第十九話 死神対鬼神
霞との一騎打ちで優位に立っていた春蘭…だが、今や彼女は左目を抑え蹲っている…。秋蘭は顔を青ざめて、その場に立ち尽くし…兵たちも、我が目を疑っていた…。
そして、危機一髪で命拾いした霞は…
【霞】
「誰やっ!ウチの一騎打ちに、水差したアホはぁっ!」
激昂していた…。
無理もない…一騎打ちに勝負に横槍を入れられるのは、武人にとって最も我慢ならない事だ。ましてその相手が、かつてない好敵手だったなら尚の事である。
片目を失った春蘭は、もはや戦えない…周りの春蘭の部隊の兵たちに動揺が走った。
【春蘭】
「ぐっ…聞けぃっ!我が勇敢なる魏の精兵たちよ!」
誰もが、夏侯惇将軍が討たれたと思っていたが、春蘭は気丈にも立ち上がり、声を大にして叫んだ。
【春蘭】
「これしきのこと、この夏侯惇の心胆を寒からしめるものではないっ!この身に受けた傷などで、猛った我が心が怯む事はない!私はただ、名を傷つけることを厭う!魏の将兵たちよ!見よ!我が猛勇を!そして感じよ!魏武の想いを!」
そして、春蘭は…左目に刺さった矢を引き抜いた!その先には、彼女の…
【春蘭】
「身体髪膚これ父母にうく!たとえ片目を失ったとて、我が武の猛りは未だ冷めず!心中渦巻くは敵を叩き伏せんが為の炎!将よ見よ!兵よ見よ!我が目と共にその身の惰弱を飲み干して、魏の名聞を高らかに名乗り上げよ!天は我らと共にあり!我が片目は、天への供物と心得るが良い!」
次の瞬間、誰もが息を呑んだ…春蘭は、自らの眼球を口に含み、咀嚼し、飲み込んだのだ。
【霞】
「な、なんちゅうヤツや…萎えかけた兵の士気を取り戻すために、自分の目玉を…」
【春蘭】
「さぁ、張遼!続きと参ろうか!」
【霞】
「…ハッ!おもろいやないか!こうなったら、ウチもとことんやらせてもらうでっ!」
再び、二人の豪撃が打ち合い、高らかに鳴り響いた。
兵糧庫前では、華雄と鈴々の闘いが繰り広げられていた。
【華雄】
「うおおおっ!」
華雄の巨大な斧…金剛爆斧が鈴々めがけ振り下ろされる。しかし、それを鈴々はひょいっと躱してみせる。
【鈴々】
「そんな攻撃、鈴々には当たらないのだ。」
【華雄】
「おのれっ!ちょこまかと…はあああっ!」
【鈴々】
「ほいっと!」
振り上げた一撃は、やはり躱されてしまう…。
【鈴々】
「今度はこっちの出番なのだ!うりゃーっ!」
ガキンッ
硬く重い音を響かせ、鈴々の蛇矛が打ち付けられた。何とか防いだとはいえ、華雄の顔は辛そうである。
【華雄】
「くっ!バカな…この私が…」
【鈴々】
「喰らえなのだ!猛虎粉砕撃!」
【華雄】
「なっ!ぐああああっ!」
強烈な鈴々の一撃が、華雄を吹き飛ばした…防いだはずの金剛爆斧も、無残に砕け散った。
【鈴々】
「うおおおっ!敵将華雄、討ち取ったのだぁっ!」
鈴々は大声で勝ち名乗りを上げた…だが、誰も聞いていなかった…。
【鈴々】
「うぅっ…早く戻って、お兄ちゃんに褒めてもらうのだっ!」
そう言って、鈴々はたったかたーっと走り去って行った…まだ、息のある華雄を残して…
【華雄】
「…くっ…こんな、ところで……終わって……ん?お、お前…は?」
【桃香】
『…私は、無力だ…』
ガキンッ
【一刀】
「ぐっ!」
一刀は木刀で、恋の一撃を受け止めた…すでに、腕は限界…気力も、残り少なくなってきていた。
【恋】
「…やっぱり…お前、強い…」
【一刀】
「はぁ…はぁ…下手な世辞は要らないぜ…」
力の差は圧倒的だった。防ぎ切れずに負った手傷はすでに十を越え、全身血まみれの汗まみれとなっている一刀…対し、恋は息一つ乱していない。
【恋】
「お世辞、違う…恋と、ここまで戦えた相手…久し振り…」
恋は嬉しそうに、その無双の強さとは裏腹な、柔らかな笑みを浮かべて言った。
【一刀】
「そうかい…でも、いくら強くたって…勝てなきゃ意味がねぇんだ……勝てなきゃ、守れねぇんだ…」
一刀は、恋から距離を取って、木刀を大上段に構えた。
【一刀】
「皆の期待も信頼も、夢も…理想も!うおおおおおっ!」
全身の力を、気力を、全てを木刀に込める…文字通り全身全霊、渾身の一撃…
【一刀】
「喰らえぇっ!」
ドガァァァンッ
【一刀】
「はぁ、はぁ…はがっ!」
ブシュッ
【恋】
「……」
一刀の背後で、恋は血のついた方天画戟を振るって血を払った。倒れ伏す、一刀…
【桃香】
「ご、ご主人様!」
立ち尽くす桃香…叫ぶのが精一杯で、足が一歩も前に出ない。一刀の下に駆け寄りたいが、そのすぐ傍にいる恋の圧倒的な強さを前に、全身が進む事を拒絶していた。
【愛紗】
「ご主人様!」
そんな桃香の横を駆け抜け、一刀の下に走ったのは…愛紗だった。
【愛紗】
「ご主人様!しっかりして下さい!衛生兵!」
【一刀】
「…がはっ!あ、愛紗…ごめん、勝てなかった……」
【愛紗】
「喋ってはダメです!傷が…」
一刀の脇腹からは、止めどなく血が流れ出している…間違いなく、このままでは死ぬ。いや、この時代だと、どちらにしても助からない。致命傷だった。
【一刀】
「やっぱ、俺なんかじゃ…天の御遣いなんて、なれっこねぇや……」
【愛紗】
「そんな事ありません!そんな事、おっしゃらないで下さい…」
【一刀】
「桃香の…理想を……」
そして、一刀は静かに息を引き取った。その体から力が抜け、命の温もりが奪われていく…それを腕に感じながら、愛紗は彼の頭を抱き続けた。
【愛紗】
「ご主人様…ご主人様!い、いやああああっ!」
悲痛な愛紗の叫びが、憎いほど青く澄み渡る空へと響く…
【蒼馬】
「ちょっと、ごめんよ~。」
そんな光景の中に、K.Y.魔人・蒼馬が割り込んできた。
【蒼馬】
「総大将が、ムチャしちゃだめでしょう~?」
そう言って、蒼馬は一刀に何かをした。その何かを見たのは愛紗だけで、他の周りの者たちは、二人と恋の体で陰になっていたため、見ることが出来なかった。
【愛紗】
「…それは?」
【蒼馬】
「し~っ!おじさんの、大切な秘密道具だよ~。」
蒼馬は懐に何かをしまい込んでから立ち上がった。そして、ゆっくりと恋に向き直る。
【蒼馬】
「君、強いね~。こりゃ~、おじさんも本気じゃないとダメかな~?」
【恋】
「…お前も、強い…恋も、本気出す。」
方天画戟を担ぐ恋は、目つきを鋭くし蒼馬を睨みつけた。
【一刀】
「…ぐっ…くっ、あれ?」
【愛紗】
「ご、ご主人様!」
愛紗の腕の中で、なんと一刀が息を吹き返した。
【蒼馬】
「目が覚めたら、少し離れてた方がいいよ~。」
蒼馬はそう言うと、剣を抜いて…姿を消した。
【恋】
「!?」
【華琳】
『あれは、空間転移!』
蒼馬たち神術師にとっては、歩行と同レベルの空間転移という術…一度、それを目の当たりにした華琳以外には、妖術の類に見えただろう。
蒼馬はすでに、恋の後ろをとっていた。そのまま、剣を恋の頭めがけ振り下ろす…ところが、
【恋】
「っ!」
【蒼馬】
「え?」
討ち取った…そう確信した矢先に、なんと恋が反転しながら方天画戟を振り抜いてきたのだ。
慌てて、蒼馬は攻撃をキャンセルし、左手でいつぞやの扇子を取り出すと、剣と合わせて恋の反撃をガードした。
ガァァンッ
【蒼馬】
「うおっととと…」
そのまま吹き飛ばされ、たたらを踏む蒼馬…そんな彼に、恋はさらなる追撃をかけた。
【蒼馬】
「魂鋼。」
蒼馬は腕を硬化させ、振り下ろされたその一撃を防いだ…が、
ブシュッ
【蒼馬】
「いっ!」
何故か、その腕から血が…傷は浅いが、確かに斬られていた。
【蒼馬】
「これは…参ったね、どうも…」
傷口を見やりながら、蒼馬はそれでも表情を変えずにいた。しかし、内心では焦りまくっている…。
【蒼馬】
『…この子、まさか…』
蒼馬は、瞬脚で恋の眼前に迫り剣を一振り…しようとしたが、
【蒼馬】
「!」
防ごうと構えられた方天画戟を見て、何かを確信した様子ですぐに攻撃をキャンセルし、バックステップで距離を取った…何を思って攻めあぐねたのだろうか?何にしても、ここまで苦戦を強いられている蒼馬も珍しい。
【恋】
「…今の、面白い…」
面白い、とは…蒼馬が見せた瞬脚の事だろうか?
【恋】
「…こう?」
次の瞬間、恋は蒼馬の見様見真似で、完璧に瞬脚を使ってみせた。
【蒼馬】
「う゛ぇ!ちょっ…」
これにはさすがの蒼馬も、驚愕の表情を浮かべた。恋の方天画戟を扇子で受け止め、すぐさま後退…驚愕の表情がなんともマヌケだった。
しかし、この戦いを見ていた華琳はもっと驚いていた。
【華琳】
『蒼馬が、押されている?』
彼女の中で、蒼馬の力はまさに死神のそれと認識されていた。敵う者などいるはずがない…死が人に等しく絶対であるならば、彼は全てに等しく死と戦慄を与える存在だと。
それが、そんな彼が…紛れもなく押されている…。
【華琳】
『有り得ないわ…蒼馬、分かっているでしょうね?貴方に、敗北なんて許されないのよ!』
しかし、そんな華琳の思いも虚しく…
パキンッ
蒼馬の剣が、恋の一撃により折られてしまった…。
【恋】
「…恋の、勝ち。」
蒼馬の眼前に突き付けられた方天画戟…死神と鬼神の勝負は、鬼神に軍配が上がった。
【蒼馬】
「……ふぅ~い、長生きってのはするもんだね~。まさかこんな天才に出会えるなんて、夢にも思わなかったよぅ。」
しかし、何故だろう…さっきまで、本気で焦っていたはずの蒼馬だったが、何故かまたいつもの飄々とした雰囲気に戻っている。
何故、この状況でヘラヘラと笑っていられるのか?その様子は、あまりに不気味である。
【恋】
「…お前、気持ち悪い…」
【蒼馬】
「酷いねぇ~。」
【恋】
「…本気、出せ。でないと…殺す。」
恋は見るからに不機嫌そうな目で蒼馬を睨み、方天画戟を肩に担ぐ。
蒼馬の態度から、彼が余力を残している事を悟った恋は、手を抜かれたと判断したらしい…武人として、これほど屈辱的な事もない。
【蒼馬】
「本気か…簡単に言ってくれるね。おじさんにとっては、命に関わる事なんだけどなぁ~。」
【恋】
「殺し合いだから、当たり前。」
【蒼馬】
「そういう事じゃなくてね…まぁいいや。そこまで言うなら…見せてあげるよ。その代わり、そんなナメた事、二度と言えなくなるがなぁっ!」
突然、雰囲気も口調も変わった蒼馬の全身から、凄まじい殺気が迸った。今までに彼が見せていた狂気まがいの殺意など、比べるべくもないほどの殺気だ。そしてその殺気は、彼が右手で顔を…左から右へと撫でていくその動作と同時に、底冷えする、凍えるような冷気へと変わった。いや、変化したのはそれだけではなかった…。
一方の恋は、目の前に対峙している相手に恐怖を覚えていた。恐怖、それは彼女にとって完全に初めての感情だった。
【恋】
「その目は…?」
蒼馬の両目の色が、青く変色していた。それだけじゃない…束ねていた髪も、根元からさーっ色が変わり、美しい水色となっていく。同時に、結っていた髪留めが、凍り付いて砕け散った。
【蒼馬】
「かああああああっ!」
蒼馬の変貌は続いた。額から角が生え、爪と牙が鋭く伸び…しまいには、鱗に覆われた尻尾まで生え出した。
その姿は…まるで、龍…
【蒼馬】
「はああああ…」
蒼馬の足元が凍り付いていく…周囲の温度は、今や氷点下を下回っている。
何が起きているのか、何が起こったのか…何も分からず混乱する周りの将兵たち。そしてそれは、恋も同じであった。
【蒼馬】
「…覚悟はいいか?この姿では、情け容赦手加減の類は一切期待できんと思え。」
【恋】
「…っ!」
歩み寄って来る蒼馬に、恋は一歩後退りながらも、方天画戟を構えた。次の瞬間…
ゴオォォンッ
蒼馬の拳が、恋を殴り飛ばした。ガードはした…したにも関わらず、衝撃は方天画戟から両腕を伝って、恋の全身の骨を軋ませた。
【恋】
「はぐっ!」
【蒼馬】
「どうした?戦いは、始まったばかりだぞ。」
蒼馬は容赦なく、恋を追撃した。吹き飛ぶ恋を上から叩きつけ、掴み上げ無造作に投げ飛ばし…暴れまくった。
【蒼馬】
「その程度か?飛将軍呂布の実力は。」
【恋】
「ぐっ…まだ、まだ……」
恋は立ち上がるも、すでに体はボロボロで、足に力を入れてもフラつく体をどうにも出来なかった。それでも…
【恋】
「…恋…月たち、守るっ!」
方天画戟を肩に担ぎ、恋は全身から深紅のオーラを溢れさせた。それは、彼女の背中…背後に、巨大な赤鬼の姿を浮かび上がらせた。そう…某グルメ四天王のように…。
【蒼馬】
「ほう、さすがだな。六百年も生きてきたが、これほど精錬された鬼神の覇気を見るのは初めてだ。」
それは、春蘭たちが持っている武士の覇気を昇華させた、鬼神の覇気だった。武士の覇気は、平たく言ってしまうと一刀や凪の扱う気と同様のものだ。身に纏うことで身体を強化させたり、放出することで常軌を逸した攻撃を放ったり…扱い方は様々だ。鬼神の覇気は、それそのものが形を為してその者の力を体現するのだ。
【恋】
「はあああああああっ!」
恋は限界まで覇気を高めた。今や、赤鬼は十メートルにも達する巨大さだ。だが大きさ以上に、彼女の見せるその鬼はあまりにリアル過ぎて、ただのオーラが見せる幻影とは思えないほど鮮明に現れていた。
【蒼馬】
「…なら、俺もそれに応えよう…かあああああああっ!」
瞬間、蒼馬の体からも青いオーラが溢れ出し、彼の背後に何かが浮かび上がっていく。それは…青い竜に乗る、青いローブを被った死神であった。巨大な鎌を振り上げ、今まさに死の宣告を与えんとしている。
対峙するは、まさに紅い鬼神と蒼い死神…だが、当人たちの緊張感なんかより、周りの方が堪ったもんじゃなかった。二人の放つ威圧感は、もはやそれ自体が凶器だ…証拠に、兵士たちはもう誰も立っていない。意識を保ち、この戦いの行く末を見ているのは、孫策、白蓮、華琳くらいだ。他の武将たちでさえ、膝をついて苦しそうにしている中で、さすがである。桃香など…桃香も立っていた。ただし、立ったまま気絶しているのだが…。
【愛紗】
「くっ!ご主人様、大丈夫ですか?」
【一刀】
「…す、すげぇ…やっぱ、あの人すげぇな…」
一刀は、未だに愛紗に上体を支えられていたが、二人の覇気にも全く怯んでいなかった。さすがは、王の覇気を開眼させているだけある。
【蒼馬】
「…いくぞ。」
【恋】
「っ!」
蒼馬と恋は同時に瞬脚を使用し、間合いを一気に詰めた。方天画戟が振るわれると同時に、紅い鬼神が蒼い死神めがけ巨大な拳を突き出す。だが同時に、死神はその鎌を無情にも振り下ろした。
ズガァァァンッ
その激突は凄まじい衝撃波となって、虎牢関内に吹き荒れた。あまりの衝撃に、空に掛かっていた僅かな雲さえ吹き飛ばされてしまったほどだ。
【蒼馬】
「…ぐっ!」
蒼馬の肩から、鮮血が上がった…しかし、その傷口はすぐに血が凍り付いて塞がってしまった。代わりに、気を失い倒れたのは、恋の方であった。
この瞬間、戦の勝敗はほぼ決した。
城門前では…春蘭も霞も仰向けに倒れていた。
【霞】
「はぁ…はぁ…やるやないか。」
【春蘭】
「はぁ…はぁ…お前こそな。」
立ち上がる気力も湧かないほど、とことんやり合った二人の間には、奇妙な友情が芽生えていたのだった。




