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3.



「陛下……!!」



 低く唸るような声が聖堂に響く。周囲の静止を振り切り、コンラートが皇帝陛下の眼前へと立った。


 彼の外套の下から、鋭い短剣が閃く。廷臣たちが息を呑み、帝国騎士たちが動こうとしたその瞬間――。



「やめろ、コンラート!」



 声と共にいつの間にか、お父様が二人の間に立ちふさがった。



「これは我が家の正義だ!……貴様ら二人とも殺してやる!」



 コンラートの声は震えていた。怒りか、悲しみか、それとも覚悟か。

 

 構えた短剣が皇帝陛下を貫くよりも一歩早く、お父様が足で蹴り上げ、短剣を弾き飛ばした。



「……くっ!」



 強い衝撃がコンラートの手首を襲い、痛みからその場に膝をついた。壇上から降り立ったディートヘルムの剣先が責め立てるように、コンラートののど元に突き立てられる。



「……たった今、皇族への大逆罪も追加されたな。」



 すると、剣から逃れるように後ずさりしたコンラートは階段を転がり降り、呻きながら私や曾お祖父様を睨みつけた。



「先にお前たちから……!」



 そう叫んだコンラートの目と鼻の先に、先ほど飛ばされた短剣が落ちていた。



 ――このままでは殺される……!



 コンラートが短剣へと手を伸ばすと同時に、標的に気づいたディートヘルムが走り出す。


 私は迫ってくる短剣への恐怖で目を固く閉じて身を縮こませた。



「アンネリーゼ……!!」



 瞬間、私の身体は大きな腕に包まれた。聖堂内のいたるところから悲鳴が上がる。訪れない痛みに目を開けると、腕から血を流したディートヘルムが私を抱きしめていた。



「ディートヘルム!」



 コンラートは舌打ちをすると、私たちの後ろに立っていた曾お祖父様に狙いを定めて突進した。



「やめろ!」



 叫び声と共にお兄様が、コンラートに向かって体当たりする。衝撃で短剣を手放したコンラートが、地面へと倒れ伏す。


 その隙を狙って、帝国騎士たちがコンラートを包囲し、拘束した。



「離せ!私がやらねばならぬのだ!!」



 髪を振り乱しながら暴れるコンラートの声が、聖堂内に大きく響き渡る。


 誰もが息を呑み、時間がゆっくりと流れる。足元に転がった短剣が、異様なほどに不自然な光を放っているように見えた。


 やがて、首席裁判官が重々しく椅子から立ち上がり、杖を強く一度鳴らした。その音でようやく周囲のざわめきが引き締まり、帝国騎士たちの鎧がきしむ音だけが残った。裁判官の目はコンラートを拘束する騎士たちを確かめ、次に皇帝へと向いた。皇帝の面持ちは石のように冷たく、唇はぎりりと結ばれていた。



「この場での私的復讐、並びに皇族への襲撃未遂――事は重大である。コンラート=フォン=レーヴェンタール殿、あなたを大逆罪並びに、公判妨害の疑いでただちに拘束する。状況を鑑み、ここでの審理は一旦中断し、別室にて厳正に取調べを行う。」



 裁判長が低く声を響かせる。



「コンラートを別室へ連れていけ――」



 その指示が場に落ちた瞬間、私は思わず声を上げた。



「……お待ちください!」



 コンラートの荒い呼吸が背後で聞こえ、視線は私を睨みつけていた。だが私は怯まなかった。


 このままでは、皇帝陛下や私たちローゼンベルク家への疑惑が残ったままになってしまう。仕切り直しをされる前に、真実を明らかにしなければならない。


 私は、隣に立つディートヘルムを仰ぎ見た。彼は私を勇気づけるように大きく頷いた。



「……まだ明らかにすべきことがあります。もしこのまま連れて行かれれば、皇帝陛下と我がローゼンベルク家に対する誤解が、帝国中に残ってしまいます。」



 聴衆の目が一斉に私に向く。首席裁判官が眉をひそめるが、やがて静かに頷いた。



「……言い分を聞きましょう。」



 私は首席裁判官に目礼し、倒れ伏すコンラートを見下ろした。



「コンラート、貴方は大きな誤解をしています。」


「……なんだと!?」


「そもそもの根底が間違っているのです。」



 私は手にしたレオポルトの手記をゆっくりと開き、声を震わせずに読み上げる。



「レオポルトの手記にはこう記されています。――『私は、何度も逃げようとしました。 しかし、逃げる先には常に彼の影がありました。 そして、ある日、私は決意しました。 コンラートを殺すしかない――そう思ったのです。』と。」



 私の言葉に耳を疑ったのか、コンラートは開いた口が塞がらないようだった。 



「さらに、馬車についても記述があります。『私は足がつかないように、適当な浮浪者に声を掛け、彼が乗る予定だった馬車の車輪に細工を施すよう依頼しました。 事故に見せかけて命を奪うつもりでした。』――もう、お分かりですよね?」


「……そんな、馬鹿な…………。」


「証人もいます。当時、レオポルトから指示を受けたと思われる浮浪者を特定し、この場にお呼びしています。」



 この証人は、コンラートを調査する中で、ヴァレンシュタイン家が見つけてきた関係者だ。


 レオポルトは、悪事を働く際は、ゴロツキや傭兵などはあえて使わずに街に溶け込む浮浪者たちを使っていたようだった。


 私は傍聴席からこれまでの一部始終を見ていた元浮浪者の男を呼んだ。



「貴方はかつて、レオポルトから生活の面倒を見てもらう代わりに、レーヴェンタール家の馬車に細工をしましたね?」


「……その通りです。私は、レオポルト様から指示を受け、馬車に小さな細工を施しました。誰の命令でもなく、あくまでレオポルト様からの依頼です。」



 聴衆のざわめきが、次第に重い沈黙へと変わる。コンラートの目が大きく揺れた。息子がただ巻き込まれただけだったことに気づいたのか、かすかな痛みが表情に浮かぶ。


 私は一歩前に出て、視線を彼に合わせる。



「コンラート、貴方が長年信じてきた――息子を殺したのは皇帝陛下とローゼンベルク家だ――という思いは、誤解です。貴方の息子は陰謀によって殺されたのではない。貴方が脅迫して従わせていたレオポルトの、報復の犠牲となったのです。」



 言葉を告げるたびに、胸の奥の怒りと悲しみがぶつかり合う。この誤解のために、多くの不幸が起きた。だが、同時に、息子への同情心が、私の声を冷静に保ってくれた。ただ巻き込まれて亡くなってしまった――その事実を、私はどうしても放っておけなかった。



「だからこそ、今この場で、誤解を正さねばなりません。陛下も、ローゼンベルク家も――無関係なのです。」



 私の言葉は、静かだが、聖堂の天井まで届くような力を持っていた。コンラートの目は動かず、身体は震え、声は出ない。周囲の聴衆は息を呑む。


 私は深く息を吸い込み、視線を皇帝陛下に向けた。短く、しかし揺るぎない言葉で告げる。



「……これが真実です。」



 私の言葉を最後に、聖堂は深い静寂に沈んだ。ざわめきもなく、誰一人、息を吸うことすら忘れたようだった。


 コンラートは、その場に縫い止められたように動かなかった。いやーー動けなかったのだ。



「……嘘だ……。」



 かろうじて絞り出した声は、怒号でも反論でもなかった。祈りにも似た、弱々しい否定だった。



「レオポルトが……、あいつが、そんなことを……。私の、息子を……。」



 言葉は最後まで形にならなかった。彼の喉から、獣のような嗚咽が漏れる。


 私は胸が締め付けられるように感じながらも、彼から視線を逸らさずにいた。これは裁きだ。確かに彼の息子は巻き込まれただけかもしれない。だからといってコンラートがこれまで行ってきた悪事が正当化されるわけではない。



「……あなたの息子は、復讐のために殺されたわけではありません。」



 コンラートの肩が大きく揺れ、冷たい床に崩れ落ちる。



「……私は、今まで、いったい何のために……。」



 長い沈黙の後、首席裁判官がゆっくりと立ち上がった。



「――以上の証言と物証により、本件において皇帝陛下およびローゼンベルク家が、コンラートの息子の死に関与した事実は認められない。」



 その言葉は、判決ではない。


 だが、疑念に終止符を打つ宣言だった。


 裁判官は、コンラートを見下ろす。



「一方で、被告コンラートは、誤った確信に基づき、虚偽の告発と反乱行為、さらには皇族への襲撃を行った。動機に情状の余地があるとしても、罪が消えることはない。」



 槌が、静かに打ち下ろされる。



「本日の審理はここまでとする。被告は厳重に拘束し、後日、正式な裁きを下す。また、先のノルトハイム家による訴えも改めて沙汰を言い渡す。」



 帝国騎士たちが再び動き出す。


 だが今度は、誰も声を上げなかった。


 コンラートは連れて行かれる直前、一度だけ振り返った。


 その目にあったのは、憎しみではない。


 深い後悔と、

 ――間に合わなかった父の顔だった。



 私はその背中を見届けたまま、ようやく長い闘いが終わったのだと感じた。





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