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「世界が終わったら私どうなるんだろう。もう死んでるのに」

「天国に行くんじゃないのかな?」

「そっか。私って今すごく中途半端だね」

「じゃあやっぱりいっそ世界が終わった方が綺麗になるんじゃない」

「どういう事?」

「この世自体が無くなるんだから、天国か地獄しか行き場所がなくなる」

「じゃあその時は一緒に天国で過ごそうね」

「終わりに希望が持てそうだよ」


 この世という存在があるせいで俺と彼女の間には隔たりがある。

 言葉を交わせる。感情を通わせる事が出来る。それで最初は十分だと思っていた。でも触れる事は出来なかった。その瞬間だけ絶望的な生者と死者の差を感じた。


 彼女に触れたい。彼女を包み込みたい。

 周りの人間が今の自分を見たら、悪霊に憑かれていると思われるのだろうか。死者側に引っ張られているからお祓いを受けた方がいいなんて言われるのだろうか。


 結局世界なんて自分が見える範囲と見識でしか存在しない。彼女は悪霊なんかじゃない。

 彼女に費やす時間が増えていた。少しでも彼女と一緒にいたい。彼女との距離を縮めれば、彼女にもっと近づける。根拠のない考えと想いだけで日が過ぎていった。

 

「すー君」

「ん?」

「お風呂、一緒に入ろ?」

「え?」

「嫌?」

「まさか。いいの?」

「うん」


 さやが少し身体をずらして俺が入れるスペースを空けてくれる。俺は立ち上がり浴槽へ足を伸ばす。


「脱がないの?」

「え?」

「お風呂は裸で入るものじゃない?」

「恥ずかしいよ」

「横で堂々とシャワー浴びた事あるくせに」

「あの時は見られてないと思ったから」

「大丈夫だよ」


 さやはそう言って着ていた服を脱いでいく。白く透き通った肌が露わになる。湯舟にどっぷりと浸かっていて首元に大きな傷跡がある事に今初めて気付いた。彼女に死に関係していそうだ。彼女の脱いだ服は自然とどこかに消失していた。

 まじまじと見るのも良くないと思うが、目を逸らすのも失礼かと思い俺は彼女の裸をじっと見据える。


「見てないで君も脱ぎなよ」

「あ、あぁ」


 情けなく動揺しながら服を脱ぎ捨てる。局部を隠したい恥ずかしさに駆られながら、一切自分を偽らない彼女の前で自分の裸体を隠す事は躊躇われた。


「入るね」


 浴槽の中に身体を潜り込ませ肩まで浸かる。最近まで彼女の為だけに溜めた浴槽。久しく入っていなかった湯舟は気持ち良かった。


「ああー」

「おじさんみたいな声やめてよ」


 さやが横で笑う。


「ごめんね私のせいで」

「ううん、シャワーも悪くなかったよ」


 言いながら鼓動が速まって静まらない自分がいた。さやと裸で風呂に入っている。そう考えると思わず身体が反応してしまいそうになる。

 ダメだ。余計な事を考えるなと自分を諫める。自然と身体はがちがちに固まっていた。

 

「やっぱりお風呂はシャワーより浴槽だよね」


 さやが嬉しそうに呟いた。


「やっと一緒に入れた。ずっと待ってたんだ」


 自分の肩に何かが触れた。さやが俺の肩に頭を預けていた。柔らかくきめ細かな髪の感触は肩から身体の芯まで刺激していく。


「やっと触れた」


 僅かな違和感。最初それが何か分からなかった。


「死んでも一緒にって思ったのに、私だけが残っちゃったから」


 唐突にさやがよく分からない言葉を口にする。

 私だけが残った。死んでも一緒に。何を言い出すんだとこちらも口にしようとした時、恐ろしい事に気付いた。


 声が出ない。

 頭で思った言葉が口から外に出ない。というか、身体がぴくりとも動かない。


「私だけ残して消えちゃうとかマジふざけてるよね。何で私だけこんな目にあうわけ? 私が間違ってるの? 好きで一緒にいたいって思っただけじゃん。何で断るのよ。何で伝わらないのよ。何で分かってくれないのよ。だからひろ君と二人だけの世界に行っちゃえばいいって思っただけなのに」


 矢継ぎ早に喋るさやの声。声はさやだが、聞いたことのない圧と温度に戸惑う。全く意味は分からないが、ひどく独善的で身勝手で無茶苦茶な内容だ。

 自分の全く知らないさや。だがおそらくこれが本当のさやだ。この時の為に本性を隠して、抑えて、引き摺り込んだ。俺を同じ浴槽に入れる為に。


「なんか変な呪いまで残してるし。あてつけみたいに浴槽から出られないように。封印のつもり? そこまでして私と一緒にいたくなかったってわけ? ほんとムカつく」


 言いたい事は山ほどある。知らない彼女もそうだし、彼女が殺したひろ君の事も。

 内容から察するに彼氏か。いや、ひょっとすれば一方的に彼女が想っていただけかもしれない。

 ともかくさやはここで彼を殺した。そしてさやもここで死んだ。心中のつもりだったのだろう。だがさやだけがこの世に霊となって残った。彼女の意思とは別に地縛霊の如く浴槽に縛られる形で。

 そんな事が出来るのか。死んでまで呪いを残すなんて、殺される覚悟もしていたってわけか。全部無茶苦茶だ。


“確かに昔ここで人は死んでるけどね。早く引っ越した方がいいよ”


 あの警官が言っていた通りだ。ここは立派な事故物件だ。しかも死んだのは少なくとも二人。とんだ事故物件だ。


“そりゃ何より。長く住んでくれるとありがたいよ”


 あのクソ大家。さすがに知らないわけがない。知っていながら黙っていたのだ。


“前に普通に住まれた方もいますよ”


 あの不動産はどうだ。あいつも嘘つき野郎だったのか。それとも短い期間で出入りは激しいものの、確かに住んでいる人間はいたよという意味合いか。だとすればとんだ言葉の綾というかマジックだ。


「でも良かった。おかげですー君に出会えた」


 さやの掌が身体を撫でる。本当なら興奮しても良さそうだが、身体は死んだように何も感じず、心は芯から冷えていった。


「あれから色んな人がこの部屋に住んだけど、皆すぐ出て行っちゃうんだよね」


 心底後悔した。普通はそうだ。俺もそうするべきだったのだ。馬鹿みたいにふざけ半分でこいつの為に湯舟を溜めなければこんな未来はなかった。


「きっとこの為に私はこの世に残ったんだね。運命ってあるんだ」


 べろりとさやが俺の頬を舐めた。何が運命だ。こいつは誰でもいいんだ。自分が依存出来る逃げない都合の良い存在なら誰でも。


「さあ、一緒になろ」


 彼女の口が俺の口を塞いだ。


「ふぐっ……!」


 息が出来ない。それどころか身体の内側から命を吸いだされるように体温が下がっていく。


 ーーダメだ、死ぬ。


 意識は遠のき、五感も消えつつあった。終わりだ。諦めかけたその時、風呂場の扉が勢いよく開く音がした。


「大丈夫か!」


 誰かの声と共に、自分の身体がふわりと浮き上がる感覚。

 何が起こっているのか分からない。


「返せ! 返せえええ!」


 悪魔のような叫び声が遠くで聞こえる。


 ーー助かった、のか。


 何も分からぬまま暗闇の中へと意識は沈んでいった。


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