浩司って…
仕方なく、数ヶ月前までお世話になっていた高校生用問題集に挑戦するが、ものの三秒で両手をあげる。
「できるか」
「また留年してもいいの」
「いいはずない」
シャーペンを放り投げた朱里に、またの文字がつきつけられた。
後輩が同級生になり、同級生が先輩になる留年など一回で十分だ。どうせ教師達は一度とおった学習内容なのだから、できて当然と思い込んでいるのだ。
どこの誰が進んで繰り返すものか。
「なら、フル回転モードで挑戦だ」
「お前がだろ」
「なんで、おれなの」
見当がつかないと空とぼける浩司に頭を抱えたくなる。 自覚という言葉を知っているのだろうか。無を付け加えたバージョンでもいいから、辞書で調べて覚えてほしい。
「留年したのは誰だ」
「おれ」
誇れもしないことにわざわざ胸を張る。
「だから、朱里のバックアップで脱留年」
「自力でしろよ」
ごく当たり前のセリフに浩司は肩をすくめ、あたかも朱里がわるいようないいぐさをする。
「暇人さんに、忙しさのおすそわけしただけなのに」
別に暇なわけではない。現役大学生の朱里だって、それなりに忙しい。誰かの猫の手になる手はどこにもあまっていない。
「去年、手抜きしたツケを俺に分けてどうする」「残念だけど、それは今年の分だよ」
ツケはツケ。結局、どちらも同じことだ。自力は使わず、他力本願で楽々脱出を計画しているようだが、どんなマジックにだってタネがある。他力であらせられる神の地道なご活躍があってこその本願達成。別名、犠牲者の努力の結果ともいう。
「やっぱり頼れるのは友達だよね」
ツケ返上の神様に取り入ろうと考えても無駄だ。以前、尽力をフルに注いでダメだった結果はまだ新しい。
「ノーと言える関係こそ友情だ」
「助け合い精神の方が大切だー」
無駄に語尾を伸ばして、反論してくる。「立派な大人にするため、獅子は我が子を谷底へ落とすと言うだろ。それと一緒だ」
「おれ、獅子じゃないし、朱里の子じゃない」
以前、浩司に手をこまねいた担任の気持がいまならわかる。何を言っても意味をなさない。しかも、変なツッコミをいれられ、不快になる。これではイライラが悪循環して貯蓄されるだけだ。
「とにかく、やれ」
問題集を押し付けた。否、浩司に押し付けられたものだから、押し返したが正解だ。
「〆切間近なんだ。今回だけ」
どうしても拝み倒す気でいるらしい。
お願いを連呼されても、誰が協力してやるものか。
「さっさと終わらせとけ」「だって、グルグル煮詰まって爆発したら、一から作りなおしになったんだよ」
煮詰まって爆発。化学で実験の課題でもでたのだろうか。
「何の話だ」
眉根をよせた朱里に対抗して浩司は口をとがらせる。
「少しだけ教えたら、全部解いてくれる」
朱里が断る隙も与えず、浩司は言いきった。
「おれ、学生兼作家やってます。はい、お願い」
手つかずの課題をていねいに押し返す。これまたごていねいに朱里は受け取ってしまった。
「学生兼作家だったら、学生の方が優先だろ」
知らず知らず人は優先順位の高い方を先にいいがちだ。そこをついたつもりだったが、全く効果なし。浩司はあっさり入れかえた。
「じゃあ、作家兼学生」
作家が先だから、学生の本分はあとまわしでいいというのか。
「どちらにしろ、全力をつくせ」
「無理だから、ねっ」
やる気などみじんもない。はなからわかっていたことではあるが、茶目っけで押しきろうとする強行さにはあきれる。
「そうだ」
なにかひらめいたらしく、首をかしげていた浩司がポンと手をたたく。
「じゃあ、これ一気飲みして」
差しだしたのは、謎の物体と化したアイスへドロだ。食べ物にたいして、ヘドロと語尾を足すのもいい気はしないがホワイトヘドロそれ以外に思いつけなかった。
「ヒマなら…」
目を泳がせる朱里に、浩司が二種選択以外は認めないと即答する。
「暇じゃないよ。つまらないだけ」
学習能力はきちんと作動しているようだ。ヒマと叫べば、やまびこが、やれ、と呼応することを重々心得ている。
あまりに退屈そうな顔をするものだから、朱里は仕方なく問題集を開く。浩司の相手をするのもつかれてきた上に、あまったるいヘドロを無理矢理胃に流し込まれる危険度が高まったからだ。
断固として、拒否。
「オモシロイと思えば、なんでもオモシロイっていってたのは誰だ」
「和也じゃないかな」
人任せでお気楽モードの浩司が笑いながら、アイスに渦を描いている。
「『つまらないと思うから、つまらないのだ』って、怒られた」
俺達の毎日はヒマじゃなかっただろ。
それでも、浩司にはつまらなかったのか。