第二十四話 一刀暴走!失くしたモノ、手に入れたモノ
【愛紗】
「ご、ご主人様?」
愛紗は目の前の光景が信じられなかった…そこには、さっきまで倒れ伏していたはずの一刀が、龍刻四爪刀のうちの二本を握り締め、荒い息を吐きながら立っている。その目は赤く血走り、口は飢えた狼のごとく牙を剥いており、我を忘れ…まさに獣のようであった。
いや、何より愛紗が信じられなかったのは、そんな彼の足元に倒れ伏している蒼馬の惨状だった。全身に負った傷は数え切れず、致命傷と思われるケガだって幾つもある。
何が起きたのか…それは、ほんの数分前の事だ。
数分前…
蒼馬の強烈な掌底アッパーを喰らい、倒れた一刀…誰もが、勝敗は決したと思った…矢先に、なんと一刀は立ち上がってきたのである。
【蒼馬】
「…?……え?」
【一刀】
「…ぁ……」
一刀の様子を見て、蒼馬の顔が真剣なものにかわる…彼がそんな表情をするという事は、よっぽどの事である。
蒼馬は、懐から取り出したビンを愛紗へと投げ渡した。
【愛紗】
「っと!蒼馬殿?」
【蒼馬】
「一応、簡単に割れないビンなんだけど、念の為に預かっておいてくれるかい?後、出来るだけ離れてた方がいい…」
言って、蒼馬は青い扇子を取り出して、それを胸の前で広げて構えをとった。前傾姿勢で、いつでも動ける状態を保ち、一刀の様子をじっと窺う…。
【蒼馬】
「…っ!」
右へ跳んだ蒼馬…と、その瞬間、彼の立っていた場所に振り下ろされたのは、一刀の鋭い一撃…まさに一瞬でも遅れていたら、腕か足を持っていかれただろう。
【蒼馬】
『速いっ!』
【一刀】
「うぅっ…あああああっ!」
雄叫びを上げ、一刀は再び蒼馬に突っ込んでいく。
【蒼馬】
『完全に正気を失ってる…武器を与えるには早過ぎたか?』
一刀は何の躊躇もなく、蒼馬の心臓めがけ突きを放ってきた。
それを、広げた扇子で受け止める蒼馬…思うのだが、この扇子は一体何で出来ているのか?ここで少しだけ、説明させていただこう。
この扇子、実は蒼天竜という竜族の鱗を、蒼馬の神通力を繋ぎにして、扇子状に重ね束ねているのである。竜族の鱗はダイヤモンドに匹敵する硬度がある…春蘭の七星餓狼を圧倒する強度は、それ故である。
もっとも、本来は武器というより道具として扱うものなのだが…。それはまた、別の機会に話すとしよう。
【一刀】
「ああああああっ!」
一刀は力任せに、蒼馬を扇子のガードごと突き飛ばした。
【蒼馬】
「うおっ、ちょっと!」
バランスを崩す蒼馬…そこを狙って、一刀は刀を薙いだ…衝撃波が、容赦なく蒼馬を襲う。
【蒼馬】
「ちぃっ!」
扇子で受け止め、何とか堪えようとするが…正面から受け止めては、さすがに消耗が大きいと判断し、衝撃波の軌道を上へ逸らすように、扇子を少し傾けた状態で振り上げる。
衝撃波は威力を落とし、蒼馬の頭上を掠めながら飛んで行った。
【蒼馬】
『自業自得とはいえ、厄介な事に…でも、まぁ……』
【一刀】
「うああああああっ!」
【蒼馬】
「…いいきっかけには、なるか?」
蒼馬は扇子をたたみ、瞬脚で一刀へ一気に詰め寄った。狙いは刀…これを弾き飛ばせば、一刀の暴走も収まると踏んだのだ。
一刀は目の前に現れた蒼馬に怯むことなく、刀を力任せに振ってきた。それはもう、彼が習ってきた剣道とは程遠いものだったが、スピードとパワーという面で見れば、一言で反則と言って差し支えない。
【一刀】
「がああああっ!」
【蒼馬】
「っと!魂ご…っ!」
蒼馬の反応が追いつかないくらいに…サッカーならレッドカードものだ。
魂鋼が間に合わず、彼の肩から鮮血が上がる。さらに、返す刃でもう一太刀…
ズバァッ
【蒼馬】
「ぐぅっ!…ぁ、くっ!」
腹部から胸へかけて、かなりいい太刀を喰らってしまった蒼馬…表情を歪めつつ、何とか空間転移でその場から離れたが、かなりの深手のはずだ。
【愛紗】
「蒼馬殿!」
慌てて駆け寄ろうとした愛紗、だが…
【蒼馬】
「動くなっ!」
蒼馬の怒声と鋭い眼光がそれを制した…一刀は立ったまま、焦点が定まっているとは言い難い目つきで辺りを見回している。恐らく、今の彼に識別能力はない…つまり、動く者、或いは近づいてくるモノ全てを敵と見なし、見境なく襲い掛かる可能性がある。
【蒼馬】
「…何があっても、そこから動くな…後、そのビンも大事に持っておけ。彼を止めるには、最悪もう一度死んでもらわないとダメかもしれない。或いは…俺が死ぬかだ。」
言って、蒼馬は扇子を広げ一刀に向かって思いきり扇いだ。途端に、竜巻が起こり一刀を飲み込んでしまった。
【一刀】
「ぐ、あああああっ!」
堪らず、雄叫びを上げながら吹き飛ばされる一刀…巻き上げられ、竜巻の中から弾き出された先に、蒼馬は空間転移で移動し拳を構える。落下してくる一刀へ向けて突き上げた拳は、衝撃波を伴って彼をさらに空高く打ち上げた。
追撃の手を休めるわけにはいかない…蒼馬はさらに一刀を追い、追いついたところですかさず体を捻りながらの回し蹴り…彼を地面に蹴り落としたのである。その高さは優に、ビル7~8階分に相当…まさに鬼畜の所業!
しかし、蒼馬の攻撃は止まらない。大地へめり込んだ一刀の体に向け、今度は扇子を畳んで斜めに一振り、二振り…すると、重ねてあった鱗のうちの四枚が勢いよく飛び出し、一刀めがけ一直線に飛んできた。
【蒼馬】
「…四肢を潰させてもらう。」
蒼馬のその言葉通り、鱗は一刀の両手両足に突き刺さった。
【一刀】
「ぎゃあああああっ!」
咆哮を上げる一刀…だが、これで勝負あった。如何に暴走していようと、手足を潰された状態では動く事など出来まい。
降り立った蒼馬もそう思い、扇子を引き、刺さっていた鱗を引き戻した。鱗は、蒼馬が込めておいた神通力で繋がっている状態なので、脱着が自在に行えるのだ。まるで引き寄せられるようにして抜き取られる鱗…知らぬ者から見ればやはり妖術の類に見える。いや、それ以前に蒼馬自身が胡散臭いのだが…。
【蒼馬】
「…これで、少しは大人しく…」
なっただろうと近づいた瞬間、
ズバッ
【蒼馬】
「いっ痛!」
向こう脛に鋭い一太刀が…これは痛い。
【蒼馬】
『バカなっ!まだ動けるのか?』
驚愕の表情を見せる蒼馬の前で、一刀は起き上がってきた…もはや理屈など通用しない状態の一刀、その両手両足からはダラダラと血が流れ、見るからに痛々しい。しかし、当人は全くそんなのお構いなしといった様子で、もう一本の刀を抜き放った。刀身が桜色をした刀である。
【蒼馬】
『…思い出した!この刀、一本一本個別の能力が…確かこれのは…』
一刀が一振りした瞬間、蒼馬の体に走った創傷の数は…何故か三本。右肩から左の脇腹へ向かう傷、三つは平行に並んで付けられている。
【蒼馬】
『一太刀で複数の斬撃を生む、多重攻撃能力…これは、マズい!』
立て続けに振るわれる斬撃に反応出来ないまま、蒼馬の全身はズタズタにされてしまった。
【蒼馬】
「ぐっ……」
倒れ伏す蒼馬…こうして、冒頭のシーンを迎えるわけである。
【愛紗】
「ご、ご主人様?」
愛紗も、鈴々も立ち尽くしていた…一刀の変貌に、倒れ伏した蒼馬の惨状を前に…。
【一刀】
「が、あ、があぁあぁぁっ!」
雄叫びを上げる一刀…その声は、何だかとても悲しげで、苦しげで、愛紗は胸を締め付けられるような感じがした。
一刀side
この力は何だ?この能力は何だ?俺は一体何者で…何になろうとしてる?誰か、教えてくれ…俺は…俺は……俺は一体、何なんだぁっ!?
暗闇の中で、俺は叫ぶ…何も見えない、誰もいない暗闇の中で…俺はただ、助けを求めた。
訳もわからない世界に来て、俺は自分の全てを失った…同時に手に入ったものは、俺の手には重すぎるものばかりで、それを必死に抱え込むしかなかった。守りたいよ、失いたくない……だけど、そんな俺の願いに反して、守りたいものたちが俺を守ろうとする…傷ついていく…俺はただ、それを眺めるしかないのか?
強くなりたい…皆が俺の為に命を懸けるなら、俺も命を懸けて戦う。俺の為に、誰かが命を落とすくらいなら…俺の命なんか、真っ先にくれてやるよ!だから、誰も…傷つかないでくれ…傷つけたくないんだ……強くなりたい…でも、力が怖い……頼む、誰か…頼むから…俺を殺して…壊して……止めてくれっ!
normal side
【一刀】
「がぁああぁぁっ!」
一刀の叫びは、蒼く澄んだ空へ吸い込まれていく…彼が本当に天の御遣いなら、彼の叫びに天が応えてくれたかもしれないが、残念ながら空は変わらず憎いほどに蒼く澄んだままだ。
そう、彼は天の御遣いなどではない。ただの人間なのだ…それも、ここに来る前は、無力な…ただの学生だったのだ。そんな彼にとって、これまでの戦が、どれほどの精神的な負担、ダメージを強いてきたのか…?彼自身にも分からないほど、深層意識の中で…。
【愛紗】
「ご主人様…」
愛紗だけは、それに気づいていた。だからこそ、彼の支えになりたいと必死だった。だが、きっとそれさえ、彼を追い詰めていたのだろう。彼が一番怖いと言っていたもの…大切なモノを奪われ、傷つけられる事。
だから、彼は強くありたいと願うしかなかった…その優しさに見合わぬ、戦いの渦中へと自ら身を投じるほどに。
【愛紗】
「…鈴々、これを。」
【鈴々】
「ふぇ?愛紗?」
愛紗は何を思ったのか、蒼馬から預かったビンを鈴々に渡し、自らは青龍偃月刀を握り、一刀へ歩み寄っていく。
武器を持って近づいたりしたら…
【一刀】
「があああああっ!」
案の定、一刀は愛紗に襲い掛かった。二本の刀で、愛紗を斬りつけようとする。
【鈴々】
「愛紗ーっ!」
【愛紗】
「…ご主人様…どうか、もう…苦しまないで……私は、愛紗は…地獄の果てまで、貴方についていきます。」
あろう事か、愛紗は防御もせず…一刀めがけ偃月刀を突き出した。刺し違え、一緒に死ぬつもりだ。
…ドスッ
両者の距離がゼロとなろうというまさにその時、一筋の閃光とも言うべき槍が、背中から一刀を突き刺した。
【一刀】
「がっ!」
【愛紗】
「ご主人様?」
おかげで、辛うじて愛紗は一命を取り留めた。あと半瞬遅ければ、彼女の体はばっさり斬り裂かれてしまっていた事だろう。
【蒼馬】
「…ふぅ~ぃ…危機一髪、だったねぇ~。」
起き上がった蒼馬の右手の人差し指から伸びている、光の槍…それが、寸分違わず一刀の心臓を貫いている。
【蒼馬】
「…あいたたっ!さすがに、危なかったねぇ~。」
蒼馬はすぐさま、鈴々からビンを受け取り一刀の傷にかけた。
命の水…正式には、〈月下の雫〉という液体だ。救いの神と治癒の亜神に祈りと共に奉げた水である。どれほどの重傷であっても、心拍が停止していても、傷を癒し、後遺症なく蘇生も可能…それほどの代物ゆえ、神術師の中でも作れる者は一人だけ。蒼馬は、その神術師と同郷の誼みなのである。ただし、訳あって今は連絡すら取ってもらえないが…。
【蒼馬】
『ま、この世界から出なきゃ、どのみち念話も繋がらないんだけどね…』
念話とは、神術師同士のテレパシーの事で、直接会話だけでなくメールみたいな機能もある。
【一刀】
「…んっ…く、ぁ……」
【蒼馬】
「やぁ、目が覚めたかい?」
【一刀】
「蒼馬さん…」
一刀の様子を見て、蒼馬は一刀が正気を取り戻したと判断し、愛紗たちを呼び寄せた。
【鈴々】
「お兄ちゃん!」
真っ先に一刀に飛びついたのは、意外にも鈴々だった。桃香たちは未だに気絶しているから仕方ないとして、愛紗は…少し後ろで、遠慮がちに距離をとって立っていた。その表情は暗く、申し訳ないという感情が近いだろうか?
【一刀】
「ゴメン…また、心配をかけたかな?」
【愛紗】
「ご主人様…」
一刀の謝罪に、愛紗はむしろ泣きそうになった…彼のその力なく微笑む笑顔が、胸に痛かったのだ。
【一刀】
「蒼馬さんにも、ご迷惑をおかけしました。」
【蒼馬】
「気にしなくていいよ~。半分、おじさんの責任だしね。それに、これで自分に何が足りないか…分かったんじゃないかい?
【一刀】
「…足りないもの…?」
蒼馬はそう言うが、一刀にはまだいまいち掴みきれてないようだ。暴走中、自分の深層心理と向き合っていたのは事実だが、そこに渦巻いている感情…その制御法はまったく分からなかった。
【蒼馬】
「技術、経験…それより何より、覚悟が足りない。失う事が怖いから自ら前に出て戦う…でも相手を殺したり、傷つけるのが怖いから木刀を使う…斬り合うのが怖いから距離をとって衝撃波に頼る…それじゃあ、怯える小犬が吠えて噛み付こうとしているのと一緒だ。守り抜く覚悟、敵を倒す覚悟、どんなに傷ついても…生き抜く覚悟。君に足りないのはそれらさ。」
【一刀】
「覚悟…?覚悟なら、とっくにしてます。俺は…」
【蒼馬】
「皆の身代わりに、いつ死んでも構わないと?バカ野郎が…」
蒼馬は目を据わらせて、一刀と胸倉を掴み上げた。
【一刀】
「ぐっ!」
【蒼馬】
「人間、死ぬ気になれば何でも出来る?ありゃ嘘だ。実際は、死ぬ覚悟だけあったって、何にもならねぇんだよっ!どんなに力があろうと、正しい方法と選択が出来なきゃ、何一つ守れやしねぇんだ!…死ぬ覚悟一つで何とかなるほど、世の中そんなに甘くねぇぞ…」
【一刀】
「蒼馬さん…」
蒼馬のその言葉は、一刀の中にズシンと響いた。
この世界に来てからずっと、彼は不安と恐怖に駆り立てられてきた…それが原動力になっていたのだ。
【蒼馬】
「…まぁおじさんも、人に偉そうなこと言えた義理じゃないんだけど、ね…」
急に口調を戻し、遠い目をして呟く蒼馬…はっきり言って似合わない。なので、そこには触れずにおく。
【一刀】
「…蒼馬さん…俺の力は、何なんでしょうか?」
【蒼馬】
「う~ん、そうだねぇ…これは、おじさんの予想だけど、この世界と君の魂に、何らかの関わりがあるんじゃないかな?つまり、この世界そのものが、君に力を与えているという事だよ~。」
蒼馬の言ってる事は、はっきり言って意味が分からなかった。だってそうだろう?世界そのものが意志をもって、一刀に力を与えているなど…つくづく蒼馬の頭はイカれているらしい。
【蒼馬】
「力そのものは邪悪なものじゃないから、安心していいよ~。まぁ、それを扱う君自身の自我や精神力が負ければ、今回みたいな事になるだろうけど。」
蒼馬の言葉に、一刀の表情が曇る…また、今回のような暴走を起こしたらと思うと、一刀の心は再び不安に呑みこまれそうになる。
【蒼馬】
「精神を鍛える事と、思い詰める事は違うよ~。そもそも、肉体と精神じゃ鍛え方が違うからね~。肩の力を抜いて、心を空にする…無我の境地、ってやつだね。」
【一刀】
「無我の、境地…悟りですか?」
【蒼馬】
「そういう事~♪人には多くの感情があり、多くの人は感情に流され生きている…愛する者には長生きして欲しいと願い、憎む者には早く死んで欲しいと望む…これが、惑いというものなんだ。今回の暴走も、君の惑い…不安や恐怖が招いたものだ。」
…まともな事を言ってるようだが、彼の暴走は蒼馬が原因だ。責任をなすりつけているだけである。
【蒼馬】
「まぁ~、少しはここにいるおじさんを見習って、あんまり気張らずいけばいいよぅ。」
どの口が言うのだろうか?
断固反対である!蒼馬を見習ったりしたら、彼とてろくな大人になれない。
【一刀】
「はい。色々と、ありがとうございました!」
さすが武術を嗜んでいただけあって、一刀は礼儀正しく蒼馬に対して礼をした。
やはり、蒼馬など見習ってはいけない。今よりむしろダメな人間になってしまう。
【蒼馬】
「…縁があったら、また蒼天の下で会おう。」
立ち去り際、蒼馬はそう言い残して空間転移で姿を消した。次の目的地とは、果たして…?
【伝令兵】
「北郷様っ!」
一人の伝令兵が馬に乗り、一刀たちの元へ駆け付けた。その顔は真っ青で、酷く取り乱している。
【愛紗】
「どうしたのだ?」
【伝令兵】
「袁術軍が、大軍を引き連れ、我々の領地に…」
【愛紗】
「なっ!」
戦の準備をしていたはずの袁術軍…その狙いは、どうやら一刀たちだったようだ。




