛ばした。
さらにもう一本、紫苑が矢を放つ…早い上にその狙いは正確無比、熟練の腕が無ければ到底叶わぬ芸当だ。
だが秋蘭も、弓の腕では負けていない。すぐさま次の矢を番え、迷いなく放った。それは先ほどの紫苑の矢と同様、飛んでくる矢と正面からぶつかり、二本はあらぬ方へと落ちて行った。
【秋蘭】
「……流琉、兵を纏めて撤退するぞ。状況は明らかにこちらが不利だ。」
【流琉】
「はい。」
秋蘭としても、ここで紫苑と存分にやり合いたかったが、蒼馬の忠告が彼女を冷静にさせた。兵数も、矢数も、地の利も…圧倒的に不利なこの状況では、勝ち目などない。
すぐさま撤退を開始した秋蘭たち…だが、すでに…
【翠】
「今だ、かかれ!」
【秋蘭】
「なっ!?」
翠が率いる騎馬隊が、彼女たちの逃げ道を塞ぐように回り込んでいた。
逃げ惑う魏の兵たち…迫り来る騎馬隊と矢の雨…秋蘭と流琉は、絶体絶命の危機に陥るのだった。
その頃、彼女は自室にいた。
【桃香・黒】
「今頃、定軍山では紫苑と翠がうまくやってくれているでしょうね。これで良かったんでしょ?于吉。」
【于吉】
「えぇ。」
そこにいたのは、彼女だけではない。かつて、袁術たちが攻めてきた時、砦の上で桃香が遭遇した…あの白い道士服の怪しい男も一緒だった。
【于吉】
「もっとも、本当の狙いは手薄になっている許昌ですがね。彼女たちが陽動してくれたおかげで、関羽将軍が率いる本隊も攻め込み易くなるというもの。」
【桃香・黒】
「そうね。まぁ、とりあえず今はアナタの作戦に乗ってあげる。利害も一致してるし、何より私を生み出してくれた恩もあるしね。」
そう…あの砦での一件の時、この男・于吉によって桃香の心に巣くった闇、それが成長し表に出てきたのが彼女なのである。
【于吉】
「では、また何かあれば連絡しますよ。それまでは、上手く周りの目を…」
【桃香・黒】
「分かっているわ。最初、思わず愛紗を呼び捨てにして感づかれそうになったけど…今はちゃんと気をつけて皆を呼んでいるから、バレる事はないわよ。」
【于吉】
「それならば安心です。」
【桃香・黒】
「それと一つ…今は利害も一致してるし、協力してはいるけれど…ご主人様に何かしたら、殺すわよ?」
およそ桃香の口からは絶対に聞くことがないだろうセリフを、桃香に似つかわしくない表情で言い放つ彼女…ゾッとするほどの、本物の殺気だった。
【于吉】
「…生み出して上げた恩を、仇で返すと?」
【桃香・黒】
「勘違いしないで。私にとっては、自分のこの感情が全てよ。恩がどうとか、そんなの知ったことじゃない…でも今は、協力してあげる。それでいいでしょう?」
于吉はやれやれと溜め息を吐いて、桃香の部屋から煙のように姿を消した。
紫苑たちが陽動を務めてくれている間に、愛紗は手薄になった魏の都へと兵を進めていた。兵数は一万とちょっと…少ないが、主要な将兵がほとんど出払っている魏を落とすには十分だった。魏の兵力の総数は十万を少し上回るくらい、内の九割近くが出ているため、今の許昌の守備兵力は一万程度なのだ。
無論、篭城されれば兵力は三倍に補正される…が、華琳は自信家だ。何一つ不利と言えないこの状況で、篭城という策を取る可能性は低い。必ず打って出てくる…桃香はそう熱弁し、この作戦を決行させた。
【愛紗】
「…桃香様…」
愛紗はやはり訝しんでいた…桃香が、こんな好戦的な行動に出た事が、どうしても納得いかなかったのだ。確かに、桜香の病の事を知った桃香が、一刻も早く乱世を治めて、平和な大陸の未来を桜香に見せたいと願うのは分かる。
しかし、この数日でこの変わり様だ…不安になるのも無理はない。
【愛紗】
「…何を考えてるんだ、私は!」
愛紗は頭を振って、気を引き締めた。
桃香が王として自覚を持ち始めたのだと、喜ばしい事だと、愛紗は自分に言い聞かせるのだった。
そして正に、愛紗が漢中の辺りを抜けようとしている時…
【張魯】
「こ、これは…!?」
【華陀】
「張魯様!お怪我は!?」
【張魯】
「だ、大丈夫です。」
張魯によって治療を受けていた一刀の体から、眩い光が放たれていた。それは、本来の気脈に戻った、紛れもない一刀の気であった。滞っていた気の流れが良くなり、気が全身に漲り、溢れているのだ。
気の爆発を受け、張魯は壁まで吹き飛ばされてしまったが、幸いケガはないようだ。
【張魯】
「これが、天の御遣い…何と膨大で、神々しい気でしょう…」
【華陀】
「こんな気…俺も初めて見ます。」
それから十分以上も経ってやっと、一刀の気は落ち着き始めた。あとは二、三日して気が体に馴染めば、一刀は目を覚ますだろう。
【張魯】
「華陀、彼が目を覚ましたら、彼と共に行きなさい。」
【華陀】
「え?」
【張魯】
「乱世に傷つく者たちを、一人でも多く救うのです。それが、我々の務め…奇しくも、御遣いである彼もまた、手段は違えど使命は同じ。ならば、共に歩むのです。」
【華陀】
「はい!」
華陀は力強く頷いた。それを見た張魯は、安堵した表情を浮かべ、ゆっくりと目を閉じた。
それから時は進み、許昌は慌ただしさを増していた。
城内を行き交う兵たちの表情には緊張の色が浮かび、華琳は玉座の上で不敵に微笑んでいた。
【華琳】
「…フフフ…してやられたわね。まさか一番ないだろうと思っていた所から…まぁいいわ。秋蘭たちなら心配ないでしょう…あの子ならきっと、この危機を乗り切れるわ。桂花、風!」
【桂花&風】
「「はっ!」」
【華琳】
「兵を纏めて。客人を出迎えるわよ?」
【桂花】
「…篭城なさらないのですか?」
【華琳】
「それ程の兵力差でもないでしょう?我が軍の兵の練度を考えれば、何も問題はない。」
【風】
「しかし、敵将はあの関羽将軍。まともに打ち合えるのは、春蘭さんか霞さんぐらい…お二人とも出払ってていないのですよ?」
【華琳】
「だから、私もでるのよ。」
【稟】
「な!危険過ぎます!王自ら出陣など…」
【華琳】
「そう思うなら稟、貴方に頼みがあるの。」
【稟】
「は、はぁ…ぅひっ!」
華琳は素早く稟の耳元に口を寄せ、小声で何かを伝えた。
途端に、稟は真っ赤になって鼻血を噴き、その場に倒れてしまった。が、華琳はすでに向こうへ歩いて行ってしまった後だった。
【華琳】
「頼んだわよ。」
【稟】
「は、はぃ~…」
大丈夫だろうか?
【華琳】
「あ、真桜!」
玉座の間を後にした華琳は、廊下で真桜と会った。別に偶然ではない、むしろ必然だ。何しろ…。
【華琳】
「蒼馬の様子はどうだった?」
華琳が向かっていたのは、蒼馬のいる医務室で、
【真桜】
「あぁ、大将。隊長やったら、ぐっすり眠ってはったよ?」
真桜は華琳に頼まれて、蒼馬が寝ているか見に行っていたのだ。
【華琳】
「そう。まぁ、自分で言った手前、ムチャをしようとはしないでしょうけど…何せ行動が読めない男だから。」
【真桜】
「確かになぁ…でも大将、ほんまにえぇん?隊長いてへんかったら、こっち文官だけで武将一人もおらんで?」
【華琳】
「何言ってるの?貴方がいるでしょう?」
華琳の言葉に、真桜は目を丸くした。
【真桜】
「え?ウチ、将やったん?」
【華琳】
「え?今頃!?」
真桜のマヌケな発言に、今度は華琳が目を丸くした。きっと蒼馬がちゃんと説明していなかったに違いない。
【華琳】
「ま、まぁそういう事だから、しっかり頼むわよ李典将軍?」
まだ驚きから回復し切っていない真桜だったが、華琳の激励に精一杯気合いの入った表情で首を縦に振った。
【真桜】
『…め、めっちゃ緊張してきた~…』
こうして、華琳たち魏軍は城からつかず離れずの距離に陣を敷き…
【華琳】
「…来たわね。」
愛紗率いる蜀軍が到着し…
【愛紗】
「……」
蒼馬が医務室でまだ眠っている頃…
【蒼馬】
「…すぅー…すぅー……」
漢中で、張魯の治療を受けていた一刀が…
【一刀】
「…ん……」
静かに、その目を覚ました。
天の御遣い、北郷 一刀…彼の真の目覚めにより、物語はさらに加速するのだった。




