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85 師として、女として(リゼッタ視点)

 いつまでもここにいてはいけない――。


 その場を立ち去ろうとした、その時だった。


「リゼッタ様」


 前方から現れた人物に、リゼッタは足を止めた。


 銀色の髪を長く伸ばした、生真面目な雰囲気の女騎士だ。


「ブリュンヒルデか」


 リゼッタは彼女に歩み寄り、声をひそめて言った。


「向こうには行くな。クレスト殿下とフラメル殿下が取り込み中だ」

「取り込み中……ですか?」


 ブリュンヒルデが首をかしげた。


 その表情には、リゼッタの言葉の裏にある意味を察した様子はない。


 恋愛事に疎いタイプなのかもしれない。


(まあ、私も他人のことは言えないか)


 リゼッタは内心で苦笑しつつ、ブリュンヒルデを促して、その場から遠ざかった。


「それより剣の稽古だ。ビランジェの戦いは今までの戦い以上に激しくなるぞ。覚悟を決めろ」


 並んで歩きながら、リゼッタがブリュンヒルデに言った。


 そう、感傷に浸っている場合ではない。


 次の戦いは、この戦争の趨勢を決める重要な一戦になるのだから。


「ビランジェを抜ければ、一気にメルディア王都まで攻め入ることも可能ですからね」


 ブリュンヒルデが真剣な表情でうなずく。


「向こうも総力を挙げて守ってくるはずだ」


 リゼッタはそう言って、ビランジェの方向を見据えた。


 生半可な攻め方では攻略できないだろう。


 まさに難所中の難所――。


「クレスト……いや、殿下がどんな作戦を立てるにせよ、私たちの働きは重要だ。ビランジェの守りは固い。あのレイガルド以上に、な」

「心得ています」


 ブリュンヒルデは力強くうなずいた。


「私に修行を付けてください、リゼッタ様。たとえ、この身がどうなろうと――故郷と家族を奪ったメルディアを討つための力が、私は欲しいのです」

「メルディアへの恨み、か」


 その憎しみを否定する気はない。


 戦う理由は人それぞれだ。


 想いが強ければ強いほど、剣は鋭さを増す。


 それが憎しみであれ、あるいは――愛であれ。


「それがお前の戦う理由だったな。私の場合は――今は、守りたいもののために剣を振るっている」

「守りたいもの……ですか?」

「ああ。かつて、守れなかったもの……それを今度こそ、私の手で守り抜きたいのさ」


 リゼッタの脳裏に、メルディア王国の片隅でひたむきに剣の稽古に励んでいた、一人の少年の姿が浮かんだ。


 不器用で、才能には恵まれなかったけれど、誰よりも優しい心を持っていた少年。


 あの日、彼の処刑を止められなかった後悔が、今もリゼッタの胸には重くのしかかっている。


 だが、彼は生きていた。


 姿を変え、立場を変え、それでも彼は懸命に戦っている。


 愛する人を見つけ、その未来のために。


「リゼッタ様……?」


 黙り込んだリゼッタを、ブリュンヒルデが心配そうに覗き込む。


(師匠として……弟子の恋路を応援するのも悪くない。あいつが愛する人と幸せになる未来を、この手で切り開いてやるのも一興だ)


 誰にも言えない思いを心の中でつぶやき、リゼッタは微笑んだ。


 それから表情を引き締め、ブリュンヒルデの肩を叩く。


「稽古を始めるぞ。言っておくが、今まで以上に厳しいからな」


 今はただ、剣を振るうだけだ。


 ――女として、クレストの隣に立つことはできなくとも、彼の背中を守るための剣として。


 リゼッタは、そのために戦う。

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