第九話 死神、街を守る
季衣が仲間に加わり、華琳が州牧となってから早数日…蒼馬は、兵士たちの鍛練を任されるようになっていた。
【蒼馬】
「はい、全隊右に方向転換。駆け足ね…太鼓を鳴らしたら反転、そのまますぐに前進だよぅ。」
数百人の兵たちが一斉に動く…太鼓が鳴ると同時に、各自がその場で反転し、先程まで後方側だった列から順次前進を開始する。
その後も指示は増え、陣形の組み替えも一通りやらせたところで、団体訓練は終了にした蒼馬。
【蒼馬】
「じゃあ、こっからは個人単位の訓練だねぇ。各自二人組になって、徒手格闘戦の訓練をして欲しい。訓練だから、相手に怪我をさせないように…また、自分が怪我をしないように集中して臨むんだよぅ。」
とぼけた喋り方だが、彼の実力を先日の戦で見せられた兵たちにとっては、彼の言葉は絶対である。逆らえば命はない…事実、最初の訓練で、彼の話し方に気を緩めた兵士の一人が、真面目に訓練を受けずにいると…
【蒼馬】
「そんな調子だと、死ぬよぅ?」
と、蒼馬が剣を一振りさせたのだ。瞬間、訓練場に走る戦慄…男は腰を抜かし、その場で失禁してしまった。別に何も誰も斬られてはいなかったが、彼の剣閃は味方にまで相当な恐怖をすりこんでいたようだ。
【蒼馬】
「君一人が死ぬくらい、おじさん別にいいんだけどねぇ~?でも、そのせいで他の兵が巻き込まれて、みんなが危険な目に遭うかもしれないでしょう?分かるかい?戦場っていうのは、そういう場所なんだよぅ?」
それ以来、蒼馬の立場は否応なく高まった。少なくとも、周りの兵士たちの対応という意味では。
そんな中、蒼馬は華琳に呼び付けられた…。
【蒼馬】
「何だい、華琳?おじさん、兵士のみんなに稽古つけてあげてたんだけど~?」
【華琳】
「それなら、代わりに春蘭に頼んだわ。」
【蒼馬】
「そう。それで、用件は~?」
話を促すと、華琳から一つの竹簡を渡された。中を読んでみると…街の警備の在り方についての見直し、その草案となっていた。草案…といっても、ほとんど白紙だ。
【華琳】
「それを纏めて欲しいのよ。」
【蒼馬】
「おじさんが?おじさん、しがない一兵卒だよぅ?」
【華琳】
「いいえ。もう貴方はれっきとした我が軍の将よ。兵たちも認めているわ。」
【蒼馬】
「え、そうなのかい?」
蒼馬は、つい先日まで直属の上司だった秋蘭に回答を求めたが、彼女は無言で一つ首を縦に振るだけだった。
【華琳】
「ま、そういうわけだから、よろしくね蒼馬。期限は…三日でいいかしら?」
【蒼馬】
「うーん…分かったよぅ。仕方ない、じゃあ現場を見に行きますかねぇ~。」
蒼馬は以外にあっさりと引き受け、部屋を後にした。
【華琳】
「あらら、随分とあっさり請け負ってくれたけど、大丈夫なのかしら?」
【秋蘭】
「さぁ…何しろ、蒼馬のことですから、判断しかねます。」
【華琳】
「よねぇ…ま、楽しみにしていましょう。」
華琳は心底楽しそうにほほ笑むと、仕事に意識を戻した。
早速、街に繰り出した蒼馬だったが、活気溢れる街の人気に、少々当てられ気味だ。
【蒼馬】
「ふぅ~…考えてみたら、おじさんこういうとことは無縁な生活だったからねぇ~。」
トレジャーハンターという、かなり特殊な仕事で生計を立てていた彼にとって、馴染みのある店というのは大概が闇市など表立って商いの出来ない店ばかり。
この世界に来る前に立ち寄っていた智輝の所だって、かなり特殊な取引先だ。
【蒼馬】
「でも、人が多ければ当然…」
【??】
「食い逃げだぁーっ!」
早速、騒ぎが起きた。
【??】
「誰か、そいつを捕まえてくれっ!」
蒼馬が振り向くと、通りの向こうから駆けてくる男が一人…その後ろから、包丁を持った男が追いかけて来ていた。
【蒼馬】
「はぁ~、物騒だねぇ。」
そう言って、蒼馬は食い逃げ犯と思しき男の前に一瞬で詰め寄った。
【食い逃げ犯】
「なっ!」
【蒼馬】
「ダメだよ~、無銭飲食は~。」
【食い逃げ犯】
「くそっ!」
男は蒼馬を避けて行こうとするが、次の瞬間その首を掴まれて、地面に叩きつけられた。
【食い逃げ犯】
「がっ!」
【蒼馬】
「ふぅ~。全く困っちゃうねぇ~。」
それから遅れる事10分以上…やっと警邏隊が駆け付けた。
【蒼馬】
「やぁ、遅かったねぇ~。」
【警邏隊員A】
「あ、あなたは、蒼馬将軍!」
【警邏隊員B】
「お疲れ様です!」
【警邏隊員C】
「ご助力、感謝いたします!」
警邏隊の兵たちは、蒼馬の姿を見るなり一様に敬礼した。本隊ではないが、彼らも蒼馬の事は聞き及んでいるのだ。
【蒼馬】
「うん、それはいいんだけどさ~、ちょっと聞いていいかい?」
【警邏隊員A】
「はっ!」
【蒼馬】
「君たちの詰め所は、どのくらいの間隔であるんだい?」
【警邏隊員A】
「四町から五町です。」
【蒼馬】
「うわ、遠いねぇ~。実は、街の警備について、改善案を作るよう頼まれてね。何か、困ってる事とかあるかい?」
【警邏隊員A】
「はぁ…将軍も仰られた通り、詰め所の間隔が遠く、我々が現場に駆け付ける頃には、すでに騒ぎが収まっていたり、最悪の場合には手遅れという事が度々あります。それに、警邏隊はなり手が少なく、人手も不足しているんです。故に詰め所の数も少なく、仕事は厳しい…それが原因でなり手は増えない、これの悪循環なんです。」
【蒼馬】
「なるほどね~。」
それを聞き、蒼馬は顎に手を当ててしばし思案した…人手不足。どうやら、まずはそこを解決しないといけないようだ。
といっても、蒼馬はすでにその点は予測していた。
【蒼馬】
「なら、やっぱり本隊の兵をこっちに回してもらうよう頼んでみようかね~。いや、待てよ…それよりも……さっきの、食い逃げ犯と話してみてもいいかい?」
【警邏隊員A】
「は?しかし…」
【蒼馬】
「ひょっとしたら、君たちの待遇なんかも改善できるかもしれないからね~。協力してくれると助かるんだけどな~。」
【警邏隊員A】
「わ、分かりました…」
こうして、蒼馬は先の食い逃げ犯と話をするべく、彼が連れて行かれた詰め所へと向かった。
翌日の夕刻…蒼馬は華琳の部屋を訪ねた。その手には、ひと巻の竹簡が抱えられている。
【蒼馬】
「華琳、少しいいかい?」
【華琳】
「蒼馬?えぇ、入りなさい。」
中に入ってみると、華琳は政務用の机で山ほどある書簡を整理していた。
【蒼馬】
「大変そうだねぇ~?後にした方がいいかな~?」
【華琳】
「平気よ。ほとんど目を通し終わったものばかりだから。」
その割には、彼女の顔に疲労の色は見えない。さすがは覇王・曹孟徳…その能力の高さは、凡人では比較にもならない。
【華琳】
「それより、何の用かしら?」
【蒼馬】
「何って、例の警邏隊の改善案を纏めたから、目を通して貰おうと思ってね~。」
【華琳】
「は?」
華琳の表情が、訝しげに歪む。
【華琳】
「それを頼んだのは、昨日だったわよね?まさか、一日で仕上げたっていうの?」
【蒼馬】
「昨日のうちに、現場の声なんかを聞いて回ったからね~。それで、今日それを参考に書簡を纏めた…残りの一日は、これがダメだった時に備えて、とっておこうと決めてたからねぇ~。」
【華琳】
「……」
華琳は、目の前のとぼけた様子の男をまじまじと眺めた。
正直、華琳は三日という期限を、丸三日…ないし三日後という意味合いで設けたつもりだった。それでも、このヘラヘラと笑ってばかりで真剣みの欠片もない男なら、間違いなく提出が遅れるだろうと踏んでいた。それなのに、あろう事か蒼馬はその期日を三日以内と捉え、しかも一日残して仕上げてきたというのだ。
【華琳】
「そう…分かったわ。見せてちょうだい。」
【蒼馬】
「はい、これだよ~。」
受け取った竹簡を開き、華琳はスラスラと目を通していった。
多少、字に癖が見られたが、むしろそれは達筆と捉えてもいいもので、少なくとも彼女にとって読みにくい、いわゆる下手くそな字ではなかった。文章も纏まっている…。
内容は要約するとこうだ。
まず問題点が、詰め所の数と間隔である事。詰め所の数を増やし間隔を埋める事で、街の何処で事件が起きても素早く警邏隊を派遣し、対応できるようにすべきという事。理想は一町に詰め所一つ、と補足されている。
その為に解決すべき真の問題点は、警邏隊の人手不足だという事。その点を解決するための案として…警邏隊の待遇を上げて、なり手を増やす必要があるという事が、前置きとして書かれていた。
具体的な案はこの後に記されている。正規軍から人手を回してもらい、警邏隊の負担を軽減させる。警邏隊に入れば、兵役や雑役を免除されるなどの利点を作る。これでなり手を増やす。特に、流れてきた者たちの中には、職に就けず困っている者が多いので、彼らを優先的に雇用する事で、治安の改善と人の呼び込みも期待できる。まずこれで人手不足を解決する。
しかし、ここで新たに浮上するのが、資金面の問題である。それについて蒼馬は、こう記している。
警邏隊の体制が改善され、治安が良くなれば、他の商人仲間や商団を呼んでもいいと考えている商人たちがいる。そうなれば、商業の発展で税収を増やす事が可能になる。また、出資を前向きに考えてくれている人たちが大勢おり、資金面についての解決も難しくはないとの事。
さらに、問題解決とは別の改善案も補足されていた。それは…
【華琳】
「正規軍の新兵と共に、警邏隊にも同様の調練を施す…なるほどね。」
あらかじめ正規軍の調練を施しておけば、もし警邏隊から正規軍に移るとしても、移籍はスムーズに運ぶだろう。志願者には紹介状を書くようにすれば、警邏隊からの出世を夢見て、さらになり手は増えるだろうし、正規軍にも優秀な兵を入れられる。
【蒼馬】
「それに、兵役の免除もある。原則、彼らを徴兵出来なくなっちゃうからねぇ~。その分のこっちの利益を考えたんだよぅ。どうだろう?有事の際は彼らを街と城の守備部隊に回すって事でどうかなぁ?このくらいで、割に合うといいんだけど~。」
警邏隊が守備部隊として機能するなら、遠征の際に正規軍から守備に回す分を軽減できる。それが、蒼馬の考えた作戦だ。
華琳は改めて考慮した。蒼馬の案は、問題点とそれに対する解決案が見事に整理されていた。単なる警邏隊の改善案だが、そこにはきちんと富国強兵に繋がる部分が盛り込まれている。
【華琳】
『これを…たった一日半で?』
【蒼馬】
「何か問題でもあったかい?」
【華琳】
「いいえ。案自体は悪くないし、これで行きましょう。」
【蒼馬】
「ふぅ~ぃ。そいつは良かったよ~。出資の約束なんかも取り付けておいたから、無駄にならず済みそうだね~。」
【華琳】
「…ちょっと、待って?出資の約束?」
華琳の顔が途端に厳しくなる。
【蒼馬】
「まぁね~。食い逃げ犯を捕まえた礼に、この案が通ったら幾らか出してもいいって、大衆食堂の店主くんが。他にも…」
【華琳】
「…それはね、蒼馬。計画の立案じゃなくて、計画実行の根回しっていうのよ!」
【蒼馬】
「ん?あぁ、そうとも言うねぇ~。」
華琳は我慢ならず、思いきり蒼馬の腹を蹴り飛ばした。
ドガンッ
【蒼馬】
「あれぇーっ?」
【華琳】
「全く、少しは反省の色くらい見せられないのかしら?」
【蒼馬】
「ゴメンよ~。そこまでは、おじさんも考えてなくって~。」
蒼馬の態度に、華琳は溜め息を吐くしかない。
一応は蹴り飛ばせたものの、壁に激突してなお平然としている蒼馬…おそらく何をされても、痛くも痒くもないだろう。
【華琳】
「…蒼馬、この件は今後、全てあなたに任せるわ。根回しまでした以上、責任は最後まで取ってもらいますからね!」
【蒼馬】
「ふぅ~、仕方ないね~。んじゃ、まずは詰め所を設ける場所を確保しないとね~。明日から忙しくなるな~。」
そんな事を言いながら、蒼馬は華琳の部屋を後にした。
【華琳】
「………くくく、あははははっ!」
一人になった華琳は、やがて愉快そうに笑い出した。
【華琳】
「最高じゃない!武は死神の如く、戦場の兵を等しく戦慄させる上に、たった一日で計画の立案はおろか、根回しまで出来る仕事の早さ…蒼馬、彼がいれば、わたしの覇道は揺らがない!後は、時が満ちるのを待つのみ!くくく、あははははっ!」
華琳が少し発狂しかけた(?)その日から、三日後…蒼馬は警邏隊改めて警備隊の入隊者たちの名簿をチェックしていた。何処の生まれ、家族の有無、住んでいる家、経歴などを記載したそれらは、その数すでに数十人分にのぼっていた。
【蒼馬】
「とりあえず、雇える人間は雇い尽くしたかな~?後は、これから希望者が増えてくれれば…詰め所を建てる場所も押さえたしね~。」
と、そこへ秋蘭が訪ねてきた。
【秋蘭】
「順調なようだな、蒼馬。」
【蒼馬】
「やぁ~、秋蘭ちゃん。」
【秋蘭】
「まさか、こんなにも迅速に事が進むとは…失礼ながら、予想もしていなかった。」
【蒼馬】
「伊達に、六百年も生きてないよ~。」
数日前までは、直属の部下と上司の間柄だった事もあり、秋蘭はある程度だが蒼馬との接し方が分かってきていた。
なんて事はない…深入りしなければいいのだ。
彼がどういった人間で、どんな過去を歩んできたのか…聞いたところで理解も出来ないし、その内容を信じきれる自信もない。ならば、今はただ味方として彼を信じ、共に華琳の覇道を支えていけばいい…彼がどんな態度でいようと、華琳のために協力してくれているのは事実なのだから。
【秋蘭】
「そうか。それより、華琳様がお呼びだ。玉座の間に来てもらえないか。」
秋蘭に連れられ、蒼馬は玉座の間へと通された。
【華琳】
「来たわね、蒼馬。」
【蒼馬】
「何か用かい?おじさん、今は警備隊の事で手一杯なんだけど~。」
相変わらずの態度と口調だ…集まっていた春蘭と桂花など、烈火の如く怒り狂っている。華琳の親衛隊長となった季衣は、今やいついかなる時でも華琳の横に控えているので、隣にいる華琳のご機嫌が悪くならないよう祈るばかりだった。
【華琳】
「分かっているわよ。あまり時間はとらないから心配しないで。」
まぁ華琳も、蒼馬の態度については今さら何も言わないし、気にもしなかった。
【華琳】
「蒼馬。今日から貴方を、正式な警備隊隊長に任命するわ。この街の平穏を守る者たちを、その手で束ねてもらうわよ。いいわね?」
華琳の言葉に、誰よりも驚いたのは蒼馬だった。
【蒼馬】
「隊長?おじさんがぁ?」
それはそうだろう…自分が周りからどう言われているか、いくらすっとぼけている蒼馬でも、知らないわけがない。
【蒼馬】
「街の人が怖がらないかい?死神なんて呼ばれてるんだよ、おじさん…」
【華琳】
「あら、自覚があるのね?でも、考えようによっては、それだって利用できるでしょ?」
確かに、死神が束ねる警備隊に守られている街で、誰が好き好んで悪事を働くだろうか。
【蒼馬】
「ふぅ~…まぁ、いいよ~。引き受けようじゃないの。でもぉ、それなら少しかお給金上げておくれよ~。部下に食事も奢ってやれないんじゃ、カッコ悪いでしょ~?」
【華琳】
「あら?体裁を気にするのは青い証拠、じゃなかったかしら?」
それは、前に蒼馬が華琳に対して言った言葉だった。
【蒼馬】
「あっはっは♪そうだったねぇ~。」
【華琳】
「ま、いいわ。今後とも貴方にはしっかり働いてもらいますからね。給金については、考えておくわ。」
【蒼馬】
「助かるよ~。それじゃあ…警備隊隊長の任、謹んで受け賜りまする。」
蒼馬は、華琳の前で初めて叉手の礼をとってひざまずいた。
【華琳】
「そ、蒼馬…貴方…?」
【蒼馬】
「ん?何か間違っていたかい?」
と、いつもの調子で返す蒼馬…いつもすっとぼけた様子の彼だが、やはりというべきかフリをしていただけだった。




