第五話
「あ~……終わった」
無事に入学式が終わり、今は一年一組の教室にいる―――が、全員の視線が俺に突き刺さって痛い。
先生たちも平民生徒は初めてなので通り過ぎる時は必ず一回は俺の顔を見る。そして視線を逸らす。この一連の流れが今日だけで何度あったことか。
そしてもう一つ俺の精神を削る要素があった―――入学式前に絡んできた三人組と同じクラスだということ。
唯一の嬉しい要素はあの赤い髪の女の子と同じ教室だという事。
飛びぬけて美人な子と一緒のクラスでテンション爆上げではあるがあの三人組が今は大人しくしていること。これが何よりも安心した。
「……」
新入生特有の猫を被っているのか、それとも俺に気を使ってか椅子に座りっぱなしだ。
そんなことを考えていると教室の自動ドアが開き、出席簿を持った教員が入室して教壇に立つ。
「みなさん、ご入学おめでとうございます~」
柔らかな雰囲気と優しい声。
この二つがどれほど俺に癒しを与えてくれることか―――と、ホワイトボードに各国の言語に自動翻訳された先程の会話が表示される。
「一組の第二担任の赤阪千夏です~。一年間よろしくです~」
とびっきりの笑顔が眩しいくらいに暗い雰囲気の教室を明るく照らす。
「じゃあ、早速なんですけど~。今から配るこれをつけてくださ~い」
そう言いながら先生は小さな箱を列ごとに配っていく。俺の手元に届いた小箱には商品名らしい『World Link』という言葉が書かれている。
とりあえず箱を開けてみると中には小型イヤホンが入っており、耳の上部に引っ掛ける形で装着するようになっている。
『今これで皆さんに各国の言語で話し掛けられるようになりました~』
デバイスから聞こえてくる音声は赤阪先生の肉声ではなく、限りなく肉声に近い調整をされた電子音声だ。
俺は日本人だから着けなくてもいいけど生徒の中には日本語に不慣れな人もいる。
言語の壁を取り払うことを目的としたデバイス。それが『World Link』―――と解説書に大々的に書かれている。
よく見ると先生も耳に装着しているが日本語なので俺はそれを外した。
「ではこれからの予定を話しますね~。事前に配布されているタブレット端末を見てくださいね~」
指示に従い、端末の電源を入れると先生の端末からデータが送られる。
自動的にダウンロードされると行事予定表が表示される。これも各国に合わせた多言語版が作成されているのか周りから声は上がらない。
「今日はオリエンテーションなので授業はありません~。ですが学校が終わるのは十六時です~」
それもう普通の六時間授業ではないのか? と心の中で突っ込みを入れたのは俺だけではないだろう。
「で、今からするのは避難訓練です~」
俺を含めた全クラスメイトの頭に疑問符が浮かんだことだろう。
何故、入学式初日に避難訓練をしないといけないのかと。
「とは言っても実際に避難はしませんよ~。映像を見てもらうだけですから~」
すると教室の電気が自動的に落ち、同時に遮光カーテンが閉まり始めて窓からの光を完全に遮り、教室を暗闇で包み込んだ。
その数刻後、ホワイトボードに動画が映し出され、再生される。
監視カメラで撮影されていたのか、避難訓練の様子が映し出される―――でも避難訓練にしては生徒達の悲鳴は臨場感に溢れている。
動画がズームされると画面いっぱいに生徒たちの表情が映し出され、そのほとんどが今にも泣きそうな表情をしている。
「これは三年前、授業中にゼータ警戒アラートが鳴り響いた時の実際の映像です」
先程までの柔らかい話し方は消え、赤阪先生の言葉には確かな重みがあった。
―――ゼータ。
この世界を侵食するガンと表現されることがある異形の怪物。二対の翼を持ち、二足歩行型や四足歩行型など様々な姿が存在する化け物。
ついこの間、本物の怪物を目の前にしたこともあってか動画からは聞こえていないはずのゼータの雄叫びがフラッシュバックするように耳の奥で響き渡っている気がする。
「ゼータは五十年前ほど前に活動を開始した未知の生命体であり、今もなお詳細なことは分かっていません。当初、人類の通常兵器では太刀打ち出来ませんでしたが、四十年前に初めてゼータの討伐に成功。その際の死体から対ゼータ兵器が生み出されてきました」
歴史の教科書で対ゼータ兵器の沿革を見たことがある。
当初は大砲やミサイルなんかの重火器を主にしていたが徐々に人間が扱えるサイズへ縮小が始まる。
そしてその終着点となったのが対ゼータ最終兵器―――ZEX。
正式名称はZeta Execution X。
「天才発明家の葉山博士によってZEXが開発され、ゼータとの本格的な戦いが始まりました。そして現在、ZEXは世界の治安維持に大きく貢献しています」
再生されていた動画が終わり、再び電気が点灯すると赤阪先生は俺達に優しく微笑んでくれる―――それと同時に避難経路が表示される。
「最初にも言いましたけど今日はオリエンテーションなので避難経路は表示するだけです~。学園の地下に避難用シェルターがあるのでそこに避難してもらいます~」
「それってかなりの頻度であるんですか?」
「それは本当に分かりません~。二日連続でなることもあれば一か月間ならないこともありますし~。ですがアラートが鳴ったとしても生徒のみなさんが出動することはありません~。多くの場合は殲滅隊が出動して駆除してくれますので~」
仮にアラートが鳴り響いたとしても各自治体が設置している地下シェルターに避難さえできれば俺たち一般市民には何ら影響はない。
そんなことを考えていると一時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
「あ、終わりましたね~。次は授業のことについてお話ししますね~」
そう言って先生は出席簿を手に足早に教室から去っていった。
休憩時間に入り、今までは先生がいたから抑えていたものが一気に開放され、教室内外の雰囲気が様変わりする。
「ねえ、あれがそうじゃない」
「平民でZEXを動かしたんだって」
「しかもゼータを倒したらしいよ」
「え? あれはデマだって聞いたけど」
廊下には学園設立以来、初めてとなる平民の男子生徒を一目見ようと見物客で溢れ、口々に評価を下していくが廊下にいるのは全員、Z族だ。
視線を廊下に向けると目が合っただの見つめられただのと面倒くさいので机に突っ伏す形で視線を下に落とす。
ただそれがいけなかった。
視線を下に落とすということは周囲の情報収集を辞めるということであり、突然の危機に対応できなくなってしまう。だから――――――
「ちょっとあんた」
このように後ろからやってきたガラの悪い女子三人組に囲まれて机の脚を蹴られても反応が出来ない。
「……なんだよ」
「あんた、チヤホヤされて調子乗ってんでしょ」
「何の話だよ」
「とぼけるんだ~。さっきまでニヤニヤしてたくせに」
あまりにも程度の低い絡み方に俺は呆れを通り越して無の境地に降り立つ。
Z族の概念が完璧に浸透している現代、平民が生きるにしては非常に肩身が狭い世界になっており、特にこの教室は俺にとっての地獄そのものだ。
右を見てもZ族、左を見てもZ族なので一歩歩けば差別や偏見に遭遇する始末。
今は様子見をしているのか三人組の絡みをニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら遠巻きに見ているだけだが学園生活に慣れてくると行動を起こすやつも出てくるだろう。
「言っとくけどあたしたちはこれからの未来を背負う金の卵だからあたしたちから先に避難するかんね。平民のあんたは最後」
「精々、ゼータの注意でも引き付けておいてよwww。私たちが安全に逃げられるようにさ」
「平民なんていくら死んでも問題ないもんね~」
こんな質の悪い絡みを一年間も我慢しなければならないのかと嫌になりそうだ。
「君たちの機嫌を損なわないように気を付けるよ」
「お前がこの教室にいるだけで機嫌最悪だけどな」
三人組じゃないどこからともなく男子生徒のわざとらしい声が教室に響き、全員が遠慮もせずに大きな声を上げて笑い始める。
どうやら既に俺の居場所はこの教室にはないみたいだ。
何も言い返さずに黙っていると休み時間終了を告げるチャイムが鳴り響く。
三人が席へと戻っていく。
それを合図に他の連中も自分の席に戻る。
チャイムが鳴り終わると同時に教室の自動ドアが開く―――が、入ってきたのは赤阪先生ではなく、うちの姉だった。
実に三か月ぶりに見る姉ちゃんの表情は完全に仕事モードに入っているためかこの前のように不機嫌さ全開ではないものの目は合わせられない。
姉ちゃんは教室を見渡し、一言―――
「全員起立!」
重みのある号令がかかり、全員が一斉に立ち上がるが急に言われたために間に合わず、遅れて椅子の音が響いた。
「座れ。やり直しだ……私が号令すればすぐさま立て」
もう一度、全員が座る―――が、いやらしいことにすぐさま号令をかけることはなく沈黙の時間を作り出す。
「起立!」
二度目の号令。
今度は全員そろった―――と思ったのも束の間、今度は指示棒を片手に生徒たちの方へ歩いていくとまず出席番号一番の子の耳についているピアスを小突く。
「貴様、このピアスは何だ。出動の度に装飾品を外すというのか?」
アメリカ出身らしき綺麗な金髪の女子生徒がちぎれんばかりの勢いで首を左右に振り、否定する。
「戦闘に邪魔なものは着けるな。分かったな」
「Yes,Ma’am!」
彼女は軍隊にいた経験があるのかよくドラマなどで見る軍隊式の挨拶をそれはもう大きな声で教室に響かせる。ちょっと手が動こうとしていたのは敬礼寸前だったのかもしれない。
次に先生は出席番号二番の子の下へ行くとその指示棒で背中を軽く叩いた。
「この猫背は何だ。ZEXは操縦者の姿勢をもとに自動姿勢制御が体勢を制御する。そんな猫背でいればすべての行動が狂う。なおせ」
「は、はい!」
その子も早速、背中をシャン、と伸ばして猫背を無理やりなおすが長年の姿勢はそんなすぐになおる筈もなく、プルプル震えている。
そのような感じで一人ずつなおすところを指摘していき、やがて二列目先頭の俺のところへやってくる。気のせいだろうか―――俺の時だけ顔の距離がえらく近い。
「おい」
「ひゃ、ひゃいっ!」
声が裏返るがこんなピリついた状況で誰も笑うことなど無かった。
恐らく歯を見せたら殺されるだろう。
「この寝ぐせは何だ」
ぴょこっと跳ねていた後ろ髪をギュッと持たれるとまるで心臓を握られているかのように胸が苦しくなった。
「き、気づきませんでした」
「言い訳を許可した覚えはない」
「は、はい」
「何故、第一ボタンをとめずにネクタイをしている」
「な、なおします!」
「袖のボタンを何故とめない。何故、朝に顔を洗わない。何故、約束を破る。何故、柄物の靴下を履いている。校則では黒か白のどちらかの決まりだが?」
指摘された部分を慌ててなおしていき、靴下を確認すると思いっきりカラフルな靴下をはいていた。
「く、靴下は経済的な理由で買えませんでした!」
「……私は嘘が嫌いだ」
「にゃ、にゃい」
指示棒が頬を貫通するんじゃないかというくらいにグリグリと捻じ込まれていき、うまく言葉が発せない―――というか指摘された中に思いっきりプライベートな指摘があったような気がする。
「もう一度聞く……何故、柄物の靴下を履いている」
「そ、そにょ……きょうしょくをわしゅれておりましちぇ」
「管理不足だ。放課後、私のところに来るように」
「あでっ」
最後にぺしっとおでこを指示棒で叩かれ、後ろの子へと順番が回る。その間にも姿勢は決して崩さず、直立不動のままだ。
三人組は俺の後ろに座っているからどのような状態なのかが分からない。一人、また一人と処刑されていく中、ただ一人だけ何も言われずにいた子がいた。
チラッと視線だけを動かすと同じ一番前の座席に座っている赤髪の少女だった。
当然、と言わんばかりに少女は目を閉じ、姿勢もまっすぐ綺麗だ。
そんなことを考えていると先生のチェックが終わり、教壇へと戻ってくる。
「我が学園では複数担任制だ。朝礼は赤阪先生、終礼は全て私が担当する。なお、明日から朝礼での服装違反者は全員、終礼で居残りとする。優しいからと言って赤阪先生を甘く見るなよ……あの人は私とは別ベクトルで怖いからな……着席!」
この短時間で着席の音までピタリと合わさってしまったところを見る限り、俺達にその意識を刻んだ先生の教師力が非常に高いことが伺える。
「私はこのクラスの一担任兼殲滅隊隊長、神原春夏だ」
その自己紹介の直後、一瞬教室がざわつき、一定数の視線が俺に突き刺さるが先生が眉間にしわを寄せただけで教室が静まり返る。
それもそうだろう―――姉はその腕っぷしで日本が誇るゼータ殲滅部隊である殲滅隊の隊長にのし上がった超有名人だ。
対してその弟はゼータ因子を持たない平民。
家族間で持つ・持たないが分かれることは滅多にないことらしいけど確認はされているらしい。
両親は二人とも因子を持っていた―――でもうちはZ族の中では変わり者として知られていたらしく、Z族でありながら平民と同じように働いていた。
よく言われたのは神原春夏はたまたま名字が被っただけの別人物だと。
「二つだけ言っておく。一つ。毎年、五月までに学園を去る生徒が一定数いる。その理由はついて行けない、だ。予想では三人は一週間も持たないだろう。無理だと判断したならばすぐに手続きを取り、通信制の学校へ行くように。ダラダラと続けられたら周りの士気に影響が出る」
思い浮かんだのは俺に絡んできた三人組。それはたまたまか、それともくぎを刺す意味でわざと言っているのか。
「もう一つは教師の言うことを忠実に守り、実行しろ。今まではZ族だからということで特別扱いを受けていたものが大半だろうがここではそれは通用しない。親がどれだけ高名なZ族であろうが私からすれば全員、ただのクソガキだ。不満があれば今すぐやめてもらって構わない……ここから先、君たちが歩む人生は死と隣り合わせの道だ。死にたくなければ我々の言うことは素直に聞くことだ」
その発言に誰も異議を唱えない。
いくらゼータに対抗できるZEXがあるとはいえ、ゼータとの戦闘で命を落とす操縦者は毎年何人も出ている。
事実である以上、誰もそれをおかしいとは思わない。
「よろしい……では今から授業の説明に入る」




