第十八話
鼻に突く嫌な臭いにより意識が覚醒し始めたグレイシアはゆっくりと目を開ける―――直後、耳に入ってきたのは耳を覆いたくなるほどの悲鳴だった。
獣の上擦った声と共に女性の絶叫が木霊する。そしてジュチュッ! という未知の音が彼女の耳の中で木霊する。
(……ここは住処)
ここで行われているのはただ一つ。一方的な交尾であり、魂の殺人。
この世界で女として生まれた以上、義務教育内でそのような学習はしてきたので知識としては持っている。しかし、彼女は幼いころからZEXに関する評価は常に最高評価を叩きだしてきた。
適性も技術も知識も。やがて女として知っておくべき危険性を頭の奥底へとしまい込んでいた。
そんなことをされる前に叩き潰せばいいと。
自分の実力ならば住処に連れていかれる前にゼータを叩き潰し、自分自身の身を守ることが出来ると考えていた。
血のにじむような努力を積み重ね、専用機体を与えられてからは頭の奥底にあった知識は既に消えかかっていた。
(とりあえず逃げないと)
気取られないように手を動かし、剣の位置を確認するが見当たらない。薄く目を開け、周囲を確認するが視界範囲内に見当たらなかった。
護身用の銃は健在―――ただそれはあくまで護身用、そして自らの尊厳を維持するためだけのものであり、ゼータを倒せるものではない。
(悲鳴が……止まった?)
さっきまで聞こえていた悲鳴が突如として止まる―――刹那、聞いたこともない音が響き渡る。
―――ゴボジュァッ!
―――ゴキボジュァッ!
そんな音が彼女の耳を支配し、音の方向を向いてしまう―――そこにあったのは素肌が見えている女性の両足、そして両足の間に謎の液体に塗れ、黒くて薄い膜に包まれているゼータの卵。
それらを見ただけで彼女は全てを理解した。
―――今、目の前にゼータの苗床となった女性がいると。
初めて見る凄惨な光景を目の当たりにし、次は自分、という意識が生まれ、一瞬にして心も体も恐怖がしみわたる。
今まではゼータなど一瞬で叩き潰せる力があった。でも今はない。その力を持たない自分はただの女。奴らからすれば苗床となるメスでしかない。
(逃げないと……早く逃げないと次は私が)
幸運にもまだゼータは気付いていない―――そう思っていた矢先、一体のゼータの首がグリンと回り、血走った目がグレイシアを捉える。
「っっ!」
次の瞬間、グレイシアはその場から飛び起き、全速力でこの場から離れるために走り始める。
グレイシアを捉えたゼータの目は明らかに獲物を捉えていた目。そして一瞬だけ見えた粘液のようなものに塗れたゼータの生殖器。
今にも腹の奥底から吐しゃ物が込み上げてきそうだったが無理やり押し込み、足を回し続ける。
「っ!?」
足元が見えない中で走っていたためか何かに躓き、盛大にこけてしまう。立ち上がり際に躓いたものを見ると何も身につけていない女性だった。
「っっっ!」
動かない女性の体には多数の殴打された跡があり、全身に夥しい量のどす黒い体液がかけられており、グレイシアの鼻孔を生臭い不快なにおいが通り過ぎ、頭を一気に支配する。
我慢の限界が訪れ、口から大量の吐しゃ物を吐き出す。手で押さえる間もなく押しとどめていた吐しゃ物は地面を汚していく。
ひとしきり吐いた彼女は再び走り始め、近くにあった大きな塊の陰に身を潜める。
直後、翼を小さく羽ばたかせる音が聞こえ、陰から覗くとキョロキョロと周囲を見渡す下龍種が近くまでやってくる。
すぐさま顔を伏せ、鼻と口を手で押さえて呼吸音すら漏れ出ないように強く抑える。
しかし心臓の鼓動が嫌に耳の中で木霊し、響いているのではないかという恐怖が彼女に襲い掛かる。
(お願いっ! お願いだからそのままあっちに行って!)
だが彼女の願いはむなしく、バサッバサッと翼が羽ばたく音が徐々に近づいてきている。
恐怖に押しつぶされそうになりながらもグレイシアは息を潜め、鼓動を押さえ込むように胸を強く押さえる。
そして聞こえてきたのは何かがへし折られるような音。
(な……なに?)
音のした方へ向くと追いかけてきていたゼータが別個体に尾を巻き付けている姿が目に入る。そして次の瞬間、尾は肉体を強く締めあげていとも簡単に千切り、上半身と下半身を分断してしまう。
そして別れた下半身を口元へ持っていくとグチャっと肉を引き千切る音が響き、咀嚼を始める。
(い、今のうちに)
食事に夢中になっている間にこの場を少しでも離れようと身をかがめて歩き始める―――刹那、パキッと乾いた枝を踏み折る音が響き渡る。
グレイシアは振り返ることも無く全速力でその場から駆け出す。後ろから翼を大きく羽ばたかせる音が聞こえてくるがそんなものを無視してひたすら走っていく。
ここで捕まれば先ほど見た光景が自分自身に降りかかってくる。
無我夢中で走り続けていると広い空間に出た―――同時に周囲に黒く、薄い膜のようなもので包まれている何かがいくつも目に入る。
薄い膜の向こう側に何かがうごめいているのに気付く―――それは見知った存在。
(下龍種!?)
「っっ!」
何かに躓き、盛大に転んでしまい、慌てて後ろを振り返ると先程追いかけてきていた個体がこちらに向かって近づいてくるのが見える。
前方にはゼータ、周囲を見渡す限りにもゼータ。一瞬でグレイシアは自分が迷い込んではいけない空間に迷い込んだと気付く。
ここは恐らく住処に連れ去られ、苗床となった女性たちが産み落とした物を保管する場所。つまり周囲にある物は全て下龍種の卵。
徐々に近づいてくる下龍種の下半身にはおぞましい姿をしている生殖器が露わになっている。
あんなものに人生を無茶苦茶にされるくらいならばとグレイシアは意を決し、護身用の拳銃を握りしめ、こめかみにあてる。
震える腕を無理やり動かし、引き金を引こうとする―――だが、自分の全てが死を拒絶したために指が動かない。引き金を引こうとしない。
(イヤ……死にたくない! 死にたくない!)
銃口をこめかみから離し、ゼータに向けると引き金を引く。パァンッ! と乾いた銃声が鳴り響き、弾丸がまっすぐゼータ目がけて放たれる。
しかし、その弾丸はあまりにも呆気なく翼に叩き落とされる。
その時、周囲の卵がうごめき始める。
先程の銃声で目を覚ました下龍種が活動を始めたことに気付くのはそう遅くなかった。
周囲の卵が破裂し、下龍種が次々に生まれるなかで最初の個体が翼を羽ばたかせて一直線にグレイシアに向かっていく。
おぞましい生殖器を露わにし、口の端からは不快な液体を垂れ流すその姿はまさに獣。
(イヤっ! だれか―――誰か助けて!)
迫りくる地獄に耐え切れなくなり、彼女は目を強く閉じる―――何故かグレイシアの脳裏に彼の顔が思い浮かんだ。
「―――?」
直後、上空からキィィン! という何かが落ちてくる音が聞こえた。
「っっ!」
見上げた先にはこちらに向かって急降下してくる一機のZEX―――そしてそれを纏うあの男の顔が見えた。
急降下の勢いのまま両足で地面に着地すると同時に向かって来ていたゼータを踏みつぶし、体液をそこら中にばらまく。
『Sorry I'm late!』
World Linkを通して聞こえてきた彼の声が一瞬にしてグレイシアの頭を支配する。
こちらを振り返り、笑顔を浮かべながら手を差し伸べる存在。グレイシアの目には本物のヒーローのように輝いて見えた。
彼女はその手を取るや否や駆けつけてくれた彼に思いっきり抱き付く。
ようやく来てくれた存在に抱き付き、グレイシアは体を震わし、泣き続ける。彼は何も言わずに優しく頭を撫でてくれる。
「You're so late……」
しかし、相変わらず彼は言葉を聞き取ることはなく不思議そうな表情を浮かべる。その表情がどこか面白くてグレイシアは笑みを浮かべた。
俺に抱き付くグレイシアは笑いかける。さっき言った言葉はイマイチ聞き取れなかったけど悪い感じはしない。
その時、周囲から複数の破裂音が聞こえ、二人して周囲を見渡すと次々と卵から下龍種たちが出て来て活動を始める。
「あ、そうだ。これ落とし物だ」
そう言いながらここへ来る道中に回収しておいた彼女の剣を渡すと彼女は安心した表情を浮かべて剣を受け取り、軽く抱きしめる。
「Thank you」
「よし……そんじゃ、こいつら片付けますか」
「OK!」
グレイシアが剣を鞘から抜いた瞬間、彼女を炎が包み込み、一瞬にして赤と白が混じるZEXの装甲が展開される。
そして手中に炎を納めるとそこに剣が生み出される。
背中をあわせて向き合う俺達の周囲で下龍種たちが活動を始め、俺達を最初の獲物として認定する。
「行くぞぉぉぉぉっ!」
手にサブマシンガン《ヴォルケイノ・ブリッツ》を握りしめた瞬間、下龍種の大軍勢が俺たちめがけて一斉にとびかかってきた。
あまりの光景に一瞬、腰が引けたが武器を握り締めて目の前の軍勢と相対する。
「よっ! くらえっ!」
横薙ぎの爪による切り裂きをスラスターを前方に吹かせることで後退し、回避すると同時に引き金を引いて無数の弾丸をゼータに突き刺していく。
ハチの巣となったゼータはその場に倒れ伏すが邪魔だと言わんばかりに奥からもう一体が死体を弾き飛ばしながら突撃してくる。
慌てて左手を突き出した瞬間、物理シールドが展開されてゼータの攻撃を防ぐ。
「っと! 喰らえ!」
物理シールドごとゼータを蹴り飛ばした瞬間、引き金を引く―――ゼータはそれを楯にしようとするがその直後に光の粒子となってシールドが消え去り、ゼータに無数の穴が開く。
「っっ! おぉぉっ!」
ZEXから背後の存在を通知で知り、後ろを振り返ると同時に手中にショットガン《ローア》を展開しながら至近距離で引き金を引く。
直後、目の前にいたゼータのどてっぱらに多数の小さな弾丸が放たれ、下龍種の腹部が一瞬にして肉片となって飛び散っていく。
「さ、さすがに怖ぇ……っっ!?」
ゴォォッ! と爆風が吹き荒れたかと思えば凄まじい速度でグレイシアが住処内を縦横無尽に飛び回り、次々に下龍種たちを叩き切っていく。
握られている剣は炎を纏っており、叩ききられていくゼータたちは皆炎に包まれながら落ちていく。
「炎も操れるのか」
『ヤッホー』
「っっ!? この声は」
突然、葉山博士の声が響き渡り、思わず体をビクつかせる。
『使い心地はどう? というか早く超過起動してよ。データ取れないじゃん』
「言われなくても! 超過起動!」
武器を投げ捨ててそう叫んだ瞬間、全身の装甲に黒紫色の光が走り、背部のウイングパーツは黒紫色のエネルギーに包まれていく。
「おぉぉぉっ!」
翼を羽ばたかせて突撃する。
先程とは比べ物にならない速度が発揮され、一瞬で下龍種との距離を詰め、顔面に拳を突き刺す。
一瞬にして拳が顔面を貫通し、ポッカリと大きな穴をあけて下龍種が落ちていく。
さっきまで捉えることすらできなかったグレイシアの姿がはっきりと見える。
近接用ブレードを展開し、翼とスラスターを駆使して縦横無尽に飛び回り、俺とグレイシアは次々と下龍種の大軍勢を蹴散らしていく。
しかし、奥の方から騒ぎを聞きつけた下龍種たちがどんどんやってくる。
「数が多すぎる。一気に消し飛ばさないとジリ貧だ」
『そんな時に飛び出てじゃじゃじゃじゃーん!』
「っ! 頼むからデカい声を出さないでください!」
『めんごめんご。この天っっ才発明家の葉山さんに任せたまえ! てい!』
直後、目の前に一つの通知が表示され、一つの武器の各種データが流れていく。そして召喚許可、の文字が表示される。
戸惑いながらも地上に降り立ち、視線でその文字を押す。
すると俺の上空に光の粒子が集まっていき、二門の肩部大砲が出現し、ゆっくりと降りてくる。
同時に二本のケーブルが背部装甲に接続される―――次の瞬間。
「ぁぁぁぁっ!? お、重!?」
二門の肩部大砲が肩に乗った瞬間、ZEXの補助機能でも相殺しきれないほどの重みが俺にのしかかり、思わず膝をついてしまう。
『あ、言い忘れていたけど送った兵装は特注だからZEXの補助機能は受けられないよ』
「さ、先に言ってください!」
『What are you doing!?』
ZEXの通信機能を通してグレイシアの怒声が響き渡る―――次の瞬間、大多数の下龍種たちが俺に向かって突っ込んでくる。
最悪のタイミングで奴らの本能を刺激してしまったらしい。
「ぬぉぉぉっっ! やってやろうじゃねえか!」
気合と根性だけで二門の大砲を持ち上げ、両足でしっかりと支える。
「食らえ!」
刹那、凄まじい爆音とともに黒紫色の砲弾が二発放たれたかと思えば着弾と同時に広範囲を床ごと一瞬にして下龍種たちを吹き飛ばし、消滅させる。
比喩などではなく本当に塵の一つも残さない程に消滅した。
「凄い威力だ……やってやる。やってやるぞ!」
俺の意思を受諾したかのように砲門からまるでサブマシンガンかと勘違いするほどの速度で砲弾が放たれていき、次々に着弾しては下龍種たちを消滅させていく。
「おらおらおらおらおら!」
あまりの威力に怖気ついた下龍種たちが逃げ惑う―――しかし、そんなことをグレイシアが許すはずもなく無慈悲な斬撃で切り落としれていく。
次々と着弾し、爆風をあげていくことで上から塵が舞い落ちてくるほどに住処全体が大きく揺れる。
「っしゃぁ!」
下龍種の大軍勢が全て消滅したことを確認し、二門の大砲を地面に降ろすがその直後に大砲は塵となって消え去ってしまった。
「き、消えた」
『その機体の主な戦い方はオーバーエナジーの兵装転用。機体内で貯まるエネルギーを兵装へと流し込むことで絶大な威力を発揮するんだ』
「は、はぁ」
『でも残念ながらそのエネルギーに耐えられる兵装をまだ作れてなくてさ。今のところは一回限りの兵装を使い捨てていく取り回しが必要なわけ』
でも一回限りの使い捨ての武器であの大軍勢を消し飛ばすことが出来ただけでも戦況的には最高の評価が与えられる。
それにオーバーエナジーを機体外へ排出できたお陰で超過起動を使用してもZEX自体には何ら不調は見られない。
ただ気になるのは今の攻撃を受けた個体が跡形もなく消失していること。
本来、攻撃を受けて絶命したとしても亡骸はその場に残る。そしてZEX製造へと回される。
「ゼータの亡骸が残らないのはなんでなんですか」
『それほどオーバーエナジーが強力だってことかな』
「Hey!」
その時、上からグレイシアの声が聞こえるや否や目の前に現れ、驚きの表情を浮かべながら俺に詰め寄ってくる。
「What on earth did you do!? I've never seen such a powerful weapon before!」
「え、えっと……セ、センキューね! センキューセンキュー……じゃ、ないか」
何を言っているのか分からず適当にお礼を言っていると今にも殺されそうな殺意がふんだんにこもった視線を送られる。
その時、こちらに向かってくる足音が聞こえた。




