解放
「おや、駐在さん。どうもです」
「どうも大家さん。すみませんね、扉壊しちゃって」
「かまわんよ。人命救助の為だったのなら仕方がない。修理が必要なんでしばらくあの部屋は貸し出せないが」
「家賃経営としては収入源が一つ減るわけですもんね、申し訳ない。特に気遣っておられた部屋ですもんね、あの205号室は」
「気遣っていたって?」
「先日あの部屋で死にかけた青年がいましたが、名前は覚えておられますか?」
「諏訪部君ですね。もちろん覚えてますよ。彼は長くあの部屋に住んでくれてましたからね」
「よく気にかけておられたようですね。それは住人としてですか? それとも贄としてですか?」
「……何を仰りたいんですか?」
「いえね、個人的な興味と心配ですよ」
「ますます意味が分からない」
「前々から気になっていたんですよあの部屋。私は当時いませんでしたが、凄惨な事件があったと聞いています」
「そうですね」
「ところで、彼女勘違いしてるみたいですよ」
「彼女?」
「別にあなたを罪に問おうと思っているわけじゃない。正直になってもらって大丈夫ですよ」
「あなたの意図が見えない限り、何を口にするかは自分が決めます」
「新沼佐夜子。当時あの部屋に住んでいたあなたを刺し、自らも死んだ女性ですよ。生稲博さん」
「ずいぶん昔の話だ」
「構図はシンプルだからこそ狂気的で恐ろしい。新沼佐夜子は簡単にいえばほぼあなたのストーカーだった。当時携帯なんてないまだ古めかしい時代、連日彼女は部屋にやって来た。引っ越すにも金がかかり、当時の警察はまだストーカー法もなく、女性ならまだしも被害者が男性である点から相手にもされなかった。その全てが205号室の惨劇に繋がった」
「警察はあてにならない。頼りになるのは自分だけだと、良い教訓が出来ましたよ」
「今の警察は昔と違うので是非とも頼っていただきたい所ですが。新沼佐夜子は死んだ。だがあなたは奇跡的に一命を取り留めた。晴れて新沼佐夜子から解放されたわけです」
「その為に受けた傷は心身共に多すぎましたがね」
「だが分からないのはここからです。回復したあなたはあろう事かまた205号室に住み始めた。それから数年が経ち、もともと高齢だった大家が離れる事になったタイミングで自ら大家を志願した。相当な熱量だったらしいですね。若いし長い目で考えればありがたいと考え不動産も特に文句は言わなかった」
「何かおかしいですか?」
「おかしいでしょう。殺されかけたトラウマの場所にわざわざ戻り居座るなんて。よっぽど明確な何か目的でもなければ普通はあり得ない行動です」
「その様子ならある程度分かってるんでしょう」
「心情はまるで理解できませんが、あなたがやったであろう事だけは」
「ほう」
「と言っても、答えは諏訪部君から聞いたようなものなんですけどね。死んだ新沼がこう言っていたそうです。”一緒に死んだひろ君が残した呪いで自分は浴槽に縛られている”と。彼女はあなたも死んでいるという大きな勘違いをしたまままだあの部屋にいるようですね」
「駐在さん、大丈夫ですか? 警官の身でありながらだいぶスピリチュアルな話をされていますが」
「だから言ったでしょう。個人的な興味と心配だと」
「なるほど。心配の意味がまだよく分かりませんが」
「彼女はあなたが死をトリガーに何か自分に呪いをかけたと思っている。そのせいで浴槽から出られないと。しかしこれは半分正解で半分不正解。あなたは生きている。だが呪いはかけた。それがわざわざあなたがあの部屋に戻った理由です」
「それで?」
「そこからあなたは大家という立場に移る。あの部屋を空き部屋にする為です。自分以外の誰かが住み、新沼佐夜子の新しいターゲットとしての贄を住まわせる為に」
「贄ね」
「呪いは新沼の為だけのものではない。新沼と自分以外の男を結びつけ縛り付ける為の呪いだった。そういう意味で、諏訪部君はやっと現れた適性な贄だった。彼が引っ越す事になったのはさぞ残念だったでしょうね。まあその一因は私にもありますが。もしや恨んでます?」
「はぁあ腹の立つ駐在だ。べらべらと自慢げに講釈を垂れやがって」
「でもここまで分かってくれる相手は今までいなかったでしょう?」
「あんた、見えるのか?」
「がっつりと」
「そうかい。俺には何も見えん」
「おや、そうなんですか?」
「だからこそ恐れる。心底な。心情がまるで理解出来んと言ったな。そりゃそうだ。見えないという事は分からない事と同じ。分からない事がどれだけ恐ろしいか」
「見えないが感じるものはあった。それが自分の心が生み出したものかは分からない。ただ自分勝手な理由で人を殺そうとするような女だ。あの世で会う事も絶対に避けたい存在だ。だからこそここに戻った。見えずともまだあの浴槽にいる事は感じた。彼女はまだここにいる。ならばここから一生、いや一死? ともかく未来永劫この空間から出られないようにしてやろうと思った。そうしないと安心して死ぬに死ねない」
「そんな呪いよくかけられましたね」
「捨てる神あればではないが偶然だよ。病院で入院中に同室になった人が俺の事情を知ると教えてくれた。そんな奴、無限に縛っちまえって」
「なるほど。彼女への恐怖とトラウマのあまり、死後の世界ですら相まみえたくなかった。故に、彼女をここに留める事にした」
「ただ俺に呪いを教えてくれたその人は、彼女を完全に封じるなら贄が必要になるとも言った。その為には贄を迎えいれ見守る必要があった。男だったら誰でもいい。あの手の女は結局そういうものだ。だから男の贄を呼び込む必要があった。今もこうしてここにいるのはその為だ。」
「文字通り彼女に人生を振り回されてますね」
「心配とはその事か?」
「そうです。そんな人生大変でしょう」
「本当の意味で安息を感じた日は一日たりともないよ」
「邪魔をしたお詫びではないですが少しでもお力になればと思ってね、今あの部屋をある人に見てもらっています」
「は?」
「大家さんも家賃収入の事を考えれば、あの部屋にちゃんと長く住んでもらう方が良いと思ってね。腕利きの霊能力者に悪霊を祓うようにお願いしておいたんです。あ、ご心配なく。扉を壊したお詫びもあります。修理費はもちろん彼への依頼料は私の方でお支払いしておきます。」
「な、なんて、バカな事を……!」
「生きている間ぐらい安心して過ごしましょうよ、生稲さん。人生まだまだこれからですよ」
「お、俺が、何の為に今まで」
「死んでからの事までは私にはどうにも。ただこれは警官として、形はどうあれ人を死に追いやる様な行為に及んでいる人間を見過ごすわけにもいかないのですよ」
「の、呪ってやる。お前も呪ってやる!」
「どうぞご自由に。さっきも言った通り私にはその手の事に関して信頼できる人間がいます。呪いにももちろん対抗できます。まして、呪いをかけた相手が初めから分かっているなら容易い話だ。人を呪わば穴二つ。呪いを扱うのであれば、呪い返しの恐ろしさはご存じでしょう?」
「ぐっ……!」
「それでは、失礼させていただきます」