3 皇女フラメル
扉を開いた向こうは、城の中のようだった。
しばらく進むと、大きな通路に出る。
「広いな……」
メルディアの王城と同じか、それ以上――。
壮麗な装飾に彩られた城内には、大勢の人々が行き来していた。
通路を進んでいくと、不意に前方から一人の女が歩いてくるのが見えた。
年齢は、僕より二つくらい上だろうか。
緑色の髪を長く伸ばした絶世の美少女だ。
身に付けているのは高価そうな白いドレス。
「クレストくん、探したんだよ」
と、彼女が僕の元にやって来た。
「あなたは……?」
僕の言葉に、彼女はキョトンとした顔で首をかしげる。
「? 何言ってるの、クレストくん。お姉さんの顔、忘れちゃった?」
「姉……?」
ということは、彼女は皇女か。
僕はとっさに、ありきたりな言い訳を口にした。
「……失礼しました。実は先ほど、部屋で頭を強く打ってしまって……記憶に一時的な混濁があるようです」
「えっ、大変じゃない!?」
彼女は驚いた顔をして僕を抱きしめた。
「あ、姉上……?」
柔らかな感触と甘い香りで、僕はドキッとしてしまう。
「大丈夫、すぐ治してあげるからね……!」
彼女は僕を抱きしめたまま、ささやいた。
「【ヒール・第七階梯】」
淡い輝きがその体からあふれだし、僕を包む。
【ヒール】は治癒魔法の一種だ。
効果によって、いくつかのレベルに分かれているんだけど、第七階梯とい
うのは最上位のはず。
これを使えるのは、メルディアでは大神官など限られた人間だけだ。
それを易々と使いこなすとは――。
しばらくして、光が収まる。
「あれ? 最上級の【ヒール】をかけたのに治らないね。あたしの魔法が上手くいかなかったのかあ……ごめんね」
申し訳なさそうに謝る彼女に少し罪悪感を覚えた。
僕は本当は怪我などしていない。
だから、どれだけ高いレベルの治癒魔法でも効果がないのは当たり前なのだ。
「いえ、急に楽になってきました。ありがとうございます、姉上」
言いながら、僕は体を離した。
「本当に大丈夫? 無理してない?」
「はい。おかげさまで」
僕がうなずくと、彼女はホッと胸をなで下ろしたようだ。
優しい人なんだな、と僕は彼女に好感を持った。
「一応説明しておくと、あたしはフラメル。このヴァールハイト帝国の第二皇女で、君のお姉さんよ」
「フラメル……姉上」
「そして君はクレスト・ヴァールハイト。この国の第三皇子で【黒騎士】の異名を持つ英雄。国内で……ううん、世界で最強の剣士なんだから」
メルディア王国にいた頃、その名前は悪夢の象徴だった。
帝国最強剣士――【黒騎士】クレスト。
わずか五歳にして、すでに騎士団長を負かすほどの剣技を体得。
その後、八歳で初陣を迎え、いきなり王国軍の将軍を討ち果たす。
他にも、寡兵をもって王国の大軍と渡り合ったり、奇策を用いて難攻不落の要塞を攻め落としたり、果ては敵地で数千の兵に囲まれながら、傷一つ負わずに帰還したりと――。
その伝説は枚挙にいとまがない。
彼が戦場に現れるだけで、メルディアの軍勢は総崩れになったと聞いている。
けれど、帝国側から見れば、彼は『英雄』なのだ。
当たり前の話だが、帝国の人間から直接『英雄』という言葉を聞くと、自分が本当に別の国に来てしまったのだという実感が湧いてきた。
「ありがとうございます、フラメル。僕はもう大丈夫です」
「僕? いつもと話し方が違うような――」
フラメルは一瞬、不思議そうな顔をした。
けれど、すぐににこりと笑う。
「でも、元気そうでよかった。本当に心配したんだから」
「お優しいのですね、姉上は」
「大事な弟だもの。当たり前でしょ」
そして、彼女はぽつりとつぶやく。
「……それに、このお城で気を許せるのは君しかいないから……」
フラメルの横顔に寂しげな表情が一瞬浮かんだ。
「あ、そうだ。あたしと君を陛下がお呼びなの。一緒に行きましょ」
「陛下が?」
姉が『陛下』と呼ぶのは、きっと皇帝のことだろう。
ヴァールハイト帝国の皇帝。
僕に、いったい何の用があるんだろうか……。
フラメルに連れられて、僕は謁見の間へとやって来た。
玉座には一人の男が座っている。
ヴァールハイト帝国皇帝――。
「お召しにより参上いたしました、陛下」
フラメルが言うと、僕もそれにならって一礼する。
間近で見る皇帝は、僕が抱いていた印象とは全く違っていた。
メルディア王国では、彼は悪逆非道な侵略者として伝えられていた。
だから、もっと凶暴で威圧的な男を想像していた。
けれど、目の前にいる皇帝はすごく穏やかな顔をしている。
優しく、理知的な雰囲気をまとっていた。
本当にこれが『悪の皇帝』なのか……!?
そのギャップに僕は戸惑いを隠せない。
「うむ。呼び立ててすまないな、フラメル、クレスト」
皇帝は穏やかな笑みを浮かべて、僕たちに言った。
「またメルディアが国境付近に攻めこんできている。お前たちには、その迎撃に向かってもらいたい」
その言葉に、僕の心臓ドクンと跳ねた。
メルディア王国。
僕が生まれ、そして……殺された国。
「攻撃の要であるクレスト、防御の要であるフラメル――お前たちの力を、存分に見せてほしい」
皇帝はそこまで言ったところで、わずかに目を伏せた。
「いつもお前たちにばかり負担をかけることになり、心苦しく思っている。だが、これも国のためだ」
「いいえ、陛下。国を守るために力を尽くせることを、あたしは誇りに思います」
フラメルは迷いのない声で答えた。
それから僕の方を振り返る。
「ね、クレストくん」
「僕は――」
脳裏に、いくつもの光景がよみがえってきた。
僕の処刑を娯楽として楽しむ民衆の顔。
僕を陥れた兄姉の顔。
そして、冷酷に僕の死を決定した父王の顔。
「彼らの悪逆さを……僕は知っています。その攻撃性を、その残忍さを」
僕は皇帝をまっすぐに見つめた。
「教えてください、陛下。彼らがこのヴァールハイトに対して、今まで何をしてきたのかを」
「クレスト……?」
「彼らのことをもっと知りたいのです。彼らの真実を」
僕は言葉を続ける。
「メルディア王国の、本当の姿を」
「……お前が何を言いたいのか、測りかねる部分もあるが……いいだろう」
皇帝は少し戸惑った様子を見せつつも語り始めた。
「彼らは――我が国の豊穣な土地を羨んでいる。最初は、平和的な交渉によって我らから富を搾取しようと目論んだ。だが、その交渉は彼らの思うとおりにはならなかった。だから今度は、武力という手段に訴え出たのだ」
皇帝が説明する。
僕は違和感を覚えた。
――メルディアにいたころに聞いた話と違うぞ。
向こうにいたときは、帝国側が無体な主張を繰り返した末に、侵略戦争を仕掛けてきた――という話だったのに。
「簡単に言えば、それが我らの戦争の発端だ。その後、メルディアは我が国の国境を何度も焼いた。何度も、何度もだ。数え切れぬほどに。そして、そこに住まう罪なき民たちが犠牲になってきた。赤子も、老人も、女も……何度も、何度も……!」
穏やかだった顔に朱が差していく。
優しげな瞳の奥で、怒りと恨みの炎が燃え盛っているのを、僕の【魔眼】は確かに捉えていた。
その後も、皇帝の話は続いた。
やっぱり、メルディアにいた頃に僕が聞かされていた話とは何もかもが違っていた。
メルディアでは、ヴァールハイト帝国が一方的に侵略を仕掛けてきた、ということになっていた。
けれど、皇帝の話を聞く限り、むしろ侵略者はメルディアの方だと思える。
もちろん、その言い分を鵜呑みにすることはできない。
彼らもまた、自分たちに都合のいい事実だけを並べて語っている可能性はあった。
それでも――。
「教えていただき、ありがとうございました、陛下」
僕は深々と一礼した。
「納得したのか、クレスト?」
「情報の一つとして頭に入れておきます。どちらが正しいのか、その真実は――僕自身が見出すしかありませんので」
そうだ。
どちらの国が正義で、どちらが悪かなんて、今の僕には分からない。
いや、戦争に正義も悪もない。
ただ……だからこそ、僕自身の目で事実を確かめたい。
「まずは、このヴァールハイト帝国を守るため。そして、僕を虐げた者たちを討つために――」
僕は顔を上げ、はっきりと宣言した。
「直ちに出撃します」
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