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「とんだ災難だったな」
気が付くと見知らぬ天井に出迎えられた。
「言ったろ。早く引っ越せって」
声の主を見ると見覚えのある顔があった。
“確かに昔ここで人は死んでるけどね。早く引っ越した方がいいよ”
「あの時の警官のおじさん」
「危なかったな。俺の霊感も大したもんだよ」
「一体、何が……」
俺は警官に意識を失ってからの事を教えてもらった。
風呂場で俺はさやに取り込まれ絶命寸前だったが、間一髪の所で乗り込んだ彼によって俺は救出され一命を取り留めた。
説明されると生命の危機にあったとは思えない程シンプルな説明だったが、意識がはっきりしてくると気になる事が山ほど出てきた。
「最初から分かってたんですか?」
「あの部屋の事か」
「部屋というか全部というか。逆にどこまで何を知ってるんですか?」
「ある程度の事はそれなりに」
「なんかふわっとしてますけど。聞かせて下さい、知ってる事全部」
それから警官が知る全てを教えてもらった。
「俺がこの街の駐在になったのは割と最近なんだが、今から三十年ほど前この部屋である事件が起きた。男女が血塗れで浴槽に並ぶような凄惨な現場だったらしい」
「死んだ女の名前って、もしかして新沼佐夜子ですか?」
「その通り。君を連れ出した時もずっと叫んでいたよ。今もまだ君の名を呼んでるかもな」
「止めてくださいよ」
「すまん」
「どうして気付いてくれたんですか。さっきなんか霊感がどうとかって」
「思えば最初からちゃんと伝えてやるべきだった。風呂場にヤバイ女がいるからさっと引っ越せって」
「あの時は誰もいないって」
「警官が簡単に幽霊の事を認めるわけにはいかなくてね」
「最初から見えてたんだ……」
「がっつりとね。君みたいな通報はあの部屋に住んだ人間から何度も受けてきた。大抵はすぐに気味悪がって勝手に引っ越していくから問題なかった。でも君は違った。波長があっちまったのか、はたまた君がもの好きだったのかは分からないが」
「……否定は出来ないですね」
「気にはなっていたから時折巡回していたんだが、君はあの部屋から離れなかった。どうも日増しに部屋から出る頻度も減っているようだったし、嫌な予感がして今日近くまで来たら今までとは比べ物にならない強く重い気を感じたんで、さすがにほっとけなくて強行突入させてもらったら、まさに危機一髪ってところだった」
「ほんと助かりました」
改めて俺は警官に礼を言った。
「引っ越します。すぐにでも」
「その方がいい」
「お祓いとか、受けた方がいいですかね」
「それは多分大丈夫だろう。彼女はあの場所から出られないらしいからな」
「それってなんでなんですか? 彼女はひろ君が残した呪いだって」
「ひろ君? 呪い?」
「なんか、一緒に死んだひろ君が残した呪いで自分は浴槽に縛られているって」
「……どういうつもりだ」
「どうしたんですか?」
「一緒に死んだと彼女は言ったのか?」
「は、はい」
「そうか。彼女知らないままなのか」
「知らないまま?」
「あの部屋で死んだのは新沼佐夜子一人だけだ」
「え?」
「もう一人の男、名前は今思い出せないが死んではいないぞ」
彼女が心中したと思っていたひろ君という人間は生きている。これが一体何を意味するのか。
浴槽から出られないさや。彼女に呪いをかけたひろ君。あの部屋は一体何なんだ。
「まあ浴槽と彼女に近寄らない限りは大丈夫だろう。念のため俺の知り合いに腕の良い霊能者がいるから紹介してやろう」
何者なんだこの警官は。ともあれさっさと引っ越そうと思いながら、どっと押し寄せた疲れで眠気に襲われた。
「あの、もうちょっと寝てていいですか?」
「かまわんよ」
遠慮なく俺はぐっすりと寝入った。
それから間もなくして俺は引っ越した。大家のおっさんは残念そうだったが知ったこっちゃない。新しい部屋は大学からの距離は近くなったが、家賃はぐんと跳ね上がった。いくらか仕送りを受けているとは懐的には少々辛かったが、毎日ゆったりと一人風呂を楽しめる幸せには代えがたかった。
「はぁ、極楽」
やっぱり風呂はゆったり一人で入る方が良い。
出遅れたが、俺の本当の大学ライフはこれからだ。