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白の王弟と水の姫君  作者: ユイカ
2.謎の声
11/35

11

――――あの子たち、今日大変ね。

 いつ頃からか聞こえるようになった声は、もうすっかり空気になっていた。気が触れたかと気に病んだこともあったが、聞こえるものは仕方がない。

 それは、ちょっと背伸びした少女の声だった。

「何が?」

 ジールは本に目を落としたまま聞いた。

――――先輩たちにばれたのよ。

――――見習いメイドの分際で、弟君から直接字を教わっていたなんて。かっこうのいじめの対象になるでしょうね。

――――かわいそうに。

 ジールは本を閉じて立ち上がった。

「ちっ。だから女は。」

――――どこ行く気?

――――あなたが行ってもこじれるだけよ。

「じゃあ、どうしろと。」

――――放っておきなさい。

――――あの子たちも、ばれればどうなるかくらい知ってやっていたことよ。

――――あなたは常にあの子たちを守ってあげることはできないんだから。できたとしても、それをあの子たちが喜ぶとは限らないしね。

――――懲りずにまた来たとしても、もう来なかったとしても、知らない振りをしてあげなさい。

――――それがあの子たちのためよ。

 何だそれは。

 ジールは唇をかみしめた、が、反論できなかった。

 誰もいない部屋で、椅子に独り腰を落とす。

 4人掛けの机は、いまや大きすぎた。

――――それより、あなたも大変だったじゃない。

 少女の声は少し哀れむように言った。

――――お兄様にばれたんでしょ?

――――男の子が女の子3人とちょっと仲良くやってたからって、放っておけばいいのよ。

――――逆なら、ちょっと心配するかもしれないけどね。

――――もっとも、逆なら、そんな仕打ちはしないかしら。

 ジールは左手を抱き寄せた。出血こそ止まったものの、生々しい傷はズキリと疼く。

 いったい誰が告げ口したのだろう。

 ジールは朝食前にディーンの部屋に呼び出された。ディーンはいつになく暗く沈んだ目をしていたから、何かあったのだろうと察しはついた。が、まさか、自分が少女たちに字を教えていたことを知ったからだなんて、問い詰められるまで思いもしなかった。

 ディーンは怒りを爆発させた。

 もちろん、ただやられているだけのジールではないから、反撃はした。しかし白の王の力の前では、ジールなど赤子に等しい。

 レイタが異変に気付いて駆けつけ、止めてくれなければ、殺されていたかもしれない。

 そして、そこまでの喧嘩の後だったにもかかわらず、ディーンは悲しそうに弟を見て、「僕が嫌い?」と訊いたのだ。

 ジールはあきれ果てたというより、失望して部屋を飛び出してきた。

 僕が嫌い?

 もう何度も聞いた言葉だ。

 ジールは物心ついたときから城にいて、いつもディーンと一緒だった。

 勉強も、ディーンの家庭教師に一緒に教えてもらい、遊ぶときもいつもディーンと2人だった。

 何で自分はここにいるのか。自問したことが何度もある。

 王である兄と違って、自分はここにいるべき者ではないのに。

 城の外に出してもらえないことにも不満は募っていた。

 兄とも違って、ジールには城の外の記憶が一切無い。

 もちろんジールは、元来大人しい質の子供でも、不満を腹にため込む質でもなかったから、何度も自力で城を抜け出そうとした。

 しかしダメだった。

 どんなにこっそり飛び出そうとしても、城の上空の一定の位置まで来ると、どうしても越えられない膜のようなものに阻まれた。そこで立ち往生している内に見つかって、連れ戻されてしまうのだ。

 迎えに来るのはたいていの場合レイタだった。

 ディーンが来たことは一度もない。

 この国の長である白の王が弟にかかずりあっている姿など曝せないからなのか。

 しかしジールは、連れ戻された後は必ず、ディーンのもとに連れて行かれた。

 ディーンは引っ立てられてきた弟を見て、いつも悲しそうに微笑んで、そして、

「無駄だよ。」

 と言った。

 あるときまで、それは兄自身もあの膜を越えられないからだと思っていた。

 兄がここから出られないなら、自分だけは彼を裏切ってはいけないと考えたこともあった。

 しかし。

 あるとき気付いてしまった。

 ジールも白の王の弟だ。自分の能力は普通の天使に比べたらかなり高いことに、成長するにつれ気付いてきた。そのジールが一切傷つけることすらできない膜を、しかも宮殿の上空に張り続けることのできる者など、1人しかいなかった。

 それに気付いたとき、ジールは初めて兄に逆らった。

 もちろんあっさり返り討ちにあったのだけれど。

 そのとき、ぼろぼろになってレイタに助け上げられたジールに、兄はこう言ったのだ。

「僕が嫌い?」

 ジールは怒りも呆れも通り越して、ただ、失望した。

 そのときと同じだ。

 もちろんジールはそれで諦めるような質ではなかったから、何度も無謀な挑戦を兄に挑んだ。その結果はいつも、「僕が嫌い?」だった。

 なぜ兄はああなのかと、レイタをなじったこともある。しかしレイタはいつも、もう少しだけ待ってあげなさいとしか言わなかった。そのレイタの表情が、ディーン以上に悲しそうで、ジールはいつも、何も言えなくなった。

 今日もレイタは、ぼろぼろになったジールの前に立ちはだかって、ディーンを止めてくれた。彼女自身が傷を負うのをいとうことなく。

 でも彼女は、喧嘩の直後はいつも、傷ついたジールではなく、ディーンを気遣うそぶりを見せたから。今回もそうだったから。ジールは飛び出してきたのだ。

 いつぞやディーンと喧嘩した後、レイタに言われたことがある。

「また、喧嘩したのですか。

 2人ともまだまだ子供ですね。」

 そのときは否定したが、本当はそうなのかもしれなかった。

 ジールは、負けると分かっていてもいつも兄に逆らいたくなるし、兄も、力の差があると分かっていて手加減はしない。

 兄弟なんてそんなものだ。

 ただ、今回ばかりは。

「やめよう。」

 自分に言い聞かせるように呟いて、ジールは翼を出した。天窓まで舞い上がる。

 窓は、昔は開いた形跡があるのだが、今は押してもびくともしなかった。金具でも錆びたのか、隙間に埃でも詰まっているのか。区切られた空は狭い。

 耳障りな声が囁く。

――――ねえ、ジール。ここを出たいと思わない?

 うるさい。

――――意地張ってもいいこと無いわよ?

「うるさい!お前は誰だ!」

 ふふふ。

 声はいたずらっぽく嗤った。

――――そうね、私のことは『水の姫君』とでもしておきましょうか。

――――また会いましょう。ねえ、ジール。

 うふふふふ。あはははは。

 笑い声はフェードアウトし、消えていった。


7/28 謎の声の台詞の前に、「―」を挿入。本当は、「―」の代わりにスペースで文頭を下げたかったんですけど、どうやったらできるんでしょうかね?

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