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第二章 忘れていく景色、そして名前 前編
君子と、昔の話をしていた。
湯呑の湯気の向こうで、彼女が少しだけ笑う。
「覚えてる? あのとき、二人で海に行ったでしょう」
「海?」
首をかしげる。
潮の匂いも、波の音も、思い出せない。
記憶の引き出しを探しても、何も出てこない。
「そんなこと、あったか?」
「ええ、あったわ。あなたが貝殻を拾って、私にくれたのよ」
君子はそう言って笑った。
けれど、僕にはその笑顔の裏が、少しだけ悲しそうに見えた。
「……そんなこと、したっけ?」
「したのよ。ちゃんと」
そう言われても、どうしても思い出せない。
いや、そんな経験、した覚えがない。
まるで誰か別の人の話を聞いているようだった。
僕は、黙って湯呑を見つめた。
湯気が揺れて、ぼやける。
目の前の景色が、少しずつ遠のいていくような気がした。




