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廊下の先の階段を下りると、階段下に詰めているはずの衛兵たちが世間話に花を咲かせていた。ジールの姿を認め、慌てて居住まいを正す。ジールは、気にしなくていい、という身振りをして、彼らの前を通り過ぎた。
ジールは自分の身分をわきまえているつもりでいる。
自分は所詮、ディーンのおまけに過ぎない。
ディーンのつけた条件のおかげで破格の待遇を受けてはいるが、王位は世襲制ではないから継承も考えられない王弟は、ただの穀潰しだ。幼い時分ならまだしも、成長するにつれ周囲の風当たりが厳しくなってきていることに気付かないバカでもなかった。
だから、いつかは城を出て自活しなければと思っているのだが、少なくとも今のディーンはそれを許してくれそうにない。
このまま城に残って王を補佐するという選択肢もあるのだろうが、ジールにその気はなかった。ただでさえ弟にべったりな兄だから、ジールが口を出せば、他の本当に有能な側近たちが立つ瀬をなくしてしまう。実際、「弟君」の影響力に目をつけて、ジールに近づいてきた者もいる。
もっとも最近では、兄もそこまでバカではないかもしれないと気付いたのだが、今度は政治に対する興味を失った。
ジールの本好きを知る者の中には、王立の学校に行かせてはと進言してくれる者もいた。研究職なら、王弟という微妙な立場で就いても問題が少ないし、ジールには向いてもいるのではないかということだった。
ジール自身、学校には興味があったし、同年代の友人が欲しくないわけではなかった。しかし、やはりディーンはそれを望まなかった。
そんなときに知ったのが、王宮内の書庫の存在だ。
書庫は、もう百年以上もほったらかしにされていた。忘れ去られていたからこそ内乱の戦禍を免れ得たのだろう。貴重な書籍が山のように眠っている可能性があるのに、誰も管理をしないまま、無造作に閉じられたままだった。なまじ王に近い場所にあるために、研究者たちも容易に手を出せない場所だったようだ。
ジールは兄に、その管理をしたいと申し出た。書庫を整理すれば、国のためになる資料も手に入り、王の助けになるかもしれない。なにより趣味と実益を兼ねている。場所も王宮内だから問題ない。
ディーンは、「兄貴のためにもなる」という言葉に騙されて、ジールの書庫への出入りをあっさり許可した。
書庫に入ると、そこは思った以上に魅力的で、めちゃくちゃだった。500年前の料理本の隣に、150年前の官能小説が突っ込まれていたりする。他にも、誰がどんな趣旨で蒐集したのか疑うようなラインナップばかりだ。しかし、中には貴重な研究書や政治資料も紛れ込んでいた。そして何より、全てが古く、量が多かった。
ジールはとりあえず、一階から順に本の記録を作ることにした。一冊ずつ取り出して、年代、著者、内容を確認してリストを作る。ときどき気に入った本に読みふけってしまったりするから、上まで到達するのに何十年かかるか分からない。しかしそれも楽しかった。
本にはいろんなことが書いてある。物心がついて以来、城の外に一歩も出たことがないジールにとっては、本にかかれた知識は何もかもが新鮮だった。そしてジールの好奇心を刺激するという意味では、傾向に偏りのない蔵書も、支離滅裂な配置もありがたかった。あまりに熱中しすぎて、へそを曲げたディーンに書庫への立ち入りを禁止されては元も子もないから、食事とおやつは同席するよう心がけていたが、本当は干からびるまで書庫に籠もりたいくらいだ。
広い宮殿内を20分も歩くと、やっと書庫へ続く出口に突き当たった。
さすがにもう迷うことはないとはいっても、城内は迷路のように入り組んだ造りだ。ディーンの部屋への出入りは、やはり翼を使って窓からに限る。何より途中で城内の者に見咎められる心配がないのが気楽でいい。しかし、若干一名うるさいおばさんがいるから、ジールは心がけて足を使うようにしていた。
勝手口にしては少々立派な戸を開けて外に出ると、屋根の付いた渡り廊下があり、その先に書庫の塔が立っている。
ジールは眉をひそめた。
書庫の扉が開いている。
ジールを呼びに来たメイドが閉め忘れたのか。そそっかしいことだ。
しかし、書庫内の書籍は見た目以上に価値のあるものばかりなのだ。城内に泥棒が入るとは思われないが、用心するに越したことはない。衛兵を呼ぶには及ばない。ジールもディーンほどではないが、多少は腕に覚えがある。もっとも、書庫内で使うには躊躇われる能力だが。
ジールは慎重に書庫に歩み寄り、中をのぞき込んだ。
7/23 訂正「眉をしかめた→眉をひそめた」ミスです。