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「なにかあったんすか?」


 シャカシャカとシャンプーしながら今日も俺は女に話しかける。

 浴槽を占領されて早一週間、女は相変わらず浴槽の中で棒立ちステイだった。俺が大学に行っている間にこっそり休んでいるのかもしれないが、ずっと立ちっぱなしだったとしたらこの女なかなかのスタミナおばけだ。おばけだから当然か。というかもしそうなら俺がいる時だけ浴槽に立った姿でいる事は何かのアピールなのだろうか。であれば何かしら反応してくれれば助かるのだが喋りもしないし動きもしない。自己主張があるようでないややこしい女だ。


「思ってるだけじゃ伝わらないですよ。言葉にしないと」


 どうせ言葉にしないと分かっていながらも無駄に俺は話しかける。何か意図や考えがあってやっているわけではない。ただ同じ空間に人がいるのに沈黙が耐えられないだけだ。

 

 この女は何なのか。俺が部屋にいる間この女は浴槽から一切動かない。飯も食わず真横のトイレも使わず。睡眠は分からない。ひょっとしたら立ったままずっと寝ているのかもしれないが、どれにしたって普通の人間が何時間もそんな事を続けられる訳がない。間違いなく幽霊である。


 幽霊である事を手っ取り早く確認するには女に触れてみるのが一番良いだろうがそれは怖いし、もし万が一この女が人間だったとした時に俺がもし不用意に触れたらセクハラだ性犯罪だの生き返ったように騒ぎ立てられでもしたら終わりだと思って試していない。


 まだご尊顔も拝見していない。絶妙な角度で長髪に隠れて顔が見えないが、もしこれが恐ろしい形相やぐしゃぐしゃに潰れた顔面だったりしたらトラウマものだ。そんなわけで女とはいまだ絶妙な距離感で共同生活を送っている。


「ずっといるなら家賃ぐらい払ってくださいよ」


 ただ最初に比べれば恐怖心はかなり薄らいだ。慣れというのは恐ろしいものだ。かといってこんな生活を俺は卒業するまで続けるのか。

 学部、サークル、ゼミ、広がる交流。念願の彼女。そんな時に、


『部屋遊びに行ってもいい?』


 ーーあかん。


 風呂場にこんな女がいる部屋に人をあげるなんて無理だ。


「やっぱ早く出てってもらっていいすか?」


 無視。パーフェクト無視。


 ーーっっざけんな。


 早々にこの女にはやはり消えてもらわねばならないようだ。しかし相手は幽霊。物理でどうにか出来る相手ではない。かと言って除霊の心得なんてもちろん備えていない。とその時、頭の中にふいに一つの考えが浮かんだ。

 

 ーーこいつ、もしかして風呂に浸かりたいのか?


 もしやただそれを伝えたいが為だけにずっとこいつはここにいるんじゃないか。でも自分は幽霊になって喋れも触れもしない。浴槽にずっと立ち続ける事が彼女なりのメッセージなのでは?

 盲点だ。風呂にいるから近づけないと考えてきたが逆だ。だからこそ近付くべきなのだ。今こそ必要なのはアウトファイトではなくインファイトだ。俺はこいつに更に踏み込む必要があると見た。試してみる価値はある。


「でやっ」


 浴槽の栓を締め、勢いよく蛇口をひねった。お湯が浴槽を満たしていく。


「やっぱ風呂はシャワーより浴槽ですよね」


 俺は一旦風呂場を後にした。十分もすれば湯は溜まるだろう。それまで待機だ。


 ーーこれで成仏してくれたらいいんだけどな。


 淡い期待を胸にリビングに腰掛けしばし時間を待った。







 スマホで動画を見ているとあっという間に十分が過ぎた。そろそろかと腰を上げ風呂場へ向かおうとした時、違和感に気付いた。


 音がしない。蛇口から流れるじょろろろという聞き慣れた音が全くしない。


 ーーえ、水道止められた?


 そんな馬鹿なと思い台所の蛇口を捻ると、じゃーっと勢いよく水が流れた。正常運転だ。という事は、風呂場だけ水が止まっている事になる。つまりと考え一つの結論に達する。


 女が自ら蛇口を捻って止めた。


 これをどう考えれば良い。一切動きのなかった女が動いた可能性について吉か凶で振り分ける。

 

 吉。風呂に満足し成仏した。

 凶。風呂に満足し力を得て更なる恐怖が俺に降りかかる。


 軽はずみな自分の行動を後悔した。後者だとすればかなりまずい。ゆっくり風呂場の扉に目を向ける。彼女が風呂に満たされ行動を起こせるようになったとしたら、彼女の行動範囲は大きく広がる事になる。


 警察と瞬時に思ったがもちろん頼れるわけがない。彼女は幽霊だ。またイタズラだと思われたら俺が罪に問われかねない。仮に彼女がもし実在している不審者だとしても、じゃあなんでお風呂に入っているの?と聞かれたらどうする。いや成仏するかと思って入れて上げたんですなんて答えようものなら俺がお縄にかけられる可能性すらある。


 ーー詰んだ?


 こんな訳の分からない人生の詰み方あるのか。一体俺が何をしたってんだ。大学生活を華々しく送る為に部屋を借りただけでこんな目にあうのか。っていうか事故物件なら先に言っとけよクソ不動産およびクソお大家が。

 罵詈雑言が心の中で飛び交う中、風呂場は静寂を保ったままだった。まったりとバスタイムを満喫しているのだろうか。

 

 どうする。女風呂を覗くなんて最低の極みである。後生孫の代まで受け継がれる汚点になりかねない。いやでも幽霊だぞ。俺の生活を脅かす魔物と言っても過言ではない。

 知るかそんな事。っていうかちゃんとお湯が止まっているかどうか確認するだけだそうなんだ。

 ごちゃごちゃ考えるのが面倒になり俺は勢いよく風呂場へ突入し扉を開けた。


 ーー……ふーん。


 しっかりと湯の張った浴槽に肩まで浸かった女の姿。

 え、肩まで浸かってますやん。

 蛇口のお湯は当然のように止まっていた。服は着たままだが、首から上だけ湯の外に出ている状態はまるで生首が浮かんでいるようだった。

 くくく、と首がこちらを向く。だらりと垂らした長髪から、彼女の顔が少しだけ覗いて見えた。初めて彼女と目と目が合った。


「やっぱりお風呂はシャワーより浴槽ですよね」


 死んだ人間とは思えない程、清涼感のある綺麗な声音だった。


「ですよね」


 ついでに言うと、めちゃくちゃ美人だった。


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