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「うわっ」
扉を開けたらおばけがいた。思わず漏れた声を無理矢理喉の中に引っ込めるように慌てて扉を閉じた。
一人暮らし初日。大学の下宿先にと住み始めたアパートの一室。風呂に入ろうと開けた先にそいつはいた。空っぽのバスタブの中でこちらに背を向けた女。白Tにデニムと質素なカジュアルを決め込み長く黒い髪を垂らした姿。
ーーおばけ、か……?
いきなりの事でいるはずのない人間が部屋の中にいたので一瞬おばけと決めつけたが、にしてはあまりにもはっきりと見え過ぎている。一人暮らしのつもりだったがまさかのサプライズシェアハウス。
どうも家賃が安いと思ったのだ。しかも条件が男限定。不動産の担当に事故物件じゃないかと聞いたら「前に何人も普通に住まれた方もいますよ」と言った。大家のおっさんにも確認したが「まあ人助けだと思って」とよく分からん事を言われて終わってしまった。
ともかく事故物件ではないはずだ。困惑しつつも俺はおそるおそるもう一度扉を開けた。
ーーいやいるじゃん。
ぱたんと扉を締め、携帯と財布を持って慌てて部屋を飛び出した。
「警察警察」
アパートを出て110番。電話口で部屋に見知らぬ女がいる事を伝えると五分もしないうちに中年の警官が一人来てくれた。
「ここです。風呂場にいました」
部屋を案内すると警官は「はいここね」と一切躊躇せず中へ入った。
あの女は一体どこから入ってきたんだ。そんな事を考えていると程なくして警官が戻ってきた。
「誰もいないよ」
いやそんな馬鹿な。警官が来るまでアパートに出入りする人間は一人もいなかった。慌てて飛び出たから玄関の鍵は閉め忘れていたが窓は全部鍵をしていたし、玄関以外に外に出れる場所なんてない。
「確かに昔ここで人は死んでるけどね。早く引っ越した方がいいよ」
警官は言い残してその場を立ち去った。
嘘だろ。警官ってこんな冷たいのかよ。っていうかやっぱ人死んでんのかよ事故物件じゃねえか。
まあとにかく気持ちを切り替えて風呂へ入ろうかと思って扉を開けた。
「めっちゃいるやん」
変わらず女は浴槽の中にいた。事故物件確定の瞬間だった。
*
「あのー……」
声を掛けてみるも幽霊は微動だにしない。百点の無視である。なんて失礼な女だ。急に現れておきながら家賃を払っている俺を無視するとは何事か。
「風呂、入っていいすか?」
これも無視。ふざけるな。花の大学生が風呂も入れずに学生生活を謳歌出来るわけがないだろ。
「入りますからね」
ブチギレだ。俺は勢い良く衣服を脱ぎ去る。夏だぞ。猛暑だぞ。いきなりの幽霊で芯から冷えた身体も既にアツアツだ。夜になってもまるで涼しさはない。さっさとこの汗を流してさっぱりしたい。
「入りますからね!」
自慢のボディを剥き出しにして俺は風呂場へ颯爽と足を踏み入れる。幸い彼女は無反応な上に後ろを向いている。風呂は浴槽派だが致し方ない、シャワーで勘弁してやろう。レバーを上げ、勢いよくシャワーヘッドから放出されるお湯を頭から浴びる。
「あー気持ちいいーふぅー!」
これ見よがしに女の横で俺は爽快さに快哉を叫んだ。俺なりの復讐だ。勝手に風呂に上がり込み不意を突いた女への罰だ。本当はゆったりと浴槽に浸かりたい所だが今日の所は諦めてやる。
さっと髪と身体を洗い風呂場を後にする。水道代の事を思えば節約になったか。実家にいた頃から風呂といえば浴槽に浸かるものだったが、案外シャワーで済ますのも悪くない。時間の節約にもなるし、一人暮らしにとってはこっちの方が良い事だらけじゃないか。まさか突如現れた幽霊に教えられる事があるとは。
「気が済んだら出てってくださいね」
とりあえず一言かけておいたが意味があるだろうか。明日になったら消えていて欲しい所だが。
次の日の朝、変わらず風呂場にいる女を見てそんな簡単に消えるわけないかと妙に納得した。